「悪いな諸君、合宿はもう始まってる」
バスから降ろされ、崖の上から突き落とされた1年A組の生徒たちを待っていたのは、ピクシーボブの個性によって生み出された、現世の生物とはかけ離れた巨躯を持つ「土の魔獣」の群れだった。
「なんだよこれ、冗談じゃねえぞォ!!」
「突っ込んでくる! 防衛陣形を組むんだ、みんな!」
上鳴が悲鳴を上げ、緑谷や飯田がすぐさま迎撃の声を張り上げる。凄まじい地鳴りと共に襲いかかる土の塊に対し、爆豪の爆破や轟の氷結が炸裂し、森の奥深くは一瞬にして硝煙と轟音に包まれた。
――その過酷な戦場を余所に。
生徒たちが落とされた崖の上から、相澤と共に一足先にプッシーキャッツの車へ乗り込んでいた祈は、目的地である山の麓の宿泊施設へと到着していた。
「いやあ、それにしても本当に口惜しいわぁ! 」
「神代先生、私たちの臨時の臨時派遣オファーを本当に蹴っちゃうなんて」
山小屋のテラス席。夕飯の仕込みの合間に、虎、マンダレイが冗談めかしてため息をつく。
実は、職場体験の際に全国から殺到していた祈への救護要請リストのなかには、災害救助のスペシャリストである彼女たちからの熱烈なオファーも含まれていたのだ。崩落や二次災害の危険が伴う過酷な山岳現場において、肉体を分子単位で強引に再構成する祈の異能は、まさに喉から手が出るほど欲しがられるものだった。
「プッシーキャッツの皆様、今回は要請にお応えできず申し訳ありません。ですが、この合宿期間中、救護補佐として皆様を全力でお支えいたしますね」
祈はレースのヴェールの向こうから、いつも通り穏やかに微笑む。
オールマイトが開発部に特注させてプレゼントしてくれたこの衣装は、本当に動きやすかった。異能の出力を動かす際の肉体的負担がほとんどないうえ、飛んだり跳ねたりの移動が楽なのだ。上限の上がった首輪が静かに青白く明滅するなかで、祈はご機嫌な様子でマンダレイたちのために温かいお茶を淹れていた。
「うふふ、いい子ねぇ! でもその衣装、すっごく素敵!動きやすそうなのに神聖で、その大胆なスリットから覗く生足なんて、ちょっと目の毒なくらいだわ!」
ピクシーボブが爛々とした肉食獣のような瞳で祈の足元を凝視する。「衣服の機能性が高く、本日はとても身体が軽くて機能的なのです」と、嬉しそうに特注の円環の杖を傍らに立てかけた。
「……神代。あいつらが着くぞ。先ほども言ったが、今回は死にかけるような重傷でもない限り、お前の個性で手出しをするのは禁止だ。あいつらを甘えさせるな」
腕を組んで森の境界線を見つめていた相澤が、厳しい声音で告げる。今回の合宿の目的は、生徒たちの個性のキャパシティを限界まで引き上げるための猛特訓。一日に何度も肉体をリセットできる祈の異能は、生徒たちの『限界(成長の機会)』を奪いかねない劇薬でもあったのだ。
「はい、相澤先生。無闇に個性は使わず、皆様を見守らせていただきますね」
太陽が西の山並みへと傾き、夕暮れの茜色の光が山小屋の前庭を赤く染め上げる頃。
森の茂みがガサガサと激しく揺れ、そこから文字通り満身創痍の極限状態に達した1年A組の生徒たちが、生ゴミのように泥まみれで這いずり出てきた。
「はぁ、……っ、はぁ……! クソが……、何体いやがったんだよ……ッ!」
爆豪が焦げ付いた腕を震わせ、地面にへばりつく。全員が指一本動かす体力すら残っていない凄惨な状態だった。
だが、そんな限界を迎えた生徒たちの目に飛び込んできたのは、汚れ一つない純白のレースのヴェールと、白黒の戦闘服を纏い、夕日に照らされて神々しく輝く生足を晒しながら、優雅にお茶のカップを手に佇んでいる祈の姿だった。
