神様にはなれない私たち   作:琴ノ葉しずく

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第30話 聖女の価値

 

 

体育祭が明けた翌朝、雄英高校の事務局は未曾有のパニック状態に陥っていた。

 

職員室の電話は文字通り1秒たりとも鳴り止まず、対応に追われる職員たちの悲鳴が響き渡っている。

 

「いやあ、やはり彼女の美貌と異質さは、いくら隠そうとしても隠しきれなかったねぇ。大衆の目に触れれば、公安もそう簡単には彼女を再びあの地下に戻すことはできない。はっはっはっはっは――――これこそが私の狙いだったのさ!」

 

校長室でガタガタとティーカップを揺らしながら楽しげな口調で笑っているのは根津校長だ。

 

その最高知能の瞳の奥には、公安への牽制を完璧に成功させたという冷徹な計算が光っている。あえて世界中へのテレビ中継に彼女を映り込ませることで、国家の闇である彼女を「公の存在」へと引きずり出したのだ。

 

「……君の策には脱帽するが、やはり私の心境としては複雑だよ」

 

その向かいで、大柄な体躯を縮こまらせて溜息をついているのはオールマイトだ。昨日、救護テントで必死に中継を遮断したものの、結果として彼女を守るための大局の策に組み込まれていた事実に、一人の男としての庇護欲と独占欲が複雑に絡み合っていた。

 

今回のテレビ中継による波紋はあまりにも大きかった。

問い合わせの主には、祈が公安に拘束されていた六年間の間に、公安が独自のツテとして構築していたらしい政財界の重鎮たちの名前がずらりと並んでいた。

 

さらに、プロヒーローたちからの職場体験の派遣オファーも異常な数にのぼっていた。

一般のヒーローには彼女の詳細は知られていない。だが、福岡のホークス事務所からは最速でオファーが届いており、さらにはUSJの襲撃事件で彼女が身を挺して戦ったことを知る一部のプロヒーローたちからも熱烈な要請が殺到していた。

何より、どのような過酷な状況でも機能する「圧倒的な治癒能力」はどの現場でも欲しがられる生命線だ。崩落や二次災害の危険が伴う、第一線の災害救助関係のヒーロー事務所や地方のレスキュー拠点からも、喉から手が出るほど優秀な人材として臨時の派遣オファーが山のように届いていたのだ。

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

同刻、1年A組の教室。

 

 

「えー、体育祭が明けた。今日から各自、プロヒーローからの指名に基づく『職場体験』の希望先を精査してもらう」

 

相澤の気だるげな声と共に、ホワイトボードのプロジェクターに生徒たちの指名数が映し出された。画面に並んだグラフの数値を見た瞬間、教室中にどよめきと悲鳴が巻き起こる。

 

「うわあああ! 桁が違いすぎるだろ!!」

「轟と爆豪、ツートップじゃねえか!」

 

圧倒的な1位は轟焦凍の4123件、そして2位は爆豪勝己の3556件。体育祭の上位2人が文字通り異次元の指名数を叩き出している一方で、3位の常闇踏陰(360件)、4位の麗日お茶子(20件)と、それ以降は急激な崖のように数字が落ち込んでいる。

 

「いやー、やっぱり体育祭の結果がそのまま出てるなぁ……」

「切島ぁ、お前オファーあんじゃん! 羨ましいな!」

「上鳴、俺たちゼロだぜ……!」

 

自分の名前の横にある『0』という残酷な数字に絶望して机に突っ伏す上鳴や、指名があったことに胸を撫で下ろす切島たち。そんな中、クラスメイトを巻き込んだ大怪我を負ったことで指名が『0』だった緑谷出久は、静かに自分の手のひらを見つめていた。

 

「轟くんはともかく、爆豪くんはあの表彰式の縛りプレイがあったのに……」

「プロは皆、あの凶暴性の裏にある圧倒的な実力とセンスを見てるってことね」

 

蛙吹の冷静な指摘に、周囲がなるほどと納得する。当の爆豪は、満足するどころか「チッ、どいつもこいつも……」と、不機嫌そうに指名リストを睨みつけていた。

 

相澤はチョークで黒板を軽く叩き、生徒たちのざわめきを遮った。

 

