神様にはなれない私たち   作:琴ノ葉しずく

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第12話 世界最強のエンカウントと警告

 

 さらに日は流れ。

 

 教会での奇妙な共同生活は、奇妙なまま、もはや逃れられない「日常」として定着しつつあった。

 

 ある日の午後。

 

祈は神父の遺言通り、いつもの中央病院でのボランティアを終え、帰り道に街の小さなスーパーへと立ち寄っていた。

黒い修道服の上から白いレースのヴェールを深く被り、静かに野菜を吟味する祈。

 

 その後ろを一歩引いて歩く黒スーツの筑紫は、買い物の荷物持ちをさせられながら、死んだ魚のような目で、ある『一点』をじっと睨みつけていた。

 

 ――キャベツの特売コーナーの陰。

 

 どう見ても一般市民の体格ではない、身長二メートルを遥かに超えるトレンチコート姿の大男が、顔を隠すように大きなサングラスをかけ、不自然な手つきで大根を握りしめながら、じっと祈の方を盗み見ていた。

 

「……ねえ、神代さん。なんつーかさ。もう、ほんとになんなんだよ、あの男……」

 

 筑紫は片手で自分の顔を覆い、魂が口から抜け出たような、消え入りそうな声で呟いた。

その肩は、日々の激務とそれ以上の精神的疲弊によって、気の毒なほどにガックリと落ちている。

 

「おや、筑紫様。どうかされましたか? お疲れでしたら、荷物は私が持ちますよ」

「違う、疲れてんのは俺の『頭』だよ。

……あのさぁ、今週これで何回目? 月曜日に君が教会の前を掃除してた時も、水曜日に子どもたちと公園で遊んでた時も、そして今日のスーパーも。行く先々にあいつが先回りして突っ立ってんの、流石にホラーの領域なんだけど」

 

 筑紫の個性は、今もトレンチコートの大男――オールマイトの脳内から、湯水のように溢れ出る純度100%の恋煩いを受信し続けていた。

 

『ああ、神代さん。今日も白いレースがよく似合う。なんてお美しいんだ。大根を選んでいる姿も神々しい。ああ、今日こそは声をかけるんだ。八木俊典、お前は世界を救う男だろう、一人の女性に挨拶すらできないでどうする……! いや、しかし変質者だと思われたら……!』

 

「お前はもう十分に不審者だよ!! サングラスの下で目を血走らせて大根握りしめてんじゃねえよ!!」と、筑紫は脳内で全力のツッコミを炸裂させる。

 

数年間、世界最強の男が垂れ流すウブなポエムのノイズに晒され続けた結果、筑紫の精神はすでに限界を迎えていた。

 

「八木様も、たまたまお買い物をされているだけです。世界最強のヒーロー様であっても、お野菜はお召し上がりになりますから。温かく見守りましょう、筑紫様」

 

「見守れるか! あいつ、脳内で君への『挨拶のシミュレーション』をもう五百回は繰り返してんだよ! 頼むから一言『こんにちは』って言ってさっさと帰ってくれ! 俺の脳の許容量が限界突破して弾け飛びそうなんだけど!」

 

 筑紫は耳の奥の頭痛に耐えながら、本気で胃を押さえて愚痴をこぼした。

 

見た目が見た目なだけに、筑紫の中では祈はババァというよりもエルフのような存在になりつつある。

 

しかしそれを知らない世界最強の男は、今日も今日とて元気に不審者をしている。

自分の母親世代の女性を相手に、数年間も挨拶すらできずにストーカー紛いのうろうろを繰り返しているという、この世の終わりみたいな平行線。

 

 筑紫は本日何度目か分からない溜め息をつくと、胸元の無線に手をかけた。

――『筑紫、対象に異常はないか』。

 

「あー、はいはい。こちら筑紫。対象に異常ありません。いつも通り買い出ししてます。接触者? いねぇよ。……じゃ」

 

 目の前でトレンチコートの巨人がモジモジしている特大の不審事案を、筑紫はもはや「様式美」として無表情に握りつぶし、公安へ定時の嘘を流した。

 

 

 

 

 

 

 

――そして、その日の夕方。

 

教会に帰った後のことだった。

 

 

「――はあ!? オールマイトが特売コーナーの陰に……!?」

 

 礼拝堂で、十代半ばに差し掛かり、筑紫の先読みの個性を超えようと日々鋭さを増している啓悟が、筑紫のこぼした愚痴を聞くや否や、持っていた木刀を床に落として絶句した。

 

背中の赤い羽が、困惑と激しい戸惑いで逆立ち、バタバタと大きな音を立てている。

 

