一色と比企谷と が、雪ノ下陽乃に生徒会長選挙を挑むことになる話。
「比企谷八幡です。趣味は読書です。1年間よろしくお願いします」
テンプレートな自己紹介。まばらな拍手。
高校2年生になった俺は新しいクラスで無事にぼっちになっていた。
俺がぼっちになった理由はシンプルだ。
教師が悪い。
クラスの人達はみんないい奴らなのだ。いじめられていたり無視されてる訳じゃない。
俺も1年生の頃はそれなりに友人はいた。しかし、進級したらその友人全員と引き剥がされたのだ。
俺は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の教師を除かなければならぬと決意した。
「はぁ………比企谷。何だコレは」
国語教師兼担任の平塚先生から呼び出しを喰らった。
平塚先生とは一年生の頃からの付き合いで、かれこれ呼び出しは10回を超えている。まったく、俺のことが好き過ぎるだろこの先生。
その平塚先生は俺の書いた日直日誌を片手にため息をついていた。国語教師なのにメロスを知らないのだろうか。
「メロスですよ」
「元ネタを聞いているのではない。日直日誌にぼっちになった恨みつらみを書くなということだ」
「事実を書いたまでですよ。俺のような不幸な生徒が2度と出て欲しくないので、改善を要求します」
「まったく……これでバカなら殴って終わりなんだが、成績が良いから余計にタチの悪い」
「体罰は時代遅れですよ。今は褒めて伸ばす時代なので俺のことを褒めて下さいよ」
俺は平塚先生に頭を差し出す。さぁ、撫でろ!!
「褒めて欲しいならこんな物を書くな。雪ノ下といい君といい一色といい、なんで私が受け持つクラスに問題児がいるんだ」
日直日誌で頭をポスンと叩かれ、平塚先生はタバコに火をつけた。
生徒指導室は禁煙の筈だが、部屋には俺しかいないので平塚先生は俺と2人の時はよくタバコを吸っている。タバコの似合う女性はカッコいいのでチクることはしない。
ところで、知らない名前が出てきたな。一応聞いておくか。
「雪ノ下さんは分かりますけど、一色って誰ですか?」
雪ノ下陽乃3年生。現生徒会長様。番長。魔王。化物。
総武高校の生徒なら誰でも知ってる超有名人さん。
美人で人当たりが良くて、まさに理想の人間という感じ。
俺は直接話した事はないけれど、全体的に嘘臭さを感じているので勝手に嫌って避けている。君子危うきに近寄らず。
平塚先生と仲が良いらしく、雪ノ下陽乃については平塚先生と話していると度々話題に上がる。
それに比べて、一色という名前は知らない。
平塚先生から初めて聞く名前だ。
「一色いろは。新入生だ。なんというか、彼女は同性に嫌われていてな。彼女自身にも問題があるんだが、彼女はそれを是正する気が無いんだよ」
「向上心のかけらも無いなんて最低ですね」
平塚先生の素晴らしい指導を受けておきながら是正しないとはなんてやつだ。信じられない。最低過ぎる。粛正だ。
「君も同じだぞ。なんで上から目線なんだ」
「俺は先生を尊敬してるので別です。それで、一色はいじめにでもあったんですか?」
「あった。だが、取り立てるほどでは無い。だから困るのだ。私たちが今の段階で手を出すことも出来ん」
総武高校は進学校だ。教師に咎められるイジメをするような馬鹿はいない。イジメでないなら教師も手が出せない。平塚先生も大変だな。
「お疲れ様です。またラーメン付き合いますよ」
「今はラーメンよりも酒の気分だ。そういう訳で、一色に君の事を紹介しておいた。相手してやってくれ」
「ぼっちにぼっちをぶつけても傷の舐め合いにしかならないと思いますが……」
「彼女には君のように人との距離を測り見極める術を身に付けて欲しいんだよ。君は一色の踏み台だ、また今度ラーメンは奢ってやるから頑張りたまえ。任せたぞ。」
ヒラヒラと手を振る平塚先生に見送られながら生徒指導室を後にする。見知らぬ新入生を平塚先生に任されてしまった。あの人、俺に何かお願いする時はいつも任せたぞ任せたぞって、こき使い過ぎだろ。
とはいえ、いつもラーメン奢って貰ったり悩み聞いて貰ったりしてるので平塚先生の頼みなら無下にするつもりはない。しかし今回は一色がどんな見た目かとか何も聞いてないし、具体的に何をすればいいのか何も聞いてない。
平塚先生にしては珍しく詰めが甘い。俺も舐められた物だ。
よし、放置しよう。
一色を探したけど見つかりませんでした。
これで解決だ。ふふ、悔しがる平塚先生の顔が目に浮かぶ。
ひと仕事終えたので校舎の端の自販機までマックスコーヒーを買いに行く。うちの高校はマッ缶が売れていないようで、マッ缶が売ってる自販機は校舎端っこの自販機しかない。しかし、俺が買い支えなければそれすら消えてしまうので、できるだけ買うことにしている。
自販機には珍しく先客がいた。マッ缶買え。マッ缶買え。
ちっ、なんも買わないのかよ……
譲られてしまったのでマッ缶を買う所を見せ付けておく。
マッ缶を買う姿は美しかろう?真似してもいいんだぜ?
