神様にはなれない私たち   作:琴ノ葉しずく

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第67話 待つ人と謎の少女

「……脳無?」

 

 

 嫌な予感がした。護衛についていた公安職員の一人が、すぐに通信機を取り出す。

 

「本部、こちら九州班。現在、指定区域内で大規模戦闘を確認。エンデヴァー、ホークス両名が交戦中と思われます」

「……」

 

 祈は、何も言わなかった。ただ、窓の外を見る。遠くに見える炎のなか、赤い影が動いているのが見えた。

 

「……ホークスくん」

 

 小さく呟く。約束の時間は、もうすぐだった。なのに、彼はあの中にいる。

 

「神代さん」

 

 公安職員が振り返った。

 

「本部と確認を取ります。ここから動かないでください」

「はい」

 

 祈は素直に頷いた。

 その時、ポケットの中でスマートフォンが震えた。画面を見ると、表示された名前は「俊典さん」だった。祈はすぐに電話に出た。

 

「はい」

『祈くん』

 

 俊典の声が聞こえる。いつもより少し低く、落ち着いているようでいて、どこか緊張していた。

 

「どうしました?」

『今、どこにいる?』

「ホークスくんと待ち合わせしているお店にいます」

『ああ、良かった。ニュースは見ているかい?』

「いえ。今、外で大きな音がして……」

『そうか』

 

 一瞬の沈黙があった。

『九州で、エンデヴァーたちが脳無と交戦している』

「……」

 

 祈の目が、窓の外へ向く。遠くで、また炎が上がった。

 

「そうですか」

『そして、ホークスくんもいる』

「……彼が」

 

 祈の声が、ほんの少しだけ揺れた。公安職員がこちらを見る。祈はその視線を受けながら、静かにスマートフォンを握り直した。

 

『祈くん』

「はい」

『君は、戦ってはいけないよ』

「……」

 

 俊典の声は優しかった。けれど、そこには明確な意思があった。

 

『公安の方々の指示に従って、そこで待いてほしい』

 

 祈はしばらく黙っていた。窓の外を見る。炎、煙、そしてその向こうにいるはずのホークス。

 もし彼が怪我をしているのなら、苦しんでいるのなら、自分の個性で助けに行きたいという思いが過る。

 けれど、俊典の声がもう一度耳に蘇った。

 ――君は、戦ってはいけないよ。

 

「……分かりました」

 

 祈は静かに答えた。

 

『祈くん』

「そうですか、エンデヴァー様とホークスくんが……」

 

 窓の外を見る。赤い羽根が、一瞬だけ炎の向こうに見えた気がした。

 

「はい、分かりました。公安の方々の指示通りに動きます」

『……ありがとう』

 

 俊典が、ほっと息を吐くのが分かった。

 

「俊典さん」

『うん?』

「心配しないでください。私は大丈夫です」

 

 その言葉に、電話の向こうで俊典が少しだけ黙った。

 

『……それは、私が一番心配する言葉なんだけどな』

「……」

 

 祈が目を瞬く。それから、少し困ったように笑った。

 

「では……気をつけます」

『うん。それでいい』

 

 通話が終わる。祈はスマートフォンをゆっくり下ろした。

 窓の外では、まだ戦闘が続いている。轟音、炎、建物の向こうから立ち上る黒煙。

 

「神代さん」

 

 先ほどまで本部と通信していた公安職員が、祈の前に立った。

 

「本部から指示が出ました」

「はい」

「まず、この店から退避します」

 

 祈が目を瞬く。

 

「ここも危険なのですか?」

「現時点で直接の被害は確認されていません。ただし、戦闘区域が拡大する可能性があります」

 

 公安職員は淡々と続ける。

 

「神代さんは、今回の戦闘に関与しないでください」

「……はい」

「具体的には、戦闘区域への接近禁止。エンデヴァー、ホークス両名への独断での接触も禁止します」

 

 祈の指が、僅かに動いた。

 

「ホークスくんにも、ですか?」

「はい」

 

 即答だった。

 

「ホークスから救援要請があった場合も、まず我々を通してください。それから、個性の使用もこちらの許可があるまで控えてください」

「個性も……」

「はい」

 

 祈は静かに頷いた。理由は分かっている。自分の個性は、傷ついた人間を前にすれば使える。けれど、だからこそ、戦闘が起きている場所へ行けば救助に動いてしまう可能性が高い。救える命を選別しているとまでは言いたくはないが、公安はそれを懸念しているのだ。

 

「神代さんには、これからこちらで用意した車両に乗っていただきます」

「どこへ向かうのでしょう?」

「戦闘区域から離れた待機場所です。安全が確認されるまで、そこで待機してください」

「……ホークスくんとは」

「連絡が取れた場合も、神代さんから会いに行くことはできません」

 

 祈は少しだけ俯いた。

 

「……そうですか」

 

 約束の時間は、もう過ぎている。本当なら、今頃ホークスと食事をしているはずだった。

 

「申し訳ありません」

 

 公安職員が言った。

 

「お約束があったことは承知しています。ただ、現在は神代さんの安全確保を最優先します」

「いいえ」

 

 祈は首を横に振った。

 

「私のことを考えてくださっているのですから」

 

 そして、窓の外を見る。また大きな音が響き、店の窓がわずかに震えた。祈の青い瞳が、炎の向こうを見つめる。

 

「……ホークスくん」

 

 小さく名前を呼ぶ。けれど、すぐに視線を戻した。

 

「分かりました。指示に従います」

「ありがとうございます」

「ただ……」

 

 祈が少しだけ迷う。

 