「え? オールマイトってヒーローだよね、大丈夫? やばくない……? なんでそんなストーカーみたいなことしてんの、あの人……」

「知るかよ。あいつ、君のおねえさんが好きすぎて、今や教会の周辺のヴィランを裏で片っ端から先回りして駆除してんの。まぁ、お陰でこっちの警戒任務はクソ楽なんだけどさぁ……。

病院のボランティアのシフトまで把握されてる俺の『共感層』の身にもなってよ。ノイズで飯が不味いわ」

「うわ……。ヒーローの力、そんなことに使ってんの……憧れのヒーローがそんなことしてるとか、なんかショックなんだけど……」

 

 啓悟は顔を複雑な赤さに染めて戸惑い、それでもお姉さんに変な虫がつくのは嫌だという独占欲から、祈の黒い修道服の裾をぎゅっと握りしめて、白いレースのヴェールの向こうを見上げた。

 

「おねえちゃん、あんなトレンチコートの怪しい大男、絶対に無視して! 俺、もうすぐ公安でデビューして、あいつよりまともなヒーローになっておねえちゃんをこの教会から連れ出してあげるんだから! だからあんなバカ大男に優しくしちゃダメだからねっ!!」

「ふふ、筑紫様は考えすぎですよ。ねぇ、啓悟くん?」

 

 祈は静かにその場に膝をつき、大きくなってきた啓悟の頭を、昔と変わらない手つきで優しく撫でる。

 

「八木様はただ、お野菜を買いにこられただけです。そんなに怒っては、お顔が台無しです」

「……え、いや、おねえちゃん、大根握って三十分は流石に買い物じゃないと思う……」

 

 愛の概念を完全に封印された祈にとって、数年間続くオールマイトの熱烈な接近も、啓悟の狂おしいほどの独占欲も、すべてはただの「聖者の親切」と「可愛い弟の甘え」として、等しく綺麗に受け流され続けていた。

 

 それを見つめる筑紫は、完全に魂の抜けた顔で新しい缶コーヒーを開け、この一生進展しない地獄の平行線に、心底うんざりしながら呟いた。

 

「あーあ……ほんとになんなんだよ、あの男……。世界を救う前に、自分のウブな脳内をどうにかしろよ、マジで……」

 

 最強のヒーローのストーカーじみた純愛と、それに付き合わされ続ける二人の男たち。 交わることのない平行線の日常は、いよいよその「均衡」を破る運命の瞬間へと、静かに近づいていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

――――それから。

 

 

 その日も、中央病院の中庭は穏やかな陽光に包まれていた。

 黒い修道服に白いレースのヴェールを被った祈は、車椅子の老人たちに温かいお茶を配りながら、いつもの博愛の微笑みを振りまいている。 

 

 だが、その平和な景色の裏で、黒スーツ姿の筑紫の精神はとうに限界を迎えていた。 

 

(……おいおい。マジでいい加減にしろよ、あのバカ大男) 

 

 中庭に面した渡り廊下の影。

 

 大きな観葉植物の鉢植えをこれ見よがしに抱え、その葉の隙間からサングラス越しに祈を凝視しているトレンチコートの巨躯。

 

怪我の治療という大義名分はどこへやら、もはや完全に不審者そのものの動きで周囲をうろうろしている世界No.1ヒーロー、オールマイトだった。 

 

 筑紫の個性が、彼の脳内からあふれ出るクソ重いウブな恋煩いを容赦なく受信し続ける。

 

『ああ、今日の神代さんも素晴らしい。お茶を注ぐ手つきすらお美しい。今日こそ、今日こそ声をかけるんだ……! いや、しかし変質者だと思われたら……!』 

 

「もう十分に、手遅れなレベルで変質者だよ」

 

 筑紫は頭が割れそうな頭痛に耐えながら、本日百回目となる深いため息をついた。 

 

 なんなら、祈の正体はどれだけ歳を重ねても見た目が変わらない『うちのエルフもどき』である。

 

 本人は完全に正体を隠せていると盲信したまま、ステルス性の欠片もない怪しい反復横跳びを数年間も真横で観測させられている。

その狂気的な怪奇現象のノイズを強制受信させられている筑紫にとっては、たまったものではなかった。 

 

 だが、筑紫のうんざり加減が限界を超えたのは、単に彼の脳内ポエムが五月蝿いからではなかった。

 

 公安の無線から漏れ聞こえる上層部の冷徹な声が、日増しにピリつき始めている。

筑紫がどれだけ「対象に不審な接触者はいません」と嘘の報告書をでっち上げようとも、世界最強のヒーローがこうも教会の周辺や病院でうろうろしていれば、いずれ公安の中枢に勘づかれる。

