神様にはなれない私たち   作:琴ノ葉しずく

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第45話 モルモットの告白

 

「……神代祈さん。あなたの一番古い記憶を教えてください」

 

 次の瞬間、祈の脳内で、心操の放った『洗脳』の電流がパチリと上書きされた。意識の向こう側、彼女の首がかくりと傾いた。心操の脳内には彼女の深層心理へと繋がった冷たい手応えが流れ込み、患者衣を纏った祈の薄い唇が、乾いた声音をぽつり、ぽつりと紡ぎ出し始めた。

 

「――私の両親は、とある宗教の敬虔な信者でした」

 

「最初は、良かったのです。弱い人達を助け、神に祈り、人と助け合う毎日。穏やかで、何も恐れるものはありませんでした。……でも、個性が異能と呼ばれる時代に、私が個性による奇跡を起こしてしまいました。それは私が、齢二歳のころのことです。差別を恐れた両親は、私を『神の子』として教団に祭り上げました。そこから、すべての歯車が狂い始めたのです。

 

加減を知らない私の異能は、幼い私自身から代償を貰うのではなく、周囲の人間から生と死の循環を繰り返すことで、奇跡を起こし続けました。私の唾液を、血液を、爪を、涙を、教団の人間は集め、貪りました。どのような効果があるのかは知りませんでしたが、父親は、私の力がもたらす金に目が眩んでいきました。

 

母親は…狂っていく教団から私を逃がそうとしました。けれど、それを阻止しようとした父親と、信者たちが、私の目の前で母親を殺そうとしたのです。それを目前で見ていた私の個性が、暴走しました。信者たちの個性も混じって、大規模な火災と大爆発が起き、建物と周囲の人間をすべて巻き込んで……私は一度、死ました。私は自分の肉体を蘇生させるためのリソースだけで手一杯になり、他の方々を繋ぎ止めることはできませんでした。その教団事件での生存者は、私ひとりだけ。公安は、この事件を個性暴走による事故として処理し、私を被害者として保護したのです」

「保護…?」

「はい、幼い私にとって公安での生活がすべてでした。一般的な勉強や教養の他に、定期的に『健康診断』と称される人体実験がなされました。一回目の隔離では、主に個性をなるべく使わせないための検証と、私の個性因子と体がどのように結びついているのかを調べられていたのだと思います。私は、何も感じない無垢な人形のふりをして、毎日をただやり過ごしていました。そんなある日、エリアスと名乗る神父様が私を迎えに来てくれたことで、生活が一変しました。エリアス神父様は、私に何も求めませんでした。ただ食事をして、祈って、掃除をして、眠って、お話をして、食事をしてまた眠る。

『おはよう』

『おかえり』

『おやすみなさい』

『いただきます』

そんな普通を、私に教えてくれた人でした。私は、その穏やかな日々に満足していたはずだったのです。

 

……けれど、神父様が病気で亡くなりました。ご高齢でしたから、仕方がないことだったのだと思います。彼の遺品を整理をしているときに出てきたのは、私のことを『実験動物』として、細かく観察し、記録していた日記でした。私は、絶望しました。そこへ、筑紫聡様との出会いがありました。無気力だった私を、また人の生活へと引き戻してくれた、とても口の悪い公安のお目付係。素直じゃない人でしたけれど、公安への定期連絡をごまかしてまで、私の生活を何よりも優先してくれた。感謝しかありません。筑紫様は、ある日、幼い啓悟くんを連れてきました。小さくて、とても可愛いお子さんでした。ふわふわの赤い翼がとても綺麗で……よく、抱きしめて一緒に眠りました。温かくて、とても幸せな気持ちになりました」

 

 そこまで淡々と語り続けた祈の言葉が、ある特定の記憶の領域に差し掛かった瞬間、明確にピタリと詰まった。首元の黒い電子首輪が、急激なバイタルの乱れを感知して明滅し始める。祈は虚ろに目を開き、混濁する脳内から引き裂かれた過去を無理やり手繰り寄せるようにして、再び唇を震わせた。

 