「うわ、その甘いだけの飲み物を買う人初めて見ました」
どうやらこの先客はマッ缶の事を誤解してるようだ。
「これ苦味あるから。大人の味だから。甘味しか感じないのはまだ君が子供なだけだから」
「それ飲んで苦味感じるなら先輩は病院行ったほうがいいと思いますけどね〜?」
初対面だというのに、言葉遣い&上目遣い&気遣いの3連コンボを綺麗に決めてきた。しかも、これは自分が可愛いことを自覚している振る舞い方だ。まあ見た目は可愛いのは認める。
なるほどな、こりゃ同性に嫌われるわ。
「はぁ………お前が一色いろはか」
「自己紹介もまだしてないのに私のことが分かるなんて先輩もしかして私のストーカーなんですかごめんなさい警察に通報しますね」
「おい、待て携帯から手を離せ。通報されたら反論する暇もなく捕まるからやめろ」
目が死んでるので弁解の余地なしで即ブタ箱もあり得る。冤罪とは恐ろしいものである。
「平塚先生からコーヒー買いに来るだろうから自販機で待ってろって言われてたんですけど、ホントに来たのでビックリしました。めちゃめちゃ行動読まれてますね。恥ずかしく無いんですか??」
めちゃめちゃ恥ずかしい。今ごろ『計画通り』みたいなニヤケ顔してるんだろうな。腹立つ。
「一色と会う為にわざとだよ。マッ缶奢ってやるから飲むか?」
「そんなカロリーの化け物いらないです。よく太らないですね。羨ましいですよ、私すぐ太っちゃいますし〜?」
一色は制服を捲り上げてヘソ見せながらお腹を軽く摘んで見せてくる。これが素なのかワザとなのかわからんが、そんなんやってりゃ嫌われて当然だろ……
「飲んだ分運動してカロリー消費するんだよ。見ろ俺の腹を。毎日マッ缶を飲んで毎日筋トレしてるから腹筋割れてるぞ」
正確には小町によって筋トレを強制させられてるだけだが、筋トレしてるのは事実なので余計な事は言わない。
「そもそも飲まなきゃ運動する必要ないんですよ。うわ!キモ!ホントに割れてるじゃないですか!」
「キモくない。俺の腹筋はマッ缶の産物だ、崇めろ」
「無用の長物……猫に小判……先輩に腹筋………」
「新しいことわざを生み出すな。とりあえず、俺はこれから昼食うから忙しいんだ。何か話あるなら放課後にでも声掛けてくれれば話すぞ」
放課後は速攻で帰るから会えないだろうけどな!
「どこで食べるんですか?」
「そこの自販機の裏にベンチがあるからそこで食う」
俺が椅子に向かうと、一色は俺に付いてきた。ベンチに座った俺を一色が見下ろしている。あんま見られると恥ずかしいからどっか行ってくれないかな…
「教室で食べないんですか?ぼっちだから居辛いんですか?」
「ちがう。俺の席をクラスメイトに貸してるんだ。俺は一色と違ってクラスメイトから頼られているからな」
2年生になった初日の昼、『比企谷くん席借りていいかな?(勿論いいよね?)』というイベントが発生してしまい、俺は昼に教室での居場所を失ったのだ。これは奪われたんじゃなくて貸してるだけだ。
「かわいそう……仕方ないから私も一緒にここで食べてあげますよ!」
「いや、いい。飯は1人で食べたい。モノを食べる時は誰にも邪魔されず自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ、独りで静かで豊かで……」
「今日は私の大好物のミートボールが入ってるんですよね〜。あっ、あげませんよ?先輩の持ってるメロンパンと交換なら考えてあげますけど」
俺の孤独のグルメ論を無視して一色は俺の隣に座って弁当を食べ始めた。話を聞け。それと、ミートボールとメロンパンが等価な訳ないだろ。松坂牛でも入ってんのかそれ。
一色とのランチタイムはそれからも毎日続いた。
最初は鬱陶しかった一色のことも、毎日顔合わせて飯食ってると、、、、少しは愛着がでてきた。俺も甘くなったもんだ。
「一色とここで知り合ってもう半年になるのか……」
「そうですよ〜?先輩は私との思い出たくさん作っちゃた幸せ者なので私に感謝して下さいよ〜??」
「そうだな………マッ缶が売り切れてた時は慰めてくれたし、マッ缶を一色が飲んでくれた時は嬉しかったし、マッ缶の陳列が増えた時は2人で喜んだよな」
「なんで全部マッ缶の思い出なんですか!違いますよ!ほら!イジメから助けてくれたりとか!あの時は先輩に惚れちゃいそうだったな〜!!」
マッ缶の思い出も大事だろうに。俺と一色の出会いはマッ缶から始まったと言っても過言ではないしな。いや流石に過言か。
「それって一色がサッカー部の先輩に色目使って、勘違いしたサッカー部員が暴走してたやつだろ。あれ俺も結構被害あったんだから、誰かれ構わず色目使うのやめろよ……」
「色目使ってるのは先輩だけですよ〜?サッカー部の人には先輩に嫉妬して欲しくて使ったんですよ〜?」
「はいはい、あざといあざとい」
手を後ろに回して上目遣いで甘えたような声を出して『可愛い私』アピールしてくる。普通の高校生男子ならイチコロだろう。
だが、一色のあざとさは小町に似ているので俺には効かない。小町の方が100倍可愛いからな!
