神様にはなれない私たち   作:琴ノ葉しずく

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ヒーローは遅れてやってくる。
ただし音速で。


第41話 ゴミ屑どもへ、

 

 

 フラッシュの白い光が、逃げ場のない罪人の処刑台のように激しく焚かれていた。

 日本中が、いや世界中が固唾を呑んで見つめるテレビの生中継。画面の向こうでは、相澤をはじめとする雄英高校のトップ陣が、深々と頭を下げて世間からの激しいバッシングを一身に浴びていた。

 

 世間が知っているのは、ヒーロー科の生徒である爆豪勝己が拉致されたという事実だけだ。だが、その華やかな謝罪劇の裏側で、国家最高機密である神代祈という「純白の盾」がヴィラン連合の手に落ちたという最悪の国家危機が進行していることを、テレビの前の視聴者は誰も知らない。

 

 公安の中枢、外界の熱気から隔離された薄暗い一室。

 ホークス――鷹見啓悟は、いつもの飄々とした笑みを完全に消し去り、据わった瞳でデスクの上の通信機を睨みつけていた。

 

 画面に表示されているのは、祈の首元の電子首輪が最後に吐き出した、真っ赤な『警告』のログデータ。他者の個性を触媒なしで操作したことによるバイタルの急激な制限。そして、神野区の遮蔽空間に入ったことで、現在地を示すGPSが完全に途絶えた瞬間のログ。

 

「……やっぱり、雄英じゃおねえさんを守れなかったじゃないですか」

 

 掠れた声音。背中の紅の羽が、主の胸の内に渦巻く激しい焦燥感と独占欲に呼応して、ギリィ、と不快な音を立てて波打っている。

 いつもならオールマイトのうるさすぎるガチ恋データにドン引きする余裕があった。筑紫がこれを見ていたらまた壁を殴ってブチギレるんだろうなと、懐かしむ余裕さえあった。だが、彼女の個性を制限され、敵の巣窟でボロボロに損なわれているかもしれないという客観的な現実は、最速の男の理性を限界まで削り取っていた。

 

 パチン、とホークスが指を鳴らす。

 最速の羽の特権をフルに使い、途絶える直前の電波の指向性と公安の裏データを強引に照合させ、神野区にある敵アジトの『正確な座標』を割り出したのは、彼が本気を出してからわずか数分後のことだった。

 

 公安のドロドロとした大人の事情を待っていては、あの人が壊れてしまう。

 けれど、自分が今すぐ現職のナンバー3として神野へ単身突っ込めば、諜報員という身分だけではなく、公安の檻そのものが崩壊しかねない。

 

「……だったら、一番都合のいい『弾丸』に、今すぐ行ってもらうだけだ」

 

 ホークスは冷徹に呟くと、デスクの上の特設回線の受話器を掴み取り、雄英の謝罪会見の裏で、拳を握りしめて待機しているはずの「あの男」へとダイレクトに暗号通信を繋げた。

 

 

 

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

 

 

 

 雄英高校の待機室。

 大柄な体躯を保ったまま、テレビに映る相澤たちの謝罪会見を静かに見つめていたオールマイト――八木俊典のポケットのなかで、公安から支給された専用の端末が、ブー、と短く震えた。

 

 画面に表示されたのは、発信元不明の秘匿コード。

 通話ボタンを押し、耳元に宛てた瞬間、スピーカーの向こうから聞こえてきたのは、いつもより遥かに低く、昏い熱量を孕んだ最速の男の声だった。

 

『――もしもし、オールマイトさんですか。お仕事中にすいませんね』

「……君か。悪いが、今は…」

『単刀直入に言います。……神代祈の居場所、神野区の古いアジトの座標を今からそっちの端末に送ります』

 

 ドクン、と、オールマイトの心臓が、平和の象徴としての仮面を叩き割るほどの衝撃で跳ね上がった。

『彼女の首輪のログが、最悪な数値を叩き出した後に途絶えました。今、あそこで個性を制限されて、よくわからない男にボロボロに嬲られてる。……ねえ、オールマイトさん。あんた、毎日おねえさんの無事を祈って、遠くから見つめるだけで過呼吸になってる、世界で一番重いガチ恋拗らせたモブおじさんなんでしょう?』

 

