××新聞 社会面
――カルト教団「神の秒針」本部で爆発火災
団員ら多数の焼死体、凄惨な儀式の痕跡も
謎の「生き神」少女を巡る内紛か―――
〇日未明、〇〇県〇〇市郊外の山間部にある宗教法人「神の秒針」の本部施設において、大規模な爆発を伴う火災が発生した。消防車十数台が出動し、消火活動は午前中に及んだが、木造の礼拝堂および隣接する研究施設とみられる建造物が全焼した。
県警および消防による実況見分の結果、焼け跡からは教団の代表である〇〇をはじめ、幹部や信者とみられる約百余名の焼死体が発見された。遺体の多くには、爆発による損傷とは明らかに異なる、刃物や鈍器による無数の外傷が確認されており、火災発生直前に施設内で激しい内部抗争、あるいは凄惨な殺し合いが行われていた可能性が極めて高い。
■ 体液や頭髪を「聖餐」として搾取か
司法解剖の過程および近隣住民への聞き込みから、同教団の異常な実態が明らかになりつつある。
捜査関係者によると、全焼した地下研究室の跡地から、医療用の手術台や拘束具、大量の血液パックが押収された。同教団は、信者××の実娘である幼い少女A(当時・年齢不詳)を『現世に舞い降りた不老不死の生き神』として幽閉。その少女が持つ特殊な「治癒・再構成」の個性を悪用し、少女の肉体を日常的に切り刻んでは、流出する血液や体液、頭髪を「奇跡を起こす聖餐」として幹部らが搾取・服用していた疑いが浮上している。
事件当夜、少女Aの処遇や異能の利権を巡り、父親である××と、逃亡を図った母親、およびそれに同調した一部の信者との間で個性を乱使した凄惨な戦闘へと発展。その際の異能の過剰駆動が、施設内に併設されていた化学薬品や高圧ガスボンベへの引火を引き起こし、大爆発を誘発したとみられる。
■ 生存者は「記憶喪失の少女」ただ一人
現場からは信者全員の死亡が確認されたが、爆発の爆心地にいたとみられる件の少女Aただ一人が、衣服を血に染めた状態で、奇跡的に無傷のまま焼け跡の瓦礫の中から発見された。
少女は精神的に激しいショックを受けており、自身の名前や教団での記憶のすべてを喪失しているという。現在、少女Aは身元の特定が困難であることから、政府関係機関の厳重な保護監視下において、県内の隔離施設へと搬送された。
当局は、カルト宗教が個性の超常的な力に傾倒した末の最悪の悲劇として、事件の全全容解明を進めている。
◇
「この少女Aが、私です」
再び病院のベッドの上に逆戻りした祈は、目の前にいる相澤と緑谷、八木、ナイトアイ、通形ミリオに静かに視線を向けた。
今は黒い修道服ではなく、ブルーチェックの患者衣を着ているため、顔を隠す白いレースのヴェール越しではない。剥き出しになった白磁のように滑らかなその素顔は、ただ淡々と、眼前の大人たちを見つめていた。
「……カルト教団『神の秒針』か。たしかに、この事件は当時随分と騒がれていたな。個性婚とは別問題として、人権問題の課題のひとつに大きく取り上げられたはずだ」
「個性の規制を強めるきっかけにもなった事件……まさか神代が、あの時の少女Aだったとはな」
ナイトアイと相澤は、机の上に置かれた古い新聞記事の縮刷版データに静かに目を落とした。
火災。
多数の死者。
そして、その爆心地から無傷で保護された、たった一人の少女。
画面の片隅には、当時の施設の写真が不鮮明に掲載されていた。焼け落ちた無惨な建物の残骸と、規制線の向こうに集まる野次馬たちの不穏な人だかり。
「これが、お前の過去なのか」
「はい」
祈は静かに頷いた。
隣に座る八木は、何も言わずにじっと彼女を見つめている。彼女の背負わされてきた暗闇の重さに、小さく強張っていた。
「……話せる範囲でいい。説明してくれ」
相澤の、低く押し殺したような言葉に、祈は少し考えるように視線を落とした。
「私は、両親のもとに生まれました。二歳くらいの頃に個性が発現したそうです」
「そうです、というのは?」
