プロヒーロー仮免許試験、第一次選考。
各地の並み居る強豪校がひしめき合う熾烈な大混戦の末、雄英高校1年A組は全員揃って最初の関門を突破していた。
だが、安息の間もなく、広大なフィールドは一瞬にして爆破され、瓦礫の山へと変貌していく。第二次選考――テロや災害の発生を想定した、過酷な『救助演習』の舞台が、凄まじい質量を伴って幕を開けようとしていた。
その直前、各校の受験者たちが特設のインターバルエリアで待機し、心地よい疲労と次の試練への張り詰めた緊張感を漂わせている時のことだ。スタジアムの通路の陰、一般の人間やカメラの死角となる物陰で、祈は背筋を伸ばして静かに佇んでいた。
「――神代先生」
ふいに、通路の奥から響いてきた、低く、重厚な大人の声が彼女の耳を打った。
振り返った祈の瞳に飛び込んできたのは、いつもの眩いアメリカンな笑みを持たない、けれど全盛期さながらの圧倒的な質量と強者の威圧感を完全に保ったままの、大柄な体躯の男――八木俊典だった。
平和の象徴としての炎をその身に宿したままヒーローを引退し、これからは一人の男として、彼女を傷つけるすべてのものから守り抜くと誓い、退院の日から彼女の送り迎えを公認されている、今の祈にとって頼れる人物。
「その、体のほうは大丈夫?無理はしていないかい?」
「八木先生。……ええ、わざわざありがとうございます。お陰様で、身体の方は完全に回復しておりますよ」
祈は、以前のような壁を感じさせる硬さは一切なく、彼が放つ圧倒的な包容力と温もりに心を委ねるようにして、柔らかい笑顔を向けた。
八木は、その世界最強の巨躯を静かに佇ませ、窪んだ眼窩の奥の瞳で、彼女のすっきりと晴れやかな顔色を優しく、愛おしそうに見つめ返した。表向きは、元同僚としての至って冷静な気遣いを取り繕っている。だが、その胸の奥に去来するのは、あの神野の夜、毛布にじわりと血を滲ませて意識を失っていた彼女の痛々しい残像と、それを防げなかった己への、引き裂かれるような切実な絶望の反転だった。
治癒の制限が完全に解けてすっきりと笑うその笑顔を、もう二度と、理不尽な悪意に磨り潰させはしない。護衛として、一人の男として君の傍らに立ち、その安全を一生守り抜る。そのためにこそ、己のこの最強の腕はあるのだと、八木は静かに、けれど狂おしいほどの絶対的な誓いを、その胸の最奥で深く燻らせていた。
「そうかい、よかった……。二次試験でも決して無理はしないで、何かあればすぐに私を呼びなさい」
「ふふ、私はただの救護員ですよ」
彼に関する過去の具体的な記憶だけを綺麗に忘却したまま、けれどその温もりに少しだけ甘えるようにしてにこにこと微笑みかける祈。そんな二人の、驚くほど距離の縮まった柔らかな信頼の空気を、インターバルエリアの遠巻きから目撃してしまった周囲の受験者やスタッフたちは、一様に奇妙な戦慄と、何とも言えない強烈な困惑を覚えていた。
「……えっ、おい、あれって……もしかして、オールマイトだよな?」
「ヒーロー辞めたはずなのに、なんで普通にそこにいるんだよ…」
「なんか普通に一般人としてそこらにいるし」
「あの雄英の聖女と話してないか?」
「え、どういうこと?」
「そういや、確か神野の件のニュースで見た気がする」
「嘘だろ、あの世界最強の男が、シスターの前だと、なんか……落ち着きがないっていうか……気のせいか?」
他校の受験者たちが、世界最強の肉体を保った男の、あからさまに真剣で張り詰めた挙動に生暖かい引き攣った視線を送る。
しかし、その一方で、第一次試験を突破して同じエリアにいた雄英高校1年A組の生徒たちは、その光景をどこか温かい空気で見守っていた。
「……オールマイト先生、引退したってのに、相変わらず神代先生の送り迎えだなんだって、本当にマメだなぁ」
「最近は落ち着いてきたと思ったのにね」
切島が少し呆れたように、けれどどこか微笑ましそうに呟き、上鳴や芦戸たちも「本当、八木先生って神代先生のことになると必死だよねー」とにこにこしている。入院生活の空白を経て、すっきりと元気に笑えるようになった輝きが、A組の少年たちの胸を優しく満たしていたからだ。
緑谷はノートを握りしめ、二人の柔らかな空気に少しだけ胸をチクリとさせながらも、あの人を守り抜く力を得るために前を見据え、轟もまた、自分の母親の心を救ってくれた祈への純粋な尊敬を胸に、穏やかに目を細めていた。
ただ一人、爆豪だけは、頑なに二人の方を見ようとせず、絶対に目を合わせないまま、周囲の喧騒から完全に耳を塞ぐようにして自身の両手の手首を強く握りしめていた。
ピーーーッ!! という、第二次選考の開始を告げる無慈悲なサイレンの音が、スタジアム全体に大音量で鳴り響いた。
『これより、第二次選考を開始する! 受験者は全員、災害現場へと展開せよ!』
そのアナウンスと同時に、少年たちの空気が、一瞬にしてプロのそれへと切り替わった。
◇
第二次選考、神野区のテロ災害を模した広大な模擬フィールド。
瓦礫の山となった街のあちこちには、プロの要救助者役の人間が配置され、怪我人としてリアルな悲鳴や助けを求める声を上げている。
いつも通りの状態であれば、個性の傲慢さや、私怨による衝突が起き、爆豪、轟、および士傑高校の夜嵐イナサたちが手痛い減点を食らうと予測されていたのだが――今の彼らは、運命の歯車を最悪の形で狂わせながら、全く別のベクトルへと暴走していた。
」
「おい、そこのクソババァ! 骨折と骨盤の破砕か、動くんじゃねえぞ!!
