神様にはなれない私たち   作:琴ノ葉しずく

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第24話 秒針の交錯、命の閾(いき)

「――神代さんッ!!」

 

 

爆煙を割り、広場へと文字通り音速で着地したオールマイトの怒号が、USJの全域に凄まじい質量で響き渡った。

 

いつもなら「平和の象徴」として万人を安心させるための眩い笑み。それが今、目の前で脳無の速度に押され、いつもなら綺麗に整えられているはずの修道服を裂かれ、首元の首輪を真っ赤に発光させながら、痛々しく戦う祈の姿を見た瞬間、完全に消し飛んでいた。

 

オールマイトの顔面には、激しい怒りと、最愛の彼女を今なお救えていない己の無力さへの絶望が、急に濃い劇画調の斜線となってこれでもかと描き込まれている。

 

「なぜ君がここにいる! なぜそんな身体で戦うんだ!」

 

それは、緑谷たちでさえ一度も聞いたことのない、魂を掻きむしるような「一人の男」としての悲痛な叫びだった。

だが、その狂おしいほどの情愛と怒りを向けられた当の本人は――肩で息をしながら、レースのヴェールの向こうで、ただ完璧なお人形の、冷たく綺麗な微笑みを浮かべるだけだった。

 

「よかった…オールマイト様が間に合って。私は救護補佐としての任務を遂行しているまでですが……何か問題でもありましたでしょうか?」

「っ、君は……!」

 

自分を完璧に他人として扱うその最上級の敬語に、オールマイトは絶望を見る。しかし、今はその片想いのショックに打ちのめされている場合ではなかった。

 

「……オイ、てめぇら! クソナード、半分野郎! 突っ立ってんじゃねえ、行くぞ!」

 

爆豪の鋭い叱咤に弾かれ、緑谷や轟、切島、蛙吹・峰田は、瓦礫の手前に転がされていた相澤の身体を強引に引き剥がし、広場の端へと回収した。だが、間近で見た相澤の肉体の惨状に、少年たちは一瞬にして全身の血の気が引いていくのを感じていた。

 

両腕は複雑骨折を通り越して捻じ曲がり、何より脳無に地面へ何度も叩きつけられた顔面は、頭蓋骨の破砕を容易に連想させるほどに血に塗れている。

 

「相澤、先生……? 嘘だろ、これ……」

 

切島が声を震わせ、轟がオッドアイの瞳を驚愕に見開く。緑谷は、そのあまりにも深い傷と、急速に失われていく生命の気配に、喉を締め付けられるような恐怖を覚えた。

 

「息が、すごく浅い……! 医療ヘリを待ってたら間に合わないよ……! このままじゃ、相澤先生が死んじゃう……!!」

 

少年たちの、絶望に満ちたその悲鳴。

 

それが耳に届いた瞬間、カツン、と祈の持つ金属製の杖が微かに揺れた。

 

(供たちが、泣いている……)

 

ハイドによって「愛」を殺され、自らを完璧な道具と言い聞かせているはずの彼女の奥底。

かつて無個性だと泣いていた幼い緑谷を抱きしめた時の、そして再び凍りついたはずの博愛の残滓が、彼らの叫びによって強引に揺り動かされる。

 

「――オールマイト様」

 

祈は破れた修道服の裾を翻し、背後のオールマイトへと、感情の消えた、けれど絶対的な信頼を宿した声を向けた。

 

「あの歪な器の相手は、あなたにお任せします。私は、私の役割を果たしに参りますので」

「……ああ。任せておくれ、神代先生」

 

オールマイトの瞳に、平和の象徴としての、そして彼女を守る男としての揺るぎない覚悟の光が爆発するように灯る。

 

「緑谷少年、爆豪少年! 相澤先生を、彼女に委ねるんだ! 私がここで、すべての敵を叩きのめす!!」

 

ズ、とオールマイトが一歩を踏み出し、脳無へとその拳を構えた。

 

それを合図にするように、祈は金属製の杖を静かに引き摺りながら、緑谷たちの元へと駆け戻る。

 

 

「下がってください、すぐに手当てをいたします」

 

 

相澤の血濡れた凄惨な肉体の前に膝を突く。

先ほどまで脳無の理不尽な暴虐に押され、防戦一方で戦っていた祈の肉体には、目に見えない疲労と負荷が大量に蓄積していたはずだった。

 