「その頃の記憶はほとんど残っていないんです。私が覚えていることと、あとから知った記憶の記録が混ざっています」
悲しんでいるようにも、怒っているようにも見えない、まるで他人の歴史を読み上げているかのような淡々とした説明だった。
「当時の私の個性は、怪我を治したり、生命活動を維持したりすることができました。周囲の方々は、それを奇跡だとおっしゃったそうです」
「それで、宗教団体に幽閉されたのか」
「はい。両親も強い信仰を持っていましたから」
祈は白い布団の上で、細い手を綺麗に重ねる。
「最初は、皆様に喜んでいただけることが嬉しかったのだと思います。私が何かをすると、皆様が笑ってくださる。褒めてくださる。システムとして必要とされ、皆様の役に立てるということが、私にとっての当たり前になっていきました」
八木の眉が僅かにピクリと寄った。
「……君は、まだ物心もつかない、幼い子どもだったのだろう」
「はい。ですから、何が普通の生活なのか、当時はよく分かっていなかったのだと思います」
祈は穏やかに答えた。その声のトーンには、微塵の揺らぎも存在しない。
「集められた私の血や涙といったものは、外部に流出したものもあるそうで……」
「……何?」
相澤の声が、血の気が引いたように低くなる。
「個性の力が残っていると考えられていたのでしょうね。研究に使われたのか、それとも奇跡を起こす欠片として信者たちに配られていたのか……髪や爪も、必要だと言われれば自分から差し出していました」
「お前、それを嫌だとは思わなかったのか」
「……嫌、ですか?」
祈は不思議そうに、その濁りのない澄んだ瞳で相澤を真っ直ぐに見つめた。
「皆様のお役に立てるのでしたら、何も問題はないと思っていました……当時は」
その場にいた者全員が、一斉に口を閉ざした。相澤も、ナイトアイも、通形も。そして八木もまた、すぐには言葉を返すことができなかった。
彼女は自分が何をされていたのか、それがどれほど悍ましい『搾取』であったのかを、当時の幼い彼女は理解していなかったのだ。
いや、正確には。
理解する必要がない環境で、そうすることが当たり前だと教え込まれていた。
「……それで、火災が起きたのか」
ナイトアイが、重苦しい沈黙を切り裂くようにして続きを促した。祈は少しだけ沈黙した。
「母が……私を父と信者たちから逃がそうとしたそうです。私の目の前で、母は信者たちに殺され、私は父に拘束されました。これは後から聞いた話で、私自身、その日のことはあまり覚えていません」
「何も?」
「ほとんど、何も。ただ、火の赤い色や、誰かの怒鳴り声のようなものは、時折夢に出てくることがあります。でも、目が覚めるとすぐに忘れてしまいます」
無意識に、祈の白く細い指先が自身の首元へとのびた。
衣服の隙間、そこにある公安の黒い電子首輪に触れかけ、けれど思い出したようにすぐに手を戻す。相澤はその無防備な不気味な動きを、鋭い眼光で絶対に見逃さなかった。
「……火災の原因は?」
「個性の暴走によるものだと聞いています。おそらく、私の個性ですね」
「両親が亡くなったことは?」
「……はい。そう聞いています」
「お前は、そのときどうやって助かった」
相澤の矢継ぎ早な問いに、祈はしばらくの間、静かに考え込んだ。
「私の個性が助けてくれました」
「……具体的には?」
「ジキルが私の体を細胞の単位から高速で再構築し、ハイドがこの世から零れ落ちかけた魂を呼び戻して、強引に蘇生させたものだと思います」
相澤は、内側に湧き上がる激しい苛立ちと理不尽への怒りを押し殺すようにして、深く息を吐いた。
聞けば聞くほど、分からないことが増えていく。―――彼女は間違いなく事件の当事者であり、すべての爆心地にいた張本人でありながら、自らの記憶のシステムがバグを起こしているせいで、肝心な部分を何ひとつ明確に説明できない。
そして、恐ろしいことに、本人はそれを不思議とも、悲しいとも思っていないようだった。