瓦礫の隙間で、足を挟まれて呻いていた女性のHUCの前に、凄まじい風圧と共に着地したのは爆豪だった。要救助者に向かって怒鳴り散らし、救助を放棄するような甘さは、今の彼には存在しなかった。彼の胸の奥で猛々しく燃え盛っているのは、一秒でも早く人を救い出すことへの、ただそれだけに対する飢えだった。
「チッ、おい上鳴!麗日! この瓦礫を個性の最小出力で浮かせろ、二次災害の数値を計算して動かせ! 手早くこの怪我人を特設救護所へ搬送するぞ!!」
「わかった!!」
「はいぃ!!」
「切島、お前はこっち来い!!」
「お、おおっ!!」
「瀬呂!!そこの瓦礫が崩れそうで危ねぇから足場固定しておけ!!」
テキパキと無駄のない指示を出し、乱暴な言葉遣いとは真反対の挙動で怪我人を抱き上げる爆豪。容赦のないストイックさで、外傷の数値を1ミリも悪化させない完璧な身のこなし。その一切の私情を排した圧倒的な強者感の背中に、緑谷たちも言葉を失う。
加点ログの数値を限界まで跳ね上げさせていく彼の凄まじい立ち回りに、審査員席の目良は、栄養ドリンクを片手に目を丸くしていた。
「あー、うん……何ですか、あの雄英高校1年A組の爆豪くん。聞いていたお話と違いますねぇ…死に物狂いで、かつ精密に怪我人を拾い上げてますし。……仕事が早く終わって助かりますけど、なんか目が肉食獣みたいで怖いです……」
一方、フィールドの別区画、崩壊したビル群のエリア。
そこでは、轟焦凍と、士傑高校の夜嵐イナサが、お互いの視線を激しく交錯させていた。
お互いのエンデヴァーへの私怨が喧嘩し合い、救助を阻害して大失態を犯してもおかしくない二人――しかし、彼らの間にあったのは、醜い私怨のぶつかり合いなどでは断じてなかった。
「……轟焦凍ォオオオッッ!!! 俺はエンデヴァーが嫌いだ! だが、お前自身が、神代先生の思想――あの至高の光を背負して戦うというなら、話は別!!!」
夜嵐は激しい突風を周囲に巻き起こしながら、剥き出しの、狂信的なまでの情念を轟へとぶつけた。
祈の「綺麗事だけではヒーローは壊れる、だから私は搾取されない完璧な道具として機能する」という本質を突いた思想に触れ、脳天を撃ち抜かれるほどの衝撃を経験していたイナサ。彼にとって神代祈は、エンデヴァーのような搾取者を全否定する、絶対的な『本物の聖女』そのものだった。
「……神代先生は」
轟は、静かに左腕から燃え盛る炎を、および右腕から冷徹な氷を同時に融解させながら答えた。
「あの人は、公安に縛られてていい人じゃないと思う」
「同感ッス――――!!!!」
彼の胸の奥にあるのは、母親の心を優しく癒やしてくれた祈への純粋な憧れ。あの人のように強くなりたい。けれど、あの強さと優しさを手にするためにどれほどの試練を乗り越えてきたのか、想像もできない。だからこそ、あの人をこれ以上傷つけさせないために、誰よりも早く強くなければならないという、父親への憎悪の次にくる執念を燃え滾らせた。
「俺の炎でお前の風を収縮させ、熱膨張で瓦礫を吹き飛ばす! 行くぞ!!」
「応ッッ!!!要救助者の安全圏を一瞬で確保するっス!!!」
衝突するどころか、お互いが祈への情念を原動力にして、個性の出力をシンクロさせていた。爆風と炎が美しい渦を巻き、要救助者たちを傷つけることなく、周囲の瓦礫だけを正確無誤になぎ払っていく。その人間離れした、即興での連携による救助無双。
「すごすぎる……。あの二人の個性、完全に噛み合ってるぞ……っ!」
「救助速度が、次元が違う……っ!」
周囲の受験者たちが呆然と息を呑むなか、轟と夜嵐の二人は、ただ圧倒的な強さを示すため、死に物狂いでフィールドを完全に支配していくのだった。
◇
フィールドの端に設置された特設救護班の大型テント。
