神様にはなれない私たち   作:琴ノ葉しずく

25 / 32
第25話 狂い回る混沌と裏社会の囁き

 

「――あ、あ……」

 

手のひらから溢れ出る圧倒的な白光が収まったとき、緑谷は、自分の喉から掠れた引き攣った声が漏れ出るのを止められなかった。隣にいる爆豪も、轟も、ただ眼前の光景に魂を奪われたように縫い付けられている。

 

血の海に伏し、頭蓋骨を砕かれ死の淵にいたはずの相澤が、今は静かに呼吸を繰り返していた。捻じ曲がっていた両腕は元の形へ融解するように組み上がり、凄惨に裂けていた顔面は、薄皮一枚の傷すら残さず白磁のように滑らかに再生している。

 

通常の治癒とは根本的に異なる、神への冒涜に近い超高速の『肉体再構成』。

 

「ふぅ…お怪我は完全に塞ぎました。あとは意識が戻るのを待つだけです」

 

祈は修道服の袖を静かに下ろし、ヴェールの向こうで微笑みを浮かべた。

隣で見守る緑谷の胸には、彼女が直前に遺した『私はこのためのスペアですから』という言葉が、抜けない棘となってドロドロとした執着の火種を燻らせている。

 

だが、少年たちがその奇跡に戦慄する間もなく、中央広場からは、世界そのものが叩き潰されるかのような凄まじい衝撃波と爆音が鳴り響いた。

 

「オラァアアアアアアアッッッ!!! カロライナ・スマッシュ!!!!」

「ガ、ブ、ッ、ゥ!?」

 

大地を爆裂させながら、オールマイトの拳が脳無の巨躯を文字通りゴミ屑のように吹き飛ばした。

USJの頑強な地面がクレーターのように陥没し、凄まじい風圧が広場を吹き抜ける。

 

「クソ……ッ、どういうことだ!? 話が違うぞ!!」

 

でしょうね。

首を狂ったように掻きむしりながら、死柄木がうろたえながら声を上げた。

 

「オールマイトは衰えている」

 

――そう、先生から聞いていたはずだった。対オールマイト用として用意したこの脳無なら、確実に相殺し、なぶり殺せるはずだったのだ。

なのに、目の前で拳を振るう平和の象徴は、衰えるどころか、全盛期を容易に連想させるほどの圧倒的な、理不尽なまでの超暴力を引き起こしている。

 

オールマイトの窪んだ眼窩に灯る光は、もはや「正義」のそれではない。

世界で一番と言える彼女を巻き込み、その身体を傷つけ、リミッターギリギリの自傷ループまで回させた目の前の怪物どもへの、剥き出しの「激怒」と「殺意」だった。

 

 

「私の……私の目の前で、彼女に、神代さんに二度と触れるなァアアアッッ!!!」

 

 

純度100%の恋煩いと、彼女を救えない絶望が反転した世界最強の怒り。

脳無の『ショック吸収』の個性の限界値を力ずくで叩き潰し、肉体を骨ごと粉砕していくオールマイトの猛攻に、脳無は反撃の機会すら与えられず、ただの肉塊としてボコボコに蹂躏されていく。

 

「おい、黒霧! 脳無が押されてるぞ! 早くあいつをワープで――」

「……死柄木弔。少々お待ちを」

 

焦り狂う死柄木の横で、不気味な黒いモヤを広げていた黒霧は、脳無の戦いではなく、広場の端で相澤の治療を終えた「純白のシスター」を、冷徹な瞳で見つめていた。

 

(あの白光。現世の理を強引に捻じ曲げる、神への冒涜に近い再構成……。あれは、もしや)

 

黒霧の脳裏に、このUSJ襲撃を計画するよりも前、裏社会の闇の中から接触してきた「ある男」の言葉が呼び起こされていた。

 

公安の、6年前のあの事件から行方知れずとなっている元お目付け役――筑紫聡。

ヴィラン連合のパトロンである『先生』やギガントマキアの動向を探るためか、裏社会で得体の知れない気配を放ち、連合の周辺とも「少しばかりの関わり」を持っていたあの男は、闇に消える直前、黒霧に対して冷徹にこう忠告していたのだ。

 

 

『――おい、モヤの塊。お前らがこれから何を起こそうが知ったこっちゃないが、もし雄英に、黒い修道服を着たお人形みたいなシスターが紛れ込んでいたら、絶対に手を出すな。あれは、ジキルとハイドの呪縛に囚われた、この世で最も不気味な公安の最高機密だ。下手に触れれば、お前らの個性の因子ごと、根こそぎ「あるべき姿」へ還されるぞ』

