神様にはなれない私たち   作:琴ノ葉しずく

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第31話 路地裏の審判

 

 

突如として保須市を襲った複数の「脳無」の脅威により、街は一瞬にして火の海と化した。

 

悲鳴と爆音が響き渡る大混乱のなか、合同救護拠点から負傷者の救命に奔走していた祈は、ある路地裏から漂う異様な「死の気配」を正確に察知していた。

 

(出久くんと、飯田くん………)

 

祈は漆黒の修道服の裾を翻し、夜の闇へと静かに足を踏み入れた。

 

 

 

◇

 

 

 

薄暗い路地裏。

そこには、圧倒的な殺気を放つ「ヒーロー殺し」ステインの前に、身動きを封じられて倒れ伏す飯田天哉と緑谷出久の姿があった。

 

「終わりだ。偽物は社会の病理だ。俺が粛清する」

 

ステインが飯田に向けて無慈悲な刃を振り下ろそうとした、その瞬間だった。

コツ、と静かに、しかし妙にクリアな足音が路地裏に響く。ステインは鋭い本能で刃を止め、乱入者の方向へと狂気的な眼光を向けた。

 

夜闇のなか、現れたのは顔を白いレースのヴェールで覆った、厳格な黒い修道服の女性――祈だった。

 

「……何だ、お前は」

 

ステインの動きがピタリと止まる。彼は私利私欲のためにヒーローを騙る「偽物」を極端に嫌悪するが、目の前に佇む彼女からは、名声も、富も、自己顕示欲も、利己的な欲求が一切感じられない。ただ他者の救済のためだけにそこに立つ、不気味なほど純粋な博愛の気配。

だが、ステインの視線は、彼女の純黒の襟元に覗く「公安の黒い電子首輪」を目ざとく捉えた瞬間、激しい不快感へと変わった。

 

「富も名声も持たぬ聖女か。だが、その首の鎖は何だ。歪んだ社会のシステムに魂まで飼い慣らされた、ただの操り人形か」

「……はい。私は皆様のお役に立つための、使い勝手の良い便利な道具です。ですが彼らを傷つけるというのなら、私は救護員として、あなたを排除しなければなりません」

 

祈はいつもの穏やかで非の打ち所がない微笑みを浮かべたまま、静かに黒い袖を捲り上げた。

 

「神代先生……ダメだ、逃げて……! そいつに少しでも血を舐められたら、身体が動かなくなる……ッ!」

 

地面に這いつくばったまま、緑谷が必死の悲鳴を上げる。だが、ステインの行動は最速だった。祈が袖を捲り上げた一瞬の隙を突き、超人的な抜刀術で彼女の白い頬をかすめ、一滴の鮮血を奪い取る。

 

そして、その血が付着した刀を躊躇なく自身の舌で舐めとった。

 

「動くな、操り人形。そこで自分の不自由さを呪え」

 

ステインが冷酷に言い放つ。緑谷も飯田も、彼女が自分たちと同じように絶望の呪縛に囚われたと確信し、絶望に目を見開いた。

 

しかし――。

祈は、ピクリともその身体を硬直させることはなかった。それどころか、何事もなかったかのように静かに一歩、また一歩とステインに向かって歩みを進める。

 

「……な、に……!?」

 

ステインの顔が、生まれて初めて見るような驚愕に歪んだ。確実に血液を摂取した。自身の個性『凝血』は完全に発動しているはず。それなのに、なぜ目の前の女は平然と動いている。

 

驚きに目を見張るステインと、地面からそれを見上げる緑谷たちの前に、祈はそっと自らの手のひらを翳し、凛とした声で静かに告げた。

 

「……ごめんなさい、私に『状態異常』の個性は効かないのです」

 

(現世の理を書き換える私の異能は、私自身の肉体の細胞さえも常に一分子単位で『完治』し続けている。神経を麻痺させるような外部からの強制的なバグなど、私の肉体が1ミリ秒と持たず融解し、正常な状態へと書き換えてしまう)