「指名が来ている奴は、この膨大なリストの中から選択しろ。指名が来なかった奴、および『0』の奴らは、全国から集まっている受け入れ許可事務所のリスト――計四十社の中から、自分の個性に合ったところを一つ選んで実務体験を行ってもらう。……そして」

 

相澤はさらに深く溜息をつきながら、リモコンを操作してもう一枚のプロジェクターを起動した。

 

「……今年度は例外中の例外だ。生徒ではないが、体育祭の救護活動に映り込んだ救護補佐――神代祈に対して、全国のヒーロー事務所、および各地方の救護拠点から『職場体験の帯同・派遣要請』が文字通り殺到している」

 

パッと切り替わったもう一つの画面。そこには、生徒たちの誰をも遥かに凌駕する、スクロールしても終わりが見えないほどの膨大な「神代祈へのオファーリスト」が映し出されていた。全員、目を丸くしてプロジェクターを凝視している。

 

「おいおいおいおい! 何だこれ、プロの大人どもが職権乱用で神代さんを自分の事務所に囲い込もうとしてやがるぞ!! 許せねえ、大人の汚いエゴだ!!」

 

峰田が血涙を流さんばかりの勢いで机を叩いて憤慨する。その目は血走り、頭のブドウを今にも毟り取りそうなほどに震えている。

 

「あの白! 圧倒的清楚! それでいて修道服に隠されたあの神聖なボディラインを、自分たちの事務所で独占しようなんて、そんな不純な動機が許されてたまるかぁぁ!! どうせ便利な道具として上手く使ってくれとか言うんだろぉぉぉお!? 便利な道具って何だ!? 俺の道具にもなってくれ……ぶふぉっ!」

「峰田ちゃん」

 

天を仰いで懇願する峰田の頭を、蛙吹が容赦なく舌で叩き伏せる。

 

しかし、峰田を咎めた蛙吹の表情にも、どこか腑に落ちないような陰りがあった。周囲の上鳴たちも「いや、でもあの美人シスターが自分の事務所に来てくれたら、モチベーション爆上がりなのはプロも同じだよな……」と遠い目をしていた。

 

「――神代は公安の管理下にある救護員だ。原則として、特定の事務所への個人的な帯同は認められない。……だがね、校長と公安の協議の結果、今回は『最も救護の需要が高く、なおかつ警戒が必要な地方の合同救護拠点』へ臨時の実務派遣として赴くことが決定した」

 

相澤が淡々と告げた、その決定。

 

「派遣先は、保須市周辺の合同救護拠点だ」

 

 

 

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

職場体験へと出発する当日の朝。雄英高校の正門前には、それぞれの希望先へと向かう1年A組の生徒たちが大きな荷物を抱えて集まっていた。

兄であるインゲニウムの仇を討つため、復讐の炎を瞳の奥に宿しながら保須市の「マニュアル事務所」へと向かおうとする飯田の前に、漆黒の修道服を纏った祈が静かに歩み寄った。

 

「飯田くん。私は公安への実務派遣の手続きと、救護物資の搬出入の承認を得る必要があるため、少し出発が遅れてしまいます。私のことは気にせず、先に向かっていてくださいね」

「神代先生……! ああ、分かった、ご親切にありがとう! では、お先に失礼する!」

 

飯田は一礼すると、どこか焦るような早足で駅の方へと去っていく。祈はその背中を、顔を覆い隠す白いレースのヴェールの向こうから無機質に見送った。

 

すでにA組全員のデータを把握している彼女は、飯田の兄が保須市で「ヒーロー殺しステイン」に襲撃され、現在どのような状態にあるかも、すべて公安の機密情報経由で知悉していた。

 

「……私の、本来の役割を全うしなければ」

 

首元の黒い電子首輪が冷たく首筋に触れるのを感じながら、祈は踵を返した。

 

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

 

数日後。保須中央病院の特別病棟。

そこには、ステインの凄惨な凶刃によって下半身不随となり、ヒーロー引退を余儀なくされたインゲニウム――飯田天晴の姿があった。

 

夕暮れの静かな病室に、姿勢よく佇む祈は、ベッドの横で天晴の術後の経過報告書に目を落としていた。夕闇が迫る部屋のなかで、彼女の纏う「黒」の修道服は、影そのもののように周囲の光を吸い込んでいる。

 