「それはそうと、修学旅行どうでした?彼女できました?今年も修学旅行でカップル成立が多かったみたいですよ」
「あれは元々付き合える状態の関係性の男女が修学旅行でカップル成立したって付加価値を付けてるだけだ。これは俺の知り合いの話なんだけど、それを勘違いして修学旅行でいきなり告白して玉砕してだな、
「あっ、先輩の昔話は聞きたくないので大丈夫です。頼んでたお土産下さいよ!」
話を聞け!俺の話じゃない!まったく……俺はポケットから紙包を取り出して一色に渡した。
「ありがとうございます〜!これで私も恋人できるかな〜♪」
「お守りにそんな即効性ないだろ。恋愛成就のお守りで恋人できるんなら俺は100個は買ってる」
「もしかしてお守り買えば私と恋人になれるかもとか思ってるんですかごめんなさい無理です。他力本願じゃなくてちゃんと先輩の言葉で告白して欲しいです!」
「何も言ってないのに振るのはやめろ、傷が増えるだろうが」
「む〜……先輩はずるいですね」
ずるい、か。いくら鈍感な俺でも一色から向けられた好意には気付いている。俺も一色の事は…………まあ好きだ。だが、以前に平塚先生に言った通り、これは傷を舐め合ってできた擬似的な恋愛感情だ。ぼっちとぼっちが共感しただけだ。こんなのは恋でもなければ愛でもない。こんな紛い物の感情、一色に向けるべきじゃない。
俺は一色の想いに気付かない振りをして、自分の感情に蓋をして、一色と接し続けた。
それから更に数日後。
平塚先生からの呼び出しがあった。
心当たりがまるで無いがなんだろうか。
「心当たりが無いとは良い度胸だ。君については毎日呼び出せるほどのネタはあるんだからな?」
「心を読まないで下さいよ。そしたら毎日ラーメン食べに行きましょうか、駅前に新しい店出来てましたよ」
「わりと魅力的な提案だが却下だ。これから忙しくなるから行く暇がなさそうでな……」
「例の生徒会選挙の件ですか?大変ですね」
雪ノ下陽乃が3年後期だというのに生徒会会長に立候補したらしい。普通は受験なり色々あるんだが、推薦が決まっているボンボンの雪ノ下陽乃は暇人なので立候補したんだとか。
雪ノ下陽乃会長の最後の生徒会。副会長・書記・会計・庶務の椅子を狙った候補者が殺到した。副会長なんて50人近く立候補しているそうだ。その管理監督選抜をする羽目になった教師陣の顔色は悪い。
「それ自体は仕事だから良い。問題はこれだ」
ペラリと1枚の紙を渡される。
生徒会長候補者『・雪ノ下陽乃 ・一色いろは』
おや?俺の知ってる一色と同姓同名がいるのかな?
「一色は他薦だ。どうやら嫌がらせで推薦を集めた者がいたらしくてな。雪ノ下陽乃祭りに一色という異物が混じる。さぞかし見ていて気分爽快なことだろう。くだらん遊びだ」
「まぁ、嫌がらせって分かってるなら候補から消してしまえばいいんじゃないですか?一色だって出たくはないでしょう」
「本来ならそれで終わりだ。だが、肝心の一色が出ると言い出したんだ。君は一色と仲が良いだろうから話を聞いてみてくれ。私が聞いても『出る』の一点張りで話にならん。出るなとは言わんが、過程が過程だ。これでは後から問題になっても助ける事ができん。任せたぞ」
また『任せたぞ』ですか。
それ魔法の言葉じゃないんですよ……やりますけど!
にしても雪ノ下陽乃と一色いろはか。
魔王と……ハムスター?
勝ち目があるとは到底思えないが。
なんにせよ、とりあえず一色に話を聞いてみるか。
俺と一色がいつも会う昼の自販機裏。
一色に生徒会選挙の事を聞いてみた。
「推薦されたのを利用して生徒会長になって、今まで嫌がらせしてきた人達を見返してやるんですよ!やりますよ私はー!がおー!」
一色にしては随分と好戦的な理由だった。俺の知ってる一色は嫌がらせなど気にせず自分のスタイルを貫く。良くも悪くも真っ直ぐなやつだ。こんな風に嫌がらせ相手をどうこうしようとするような奴じゃなかったはずだ。
しかし、俺がこれ以上踏み込んで聞いたところで、これ以上話す気がないという意思も感じる。最後の雄叫びはあざといからやめろ。
「そういうわけで先輩!応援演説お願いしますね!」
「俺あんまり人前出たくないんだけど…」
「お願いしますよ!先輩には1番近くで私が生徒会長になる瞬間を見てもらいたいんです!」
生徒会選挙には応援演説がある。重要なのは立候補者なので応援演説なんてオマケみたいなものだが、相手は雪ノ下陽乃だ。一色の応援演説を受けるという事は、雪ノ下陽乃と戦うという事。どれだけ一色がクラスの男に好かれていたとしても、応援演説を受けるような馬鹿はいない。
そんな馬鹿がいるとしたら、俺だけだろう。
「わかったよ。ただ、俺を当てにしないでちゃんと自分で公約とか考えて自分で戦えよ」
「当たり前ですよ!私の勇姿を先輩の腐った目に焼き付けてみせますからね!しっかり私を見ていてください!がおー!」
相変わらず雄叫びを上げる一色に辟易したが、とりあえずやる事は決まった。平塚先生に報告しに行こう。また困った顔をさせてしまうのは申し訳ないが、平塚先生が一色を俺に託したんだ。最後まで付き合おうじゃないか。