 

それは、彼女の圧倒的なスペックの高さがもたらす、絶対的な強者の証明だった。自らを道具と言いながら、世界のルールそのものを無視して歩んでくる姿に、ステインの背筋に初めて本能的な悪寒が走る。

 

「歪んだ社会……! 英雄を気取る偽物ども、解き放たれながらもシステムを騙りお前のような道具を飼い慣らす公安……! 全ては、正されねばならん……ッ!」

 

狂叫するステインに対し、祈はレースのヴェールの向こうから、恐ろしいほどあっさりと、冷徹な事実を言い放った。

 

「オールマイトはあなたを殺しませんよ、彼はヒーローですから」

「何……?」

「どれほど身勝手な理屈であろうと、どれほど歪んだ信念であろうと、彼は命を奪わない。それが、あの方が世界に示し続けた『平和の象徴』という名の呪縛です」

 

迷いのない声。

しかし、その言葉に宿るどこか底暗い響きに、地面に倒れる緑谷の背筋が微かに凍りついた。祈は一歩、ステインに向かって歩みを進める。首元の黒い電子首輪がピピッ、と静かに発光していた。

 

「力を持たない者でも、誰もがヒーローに憧れる。ヒーローは見返りを求めてはいけない……。それは、この世界が強いる美しい大前提です。……けれど」

 

そこで言葉を区切り、ほんの一瞬だけ、その完璧な微笑みをその顔から消し去った。

ヴェールの向こうの瞳に宿ったのは、現世の不条理をすべて見下ろすような、暗く、昏い、どこか虚無に満ちた眼光だった。

 

「――けれど、その善意を搾取されるべき存在ではないと、私は思うのです」

 

(見返りを求めず、ただ誰かのために傷つき、肉体を削り、記憶を失い、それでもなお『お守り』という名の黒い鎖に繋がれて都合のいい道具として消費され続ける。そんな不条理が、現世の理として許されていいはずがない)

 

それは、エリアス神父によって完璧な聖人として仕立て上げられている彼女が、心の最奥に隠し、押し殺し続けてきた、世界への怨嗟にも似た「本音」の片鱗だった。いつも穏やかな笑顔で人を救う彼女の、あまりにも暗い側面。

 

その瞬間、ステインは大きく目を見開いた。彼女がただのシステムの人形ではなく、その奥底に自分以上の、世界に対する昏い絶望と歪みを抱えていることを、その鋭い本能で察知したのだ。

 

「お前、は……!」

 

ステインが何かを叫ぼうとしたその時、路地裏の壁を激しい炎が焼き焦がした。

 

「緑谷! 位置情報だけ送られても困るんだよ、……って、神代先生!?」

 

炎を放ちながら乱入してきたのは、轟焦凍だった。

地面に倒れる緑谷と飯田、そしてその中央で、黒い修道服を纏って「ヒーロー殺し」を言葉と存在感で圧倒している雄英の救護補佐の姿に、轟はオッドアイの瞳を大きく見開いた。

 

直後に駆けつけたエンデヴァーやプロヒーローたちの怒号が響き渡り、激闘の末ステインは逮捕された。保須市の長い夜は終わった――はずだった。

 

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

 

数日後。ネットの裏社会、そして表のメディアをも巻き込む大激震が世界を駆け巡った。

ヴィラン側のブローカーであるギランの手によって、ステインの生い立ちや苛烈な思想をまとめた編集動画がネット上に公開され、爆発的に拡散されたのだ。だが、その動画の後半、流出した保須市の路地裏の防犯カメラ映像が組み込まれていた。

 

そこには、ステインの『凝血』を無効化し、「私に状態異常は効かない」と言い放つ黒い修道服の女の姿。

そして、夕闇のなかでヴェールを揺らし、いつも穏やかな笑顔で人を救うはずの聖女が、その完璧な笑みを消し去って、昏い瞳で「ヒーローといえど善意を搾取されるべき存在ではない」と冷酷に言い放つ決定的な瞬間が、鮮明に記録されていた。