今の、まるで取り調べか尋問のような緊迫した大人たちの時間に対しても、一切身構えることなく、平然と受け入れている。
「……その後、公安に保護されたのか」
「はい」
「それから、ずっと公安の管理下に置かれていたと?」
「そうですね。一時期は、一般教育を施してくださったエリアス神父と共に。それから神父様の他界後は、監視役の筑紫様と……幼いホークス様と、田舎の静かな教会で暮らしていました」
「その間、個性の研究は?」
「ありません。ただの監視だけされていました。個性の研究が本格的に始まったのは……六年前、八木先生がお怪我をしてからになります」
「オールマイトが入院したあの事件か……。じゃあ、それから六年間、ずっとか? 雄英に来るまで毎日、お前は研究を受け続けていたのか?」
祈は、僅かに長い睫毛を伏せた。
「……はい」
「っ……」
その短い、あまりにも淡々とした返事に、隣の八木の表情が張り裂けんばかりに歪んだ。
自分の命が繋ぎ止められたあの悪夢の夜の対価。彼女はあの夜から、毎日、毎日、自らの肉体を実験台として大人たちに差し出し、磨り潰され続けていたのだ。雄英に救護補佐としてやってくるその直前まで、ずっと。
「資料は公安が全て秘匿して保管しているはずです」
「神代先生。……君は、その研究を受けることを、自分で選んだのかい?」
「選ぶ、というのは……」
「君が望んで、自らの意思でそうしたのかと、私は聞いているんだ」
八木の悲痛な問いかけに、祈は困ったように小さく微笑んだ。
「私の個性は危険ですから、きちんと扱えるようにシステムを制御する必要がありました」
「それは、君が望んだことなのか?」
「……皆様が、私という道具が必要だ、とおっしゃいましたので」
八木は強く、強く目を閉じた。
その答えが、彼の胸の奥を一際激しく、残酷に締め付けた。
彼女は、自分の意思を尋ねられていることにすら、本質的に気づいていない。誰かが必要だと言えばそれに応え、誰かが助けを求めれば自らの肉体をスペアとして簡単に差し出す。それも、呼吸をするのと同じくらいに、いとも簡単に。
それが、生まれた瞬間から檻に縛られ続けてきた、彼女の生き方の規約になっていた。
「……神代先生」
八木の静かな呼びかけに、祈が顔を上げる。
「君は、その頃からずっと……誰かのために、自分を使ってきたんだね」
「……はい?」
「自分が何を望んでいるのかよりも、誰かが何を必要としているのかを先に考えて。……ずっと、そうやって独りで傷を引き受けてきたんだね」
祈は答えなかった。
否定もせず、ただ、どうしてそんな当たり前のことを今更聞かれるのか分からない、といった顔で八木を見つめていた。
相澤は、机の上の新聞記事のデータをパチリと閉じた。
「……分かった。事件について、今のお前が覚えていることはそれだけなんだな」
「はい。お役に立てず、申し訳ありません」
「謝るな」
相澤は疲れたように片手で深く眉間を押さえた。
「お前が覚えていないことまで、無理に話す必要はない」
「……はい」
「ただし、もうひとつだけ聞きたい」
「何でしょうか?」
「お前は、その過去の事件のことを……思い出したいと思っているか?」
祈は黙った。
今まで、これまでの人生の秒針のなかで、誰かに「お前自身がどうしたいのか」などと尋ねられたことが、一度でもあっただろうか。
思い出さなければならないし、知らなければならない。そうでなければ、心操の個性を頼ってまで、他人事のように客観的な記憶を語らせた意味がない。自らの個性を正しく制御するためにも、過去のデータを理解しなければならない―――そう考えたことは、確かにある。
けれど、自分自身の心が、どうしたいのかと問われると。
「……分かりません」
祈は正直に、ただ真っ直ぐに答えた。
「思い出したほうがいいのだとは、思います。でも……思い出したいのかどうかは、まだ自分では、分からないんです」
「そうか」