「話は分かった。すまない、君にも迷惑をかけることになるな」
「いいですよ、平塚先生にはお世話になってますから」
「君からのお世辞は聞き飽きた。私は教師だ、生徒からの感謝も礼も要らんよ。それで、どうするつもりだ?雪ノ下に勝つつもりか?」
お世辞じゃないんだけどな。でも、そういう人だからこそ俺は平塚先生を尊敬してるのだ。
「勝てるわけないでしょう?相手はあの魔王ですよ。俺が出来ることといったら、一色が負けても無事なように盾になることくらいですよ」
「ははは。魔王か。流石にそれは言い過ぎじゃないか?」
「魔王じゃないなら化け物ですね。私は完璧な雪ノ下陽乃ですって仮面被って取り繕ってるだけの化け物ですよ」
「お、おい、比企谷。あんまり人の悪口言うもんじゃないぞ」
「悪口じゃなくて事実ですよ。平塚先生だっていつも雪ノ下は性格が悪いって言ってるじゃないですか。仮面を被らなきゃ人になれない様な存在は化け物と同じですよ、あんなの見てると不愉快千万ってやつですね」
「………私は止めたからな」
ん?平塚先生にしてはノリが悪い。
普段ならもうちょっと乗ってくれるものだが。
あ、しまった。
平塚先生の視線は、
俺じゃなくて、
俺より後ろにある…………
まさか…………
「へぇ〜。なるほどなるほど。静ちゃんがずっと君の事を教えてくれなかったけど、理由が分かったよ。こんな面白いオモチャ、独り占めしたくなっちゃうよね〜」
やってしまった。振り向くと笑顔の雪ノ下陽乃本人がいた。
「静ちゃんも裏では私のことそんな風に言ってたんだね〜ショックだなぁ〜泣いちゃうかもな〜?静ちゃん、この子借りていくけどいいよね?」
「私はそんな事は言ってないぞ。比企谷、嘘はよくない。しっかりと償いたまえ。陽乃、彼のことは好きにするといい。私は無関係だ。そういうことで比企谷、後は頑張りたまえ。………任せたぞ」
ひどい!尊敬してた先生に裏切られた!次ラーメン屋に行った時はトッピング全増しにして破産させてやる!
雪ノ下陽乃に首根っこ掴まれて連行される。俺は平塚先生への仕返しを考えて現実逃避するしかなかった。そうして、引き摺られるようにドーナツショップに連れ込まれた。
土手っ腹に穴開けてやるぞってことなんだろうか。小町ちゃんごめんね、お兄ちゃんは先に天国に行くよ。
「さて、自己紹介から始めよっか。私の名前は雪ノ下陽乃だよ。君の名前はなにかな?」
近い近い近い近い。隣同士で座って腕組まれてるせいで胸が当たってるんですけど!しかもデカい!平塚先生もデカいがそれとタメはるくらいだ!
「比企谷八幡です。それと、雪ノ下先輩近いです。俺のパーソナルスペースは10メートルなんでもっと離れて下さい」
「私に密着されて喜ばない男なんて居ないのになぁ〜後悔しても遅いからね?それと、呼び方は陽乃でいいよ」
かぐや姫の御門かあんたは。とは言え離れてくれたからヨシ。
「さっきのは言い過ぎました。申し訳なかったです雪ノ下先輩。それより、平塚先生に用事があったんじゃないんですか?」
とりあえず謝っておこう。そして平塚先生に化け物は投げ返そう。こんな化け物を持ち続ける気はない。キャッチアンドリリースだ。
「雪ノ下先輩じゃなくて、陽乃だよ。私の言った言葉が聞こえなかったのかな?」
めんどくさいな。上級生を呼び捨てできる訳ないんだから、絶対ワザとやってるだろ。意地でも呼ばないからな。
「雪ノ下先輩は平塚先生に用事があったんじゃないんですか?」
「まだ聞こえてないのかな〜?は・る・の、だよ。次は無いよ」
「………陽乃さんで許して下さい」
怖っ。夜寝れなくなっちゃう。
「仕方ないなぁ〜、今はそれでいいよ。静ちゃんへの用事は生徒会選挙のこと。私に対立候補がいるって聞いたからその事を聞きにきたんだけど、比企谷くんの方が面白そうだから生徒会選挙はどうでもいいの」
「雪ノ下陽乃最後の生徒会って事で周りは随分盛り上がってるのに、当の本人がヤル気ないなんて大丈夫なんですか?」
「私のヤル気なんて関係ないよ。雪ノ下陽乃が生徒会長ってことが重要で、それだけでお祭り騒ぎになるんだからさ。君はこのお祭りを楽しまないの?」
神輿を担ぐ人。担がれた神輿を眺める人。神輿は重要だけど、神輿の中身を気にする人なんていないもんな。それにしても、随分と意味ありげな言い回しだ。
「祭りは嫌いなんですよ。ヤル気がないなら立候補取りやめてもらえませんか?訳あってその対立候補の応援演説しなくちゃいけない身なので、陽乃さんが立候補やめてくれたらめちゃくちゃ助かるんですよ」
「へ〜。その対立候補の子は、私が立候補やめなかったから私と戦うつもりなんだね」
「戦う気満々みたいですよ。キャンキャン吠えてました」
恐らくは入れ違いで平塚先生にも所信表明してるだろう。吠えてる姿が目に浮かぶ。
「それで、比企谷くんも私と戦う気なの?勝てる訳ないのに?」
「俺は勝つつもりは無いですよ。ただ、無様に負けるつもりもないです。負けると分かってる試合なら負け方に拘れる」
「私を相手にして、負け方を選べるつもりなのかな?恥ずかしい負け方したくないなら、私の言う事を聞いたほうがいいんじゃない?」