 

 

筑紫聡のぶっきらぼうでありながら底暗い警告。

黒霧は、その男が言っていた「シスター」が、目の前にいるあの汚れ一つないこの女であると、完全に確信していた。

 

(筑紫聡の言っていた警告は本当でしたか。脳無が一撃で動きを止められたのも、あの個性の……)

 

「死柄木弔、あれ以上の深追いは危険です。あのシスターが動き出せば、我々の計画そのものが根底から覆されかねない」

「チッ……! どいつもこいつも、訳の分からねえゲームチェンジャーばかり湧きやがって……!」

 

死柄木が祈を忌々しげに睨みつけ、激しく歯噛みする。

 

オールマイトの終わりのないガチ恋の激怒と、裏社会で行方知れずとなっている筑紫聡が遺した不穏な囁き。これ以上の深追いは作戦の前提を崩しかねないと判断した黒霧は、その黒いモヤを大きく広げた。

 

「死柄木弔、ここまでです。……撤退しましょう」

「クソが、今回はお開きだ……! 次は必ず殺すからな、オールマイト……!」

 

その直後、USJの入り口から、ついに壁をぶち破って雄英のプロヒーロー陣――増援が怒涛の勢いで雪崩れ込んできた。

形勢不利を悟った死柄木と黒霧は、オールマイトによって弾けとんだ脳無の残骸と、歪な悪意の残滓を広場に遺して霧の向こうへと消え去っていった。

 

「――皆様、もう安心ですよ」

 

増援のヒーローたちが周囲の残党を制圧していく中、祈は静かに立ち上がり、脳無によって裂かれた修道服の裾を整えた。その足元では、相澤が先ほどの重傷が嘘のように、すでに規則正しい寝息を立てて熟睡している。

 

「相澤先生……本当に、傷が綺麗に消えてる……」

 

緑谷がその奇跡に涙を滲ませ、爆豪や轟もまた、その常軌を逸した『蘇生』の光景をそれぞれの胸に深く刻みつけていた。

 

 

のちに確認されたところによると、脳無に身体を裂かれていた13号も、祈が瞬時に応急処置を施し、駆けつけたリカバリーガールの手によって命に別状なしと診断された。生徒たちにも大きな怪我はなく、雄英高校を襲った前代未聞のテロ事件は、最悪の結末を回避してここに幕を閉じた。

 

 

――そう、事件そのものは、綺麗に解決したのである。

 

「神代先生……! 無事かい……! ああ、怪我は、その首の火花は大丈夫だったのかい……ッ! 私は、私は君がボロボロになっている姿を見て、心臓が爆発四散するかと――」

「お気になさらないでください、オールマイト様。私はただの使い勝手の良い道具ですから。それでは、私は残った救護の片付けがありますので、失礼いたします」

「神代さぁぁぁぁぁぁんーーーーーーーッッッ!!!」

 

 

「……おいクソナード、あの哀れなガチ恋ゴリラ、本当に平和の象徴なのかよ。敵より頭のネジ飛んでんだろ」

「あ、あはは……かっちゃん、オールマイトにもいろいろ、大人の事情があるんだよ、多分……」

 

 

世界最強の男の、あまりにも論点がシュールすぎる恋の地獄に、周囲のプロヒーローや生徒たちが生暖かいドン引きの視線を送っていることなど、今の彼には知る由もなかった。

 

 

ともかく、交わることのなかった平行線の秒針は、運命の歯車を完全に狂わせながら、いよいよ神代祈を中心にして、最悪で最高の混沌の渦へと狂い回り始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「相澤先生、良く眠れましたか?」

「……寝た」

「それは何よりです」

 

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

 

USJ襲撃事件から数日後。

 

公安の中枢、外界の喧騒から完全に隔離された一室で、22歳になったホークス――鷹見啓悟は、薄暗い部屋の中に浮かび上がるホログラムのモニターを、ただ一人で見つめていた。

画面に映し出されているのは、先日の事件で神代祈の首元に嵌められた黒い電子首輪が記録した、膨大な行使ログ。

精神のバイタルグラフ。そして、根津校長を介して一時的に引き上げられたリミッターの上限値。

 

「……あは、やっぱり凄いなぁ。完璧にコントロールできてるじゃないですか、おねえさん」

 