祈は、杖をコツンと床に突き立て、モニターに映し出される彼らの凄まじい救助ログを静かに見つめていた。
「あら……。皆さん、本当に元気で、素晴らしい立ち回りですね」
爆豪、轟、および夜嵐。
必要なら他校の生徒らと協力することも厭わないその精神は、審査員たちの心を強く打った。
この後、プロヒーローであるギャングオルカもヴィラン役として登場し受験者らは苦戦することになる。第二次選考――救助演習の終了を告げるサイレンが鳴り響いたと同時に彼らは特大のため息を吐きながら崩れ落ちたのであった。
◇
数時間が経過していた。
スタジアムの大広間には、各地から集結した数多の高校の受験者たちが、疲弊と緊張の入り混じった張り詰めた面持ちで一堂に会している。
正面の巨大な電光掲示板。そこに、今回のプロヒーロー仮免許試験の『合格者氏名』が五十音順に一斉に表示されるその瞬間を、誰もが息を呑んで待っていた。
その大広間の喧騒から少しだけ離れた、関係者用の通路の傍らに、祈は静かに佇んでいた。
「――神代先生」
ふいに、背後から声をかけてきたのは、護衛としてそこに佇む八木俊典だった。
退院の日から彼女の送り迎えを公認されている八木は、その窪んだ眼窩の奥の瞳で、祈の柔らかな横顔を静かに、愛おしそうに見つめていた。
神野の悪夢を経て、プロとしての仮面を捨ててでも彼女を守り抜くと誓った男。だが、今の二人の間に流れるのは、そんな血生臭い決意を凪がせるような、お互いを静かに信頼し合う大人びた空気感だった。
「八木先生。ええ、もうすぐ発表のようですね」
祈は、やってきた彼を見上げるといつもどおりに微笑んだ。八木もまた、その彼女の輝きを前に、大人の気品ある理性を保ちつつ、その顔面がだらしなく溶け落ちないよう必死に理性を保つのだった。
「どきどきしますね」
「きっと大丈夫さ」
その瞬間、大広間の天井に設置された電光掲示板が、ブー、という鈍いアラーム音と共に一斉に発光した。
一面に映し出された、無数の合格者の名前。静まり返っていた空間が、一瞬にして歓喜の絶叫と、落選した者の悲痛な落胆の声によって、激しい熱気の坩堝へと叩き落とされる。
「――あった、あったぞ!! A組、全員合格だ!!」
切島の雄叫びのような歓声が響き渡る。
緑谷は掲示板にある自分の名前を、そして「爆豪勝己」という幼馴染の名前をしっかりと確認し、安堵の涙を瞳に溜めていた。
「やったぁぁぁあ!!」
「よかったぁぁぁぁあ!!」
「「「全員合格おめでとう――――」」」
A組全員合格―――その事実は、生徒らの溜まった感情を爆発させ、お互いに抱き合い、涙を流して喜ばせた。個性の傲慢さ、協調性、冷静な判断、能力把握、危機管理能力など、あらゆる視点から審査員たちは判断している。喜ばないはずがない。学生ながら、仮免許ではあるがプロヒーローの一員として認められたのだ。
爆豪は、自身の名前が最上段に刻まれているのを見上げてもなお、獰猛に口角を上げることも、いつものように咆哮することもしなかった。
そんな合格者たちを、光の裏でさらに深く歪に極まっていく包囲網の熱を、審査員席の目良は、栄養ドリンクの空き瓶を片手に冷徹に見つめていた。
「あー、うん……何ですか、あの1年A組の爆豪くんに轟くん、そして士傑の夜嵐くん。全員揃って加点ログの数値を限界まで叩き割っての一発合格ですか。……お陰様で、神代さんによる疲労回復のメンテナンスもあって、私の今月の労働環境もなんとか残業ラインを超えずに済みそうですけど。……なんかあの子たち、目が据わってて、公安の人間としては非常に気味が悪いです、はい……」
目良は気だるげにため息を吐き出すと、「あー、まとまった休みが欲しい……」と呟きながら、書類をカバンへと押し込んでいった。