本当に不愉快な人だ。これ以上話しても無駄だしさっさと斬り捨ててしまおう。平塚先生には悪いが、俺にだって話す相手を選ぶ権利くらいはある。
「勝つことしか出来ない『雪ノ下陽乃』には理解出来ない戦い方もあるんですよ。勝つことしか出来ないくせに、負け方に口を挟まないでください。いつもどおりの雪ノ下陽乃を演じてくれれば俺が雪ノ下陽乃らしく勝たせてあげますよ」
「……………………なるほどね〜」
さっきまでのニヤケ面が消えた。
てっきり、仮面をずっと被り続ける物だと思っていた。
マトモな顔も出来るじゃないか、この人。
「暇つぶし程度で話を聞くつもりだったのに、これは思わぬ拾い物をしちゃったな〜。ねぇ、比企谷くん。比企谷くんは、私のことって知ってる?」
「雪ノ下陽乃のことは知ってますよ」
「ってことは、私の事は知らない訳だ。それじゃぁ、雪ノ下陽乃じゃなくて、私が生徒会長選挙に出たら、君は負け方を選べるのかな?」
「生徒会長選挙に出るのは雪ノ下陽乃ですよ。あなたじゃない」
「それはそうだけどさ〜………そうだ!比企谷くんが私の応援演説してよ!それなら解決だ!」
「無理ですよ。俺は一色の応援演説するので、対立候補の応援演説は出来ません」
「違うよ。雪ノ下陽乃の応援演説してくれる人はもう決まってる。『私』の応援演説を比企谷くんにお願いしたいの」
「………あなたの事なんて俺は何も知らないですよ」
俺だけじゃない。この人の事を知ってる人なんて誰もいないんだろう。雪ノ下陽乃という仮面の中身なんて、誰も興味がなかったのだ。知りたいと思ってくれる人もいなければ、知って欲しいと思える人もいなかったのかもしれない。いや、平塚先生がいるか。
「なら、知ってもらわなきゃいけないね。これから毎日比企谷くんに会いに行くからさ、ちゃんと私の相手をして私の事を知ってよ?」
「すごく疲れそうなので嫌なんですけど」
「それは我慢して欲しいかなぁ〜、私も我慢してたわけだし。それと、比企谷くんは特別に私のことを陽乃さんって呼んでいいよ。これが私の名前だから、呼んでくれなきゃ、ホントに怒るからね?」
「分かりましたよ、陽乃さん。これでいいですか?」
「よろしい!それじゃぁ、明日からよろしくね!比企谷くん!」
平塚先生から任された雪ノ下陽乃という化け物は、平塚先生でさえ処理できなかった化け物だったんだろう。
平塚先生は生徒の事をよく考えて自主性を重んじてくれる人だ。ちゃんと生徒を導いてくれるが、無理強いはしない。出来ない人だ。
だからこそ、雪ノ下陽乃という完璧な存在は平塚先生にはどうする事も出来なかった。『陽乃さん』にとって雪ノ下陽乃が邪魔な存在だとしても、雪ノ下陽乃が完璧である以上は教師である平塚先生がそれを否定することはできない。
そしてそれは、陽乃さん自身にとっても同じ事だった。
誰も、雪ノ下陽乃の事を止められなかったのだ。
俺に陽乃さんのことを任したのは、平塚先生にとっても最後の手段だったのかもしれない。できる限りは頑張るつもりだが、戦況はかなり厳しそうだ。
俺の任された依頼とは無関係に生徒会選挙は過熱していく。
教師陣による選考で落とされた会長以外の役職希望者は、何故自分が落とされたのか、自分こそは雪ノ下陽乃会長を支えることができるのだと、教師陣に直談判をしているようだ。
雪ノ下陽乃の完璧さに心を奪われておきながら、雪ノ下陽乃を“支える”だなんてどの口が言っているのだろうか。
雪ノ下陽乃を満足させたいのなら、一色のように真正面から戦えばいい。あの人を知りたいのなら、従うんじゃなくてぶつかるしかない。
「先輩〜〜これどういう意味ですか教えて下さいよ〜」
「自分で調べろ。俺のマッ缶タイムを邪魔するな」
「マッ缶なんていつでも飲めるじゃないですか、可愛い後輩が困ってるんだから助けるといいことあるかもしれませんよ〜?」
「可愛い後輩…?見当たらないな。どこだ?」
「目の前です!目の前!可愛いいろはちゃんが居ますよ!」
ピョンピョンと跳ねている一色は図書室で選挙のお勉強中だ。図書室には過去の選挙の内容が纏められているので参考に見にきている。俺は手伝わない約束なので基本的にはただの付き添い。
いつもは昼に会うだけだったが、流石に時間が足りないので放課後も付き合ってやっている。しかし、一色はそれほど頭が良いわけではないので、選挙公約作りは中々進んではいない。
俺が手伝わないとみると、一色は隣の女に助けを求めた。
「これはね〜生徒手帳に書いてある内容が古いから、最近の流れに合わせて変えようとしてる公約だね。いろはちゃんが入る前に変わった内容だから、いろはちゃんが知らないのは仕方ないよ」
「そうなんですね、あっ、じゃぁこれはどういうことなんですか?これも今の校則だとズレてるような公約ですけど」
「これは少し違うかな、この公約は他の公約を通すための前準備の公約なんだよ。ほら、次に出してる公約を見るとわかるでしょ」
「こんな使い方もあるんですね、雪ノ下先輩ありがとうございます!すごくわかりやすいです!」
「いいよいいよ〜。生徒会長選挙頑張ってね。応援してるから」
