神様にはなれない私たち   作:琴ノ葉しずく

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第29話 敗者、白光の抱擁を受ける

 

雄英高校の体育祭、いよいよ始まった最終種目『ガチのトーナメント戦』。

 

1対1の容赦のない超常のぶつかり合いは、スタジアムを割れんばかりの歓声で満たすと同時に、夢破れ、泥と傷にまみれた『敗者』たちを次々と生み出していった。

 

喧騒から離れた特設救護テント。

そこには、運ばれてくる負傷した生徒たちを、無駄のない動きで淡々と、けれどどこか嬉しそうに迎え入れる神代祈の姿があった。

 

根がとにかく子供好きな彼女にとって、勝敗に関わらず、未来に向かって一生懸命に自分の個性を振るった若い教え子たちは、全員が愛おしくてたまらない存在なのだ。

 

「――お疲れ様でした。お怪我を現世の理へ戻しますね」

 

祈が両手を翳す。

軽症の範囲を維持した『ジキル』の透き通るような白光が、痛みを伴わずに傷口を優しく塞いでいく。

 

「……まぁ、なんて神聖な。まるで主の御前にあるかのような、清らかな光です……」

 

1回戦で上鳴に圧勝したものの、続く2回戦で飯田のスピードの前に惜敗した1年B組の塩崎は、自身の茨の髪の擦り傷を優しく撫でられながら、そのヴェールの向こうの圧倒的な美貌と不思議な温かい匂いに、うっとりとほわほわした吐息を漏らしていた。

 

「いいえ、塩崎さん。私は神様なんかにはなれませんよ。ただの、使い勝手の良い便利な救護の道具ですから」

「道具、だなんて……そんな悲しいことを仰らないでください、シスター。あなたは、迷える私たちを癒やす本物の聖女様ですわ……」

 

塩崎が祈の手を握りしめて熱烈に感動している横で、同じく1回戦で八百万に勝利したものの、常闇のダークシャドウの前に敗れたB組の学級委員長・拳藤も、自身の大きな両手の赤みを綺麗に消し去ってもらいながら、目を丸くしていた。

 

「本当に、全然痛くない……。凄いなぁ、神代先生。リカバリーガール先生とはまた違う、なんていうか、身体の芯から元気が湧いてくる感じ。B組のみんなも、ファンになっちゃいそう」

「ふふ、拳藤さんたちの素晴らしい頑張りを支えられたのなら、道具としてこれ以上の喜びはありませんよ」

 

子供大好きな柔らかい笑顔を浮かべ、B組の女子生徒たちをも一瞬で虜にしていく祈。

だが、そんな和やかな救護テントの空気をぶち破るように、どかどかと足音を立て不機嫌極まりない顔でパイプ椅子に腰掛けたのは、1回戦で爆豪に敗れた1年B組の物間だった。

 

物間は、自身の個性が他人の力を借りるだけの『コピー』であることに、強い誇りと同時に、A組に対する激しい劣等感の裏返しを燻らせていた。治療のために前に膝を突いた祈に対し、物間はいつものひねくれた笑みを浮かべて突っかかった。

 

「……いい個性ですね。どこぞの傲慢なA組連中と違って、救護班のシスターはボランティア精神に溢れていて素晴らしいよ。僕の個性なんて、他人の力を借りなきゃ何もできない、卑しくて不完全な泥棒のような力だっていうのに」

 

A組への対抗意識と、自身の個性の本質に対する暗い独白。

しかし、祈はそんな物間の毒舌を聞いても眉一つ動かさず、むしろ一生懸命に戦った子供を慈しむような、ふんわりとした優しい微笑みを物間に向けた。

 

「何故そんなことを仰るのですか? 他の方の素晴らしい個性をどれでも完璧に使いこなせるなんて、これ以上なく便利で、使い勝手の良い最高の個性ではありませんか」

「…え?」

 

物間のひねくれた笑みが凍りついた。

 

「個性を扱うのは人です、物間くん。道具の真価とは、持ち主の使い方次第なのですよ。その美しい力をどう使えば人の役に立てるのか、解釈を広げましょう。今はまだ未知数、それで良いのです。努力は裏切りません。そしていずれは、自らの個性を完璧な道具として御せるようになるでしょう。自分の無知と向き合う物間くんは、素晴らしいと思います」

「えっ……いや、そんな、褒められたって別に……っ!!!」

 

完璧な肯定。

その濁りのない純潔な全肯定の言葉と、至近距離から放たれた天然の聖女の微笑みをダイレクトに浴びた瞬間、物間の顔面は一気にとんでもない熱量で沸騰した。

 