「――術後の経過、および神経の縫合状態は、現行の現代医療としてはこれ以上ないほど完璧です。ですが……やはり、脊髄への損傷が深刻ですね。天晴様、私の個性であれば、その下半身を文字通り『完治』させることが可能です。いかがいたしますか?」

 

淡々と機械の部品を交換するかのような口調で、祈は『蘇生・再構成』の個性の使用を提案した。

 

だが、天晴はベッドの上で、痛々しくもどこか晴れやかな、本物のプロヒーローとしての笑顔を祈に向けた。

 

「ありがとう、神代さん。君の圧倒的な治癒の噂は、公安や雄英の伝聞で少しだけ聞いているよ。……でもね、俺は断る。ここで魔法のように一瞬で治してもらったら、俺は自分の弱さから逃げることになる気がするんだ。車椅子になろうが、ヒーローを引退しようが……俺は俺自身の足で、リハビリを頑張りたいんだよ。天哉にも、不屈の兄の姿を見せたいからね」

 

ヒーローとしての矜持、そして弟への背中。

その濁りのない人間の「光」に触れた瞬間、祈は瞳を大きく見開いた。

感情の大半を『ハイド』に殺され、ただの便利な道具として生きる彼女にとって、天晴の言葉は理解の範疇を超えていた。だが、同時に胸の奥の冷たい氷の鍵の隙間から、彼を「救いたい」という底暗いエゴが静かに鎌首をもたげる。

 

「……では、こういうのはいかがでしょう」

 

祈はそっと一歩前に進み、天晴の動かない足の先へ、黒い修道服の袖から覗く美しい両手を翳した。

 

「天晴様のご意思は尊重いたします。ですが、完全に再起不能のままにしておくのは、救護員としての私のプライドが許しません。それに、もし私が今ここで、あなたの下半身を一瞬で完全に機能させてしまえば、その異常な回復速度が公安の監視ログに引っかかり、目をつけられる可能性があります」

 

祈の首元の黒い電子首輪が、ピピッ、と静かに青白く発光する。だが、火花が飛び散ることはない。

 

(あの真っ白な地下での六年間……思い出したくもない日々でしたが、こうして誰かを救えるのなら、意味はあったのかもしれない。異能の出力を一分子単位でコントロールする術を体に叩き込んできた。今の私なら、公安の目を盗むことなど造作もない)

 

それは彼女の脳裏にだけ過ぎった、過酷で冷徹な記憶の残滓。

 

祈の白い手のひらから、透き通るような白光がごく微量だけ溢れ出た。影のような黒い袖口の隙間から溢れるその光は、昏い病室を冷たく照らし出す。

 

「今から、天晴様の体内に、私の個性のエネルギーを極めて細かく流し込みます。これは一瞬で治すのではなく、数ヶ月、あるいは数年をかけて、現代医療の奇跡的なリハビリの成果に見せかけて、徐々に、確実に神経を修復していくものです。これなら、公安の数値ログを誤魔化しながら、天晴様自身の『リハビリの努力』という形で、いつか必ずもう一度、その足で立てるようになります。…とはいえ、やはり天晴様がリハビリの努力を怠れば、修復の意味はありませんが」

「……それは、俺にとって都合がよすぎる」

「ふふ、道具は上手く使ってこそですよ」

「神代さん…」

「それに、この程度なら私に負担はありませんから、ご安心ください…よろしいでしょうか」

「ああ、」

「では失礼します」

 

ぷちぷち、と天晴の足の奥で、微かな肉の蠢く音が鳴る。だがそれは、緑谷の時のような生々しい爆発的な音ではなく、まるで春の雪解けのように静かで、穏やかな再生の響きだった。

 

「……っ、温かいな……。足の感覚が、微かに……」

 

天晴は目を見張った。祈はレースの網目の向こうで微笑みを浮かべながら、淡々とその超精密な調整を完了させていく。

 

「これで、誰も気づくことはありません」

「っありがとう…本当に、ありがとう!」

「天晴様、どうかゆっくりとご自身の足を取り戻してくださいね。あと、あまり無茶はしないように」

 

天晴を救うためのその優しさは、しかし、公安のシステムすら騙し通すという、彼女の底知れない狂気的なストイックさの証明でもあった。

 

その頃、保須市の別の場所では、飯田天哉がヒーロー殺しステインの残影を追って、暗い夜の闇へと足を踏み入れようとしていた。

 

 

 

 

 

 

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