「無事にご到着されて何よりです、皆様。本当にお疲れ様でした。実に見事な突破でしたね」
祈が上機嫌に円環の杖をトントンと地面につく。
そのあまりにも優雅な聖女の佇まいに、地面に倒れ伏していた生徒たちの間に、奇妙な期待が訪れた。
「……あ、女神様だ……。俺、ついに過労で三途の川の向こうのお茶会に招待されちまったんだ……。神代先生、今すぐその神聖な白光で、俺の筋肉痛を消し去ってくれ……」
上鳴が白目を剥きながら神代の生足を拝むように両手を合わせる。
「うおーーーーーい!! 神代先生ぇぇぇ!! 俺たちが泥水を啜って魔獣と戦ってる間に、何でそんな優雅に美しく待っててくれてんだよおおお!! 頼む……っ、その生足で今すぐ俺の薄汚れた顔を踏みつけて、その後に最高のご褒美治療をくれぇぇぇ!!」
這いつくばった姿勢のまま、峰田が鼻血を噴き出しながら狂喜乱舞した。当然、蛙吹の容赦のない舌で地面に叩き伏せられたが、蛙吹自身の身体も疲労でガタガタと震えていた。
いつものように、祈がその美しい両手を広げ、現世の理を書き換える純白の光を放ってくれる――誰もがそう確信し、甘えの視線を向けた、その瞬間だった。
祈はそっと杖を胸元に抱え直すと、困ったように首を傾げ、いつもの穏やかな微笑みのまま静かに告げた。
「申し訳ありません、皆様。相澤先生との合理的な協議の結果、今回の合宿では、皆様が『死に至るような致命傷』を負わない限り、私の個性による治療は行わない方針となりました。皆様の筋肉の微細断裂や打撲は、個性のキャパシティを広げるための重要なステップですので、笑顔で見守らせていただきますね」
「「「ええええええええええええっ!!!?」」」
山小屋の前に、生徒たちの絶望の絶叫が響き渡った。一瞬にして体力を回復してもらえるという目論見が外れ、泥まみれのまま自力で夕食の「カレー作り=自炊」という過酷な試練に直面させられた現実に、上鳴や峰田が白目を剥いて沈没していく。
「嘘だろ……魔獣の森を走らされた後に、カレー作り……!?」
「これも訓練の一環なんだね! どんな時でも最高のパフォーマンスを発揮するための……!」
包丁を握る力もなく涙目を浮かべる面々の中、山小屋の厨房の勝手口から、何とも言えない、およそキャンプのカレーとは一線を画した神聖でどこか現実離れした素晴らしい香りが漂ってきた。
「皆様、カレーの仕込み、お疲れ様です。……こちらは、皆様の明日の数値を底上げするために、私が用意させていただいたスープです」
純白のレースのヴェールを揺らし、白黒の戦闘服の裾を軽やかに翻しながら現れた祈。その手には、大きな寸胴鍋が抱えられていた。
彼女が作ったのは、長年の監禁生活のなか、あの真っ白な地下で自らの異能の出力を一分子単位で管理する猛特訓の合間に、自身の僅かな健康(数値を整えること)のためにだけ公安の調理器具で作ることを許されていた、透き通るような特製の薬膳ハーブスープだった。
「う、うおおおおおおおおお!! 神代先生の手料理ィィィ!!」
当然のように、本日二度目の血涙を流さんばかりの勢いで峰田が吠えた。
「あの清楚で完璧なお姉さんが、俺たちのために夜なべしてコトコト煮込んでくれた特製スープ……! 匂いだけで俺の穢れた煩悩が浄化されていく……っ! これは愛の結晶だ!! 俺の胃袋ごと、先生の料理の材料にしてくれぇぇぇぇええ!!」
「峰田ちゃん、お仕事の手伝いだって言ってるじゃない」
安定のスピードで蛙吹に舌で叩き伏せられる峰田。しかし、麗日や芦戸、切島たちも、差し出されたその透き通るようなスープを一口啜った瞬間、一斉に目を見開いた。
「なにこれ……! 身体の芯から、すっごくポカポカしてくる……!」