陽乃さんは諸事情で俺に付き纏っている為、必然的に一色とも仲良くなっている。一色からしたら倒すべき相手ではあるが、憎むべき相手ではない。使える物は使う。それが一色いろはだ。
「今日もありがとうございました!とりあえず今日家で考えてくるのでまた明日よろしくおねがいしますね!」
一色はペコリと頭を下げて俺達から走り去っていった。
一色と帰った後、俺と陽乃さんは2人でブラブラと話しながら校内を散策している。
「いろはちゃんは健気で可愛いね〜私も好きになっちゃったよ」
「そう思うなら選挙負けてあげればいいじゃないですか」
「勝敗なんて関係ないよ。いろはちゃんは勝つにしても負けるにしても、強くなった姿を比企谷くんに見せたいだけなんだから」
「………俺も陽乃さんの事言えないですね。俺は、負けることしか考えられてないんですから」
「似た者同士仲良くやっていこうか、まだまだ時間はあるんだしさ♪」
候補者の選別が終わり、生徒会選挙が来週に迫る。
一色は陽乃さんと共に生徒会長の公約を作り上げた。
俺も中身を見てみたがよく出来ていた。一年生の生徒会長である事を全面に押し出しながらも、学校行事・交流の充実を軸にした、模範的な公約だ。
「せんぱーい?こんなに頑張ってる後輩に何か言うことはないんですか〜??これはナデナデくらいじゃ済まない頑張りだと思うんですけど〜?」
髪をかき上げて一色が俺におでこを見せてくる。撫でるとしたら頭だろうになんでおでこ見せてくるんだよ。可愛いおでこにデコピンしてやると、“あぅ、いた〜ぃ”などと芝居がかった演技をしていた。
「公約はよく出来てると思うぞ。国語学年一位である俺のお墨付きだ。俺の応援演説なんていらないんじゃないか?」
「ダメです!先輩の応援がある前提の生徒会長選挙なんですから、先輩は私の心揺さぶる応援演説考えておいてくださいね!」
「一色じゃなくて生徒の心揺さぶらなきゃ意味ないだろ…」
「もしかして私の心を揺さぶって付き合いたいとか考えてるんですか?ごめんなさいどっちかというと私が先輩のこと揺さぶりたいので覚悟しておいてください!」
「俺は平穏が好きだから揺さぶるのはやめて欲しい…」
「先輩は平穏が似合う農民顔ですもんね、むしろモブ顔?」
「晴耕雨読の人生を送れるなら農民顔でも構わんけどな」
「私も!私も!せーこううどくな人生おくりたいです!」
「絶対意味わかってないだろ……」
一色の事はとりあえずこれで解決した。
当初の目標。一色は雪ノ下陽乃に選挙で勝つことで、いじめてきた相手を見返したいと言っていたが、このままいけば勝てないとしても見返す事はできるだろう。雪ノ下陽乃に挑戦した一年生。肩書きとして充分過ぎるほどだ。
平塚先生に諸々の現状報告をしておくか。
平塚先生は生徒会選挙関連でだいぶ疲れてるようだが、俺が話したいと伝えると時間を作ってくれた。なんでこの人は結婚できないんだろうな。俺だったらこんな良い人ほっとかないのに。
「なるほど、一色は大丈夫そうだな。教師として生徒の成長を感じれると疲れが吹き飛ぶよ。それで、陽乃の方はどうだ?」
平塚先生から任されたあの日から、平塚先生は陽乃さんの件について俺に何も聞いてこなかった。選挙は来週。タイムリミットということだろう。
「陽乃さんは遅過ぎましたね、俺の手に負えません」
「そうか、遅過ぎたか」
陽乃さんのことはこの2週間でよく分かった。そして、今更どうにも出来ないことも分かってしまった。
「偶然とはいえ君に陽乃のことも頼んでみたが、やっぱりダメだったか。私も教師失格だな。生徒1人助けることもできんとは」
「俺は先生に助けられてますよ。一色だってそうですよ」
「一色を助けたのは君だよ。それに、私はまだ君を助けることが出来てないだろう?」
平塚先生は困ったような諦めたような、申し訳なさそうな顔をしていた。平塚先生は悪くないですよ、悪いのは俺なんです。
平塚先生にあんな顔させるなんて、俺は何をやってるんだろうか。いつも平塚先生にはお世話になっていた。そんな恩師に対して、俺は何もできていない。
平塚先生と別れた後、気づいたら陽乃さんと初めて会ったドーナツ屋に来ていた。
冷やかすのもバツが悪いので適当にドーナツを食べてから帰ろうと思ったら、陽乃さんが珍しく1人でドーナツを食べていた。
「お一人だなんて珍しいですね。取り巻きの人達はどうしたんですか?粛正しちゃいましたか?」
「あっ、比企谷くんだ。なになに〜?女の子が1人寂しくしてるからってナンパしちゃったのかな?ダメだぞ〜君にはいろはちゃんがいるでしょ?」
「一色とはそんな関係じゃありませんよ。それよりも、一色との事、ありがとうございました」
陽乃さんには一色の手伝いをしてもらっていたので、一色の事についても詳細を伝えておいた。
「そっか。いろはちゃんはこれで安心だね。それで、いろはちゃんはまだ私に勝つ気でいるみたいだけど、君はどうするの?いろはちゃんの想いに、どう答えてあげるつもりなのかな?」
「べつに。一色が自分で努力した結果ですよ。勝っても負けても、俺には何も関係ないでしょう」
もはや勝ち負けなんて関係ない。これは一色いろは自身の為の、俺の為の、生徒会長選挙なのだ。それをわかっていても、まだ俺はそれを受け止めることが出来てない。