 ホークスの、どこか挑発的で、けれど張り裂けそうなほどの焦燥に満ちた聲音。

 自分のことなどミリ単位も覚えていない悲惨な失恋の現実。彼女に救われたあの夜の対価として、自分の記憶だけをピンポイント忘却した純白のシスター。

 スピーカーの向こうのホークスは、あえてそのオールマイトの最も深い傷口を抉りながら、冷酷に、けれど絶対的な信頼を込めて告げたのだ。

 

『公安のノロマな連中が動くのを待ってたら、僕のおねえさんが本当に道具として壊れちゃいそうなんで。……だから、世界最強のヒーロー様。今すぐそこへ行って、すべてを置き去りにして、あの人を力ずくで助け出してくれませんか』

「…………」

 

 オールマイトは何も答えなかった。

 ただ、彼の窪んだ眼窩の奥の瞳には、平和の象徴としての光ではない――世界で一番愛おしい彼女を今なお救えていない己の無力さへの絶望が反転した、剥き出しの「激怒」と「殺意」が爆発するように灯っていた。

 

「――ああ。言われるまでもないさ」

 

 ピッと通信が切れると同時に、端末に表示された神野区の正確な座標データ。

 最速の羽から託されたその秒針を睨みつけ、血の海を滾らせた世界最強の男は、大切な人の手を三度離さないため、そしてあの愛おしいお人形を汚したゴミ屑どもを世界の果てまで殴り飛ばすため、神野の決戦へと向けて静かに、けれど誰よりも苛烈に動き出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

 

 

 

神野区にあるヴィラン連合の地下アジト。

 

 本来であれば、それは警察や名だたるプロヒーローたちが綿密な作戦を組み、爆豪勝己やラグドール、技術的に神代祈の身の安全を最優先に確保しながら一斉に急襲するはずの「組織的な救出作戦」になるはずだった。しかし、世界最強の男の激情は、そんな大人の都合や足並みを待ってやれるほど生易しいものではなかった。

 

 

 ――ドォォォォォォン!!! と。

 

 バックドラフトを引き起こしたかのような凄まじい風圧と、天地を割るような大爆音。

 救出部隊のプロヒーローたちをすべて遥か後方に置き去りにし、ただ一人の男が、文字通り『嵐』そのものの勢いで神野の街を音速で翔け抜け、アジトの頑強なコンクリート壁を外側から木端微塵に粉砕したのだ。

 

「が、あ……っ!?」

「な、んだぁ……ッ!?」

「ひえ……!!!」

 

 立ち込める硝煙と瓦礫の向こうからゆっくりと姿を現したのは、誰もが待ち望んだ、世界最強のプロヒーロー。

 

 だが、その場に現れたオールマイトの顔には、万人を安心させるための眩いアメリカンな笑みは1ミリも存在しなかった。彼の窪んだ眼窩が探していたのは、ただひとり。床に血まみれで倒れ伏し、衣服を引き裂かれて完全に意識を失っている祈の、痛々しい姿を捉えた瞬間――全盛期さながらの、「殺意」と「激怒」剥き出しにしたのだった。

 

(ああ、神代さん……。私は、また君を救えなかったのか)

 

 平和の象徴、正義の味方……。そんな欺瞞の栄光に塗れて輝いている裏で、いつでも、こうして理不尽な悪意にその身を磨り潰されていたというのか。

 

(私を忘れた君を、遠くから見つめることしかできなかった己の無力さが、これほどまでに憎い。お前たちのようなゴミ屑どもに、彼女のその気高き純白を汚されてたまるものか。お前たち全員、存在ごと肉体を塵に換えてくれる――)

 

 心の中を満たすのは、笑い話のような恋煩いなどでは断じてない。彼女を二度も救えず、守ることもできなかった己の無力さが、ドロドロとした黒い狂気の殺意となって大爆発していた。彼女がステインに言い放った「オールマイトは人を殺さない」という言葉が、今は嘘のようだった。

 

 それは、そばで縛り付けられていた爆豪や、首を掻きむしる死柄木たちが、本能的な「死」を察知して完全に背筋を凍らせるほどの、圧倒的なプレッシャーだった。

 

「――私の目の前で、彼女に、神代さんに触れるなァアアアッッ!!!!!」

 

 轟音。

 オールマイトの放った拳圧だけで、アジトの構造物そのものが消し飛び、荼毘の纏っていた青い炎ごと、彼の肉体が反応する暇さえなく背後の壁へと強引に叩きつけられた。ステープラーが弾け飛び、荼毘が白目を剥いて一瞬で昏倒する。