いつもの傲慢なメッキが完全に剥がれ落ち、心操同様に、耳の付け根から首筋に至るまでリンゴのように真っ赤に染め上げると、物間は服の袖で顔を隠した。

 

思春期の男子として、とても心臓に悪い。「な、何なんだよこのシスター……! 意味が分からない、おかしいだろ……っ!」と心の中で激しく茹で上がっていた。

 

「ふふ、あまり無茶をしてはいけませんよ」

 

あっさり離された手にを見ると、物間の傷はいつの間にか治療されていた。

呆気にとられる物間を見てにやにや笑みを浮かべているB組の生徒らが視界に入った。

 

「…なんだい」

「べっつにー?物間もそういう顔するんだなって思って」

「……」

「嬉しいよね、ああいうふうに言われると」

「あのくらい、誰にだって同じように言っているさ」

「それでもさ、本心じゃないかな。神代先生は嘘を言う人じゃないよ」

 

物間と拳藤がそんな会話を広げている後ろでは、緑谷に敗れて再びテントへ戻ってきていた普通科の心操が、「B組のコピー野郎か…あんたも、あの人に狂わされたのか」

と、自身の胸の奥に灯った黒い所有欲を瞳の奥に滲ませながら、冷徹な視線を物間へと向けていた。

 

「あら、次の試合が始まりますね」

 

知らぬは祈、ひとりだけ。

 

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

 

雄英体育祭、1学年ガチバトル準々決勝。

 

スタジアムが文字通り割れんばかりの歓声と、轟焦凍の放った圧倒的な熱風と氷結に包まれるなか、特設救護テントの白い幕の隙間から、祈はその戦いをじっと見つめていた。

爆音と共に吹き荒れる突風に、純白のレースのヴェールが激しく揺れる。

その網目の向こうで、祈の瞳が、自らの肉体を顧みずに指と腕を破壊し続ける緑谷出久の姿を捉えていた。

 

(出久くん……あんな無茶苦茶な戦い方をして……)

 

感情をハイドに殺されているはずの胸の奥で、冷たい氷の鍵の隙間から、名付けようのない「一抹の不安」がせり上がってくるのを感じていた。

やがて、スタジアムを揺るがす特大の爆発と共に決着がつき、白い爆煙の向こうから、満身創痍の緑谷が担架で運び込まれてきた。

 

「神代先生……! デク君が、また……!」

 

付き添ってきた麗日お茶子が、悲痛な声を上げて救護テントの幕を跳ね上げる。

ベッドに横たえられた緑谷の右腕は、普段の戦闘訓練の時とは比較にならないほど、皮膚が裂け、どす黒く変色して完全に破壊されていた。

 

「出久くん……!」

 

祈はいつもの佇まいを瞬時に崩し、純白の修道服の裾を翻してベッドへ駆け寄った。急いでそのボロボロの手をとり、怪我の具合を確認する。指の骨は粉砕され、肉が焦げ付いている凄惨な状態だった。

 

「リカバリーガール先生、すぐに――」

「待ちな、神代。……これは、あんたの力をそのまま使うには、少々目立ちすぎるさね」

 

先を歩いていたリカバリーガールが、厳しい顔でテントの入り口を振り返った。

そこには、スタジアムの熱狂をそのまま持ち込もうとするメディアの中継カメラや、心配して集まってきた他の生徒たちの視線が集まりつつあった。保健室とは違い、ここはあまりにも開かれた『体育祭』のど真ん中なのだ。

 

そして、その人だかりの最背後。

トゥルーフォームのまま、しかし大柄な体躯を縮こまらせるようにしてテントを見つめていた八木俊典――オールマイトは、破壊された愛弟子の姿と、それ以上に、祈の「白」が衆人環視の目に晒されている事実に、胸の奥がドロリと焼けるような感覚を覚えていた。

 

(彼女の力は……公安の鎖は、世界に見せていいものではない。何より……)

 

何より、これ以上、彼女のあの神聖で歪な治療の姿を、電流に灼かれるあの白い首筋を、他人の目に晒したくない。それは世界最強のヒーローとしてではなく、一人の男としての、醜くも切ない個人的な感情だった。

 

「カメラはここまでだ。生徒のプライバシーに関わる。……済まないが、治療を終えた皆も、一度テントの外へ出てくれ。彼女が……救護員が治療に専念できるよう、スペースを空けてほしい」

 

オールマイトの声が響く。普段の「私が来た!」という快活さはない。しかし、有無を言わせないNo.1ヒーローとしての圧倒的な威圧感と説得力が、そこにいる全員を圧した。中継スタッフは気圧されてカメラを下げ、飯田たちも「あ、はい……!」と促されるようにテントの外へと退避していく。