啓悟は画面のログを、まるで愛おしい女性の頬に触れるかのように、手袋越しにそっと指先でなぞった。

 

あの頃、公安の本部の廊下で、生き神として切り刻まれハイドによって「愛」を殺されていく彼女を、ただ無力に見つめることしかできなかったあの少年はもういない。

 

地方の泥水の中で泥臭く牙を研ぎ澄まし、今や最速のヒーローとして公安のトップにのし上がった彼は、彼女を縛る檻の鍵を、今やその両手の中にしっかりと握りしめていた。

 

(水難ゾーンの敵を、杖一本で制圧……。肉体が軋む端から『ジキル』のループで超高速修復。首輪の限界値を綱渡りのように見定めての戦闘。

……本当に、誰よりも綺麗で、不気味で、俺の、世界でたった一人のおねえさん)

 

彼女が大人たちの都合で「便利な道具」として雄英へ送り込まれたことも全ては織り込み済みだ。周囲の秒針だけが歪に進み、彼女だけが二十代の美しい姿のまま取り残されているこの残酷な世界で、啓悟の胸の奥にある独占欲とクソデカ感情は、このログを見るたびにドロドロとした狂気となって膨れ上がっていく。

 

「だけど……おねえさんに無茶をさせたこのヴィラン連合のゴミ屑どもは、ちょっとお仕置きが必要かな……」

 

赤い羽をピクリと震わせ、啓悟の瞳に猛禽類特有の冷徹な殺意が宿った、その瞬間だった。

 

戦闘ログの後半、オールマイトが乱入してきた時間帯の「音声・精神波ノイズの記録」を開いた啓悟は、そこにあるあまりにも常軌を逸したデータに、思わず動きを止めた。

 

 

『神代さぁぁぁぁぁぁんーーーーーーーッッッ!!!』

『なぜ君がここにいる! なぜそんな身体で戦うんだ!』

 

「…………は?」

 

啓悟の口から、素の困惑が漏れ出た。

 

画面に記録されていたのは、世界最強のヒーローが、国家最高機密の不老シスターに向かって純度100%の恋煩いを大爆発させ、相手にはモブおじさんとしてすら認識されていない悲痛な現実を突きつけられて情緒崩壊している、あまりにもシュールで哀れな記録だった。

 

「え、何これ……。あのオールマイトが、おねえさん相手にガチ恋拗らせて壊れてる……? えぇ……何このおじさん、怖っ……」

 

先ほどまでのシリアスで狂気的な独占欲はどこへやら、最速の男の顔は、あまりの気味悪さに完全に引き攣っていた。

 

あの世界最強の男が、おねえさんの前ではIQマイナスになってのたうち回っているという客観的事実。間近でログを精査している啓悟からすれば、ドン引き以外の何物でもない絵面だった。

 

「あはは……。筑紫さんがこれ見てたら、また『あのクソゴリラァアアアア!! 俺にうるさいノイズを飛ばすなやアアアアッッ!!』って、壁を殴り壊してブチギレるんだろうな」

 

啓悟はふっと目元を緩め、今はもう行方知れずとなって裏社会へと消えた、かつての師匠・筑紫聡の姿を懐かしむように呟いた。

 

六年前のあの事件。オールマイトの命を強引に繋ぎ止めるため、祈が苦痛と記憶を代償に自ら檻へ入ったあの日。

本部の廊下で我を忘れ、世界最強の男と公安の理不尽に対して、誰よりも激昂し、誰よりも祈の人間性を守ろうと足掻いていた、あの不器用で重厚な男の背中。

 

「筑紫さんがいなくなって、俺が管理者になって。

……でも、おねえちゃんの周りは相変わらず、頭のネジが飛んだ男とか、歪な執着を始めた雄英のおこちゃまで大混雑だ」

 

啓悟は微笑を消すと、再びホログラムの画面へと向き直り、その鋭い瞳に「最速の男」としての不敵な光を宿した。

 

「でも、安心してね、おねえさん。その檻の鎖を引っ張っているのは、今は俺だから。

 

……絶対に、他の誰にも渡さないよ」

 

 

薄暗い部屋のなか、パチンと指を鳴らすと、ホログラムの画面は一瞬にして掻き消え、静寂だけが室内に残された。

 

雄英体育祭という、きらびやかな表舞台がすぐそこに迫っている。

その光の舞台の裏側で、祈を巡る男たちの歪な情念と公安の思惑は、本人を置き去りにしたまま、さらに深く、静かに絡み合い始めていた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。