 

「黒霧、ワープ――」

「遅い!!!」

 

 死柄木が叫ぶよりも早く、オールマイトの「ただ焼き尽くす」ような超暴力の連撃がアジトを蹂躏した。オールマイトに対抗できる力を持つはずの脳無の個性の限界値を力ずくで叩き潰し、神野の街の区画ごとヴィラン連合の巣窟を更地へと変えていく。

 それはプロヒーローの救出劇ではない。一人の男が、最愛の女性を汚された怒りで世界を圧砕していく、狂気的なまでのワンマンショーだった。

 

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

 ――そして、嵐のような圧倒的な暴力の時間が終わりを告げた。

 

 遅れてプロヒーローたちが突入してきた頃には、神野の街は広大に陥没し、ヴィラン連合の主要メンバーはすでに半壊していた(あるいはオール・フォー・ワンの残滓と共に撤退していた)。

 

爆豪も、意識を取り戻したラグドールも無事に保護されたが、一番近くで発見された祈の肉体の惨状は、凄惨という言葉すら生ぬるいものだった。

 

「これは……! 治癒の個性が、まったく働いてない……!?」

 

駆けつけたリカバリーガールが、必死に手を翳しながら驚愕に声を震わせる。

 衣服は無残に引き裂かれ、露出した白磁の肌はどす黒い皮下出血と青炎の爛れ、酷い炎症、皮膚の下の肉が剥き出しにされ、そして何度も叩きつけられた頭部は打撃の傷で覆われ、体中が血まみれになっていた。触媒を失った状態での個性行使の反動による制限。本来ならば誰よりも早く完治するはずのその肉体は、ただの脆弱な一人の人間の女として、暴力の質量をそのまま受け止めてしまっていた。

 

医療のプロであるリカバリーガールの手による応急処置さえ、あまりの負荷の重さに一向に追いつく気配がない。

 

「神代さん……っ、」

 

 オールマイトはその震える大きな両手で、救護班から手渡された厚手の毛布を広げると、壊れ物を扱うかのような手つきで、祈のボロ切れのようになった小さな体をそっと包み込んだ。そして、胸が張り裂けんばかりの痛みを堪えながら、静かに彼女をその胸へと抱き上げる。

 

 じわり、と。

 包み込んだ純白の毛布の表面に、祈の体中から溢れ出る鮮血が、痛々しく赤黒い染みとなって広がっていく。

 その血の温もりと重みを感じるたびに、オールマイトの瞳の奥には、平和の象徴としての光ではない、狂気的なまでの誓いがドロドロと昏く燻っていった。

 ヘリのフラッシュ、地上波の生中継のカメラが、ボロボロになった世界最強の背中に向けられている。だが、そのカメラの前に立つオールマイトの大きな身体は、ひどく重々しく、自由を奪うほどの深い自責の念に沈んでいた。

 

(私は……何をやっているんだ。平和の象徴でありながら、私情の、怒りに身を任せて、これほどの被害を出してしまった。もし一歩間違えれば、爆豪少年や、彼女の肉体をも私の拳圧で消し飛ばしていたかもしれない。……私は、もう限界だ。ヒーローとしての資格が、彼女の存在を前にすると、完全に狂ってしまう……)

 

 ワンフォーオールの灯火はまだまだ現役でも戦えるほどに強力だが、そもそも肉体の限界も近い。そして何より、祈のことになるとプロとしての理性を保てなくなってしまう己の歪な精神性への、痛烈な自責。

 

 オールマイトはゆっくりと右腕を上げ、全国へと生中継されているカメラのレンズへと、その鋭い指先を向けた。

全人類が息を呑んだ、伝説の引退宣言。

 

「次は、君だ」

 

 世間はそれを、「これからは次世代のヒーローの時代だ」という、平和の象徴からの美しいバトンタッチだと受け取り、日本中が大号泣した。

 

 

(――私は今日、ヒーローとしての仮面を捨てる。これからはただの『八木俊典』という一人の男として……。

 もう二度と遠くから見つめるだけのモブで終わらせはしない)

 

 

 世界中が感動の渦に包まれるなか、一人の男の重すぎる一方通行の恋心は、ヒーローの引退をキッカケにして、すべてを最悪で最高の混沌へと狂わせながら、本格的な「強奪(ストーカー)モード」へと脱線していくのだった。

 

 

 

 




オールマイトは勝手に動く(暴走する)
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