 

バサリ、と白いテントの幕が完全に下ろされ、空間は外部の喧騒から隔離された。残されたのは、意識を失いかけている緑谷と、リカバリーガール、オールマイト。そして、純白の修道服に身を包んだ神代祈の四人だけだった。

 

「……ありがとうございます、オールマイト様」

 

祈はヴェールの向こうから、非の打ち所がない丁寧なお辞儀をオールマイトに向けた。

 

完璧な「他人のフリ」としての最上級の敬語。

その響きに、オールマイトの胸は再びギチギチと音を立てて軋んだが、今回は劇画風にショックを受けている暇はなかった。

 

「……ああ。これで、誰の目も気にせず『微調整』ができるだろう、神代先生」

 

オールマイトのその言葉に、祈はほんの一瞬だけ死んだような瞳を大きく見開いた。

 

隔離された白いテントの中、外の歓声が遠く遠鳴りのように響いている。

祈は、ベッドに横たわる緑谷出久の破壊された右腕へ手を翳す直前、動きを止め、ヴェールの向こうからオールマイトをじっと見つめた。

 

「……オールマイト様。一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」

 

鈴の音のような声に、オールマイトは「なんだい」と、極めて自然な、しかしどこか固い声音で応じる。

 

「何故、私が『微調整』をしていることを……数値の話を、ご存知なのですか?」

 

祈の瞳に宿るのは、純粋な疑問だ。

公安の地下室で行われていた極秘の出力調整。雄英の人間が、ましてや昨日今日再会したばかりのトップヒーローが口にするはずのない隠語。

それに対して、オールマイトは自らの大きな胸に手を当て、少しだけ目を伏せながら、ひどく真摯に、しかし傍から聞けば決定的に何かがおかしいトーンで静かに告げた。

 

「……ずっと、君のことを見ていたからね」

 

その言葉は、六年間、彼女を檻から出すために国家と渡り合い、彼女のあらゆるデータを集め、血の滲むような猛リハビリの最中も彼女のことだけを考えて生きてきた男の、偽らざる純愛の証明だった。

 

(…あんた、それ一歩間違えなくてもただのストーカーだよ)

 

二人の背後で、補助に入っていたリカバリーガールは、表情ひとつ変えずに心の中で猛烈なツッコミを炸裂させていた。命の恩人への執着が行き過ぎて、もはや言動が合法と違法の境界線を反復横跳びしている世界最強の男に対し、医療のプロは底冷えするような冷静さでその歪さをカウントしている。

 

「……左様ですか。雄英の、そして平和の象徴の情報網というものは、私の想像以上に恐ろしいのですね」

 

だが、ハイドに「愛」を殺されている祈には、その言葉に込められたドロドロとした情念は1ミリも届かない。彼女はそれを単なる『国家最高戦力の情報収集能力』として完璧に事務的に納得し、そのまま淡々と右腕の手当てを始めた。

 

「では、始めましょう」

 

首元の黒い電子首輪がピピッ、と小さく鳴る。

今回は衆人環視を避けた「微調整」のおかげで、青白い火花が彼女の白い肌を派手に灼くことはない。それでも、現世の理を書き換えるような純白の光が緑谷の腕を包み込み、引き裂かれた肉と粉砕された骨が、静かに、しかし急速に元の形へと融解し、組み上がっていく。

 

「……ん、……あ……」

 

やがて白光が収まると同時に、緑谷の意識が急速に覚醒へと浮上してきた。

襲いかかっていた凄まじい激痛が完全に消え去り、瑞々しい活力が身体に満ちていく感覚に、緑谷はガバッと上体を起こす。

 

「神代、先生……!? ぼく、は――」

「出久くん」

 

その瞬間、緑谷の言葉は、神代のいつもより少しだけ硬く、冷たい声によって遮られた。

ベッドの傍らに立つ神代は、純白の修道服の袖を整えながら、レースのヴェールの向こうから、いつものお人形のような完璧な微笑みを――あえて完全に消し去っていた。

 

「……あんな無茶苦茶な戦い方をして、一体何がしたいのですか?」

「え……」

「自分の肉体を顧みず、ただ壊すためだけに個性を振るうなど、救う側の気持ちを微塵も考えていません。そんなものは、ただの独りよがりです。私は皆様をお支えする道具ですが、だからといって、あのような命を削るような自傷行為を、笑顔で見過ごせるほど精巧には作られていません」

 

