まだ、ホークスが自分の翼を上手く扱えなかった頃。
彼の背中にある剛翼は、今のように空を飛んだり、戦闘に使うための道具ですらなかった。ただ背中から生えているだけの、異形の一部。
教会の庭で、幼い彼が自分の背中を気にするように振り返っていた。
「おねえちゃん」
「はい?」
傍らに佇む祈が、静かに声を返す。
「これ、取ってよか?」
祈は少しだけ首を傾げた。
「羽根ですか?」
「うん」
ホークスは、自分の翼から自然と抜け落ちた一枚の羽根を拾い上げた。まだ小さく、形も不揃いな赤。
「これ、おねえちゃんにあげる」
「私に?」
「うん」
祈はそれを両手で受け取った。手の平の上で、ふわりと軽い。そして温かい。
「……ありがとうございます」
祈は微笑んだ。ホークスは嬉しそうに笑う。
「大事にしてね」
「もちろんです」
祈はその羽根を、しばらくの間じっと眺めていた。綺麗だからという理由ではない。この小さな子が自分を信頼し、初めてくれたものだから。
「大切にしますね」
「ほんと?」
「はい」
その言葉を、祈は守った。小さな木箱に入れ、その箱ごと、誰の目にも触れない場所へ大切にしまった。
それから、長い年月が経った。
公安に連れていかれた祈が、ようやくそこから解放され、自由の身となった。
病院を退院した祈は、九州へ旅立つ前に、オールマイトと共に一度だけかつての教会へと戻ってきた。
「ここに……まだ、あるんです」
「何が?」
「啓悟くんから貰ったものが」
祈は古い自室へと向かった。棚の奥、誰にも触れられないまま埃を被っていた場所に、あの小さな箱が当時のまま残っていた。
蓋を開ける。
そこには、一枚の枯れたような赤い羽根があった。幼いホークスからもらった、最初の羽根。
オールマイトは黙ってそれを見つめていた。
「……随分と大切にしていたんだね」
「はい」
祈は羽根をそっと指先で撫でる。
色も少し褪せている。長い年月のなかで、完全に昔のままの鮮やかさではない。それでも、指先に伝わる質感だけは変わらなかった。
「啓悟くんが、初めて私にくれたものですから」
祈は大切そうに箱を閉じた。
まだ、あの頃の彼は自分の羽根を自由に操れなかった。公安に入るきっかけとなった事故も、無我夢中で羽根を動かしただけの話。飛ぶことも、救助に使うことも、誰かを傷つける武器にすることも知らなかった。ただ、自分の体から零れ落ちた一部を、祈に差し出しただけだった。
「……ただの羽根ですよ」
祈が言う。
「ええ」
オールマイトが頷く。
「でも、君にとっては違うんだね」
祈は少しだけ笑った。
「はい。私にとっては、とても大切なものです」
箱を胸元にきつく抱え、祈は教会を出た。長い間、閉じ込められていた場所から、ようやく自分の意思で一歩を踏み出す。
その羽根は、ホークスがまだ「自由」という言葉の重みすら知らなかった頃にくれたものだった。
だから、当時の祈は知る由もなかった。いつかその羽根をくれた子供が、本当に空を自由に飛ぶ人間になることを。そしてその翼が、今度は多くの誰かを救うために使われることを。
ただ一つだけ。
あの日の啓悟がくれた小さな「一枚」を、祈はずっと、暗闇のなかでも大切に抱え続けていた。