 

「この、ステインを圧倒したシスターは誰だ……!?」

「彼女が言っている『善意の搾取』って、どういう意味なんだ?」

「雄英のテレビ中継で見た」

「確かに善意の搾取って言われるといい気分はしないよね」

「でもシスターがそれを言っていいのか」

「努力は報われるべきって言いたいんじゃない?」

「そりゃあそうだ」

「でもさ、だからこそヒーローでしょ」

「平和のための生贄ってこと?」

 

 

動画を見た世間の人々は、体育祭の中継以上に、今度は裏社会のヴィランたち、そして公安をも巻き込む狂気的な騒動へと発展していく。

 

 

 

 

 

 

そして、その動画を、雄英高校の普通科の教室で何度もループ再生しながら、じっと画面を見つめている少年がいた。

 

心操人使である。

 

「……善意の、搾取……」

 

心操の脳裏には、体育祭の時に、自らを「便利な道具」と言い切っていた彼女の異質な姿が鮮明に蘇っていた。

 

人から警戒され、都合よく扱われがちな「洗脳」という個性を持つがゆえに、葛藤の泥水を啜ってきた心操にとって、彼女のその昏い独白は、誰よりも鋭く、深く心に刺さった。

拡散された動画のコメント欄には、皆が彼女を「慈悲深く心優しい聖女」だの「不気味な女」「国家の犬」だの噂するなか、心操だけはあの動画の中の冷酷な眼光に、世界への深い拒絶と歪みを見ていた。

 

(俺と同じだ。いや……俺以上に、この世界に呪われている。なのに、どうしてあんなに優しく笑えるんだ)

 

それは恐怖を通り越した、ドロドロとした歪な執着――憧憬の始まりだった。

 

 

 

 

数日後、職場体験が明け、放課後の静まり返った雄英の廊下。心操は救護室の片付けを終えて歩いてくる、黒い修道服の祈と遭遇する。

 

 

心操は思わず彼女の前に立ち塞がり、声をかけた。

 

「神代先生。……あの動画の言葉、どういう意味ですか」

「心操くん?なにか御用でしょうか」

「…あなたは何を搾取されてるんだ」

 

祈はいつもの穏やかな微笑みを浮かべたまま、静かに足を止めた。

 

「申し訳ありませんが、私には何のことだか――」

 

祈が答えたその瞬間、心操は無意識に、あるいは彼女の仮面を剥ぎ取るために、自身の『洗脳』の個性を発動させた。

 

対話に応じた相手の脳の信号を乗っ取る、絶対的な呪縛。

 

(これで、あなたの本音をぶちまけてもらう――)

 

しかし。

ステインの『凝血』すら瞬時に細胞単位で書き換えて無効化した祈には、心操の精神的なバグすら、脳の神経伝達物質を書き換えることで1ミリ秒と持たず融解させられてしまう。

祈の意識は一切途切れることなく、霧が晴れるかのように洗脳を弾き飛ばし、何事もなかったかのように穏やかに微笑み続けた。

 

「……? どうかなさいましたか、心操くん」

「っ、……嘘だろ……」

 

自分の絶対的な個性が、対話すら拒まれて完全に無効化された衝撃。

 

動画の通りの圧倒的な「強者」としての存在感を至近距離で浴びた心操は、ゾクゾクと背筋を粟立たせながら、どうにもならない彼女を「理解したい」「自分のものにしたい」という強烈な独占欲が大きくなるのを感じていた。

 

国家の檻から解き放たれた聖女の「本音」が世界を汚染し、少年たちの執着をさらにドロドロとした深淵へと引きずり込んでいくのだった。

 

 

 

 




庇護欲を掻き立てられる存在ではあるけれど、実はそんな必要ないくらい強個性だったという話。
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