「ホークスくんの安否が分かったら、教えていただけますか?」

 

 公安職員は一瞬だけ祈を見る。それから頷いた。

 

「可能な限り、情報は共有します」

「……ありがとうございます」

 

 祈は小さく頭を下げた。護衛が周囲を確認する。

 

「では、移動します」

「はい」

 

 祈は立ち上がった。テーブルの上には、まだ何も手をつけていない飲み物が残っている。

 その向かいの席。本来なら、もうすぐホークスが座るはずだった。祈は一度だけそこへ視線を向ける。

 

「……お待たせしてしまいますね」

 

 誰に言うでもなく呟いて、公安職員に促されるまま店を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エンデヴァーは、瓦礫の上に立っていた。

 全身が傷だらけだったが、それでも拳を握りしめる。目の前のハイエンドは、もう動かない。勝った。

 その事実を理解するより先に、周囲から歓声が上がった。

 

「エンデヴァー!」

「勝ったぞ!」

 

 けれど、エンデヴァー自身には、そんな声を聞いている余裕などなかった。膝が軋み、息が苦しい。視界も霞んでいる。

 その時だった。

 

「――随分、派手にやったな」

 

 瓦礫を踏む音とともに、別の声が響いた。エンデヴァーが顔を上げる。煙の向こうから、兎の耳を揺らしながら一人のヒーローが姿を現した。

 

「ミルコ……」

「よぉ、エンデヴァー」

 

 ミルコは周囲を見回す。焼け焦げた道路、崩れた建物、そして動かなくなったハイエンド。

 

「やったじゃねぇか」

 

 その声には、感心が混じっていた。

 

「……貴様、何故ここに」

「近くにいたんだよ。派手な音がしたから来てみりゃ、この有様だ」

 

 ミルコがエンデヴァーを見る。その傷の多さに、わずかに眉を上げた。

 

「お前も大概だな」

「……まだ、動ける」

「そうは見えねぇけどな」

 

 ミルコが一歩近づいた、その時だった。

 

「――随分、派手にやったな」

 

 聞き慣れない声がした。二人が同時に振り向く。炎の向こう、蒼い炎を纏った男が立っていた。

 

「……誰だ」

「知らなくてもいいさ」

 

 荼毘が笑う。その視線がエンデヴァーへ向けられた。ミルコがわずかに身構える。

 

「……ヴィランか」

「だったら?」

「蹴り飛ばすだけだ」

 

 ミルコが脚を引く。しかし、エンデヴァーがそれを制した。

 

「待て。……俺がやる」

 

 身体は限界だったが、視線だけは荼毘から逸らさない。その時だった。

 

「ねえ」

 

 少し離れたところから、穏やかな声がした。

 

「そろそろ帰ろうよ」

 

 荼毘が眉を寄せる。

 

「うるせぇな」

 

 声の主は動かない。大きなフードをすっぽりと被っており、顔は見えなかった。ただ、風が吹いた瞬間、フードの隙間から銀色の髪がほんの少しだけ覗いた。

 

「……」

 

 エンデヴァーの目が、その色を捉えた。月明かりを受けて、白銀が揺れる。ミルコもそれを見た。

 

「……女?」

 

 だが、次の瞬間にはフードの中へ消えた。

 

「おい」

 

 荼毘が振り返る。

 

「勝手に先に行くなよ」

「遅いんだもん、置いていくよ」

「……はぁ、ったく」

「早く帰ろう」

 

 少女は淡々と言った。

 

「お前な……」

 

 荼毘が苛立ったように頭を掻く。

 

「っち」

 

 少女はそれ以上何も言わない。ただ、炎の向こうにいるエンデヴァーを一度だけ見た。

 

「……あの人、まだ生きてるね」

「当たり前だろ」

「そう」

 

 それだけだった。ミルコが一歩踏み出す。

 

「待て!」

 

 しかし、その前に荼毘の蒼い炎が大きく燃え上がった。熱気にミルコが腕で顔を庇う。

 

「チッ!」

 

 炎が収まった時には、二人の姿はすでに距離を取っていた。

 

「行くぞ」

「うん」

 

 二人が歩き出す。エンデヴァーは追おうとしたが、身体が動かなかった。

 

「待て……!」

 

 声を絞り出す。蒼い炎が遠ざかっていく。その隣を歩く、小さな影。最後にもう一度、風が吹いた。フードの端から銀髪が覗き、その色だけが妙に目に残った。やがて二人の姿が、夜の闇へ溶けていく。

 

「……逃げられたか」

 

 ミルコが舌打ちする。けれど、エンデヴァーは答えなかった。あの銀色、どこかで見たような気がした。しかし、今は考えるだけの余裕がない。膝が、とうとう崩れた。

 

「おい!」

 

 ミルコが駆け寄り、その身体を支えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――遠くで、また大きな音がした。

 窓ガラスが、びり、と震える。

 

「……っ」

 

 祈の肩が、小さく揺れた。公安に用意された待機所の中、祈は窓の外を見つめていた。

 

「まだ戦闘が続いているのでしょうか」

「……現場からの情報では、戦闘は収束に向かっています」

 

 公安職員が答える。

 

「ですが、まだ安全とは言えません」

「そうですか……」

 

 祈は頷いた。けれど、視線は窓から離れない。遠くの空が赤く染まっている。その向こうに、ホークスがいる。

 

「……連絡は」

「まだありません」

「……」

 

 祈の指が、膝の上でそっと絡む。スマートフォンは、何度確認しても静かなまま、次の着信を告げることはなかった。

 

 

 

 

 

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