雄英高校の体育祭、第二種目である『騎馬戦』。
第一種目をトップで通過した緑谷出久に与えられたポイントは、驚愕の「1000万点」。
競技が開始された瞬間、スタジアム中の全騎馬が猛猛しい飢えた獣のように緑谷の首を狙って殺到する、まさに四面楚歌の地獄絵図がモニターに映し出されていた。
喧騒から離れた特設救護テントのなかで、神代祈はそっと両手を頬に当て、その大写しにされた画面をじっと見つめていた。
「あら……。出久くん、大変なことになっていますね」
感情の大部分をハイドに殺されているはずの彼女だが、根がとにかく子供好きなため、寄ってたかって狙われている教え子の姿を、まるで我が子のことのように「あら……まぁ……」とハラハラしながら静かに見守っている。その純白の修道服を纏った佇まいは、お祭りの狂乱のなかにあって、そこだけが別の現世から切り離されたような神聖な静寂を保っていた。
そんな時だった。
競技場の喧騒をさらに圧倒するような、凄まじい熱気と威圧感と共に、救護エリアの裏手の通路に『彼』が現れた。
ナンバー2ヒーロー、エンデヴァー。
息子である轟焦凍の戦いぶりを冷徹に見定めるため、あるいは激しい熱気で渇いた喉を潤しに来たのか、燃え盛る炎を全身に纏った巨躯が、偶然にも祈のいる救護テントのすぐ傍らを通りかかったのだ。
「――ん?」
エンデヴァーの鋭い眼光が、ふと、テントの前に佇む純白のシスターの姿を捉えた。
(あの首輪……公安の最高機密か。……いや、それ以上に、何だこの女の肉体は。一秒の揺らぎもない。細胞が、現世の時間軸から完全に固定されている……不老の因子か?)
本能的な気味悪さを覚えたエンデヴァーは、ドスドスと重い足音を響かせ、祈の前へと立ち塞がった。彼の影が祈を覆いつくし、燃え盛る炎の熱風が彼女の白いレースのヴェールを僅かに揺らす。
「おい、そこのシスター。お前、その首輪は公安の……。それに、貴様のその肉体、一体何者だ」
その圧倒的な威圧感に対しても、祈は眉一つ動かさず、大好きな子供の父親を歓迎するように、ふんわりと柔らかい微笑みを浮かべて丁寧に一礼した。
「初めまして、エンデヴァー様。私は神代祈と申します。ただの使い勝手の良い便利な救護の道具ですよ。焦凍くんたちの素晴らしい頑張りを邪魔しないように裏方として機能しているだけです」
「……、」
エンデヴァーの眉根が、さらに深く寄せられた。
自分が名乗るよりも前に、息子の名前を正確に呼んだこと。そして何より、その『神代祈』という名と純白の姿に、エンデヴァーの脳裏に、いつもは生意気で飄々としているあの最速の男の顔が思い浮かんでいた。
(神代……祈。そうか、これが……あのホークスが、いつも裏でクソデカ感情を拗らせたという、あの『檻の女』か。……なるほど、得体が知れん)
ホークスが拗らせている狂気的な独占欲の正体を間近で察知し、エンデヴァーがさらに言葉を重ねようとした――その刹那だった。
「――おや、エンデヴァーじゃないか。こんなところでどうしたんだい。お茶しよ」
通路の奥から現れたのは、大柄な体躯を保ったオールマイトだった。
表向きはいつもの「平和の象徴」としての余裕ある大人の笑みを浮かべている。……浮かべてはいるのだが、その顔面には、普段の彼からは想像もつかないほどの不自然に濃くて太い劇画調の斜線がこれでもかと描き込まれており、ガタガタと目に見えて震えていた。
(えっ、エンデヴァー!? 君、君まさか神代さんにまでそのクソデカい情熱を向けるつもりじゃないだろうね!? 私の、私の神代さんに変な熱量を飛ばすのはやめてくれえええ!! ああ、でも彼女は私を見ても『ただのちょっと元気なプロヒーローのおじさん』としか思っていないモブおじさん現実、無理、尊い、でも張り裂けそう……ッ!)
心の中(共感層)では純度が高すぎる恋煩いと勘違いが大爆発して脳のネジが完全に吹き飛んでいるオールマイト。そのあまりにもうるさい内心の狂気的なノイズは、近くにいる人間を無差別に精神汚染しそうなほどの熱量を放っている。
「オールマイト……。貴様、顔が酷く引き攣っているぞ。それに、口元から血が出ているが」
「ははは! 何でもないさエンデヴァー! 私は至って元気だよ! ただ、神代先生、今日の君の白の修道服も世界の誰よりも眩しく清らかで、私はもう入場ゲートをくぐるだけで過呼吸に――ゴフッ!!」
「おい、正気か貴様」
表向きは必死にプロとして取り繕おうとしているものの、言葉の端々に隠しきれないガチ恋の動揺が滲み出てしまい、挙句の果てに自爆するように血を吐き出す世界最強の男。
その、あからさまに様子のおかしい奇行を前に、エンデヴァーは心底、魂の底から気味が悪そうな顔をして一歩後退りした。
「……何だその、脳のネジが数本吹き飛んだかのような哀れな生き物は。病院へ行け」
「ちょっと、オールマイト! 裏で何ボフボフ吐血してナンバー2にドン引きされてるんだい! 恥ずかしいから今すぐテントの奥に引っ込みな!」
ついにしびれを切らしたリカバリーガールが、お馴染みの救急カートを武器のように引っ提げてオールマイトの脛を容赦なく蹴り飛ばす。
「神代先生、あとは頼んだよ……!」とリカバリーガールに引き摺られていく、哀れな平和の象徴。
「ふふ、オールマイト様は相変わらず、ちょっと元気で賑やかなプロヒーローのおじさんですね」
ヴェールの向こうで、相変わらず彼に対する記憶だけを綺麗にピンポイント忘却したまま、無邪気についっこりと微笑んでいる祈。
エンデヴァーは、その圧倒的な天然の聖性と、それによって完全に狂わされている世界最強の男の、あまりにも不穏でシュールな空気に、「……関わるだけ時間の無駄だな」
と冷徹に吐き捨て、ドスドスと実況席のほうへと去っていくのだった。
――なお、その頃。
公安の中枢で、この首輪のログと中継映像をバッチリ受信していたテレビの向こう側のホークスが、
「……エンデヴァーさん、変に絡まないでよ。あとあのガチ恋おじさんは、本当に一回社会的に干された方がいいと思うなぁ」
と、背中の羽をギリィ……と不快に激しく波打たせながら、クソデカ感情をさらに漆黒に拗らせて悔しがっていることなど、この平和な救護エリアの誰も、知る由もないのであった。