「そんな事言っちゃうんだ?いろはちゃんは強い子だよね。助けられることから逃げてる誰かさんとは大違いだ」
「自虐ですか?天下の雪ノ下陽乃の名が泣きますよ」
「それもそうだね〜………ねぇ、比企谷くん。実は私さ、親に生徒会長になれって言われたから立候補したんだよ」
「知ってましたよ。陽乃さんは生徒会長なんてやりたい人じゃありませんから」
「うん。そうだよ。本当の私はさ、人の上に立たないで友達とバカ騒ぎしてる方が好きな普通の女の子なんだよ。だからさ、いろはちゃんの事はホントに応援してたんだけどね〜」
どれだけ陽乃さんが一色の手助けをしたとしても、一色が雪ノ下陽乃に勝つことは出来ないだろう。誰も、そんな事は望んでない。
「陽乃さんじゃ無理ですよ。雪ノ下陽乃はもう何もしなくても勝ててしまう、きっと選挙演説で無言だったとしても勝ちますよ」
「そうそう。比企谷くんの言う通りで、私がどれだけ頑張って勝てないんだよ。静ちゃんも比企谷くんも私を見てくれたけどさ、結局意味なんてなかったってことだよね」
陽乃さんは初めて話した時の雪ノ下陽乃の顔になっていた。俺は2週間近く一緒にいたというのに、陽乃さんにもこんな顔をさせてしまうんだな。本当にどうしようもない男だ。
「ありがとうね、比企谷くん。少しの間だけだったけど、嬉しかったよ。静ちゃんにもお礼を伝えておいて、もう静ちゃんと私が会う事はないと思うからさ」
「平塚先生は生徒からのお礼は必要ないって言ってましたよ」
「そっか、静ちゃんらしいね。じゃあね、比企谷くん。次会う時は選挙の時になるし、叩き潰してあげるよ。バイバイ」
雪ノ下陽乃は、こちらを振り返る事なく去っていった
一色も平塚先生も陽乃さんも、やるだけの事はやった。
何もしてないのは俺だけだ。
俺にいったい何ができるんだろうか。
そうか、簡単なことじゃないか。
俺に出来ることなんて………負ける事だけだ。
生徒会選挙当日。
体育館には全校生徒が集まり、演説を聞く。
既に生徒会長以外の演説は終わった。
どいつもこいつも示し合わせたように『雪ノ下陽乃が云々』とつまらない演説だった。ホントにくだらない。
生徒会長所信表明演説は一色が最初で、次が応援演説の俺。その次が雪ノ下陽乃だ。一色は前座ということだろう。一色の演説が始まると言うのに、携帯を弄ったり隣とおしゃべりしてる輩もいる。
誰も一色の方など見ていない。けれど、一色はそれでも前を向いて、生徒全員に向けて話を始めた。
「皆さん、初めまして!この度、生徒会長に立候補した1年生の一色いろはです!ーーーーー。ーーー。」
一色の演説は完璧だった。
最後の1週間は陽乃さんのサポートが無かったにも関わらず、声の抑揚・表情・一挙手一投足全てを駆使して、与えられた演説時間の3分をピッタシで使い切っていた。相当練習してきたのが分かる。
一色の努力が、一色の想いが伝わってきた。
一色は俺の目に焼き付けてやると言っていたが、これは目に焼きつくだけじゃ済まない。俺の脳に心に焼き付いて離れなくなったじゃないか。
これから俺がやる事は一色の努力を無駄にすることかもしれない。だけど、俺が負ける為にはこれしかない。
一色の演説が終わり、俺が拍手をすると、続いてまばらな拍手が起きた。一色の演説が終わったことにすら誰も気付いていない。ホントにくだらない選挙だ。
前座の前座。一色いろはの応援演説。
俺のことなど皆知らないだろう。覚える必要もない人間だ。しかし、今日、俺のことを覚えることになるだろう。
「初めまして。2年の比企谷八幡です。生徒会長に相応しいのは、雪ノ下陽乃ではなく、一色いろはだと確信しました。雪ノ下陽乃は、生徒会長に相応しくない。」
通常、応援演説は自分の候補者を褒める。対立候補を貶すことはしない。そんな事をしてもデメリットの方が大きい。事実、雪ノ下陽乃の名前を出し、公然と貶したことで体育館は静まり返った。
「雪ノ下陽乃だけじゃない。ここにいる全員、今回の選挙で投票する権利すらない。進学校が聞いて呆れるよ。どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ。」
会場がざわつく。いきなり罵倒されたのだ。黙ってそれを受け入れる訳がない。そんな喧騒を掻き消すように俺は声量を上げて演説を続ける。
「1年生の一色の演説は完璧だった。これから話す雪ノ下陽の演説と比べて見劣りしない物だと思う。」
雪ノ下陽乃の演説内容を俺は知らないが、少なくとも一色の演説は生徒会長に相応しい物だったし、陽乃さんのお墨付きでもあるのだ、間違いない。
「だが、この中で一色の演説をちゃんと聞いてた奴がいるのか?一色の努力を、ちゃんと聞いてた奴がいるのか?お前らはどうせ雪ノ下陽乃が勝つからと、一色の話など聞いてなかっただろ。」
さっきまでのザワつきが消えた。当然だ。これでもまだ騒ぐような馬鹿は、流石に総武高校にはいない。その程度の知能はある。
「こんな事になった責任は誰にあるか?当然、雪ノ下陽乃だ。雪ノ下陽乃が、お前たちを堕落させているんだ。生徒会長は生徒の代表。生徒を堕落させるような奴は、生徒会長に相応しくない。」