相澤はそれ以上、彼女を問い詰めようとはしなかった。八木も、ナイトアイも静かにその答えに頷いた。
「なら、今はそれでいい」
「……よろしいのですか?」
「ああ。君が自分で決めていいことだよ、神代先生」
祈は、八木のその優しい言葉に、レースのヴェールのない素顔の瞳を少しだけ驚いたように見開いた。自分が自分で決めていい、その人間としての至り前の権利を、心の中でゆっくりと繰り返す。
相澤は立ち上がり、病室の扉へ向かって歩き出した。
「今日はもう休め。ハイドの表面化の件も、首輪のログの件も、まだ聞きたいことは山ほどある」
「はい」
「だが、今すぐ全部話せとは言わない」
扉のノブに手をかけたまま、相澤は振り返り、その充血した瞳で祈を冷徹に見据えた。
「……ひとつだけ覚えておけ。お前が過去に何をした人間であっても、それがお前が自分を犠牲にし続けなきゃいけない理由にはならない。絶対に」
祈は静かに、その泥臭い教師の背中を見つめていた。
「……はい」
相澤が退室する。
その直後、死穢八斎會の件で、壊理という少女の境遇と、目の前の神代祈という女のあまりにもおぞましい『類似点』を完全に理解してしまった緑谷と通形は、ただただ立ち尽くしていた。
「神代先生……」
「出久くん? どうしましたか?」
「どうして……どうして、助けを求めなかったんですか……?」
壊理のように、『助けて』と声に出して泣いていれば、誰かがもっと早くに見つけてくれたはずなのに、と緑谷は張り裂けそうな声で訴える。けれど、祈は首を横に振った。
「何も変わりませんよ、出久くん」
「ッだって、痛かったんじゃないですか!? 辛かったんじゃないですか!? きっと、毎日すごく苦しかったはずで……っ!」
「出久くん、私は」
祈はそこで、一度静かに言葉を区切った。
そして、窓の外の青空を見つめながら、鈴の音のように穏やかな、けれど決定的に壊れた声音で淡々と微笑んだ。
「その痛みや苦しみさえ、分からなかったのですよ」
◇
緑谷と通形が、魂を丸ごと毟り取られたかのような強烈な戦慄と自責のなかに病室を去ったあと、ひとり残された八木は祈の隣に座ったまま、しばらく何も言わなかった。やがて、彼はそっと尋ねた。
「……今でも、怖い夢を見るのかい?」
祈は驚いたように顔を上げた。
「……どうして、それを?」
「以前から、ずっと気になっていたんだ」
八木は無理に聞き出そうとはせず、穏やかに続けた。
「君は私との出会いを覚えていないけれど、私は昨日のことのように思い出せる。今まで隠していて申し訳なかった……ただ、自分が知らない記憶を人から急に話されても、気持ち悪いだけだろうと思って、これまでは言えなかったんだ」
「いえ、私の方こそ、『初めまして』だなんて失礼なことを……八木先生、本当に申し訳ありません」
「謝ってほしいわけじゃないんだ。ただ……昔の君を知る者としては、どうしても気になっていることがあってね」
「はい」
「君はいつでも、温かくて優しくて、とても綺麗な表情で笑うのに、どこか寂しそうで……。何がそんなに君を怯えさせるのかが、私は知りたかったんだ」
「そんなところまで……」
「話したくなければ、話さなくてもいい。ただ……ひとりで泣いているのなら、私にも少しだけ頼ってほしい」
祈は困ったように小さく笑った。
「……私、泣いているのでしょうか」
「ああ」
「自分では、よく分からないんです」
八木は、その言葉に胸の奥が引き裂かれるような痛みを覚えた。
泣いていることさえ自分では分からなくなるほど、あまりにも長い間、彼女は自分の人間性をあの檻の中に置き去りにしてきたのだろうか。
体内のワン・フォー・オールの残り火はいずれ消えるという焦燥。けれど、世界最強でいられる時間が残り少ないからこそ、これからは一人の男として、彼女が自分の意思で語り、自分の意思で未来を選べるようになるまで、せめて、今は急かさずに彼女の隣で待つことならできる―――