「ある日夕食を食べているときのこと……オールマイト様が、緊急で運び込まれたと連絡がありました。そう、オールマイト、様だったはず。いつも物陰から私を見ていて、それに対して筑紫様が怒っていたのをよく覚えております。オールマイト様のお怪我は、命に関わるものでした。私はいてもたってもいられず、制止する手を払い除け、個性を使ってオールマイト様を死の淵から呼び戻し―――そして、また―――死んだのです」

 

「それから、また気が付けば白い檻の中にいました。今度は個性の使い方を学びました。個性の限界とは、私の体を切り刻んだうえで、他者に対してどこまで影響を及ぼすことができるのか……。私の細胞組織を使って、国の上層部に取り入ることもしていたようです。気が狂うかと思うような時間の中で…痛みを伴う実験には、ハイドが私の中から痛みを消してくれました。ですが、何をされているのかはわかります。細胞組織をどんなことに使っていたのかは知りませんが…どこまですれば死ぬのか、死の間際の反応、死亡寸前の人間を生存状態に持っていくまでの過程まで、事細かく観察されました。科学者らしい人たちにとって、私は死なない優秀なモルモットでした。医療行為とは程遠い実験を毎日受けて眠りにつく、昼も夜もわからない、そんな日々でした。そのうち私の細胞組織だけではなく、感情によって個性の出力が変わることも発覚し、また別の実験をするようになりました」

 

 心操は、息を呑んだ。

 

「それ、は…」

「彼らにとって、それは必要なことだったのだと思います」

「でも」

「いつの間にか、私は『愛』というものがわからなくなりました。両親は私を愛してくれていたのでしょうが、私にはその愛がわからない。公安での生活も、間違いなくひとつの『愛』の形なのでしょう。エリアス神父様の『愛』の形はとてもわかりやすいものでしたが…今でも、わからなくて……私も、オールマイト様のような温かな『愛』を持つことができれば良かったのに」

 

そこで祈は話を区切った。

 

「…それが、今の私につながっています」

 

 まるで、長い長い人生の年表を読み上げ終えたように。

 心操は、しばらく何も言えなかった。ただ、目の前のあまりにも悍ましく、無機質な地獄の記録に、全身の血の気が引いていくのを感じていた。

 そしてようやく。

 

「……神代先生」

「はい」

「今の話」

「はい」

「全部……自分で『普通』だと思ってたんですか」

 

 祈は、洗脳の霧のなかで、少しだけ考えるように沈黙した。

 

「……普通ではないんでしょうか」

 

 心操は、ゆっくりと目を閉じた。

 やっぱり。この人は。自分がどれだけ酷い目に遭ってきたのかを、ちゃんと理解していない。理解していないというより、理解する必要がないほどに、その地獄がこの最高機密にとっての長い長い「日常」そのものだったのだ。

 心操は、脳内で繋がっていた洗脳の糸を、静かに解除した。

 パチリと、祈の瞳にいつもの機械的な博愛の光が戻る。

 

「……今日は、ここまでにしましょう」

「まだ全部思い出していませんよ。オールマイト様のことも……」

「それでもです」

「……心操くん?」

 

 祈が不思議そうに、小さく目を瞬かせた。

 

「これ以上は、俺が聞きたくない」

「……聞きたくない?」

「はい」

 

 心操は少しだけ俯き、ポケットの中で拳を固く握りしめた。

 

「あなたを傷つけるかもしれない記憶を、俺の個性で無理やり引っ張り出すのが……嫌です」

 

 祈は黙った。彼女の深く昏い瞳が、少年のぶっきらぼうな優しさをじっと見つめている。そして。

 

「……優しいですね」

「違います」

 

 心操は小さく首を振った。

 

「俺が、怖いだけです」

「何がですか?」

「これ以上、過去を知ったら。……俺が、あなたを可哀想な人だと思ってしまいそうで。それが、怖いです」

「……、」

「でも、俺が勝手に決めることじゃないですから…続きを知りたいなら、また今度にしましょう」

 

 祈はしばらくの間、静かに黙っていた。

自分の中のハイドは―――私を生かそうとする。忘れた記憶についても防衛本能が働いたせい―――自らを完璧なシステムと言い聞かせてきた彼女の胸の奥底。けれど、この目の前の少年は、自分の過去を哀れむのではなく、今ここにいる自分の意思と尊厳のすべてを守ろうとしてくれている。