淡々と、けれど確実に「怒り」を孕んだその言葉。

それは、かつて地域の祭りで、無個性だと虐められて一人で泣いていた小さな緑谷を、本気で心配してくれた『優しいお姉さん』の残滓そのものだった。

 

「……ごめ、んなさい……」

 

緑谷は、自分が怒られた恐怖ではなく、彼女の心の奥にある自分への「心配」を察知して、胸の奥を激しく締め付けられていた。

その二人のやり取りを、またしても完全に疎外された形で見つめることしかできないオールマイトは、リカバリーガールに怒られるのではとテントの隅でガタガタと震えながら、再び顔面に濃い劇画調の斜線を浮かべ始めようとしていた。

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

熱狂と硝煙に包まれた雄英体育祭は、爆豪勝己の不機嫌極まりない優勝という結末を迎え、なんとか無事に閉幕した。

 

夕暮れ時、スタジアムの喧騒から少し離れた特設救護テントでは、祈が一人、テキパキと医療器具の片付けを行っていた。昨夜悩み抜いて選んだ純白の修道服は、激動の救護活動を終えた今も汚れ一つなく、夕日に照らされてどこか神聖に輝いている。

 

バサリ、とテントの幕が上がり、長い影が差し込んできた。

入ってきたのは、首に金色のメダルを無造作にぶら下げ、今にも周囲を爆破しそうなほど酷い不機嫌な顔をした爆豪だった。

 

「勝己くん」

 

祈は片付けの手を止め、いつものお行儀よくお人形のような姿勢で静かにお辞儀をした。

 

「優勝、おめでとうございます。ですが、ずいぶんと派手にお暴れになったのですね。あちこち細かい擦り傷や筋肉の微細断裂が見られます。すぐに治療いたしますので、そちらのベッドへ――」

 

祈がいつものように、透き通るような白光をその手のひらに宿そうとした、その時だった。

 

「触んじゃねえよ、クソババァ」

 

爆豪は祈の手を乱暴に振り払い、鋭い眼光で彼女を睨みつけた。

 

(――テメェ、なんでそんな格好してやがる)

 

爆豪の脳裏に、先日ホームルームで彼女が教室に入ってきた瞬間の光景が、忌々しく蘇っていた。

 

お祭りの夜に出会った時の「黒」ではなく、頭の先から爪先に至るまで「白」に染まったその姿。まるで本物の聖女か何かが舞い降りたかのような神聖な美しさは、スタジアムの熱狂の最中も、爆豪の目の裏に焼き付いて離れなかった。

 

幼少期、圧倒的な力で周囲を威嚇していた自分を、完璧な敬語と包容力で完全に手懐けてきた、人生で唯一「勝てない」と感じた綺麗な女。あれから自分は高校生になり、今日こうして雄英の頂点に立ったというのに、目の前の彼女はあの頃の姿のまま一秒も老けていない。

それどころか、その純白の襟元には、あの薄気味悪い公安の「黒い首輪」が傲慢に鎮座している。

 

自分を「勝己くん」と懐かしそうに呼ぶくせに、その瞳はどこか死んだように冷たく、自らを「便利な道具」と言い切って微笑むその歪さが、爆豪のプライドと神経をこれ以上ないほど逆撫でしていた。

 

「こんな掠り傷、寝てりゃ治るわ」

 

高校生らしい容赦のない拒絶。爆豪はそのままフイッと顔を背けて、テントの出口へと歩き出してしまう。

 

「……あ」

差し出しかけた両手を、所在なさげに空中で止めた。

感情の大部分を『ハイド』に殺され、自らを完璧な道具だと言い聞かせているはずの彼女。だが、明日あの子たちに会えるとお洋服を真剣に悩んでいた時と同じように、心の奥底にある「子供たちのお役に立ちたい」という純粋な博愛の心が、拒絶されたことで行き場を失ってしまう。

 

「そうですか…」

 

爆豪の背中を見送った祈は、ヴェールの向こうでほんの少しだけ眉を下げ、目に見えて分かりやすくしょんぼりと肩を落とした。

 

その姿は、いつもの死んだように冷たいお人形の微笑みとは違う、あのお祭りの夜の「優しいお姉さん」がほんの一瞬だけ、ハイドの呪縛の隙間からこぼれ落ちたかのような、あまりにも愛らしく、そして切ない人間らしさだった。

 

 

テントの外では夕日がスタジアムを赤く染め上げ、お祭りの灯が静かに消えていった。

 

 

 

 




ヒロインは努力の塊。
そしてみんなの憧れのお姉さんだけど実際は「優しいおばあちゃん」ポジションだと思っている。
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