雪ノ下陽乃を見た。ここからまだ勝てる気でいるのか表情は崩れていない。だったらダメ押しをしてやるよ。もう詰んでるんだ、勝てないんだよ。勝負自体させなければ、勝つことなんてできやしない。
「これから雪ノ下陽乃がどんな演説をしようと、お前達に投票する権利はない。一色の演説内容を知らないお前らが、どのツラ下げて雪ノ下陽乃の方が優れていると判断するつもりだ?『雪ノ下陽乃だから』という理由だけで一色を落とすのか?」
何も無ければそういう理由で投票する生徒もいただろう。だが、こうも大々的に言われた後に、そんな理由で投票できる人などそうはいない。大衆心理とはそういう物だ。
「投票できる権利があるのは、一色の演説内容を知ってる俺だけだ。今回の生徒会長選挙は、俺の、比企谷八幡の一票で決まる。つまり、次期生徒会長は一色いろはだ。」
「俺の応援演説は以上だ。投票する権利がない馬鹿どもはさっさと教室に帰れ。これで解散だ。」
演説が終わったので、壇上から待機席に戻る。
一色は……涙目になってる。今回のことは一色にさえ伝わればそれでいい、ちゃんと伝わったなら、それでいい。
体育館内にざわつきが戻ってきた。みな、どうすれば良いのかわからないのだろう。俺が帰れと言ったので、実際に帰ろうとした生徒が教師に止められたりしている。そりゃそうだ、たとえ次の演説に意味が無かろうと、選挙自体はまだ続いてる。
雪ノ下陽乃が壇上に立つ。目線を俺に向けてきた。俺を見るその目は、雪ノ下陽乃の目だ。
残念だが、負け方には拘ると最初に伝えた通りだ。今回は全校生徒と雪ノ下陽乃を敵に回した俺の1人負け。その代わり、勝ちは一色いろはの物だ。雪ノ下陽乃は俺と勝負すら出来ない。陽乃さんの為にも、雪ノ下陽乃に勝ってもらっちゃ困るんでね。
周りがざわつく中、壇上に立った雪ノ下陽乃の演説が始まった。
「皆さん、初めまして!この度、生徒会長に立候補した1年生の一色いろはです!ーーーーー。ーーー。」
それは、俺の脳裏に焼き付いた一色いろはの演説そのものだった。声の抑揚・表情・一挙手一投足全て同じだ。俺が見間違える筈がない。
確かに、一色は陽乃さんに公約を手伝って貰っていた。内容は知っているだろう。しかし、演説自体は一色が自分で考えた物だ。それを、一度見ただけで完全に模倣するなんてできるものなのか。
しかし、一言一句話すスピードも同じだ。一色は3分をフルで使い切った演説をした。このまま一色の演説を続ければ、『雪ノ下陽乃』の演説の時間は残らない事になる。
その後も完璧な一色の演説の模倣は続いた。しかし最後だけ、一色の演説と違う言葉が付け加えられていた。
「ーーー。以上が、一色いろは次期生徒会長の演説です。みなさん、彼女を宜しくお願いします。」
陽乃さんが俺を見た。
一色を応援するだけなら、もっと良いやり方があっただろう。1年生を応援する3年生からのエールなんていくらでもある。
わざわざ一色の演説を完璧に模倣したのは、俺が『一色の演説を誰も聞いてない』と言った事に対する返答なのだろう。『私はちゃんと聞いていたよ』と。
なるほど、完敗だ。負け方に拘れるだなんて自惚れていた。雪ノ下陽乃が相手なら何とかなったかもしれないが、陽乃さん相手じゃどうにもならないな。
選挙の時間は終わった。
結果は開票するまでもない。実質的に対立候補が辞退したのだから、一色が次期生徒会長だ。
体育館から出た俺はいつもの場所に向かった。約束はしてないが、きっとそこに行けば会える。出来れば俺が先に待っていたい。
向かう途中で平塚先生と陽乃さんが笑って話してる姿が見えた。生徒会長になれなかった雪ノ下陽乃が、今後どうするべきかを話してるのかもしれないな。面白そうだから用事が終わったら話に参加してみよう。
いつもの自販機に着くと、先客がいた。
見慣れた先客だ。
「どうでしたか?私の勇姿、目に焼き付きましたか?」
「頭にこびりついて離れなくなったよ。俺の演説は心に響いたか?」
「ちょっとカッコ付けすぎでしたけど、めっちゃ響き過ぎてて、今も心の中で反響しっぱなしですよ」
「そりゃよかった」
俺もこれでやっと前に進める。一色の想いに逃げずにいられる。平塚先生や陽乃さんには本当にお世話になった。
そして何より、一色が俺のために頑張ったおかげだ。
俺達の関係はもう傷の舐め合いじゃない。
お互いに依存する紛い物の感情なんかじゃない。
これは紛れもなく本物の感情だ。
俺は、一色いろはが好きなんだ。
「なぁ一色。俺さ
「うわ待ってください!これ告白される流れですよねごめんなさい!」
あれ??これ俺が告白する流れじゃ無かったの?いや待て、そもそもまだ告白すら出来てないから振られても困るぞ
「ちゃんと告白したいのに、それすら振られるのかよ」
「振るのは私の専売特許ですからね!だから、、、先輩は使っちゃダメですよ?」
「専売特許か。だったら俺は使えそうにないな。」
きっと、言われなくても使わなかっただろう。
この生徒会長選挙は、一色いろはが成長する為の、そして、俺がそれを受け入れる為の、そんな選挙だったんだ。
「せんぱい!大好きです!私と付き合ってください!」