「旨みが凝縮されて、舌の上で香りとともに爆発しますわ…!!」
「うめええええ!! 疲れが、泥のように溶けていくみたいだ……!」
相澤からの命令通り、今回は直接の治療を完璧に封印している神代。だが、彼女の底知れない完璧主義は、「直接個性をかけられないのなら、個性のエネルギーを極限まで精密に溶け込ませた食事で、内側から細胞の数値を微調整すればいい」という、極めて合理的かつ規格外の斜め上のアプローチを叩き出していたのだ。
それは治癒の光ではない。けれど、スープを胃袋に流し込んだ瞬間から、筋肉の奥の乳酸が急速に分解され、瑞々しい活力が内側からじわじわと組み上がっていく。
「神代先生……。これ、スープの中に、微量に個性の残滓が流し込まれてるんだ……。僕たちのために、首輪の制限をかいくぐる方法を、こんな形で……」
器を見つめる緑谷出久の瞳に、激しい衝動と歪な歓喜が宿る。相澤先生の目を欺き、公安のログを誤魔化しながら、自ら進んで自分たちに「内側からの救い」を分け与えてくれた。やはり彼女は、僕たちを、僕を特別に想ってくれている――緑谷の脳内で、彼女をこの黒い鎖から救い出したいという救済欲求は、いよいよ引き返せない深淵へと根を張っていく。
「チッ……どこまでも甘っちょろい真似しやがって、誰が頼んだよ、クソババァ……」
爆豪は乱暴にスープを煽りながら、フイッと顔を背けた。だが、喉を通り抜ける圧倒的な温もりと、そのスープを淹れている彼女の白黒の戦闘服の生足の神々しさから、どうしても視線を完全に外すことができない。自分たちをただ突き放すのではない、その奥にある歪なまでの献身に、彼なりの不器用な独占欲の炎がさらに激しく逆立っていた。
一方で、スープを静かに口に運んでいた轟焦凍は、隣で相澤が「……やれやれ、手出しは禁止だと言ったんだがな」と苦笑しながらも、祈の「合理的な職務」を黙認している姿を冷徹に観察していた。
「(――ずずず……。まぁ、これは確かに美味いな……)」
生徒たちの喧騒から一歩離れたテラスの特等席で、相澤消太は支給されたマグカップを傾け、祈の作った薬膳スープを静かにすする。
口内に広がる五臓六腑に染み渡るような温もりと、身体の芯から疲労が抜けていく感覚。相澤は、白黒の新しい戦闘服(生足)を揺らしながら生徒たちにスープを淹れている彼女の穏やかな横顔を一瞥し、ふと、ある「確信」を抱いて内心でニヤリと笑みをこぼした。
(オールマイトがこの状況を知ったら、嫉妬と羨ましさで死ぬほど悔しがるだろうな……)
あの大柄な男が、自分の特注した戦闘服を着てご機嫌な彼女の姿を見られず、しかもその手料理スープを自分たちばかりが先に堪能していると知ったら、間違いなく雄英の居残り部屋で劇画タッチの血反吐を吐いて卒倒する。平和の象徴のそんな情けない顔を容易に想像しながら、相澤は引率の特権を存分に味わうように、再びスープを一口すするのだった。
自己紹介の時の首輪の違和感、そして先日、姉の冬美から聞いた「不思議と懐かしい気持ちになる」という言葉。そして、システムの裏をかいくぐって騙し通してみせる、この黒き聖女の圧倒的なスペックの高さ。
(神代祈……。あんたは一体、この雄英で何を隠しているんだ……)
まだ執着には至らないものの、轟のなかでも、彼女という巨大なバグに対する客観的な関心の秒針が、確実に、深く刻まれていくのだった。
山小屋の窓の外、夕闇が宿泊施設を包み込み、合宿初日の過酷な幕が下りる―――
憧れのおねえさんは大体初恋泥棒。
実はおねえさんじゃなくておばあちゃんレベルなんだけど、見た目が若いからバグを起こしているという。