 

そうなれば、公安は祈を『危険なサンプル』として地下深くへ完全隔離し、二度と外へは出さなくなるだろう。 

 

(あいつの眩しすぎる光のせいで、この歪な日常が壊されるのだけは……絶対に御免だねぇ) 

 

 筑紫はポケットに手を突っ込んだまま、ゆっくりと壁から背を離した。

 

 そして、観葉植物の陰でモジモジとうろついていたトレンチコートの巨躯の背後に、足音もなく滑り込む。

筑紫の『共感層』が戦闘モードへと切り替わり、周囲の空気が一瞬にして刃物のように張り詰めた。 

 

 

 

「――おい。いい加減にしろよ、世界最強の救世主様」

 

 

 

「ふぎゃっ……!? いや、私はただの通りすがりの一般市民八木であって、決して怪しいものでは……!」 

 

ビクゥッ、と巨体を跳ね上がらせて振り返ったオールマイトは、サングラスをずらしながら、大きな身体を縮めて見苦しい言い訳を捲し立てた。

 

あまりの動揺っぷりに、抱えていた観葉植物の鉢植えがガサガサと激しく揺れている。

 

 だが、筑紫の死んだ魚のような、底冷えする鋭い視線と、その胸元に覗く公安委員会のIDバッジを目にした瞬間、彼のトレードマークである黄色い前髪がぴたりと動きを止めた。

 

「……君は、彼女の『お目付け役』の」

「そう。神代 祈という最高機密の、公式な『監視役』。筑紫です。

……八木さん、あんたが世界を救うためにどんだけ無茶苦茶やろうが知ったこっちゃないけどさぁ。あんた、恋愛してる場合じゃないだろ。何年ストーカー紛いのうろうろ続けてんだよ、ほんとにうんざりなんだわ」

 

 筑紫の容赦ない、極限まで冷え切った愚痴に、オールマイトは顔を真っ赤にして大きな手をバタバタと振った。

 

「す、ストーカーだなんて人聞きが悪い! 私はただ、彼女のあの濁りのない、世界を救うような笑顔に……その、一人の男として、不器用ながらもお近づきになりたいと願っているだけで……!」

「お近づき、ねぇ……。あのさぁ、あいつのあの笑顔、本物だけど偽物だよ。中身はガチガチの凍土。特定の誰かを愛する心なんか、とうの昔に壊れてんの。お前のその眩しすぎる『光』じゃ、一生かかってもあの女の氷は溶かせないよ」

 

 筑紫の個性『共感層』が、オールマイトの心から溢れ出る「それでも彼女を守りたい」という、ワン・フォー・オールの重すぎる責任感と純愛を捉える。

 

そのクソ重い熱量に当てられ、筑紫はポケットの中で拳を強く握りしめた。

 

「これ以上、神代に近づくな。これは俺個人のうんざり加減からの忠告じゃない。

 

……『ヒーロー公安委員会』としての、公式な警告だ。これ以上、あんたが彼女の周囲をうろついて日常を脅かすなら、公安として、世界No.1ヒーローであるあんたに対しても、相応の『措置』と『警告』を行わなきゃならなくなる。

 

……そうなれば、あの子は二度と、この病院の土を踏めなくなる。外界から完全に遮断されて、真っ白な部屋に引き戻されるんだよ。あんたのそのバカデカい愛のせいでさ」

「っ……!」

 

 オールマイトの息が止まった。世界を救う最強の男が、一人のエージェントの警告の前に、まるで致命傷を負ったかのように絶句し、その拳を震わせる。

 

 彼がどれだけ強くなろうとも、公安という国家の闇の鎖から、彼女を救い出す術を今の彼は持っていなかった。

 

もし自分が近づけば、彼女をさらに深い地獄の檻へ閉じ込めることになる。

その残酷な現実を、筑紫の鋭い先読みの目線が、完璧に突きつけていた。

 

「分かったなら、さっさと平和の象徴のお仕事に戻りなよ。

……なんつーか、本当にやりづらいったらありゃしない」

 

 筑紫は吐き捨てるようにそう言うと、踵を返し、ポケットに手を突っ込んで祈のいる中庭へと戻っていった。

 

背後で、トレンチコートの巨躯が、届かない光を前にして、ただ立ち尽くしている気配がする。

 

 お仕事だから、と割り切っていたはずの日常。

 だが、世界最強の男に警告を突きつけた筑紫の胸の奥には、公安への裏切りと、彼女を誰のモノにもしたくないという、どす黒い執着の火種が、いよいよ消せないほどに大きく燃え上がり始めているのだった。

 

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