 

あまりにも普通とはかけ離れた人生。

 

けれど、祈の心は最後まで穏やかだった。怒りも、恨みも、悲しみさえもなかった。

まるで遠い昔の誰かの話をするように、自分の口から語られる過去を、他人事のようにただ聞いていただけだったのだ。

 

心操は、そんな祈の様子をそっとうかがった。

 

「――――」

 

いつもの祈と、何も変わらない。

 

そう思ったのだが、ぽたりと一滴、そしてまた一滴と祈の頬を、涙が静かに伝っていた。

 

「……」

 

心操は息を止めた。祈は、自分が泣いていることに気づいていない。

 

「……神代先生」

「え?」

 

祈が心操の視線を追って、自分の頬に触れる。

指先が濡れた。

 

「……ああ」

 

祈は少しだけ目を丸くした。

 

「ごめんなさい……どうしてでしょう」

 

慌てる様子もなく、ただ不思議そうに涙を拭う。

 

「辛い話をさせてしまって、すいません」

 

心操が言うと、祈はゆっくり首を横に振った。

 

「違うんです」

「……え?」

 

祈は自分の頬を伝う涙を、もう一度指先で拭った。

 

そしてほんの少しだけ照れたように笑った。

 

「心操くん、これは、聞いてもらえて嬉しい涙です」

「……」

 

心操は言葉を失った。

 

「今まで、こういう話を誰かにしたことがなかったので」

「……」

「私のことを知ってもらえて、それが嬉しいんです」

 

また一滴、涙が落ちる。

 

「変ですね」

「……変じゃないです」

「そうですか?」

「はい」

 

心操は俯いた。

 

胸の奥が、どうしようもなく苦しい。

だって、この人はきっと。ずっと誰かに知ってほしかったのだ。何があったのか。どうして今ここにいるのか。誰にも話せず、それは記録になった。研究対象として扱われ続けることに慣れてしまった。けれど初めて自分の意思で選んだ相手に「聞いてほしい」と言えた。

 

心操は少しだけ迷ってから、言った。

 

「話してくれて、ありがとうございます」

 

祈が瞬きをする。

 

「……こちらこそ」

 

そして、涙を拭いながら笑う。

 

「―――私の過去を暴いてくれて、ありがとうございます」

 

とても綺麗な笑顔だと、心操は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

――知ってもらえて、嬉しい。

その言葉が、頭から離れない。

 

心操は、自分の個性を見つめ直す。洗脳。人の意思を無視して、言葉を引き出す力。そんな自分の個性をこの人は怖がらなかった。むしろ「話してくれて、ありがとうございます」―――そう言われた。

 

 

「俺はただ、聞いただけだから」

 

祈は首を傾げる。

 

「それが嬉しかったんですよ」

「……」

 

心操は俯いた。

 

「……そうですか」

 

小さな声―――自分でも驚くくらい、声が震えていた。もし自分が、もう少し強引な人間だったら。もし自分が「知りたい」という気持ちを優先していたら。この涙は、きっと違う意味になっていた。

 

だからこそ。

 

「……よかった」

 

心操は小さく呟く。

 

「え?」

「いや……何でもないです」

 

でも、何でもなくなんてなかった。

 

心操はそのとき初めて理解した。祈が欲しかったのは、過去を掘り返してくれる人じゃない。過去を話しても、それを勝手に利用せず、ただ受け止めてくれる人だったのだ。

 

そして自分は今、その役目を任せてもらえた。

 

それが嬉しい反面――重い。

 

心操は祈を見る。泣いているのに、穏やかに笑っている。

 

「あの」

「はい?」

「俺でよかったんですか」

 

祈は少し考えて。

 

「はい」

 

迷いなく答えた。

 

「心操くんで、よかったです」

 

その一言で心操は顔を伏せた。

 

「……そういうの」

「はい?」

「……反則ですよ」

 

祈は意味が分からず、首を傾げる。

 

心操はそれ以上何も言わなかった。

 

ただ、今だけは。この人の涙を、誰にも見せたくないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(心操、神代はやめておけ)

(あの人、多分オールマイトより年上だぞ…)

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