破れた修道服の襟元に覗く白い首筋は、電流によって未だに赤く灼け爛れている。

しかし、祈はただ目を閉じ、ふぅ、と静かに二、三度、深呼吸をして息を整えた。

 

同時に、彼女の内側で『ジキル』による超高速の自己回復ループが完璧に回りきり、細胞の疲労も、灼けた皮膚の激痛も、まるで最初から存在しなかったかのように一瞬で「完治」して消え去った。

 

呼吸は乱れ一つなくなり、顔色もお人形のように滑らかな白磁の美しさを取り戻す。

 

(……やはり外の環境での調整は難儀ですが、問題ありませんね)

 

祈は迷いなく、袖を捲り上げて相澤の傷口へと両手を翳した。首元の黒い電子首輪が、これから始まる禁忌の異能を察知し、警告音を出さないまま、真っ赤な光のログを限界値ギリギリまで跳ね上げさせていく。

だが、彼女の手のひらから透明な白光が溢れ出そうとした、その刹那だった。

 

「……っ、」

 

ピクリ、と血の海に横たわる相澤の指先が動いた。

 

動かないはずの腕が、動いたのだ。

 

意識を完全に失い、瀕死の淵にいるはずの相澤が、残された最後の、本能的な教師としての意地だけで――祈の細い手首を、拒絶するように弱々しく掴み取ったのだ。

 

相澤は、祈の個性について聞いていた。

公安に所属しているため警戒対象として怪しまれていた祈の境遇を、あまりにも不憫だと考えた根津校長が、リカバリーガールに相澤へ祈の身柄について話すよう伝えたのだ。

彼女の『不老』の呪い。保健室で、電流の火花を散らしながら出久を強引に蘇生させていた、あの悍ましき首輪の警告。

 

『これ以上、その得体の知れない力を使うな。自分を切り刻むような真似はするな』

 

相澤の無意識の拒絶は、教え子だけでなく、雄英に「救護補佐」としてやってきたこの歪な少女をも守ろうとする、あまりにも泥臭い教師としての本能だった。

 

ボロボロの体で手首を掴まれた祈は、僅かに目を丸くした。

ハイドに「愛」を殺され、自らをただの道具と言い聞かせているはずの彼女の胸の奥が、その温かい拒絶によって、またしても小さく、切なく揺れる。

 

「……ふふ」

 

祈の唇から、ふ、と、いつもの完璧なお人形で死んだような微笑みではない、どこか酷く儚くて、優しい本物の微笑みが漏れ出た。祈は相澤の手をそっと優しく包み込み、その拘束を解きながら、鈴の音のように凛とした声で静かに囁いた。

 

「いいんですよ、相澤先生」

 

その瞳には、濁りのない圧倒的な博愛と、それ以上に仄暗い、自らの存在を否定し尽くした狂気が宿っている。

 

「私は、このためのスペアですから」

 

その凄惨で美しい言葉が広場に落ちた瞬間、隣で見守っていた緑谷の胸を、言葉にできない強烈な恐怖と絶望が突き刺した。

 

スペア。彼女は自分の命を、心を、初めから代えの利くただの消耗品だと信じ込んでいる。

 

「っ、それって――」

 

緑谷が引き留めるように手を伸ばすよりも早く、祈の手のひらから、現世の理を強引に捻じ曲げる圧倒的な白光が爆発的に溢れ出た。

 

ミシミシ、ピキ、ピキピキピキ――!!!

 

相澤の肉体の内側から、生々しい肉と骨の蠢く音が鳴り響く。

 

びちびち、みちみち、ぐちゅぐちゅ

 

砕けていた頭蓋骨が急速に融解して組み上がり、複雑骨折していた両腕の毛細血管が強引に繋ぎ合わされていく。通常の治癒とは根本的に異なる、神への冒涜に近い超高速の『肉体再構成』。

 

ピピピピピ――――――

 

首輪の数値が限界のレッドゾーンを叩き、彼女の白い肌を電流の火花がじりじりと灼きながらも、祈は静かに笑みを浮かべたまま、死の淵から相澤の命を力ずくで引き戻していくのだった。

 

 

 

 

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