神様にはなれない私たち   作:琴ノ葉しずく

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第68話 「人はすぐに死にますから」

 

公安から指定された待機場所は、戦闘現場から少し離れた建物の一室だった。

 祈は窓辺に立ち、外の様子を眺めていた。

 ホークスに会うために九州まで来た。それなのに、今はこうして待機するように言われている。

 もちろん、事情は理解していた。現場では激しい戦闘が続いている。祈の身に何かあれば、公安にとっても大きな問題になる。だからこそ、戦闘に巻き込まれない場所で待つよう指示されていたのだ。

 

 それでも。

 

「……啓悟くん」

 

 小さく名前を呼ぶ。

 外ではなるべく「ホークス」と呼ぶようにしていた。彼にとって、本名は足かせにしかならない。弱みにしかならないから、名前では呼ばない。

 

 考え始めれば、いくらでも気になることが出てくる。

 会ったら、何を話そう。

 お久しぶりです、と言って。元気でしたか、と尋ねて。できれば、少しだけでも一緒に過ごせたら。

 そんなことを考えていた、そのときだった。

 窓の外を、担架に乗せられた人が運ばれていく。少し離れた場所では、腕を押さえた男性が壁にもたれ、うずくまっていた。そばにいる女性が、必死に声をかけている。

 血が流れていた。

 祈はその光景から目を離せなかった。

 

「……すみません」

 

 そばに立つ護衛の職員へ声をかける。

 

「少しだけでも、ダメですか」

 

 職員は、祈の視線を追った。

 

「…神代さん。ここで待機するようにと指示が出ています」

「はい。分かっています」

「でしたら――」

「ほんの少しだけです、お願いします。怪我をされている方がいますから」

 

 祈は静かに言った。それは、祈にとってごく自然なことだった。ホークスに会いに来たからといって、目の前で苦しんでいる人を見捨てるわけにはいかない。

 職員はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。

 

「……無理はしないでください」

「ありがとうございます」

 

 

 男性の傷は、幸いにも致命的なものではなかった。

 祈は膝をつき、傷口を確かめる。

 

「少し、触れてもよろしいですか?」

 

 男性が戸惑いながら頷いた。苦痛に歪んでいた顔には冷や汗が浮かんでいる。

 祈の指先が、そっと傷に触れる。

 淡い光が滲み、傷口が少しずつ塞がっていった。完全に治す必要はない。出血を止め、痛みを和らげ、医療機関で適切な処置を受けられる状態にする。それだけでいい。

 

「……あれ。痛くない…?」

「まだ無理はなさらないでくださいね。念のため、病院で診てもらってください」

「っあ、ありがとうございます、本当に……」

「いいえ。お大事になさってください」

 

 祈は立ち上がった。

 個性を使ったのは、ほんのわずかだった。身体に大きな負担はない。けれど、護衛の職員は念を押すように言った。

 

「これ以上は控えてください。あなたの安全を確保することも、こちらの任務です」

「……はい」

 

 祈は素直に頷いた。

 それから、もう一度だけ、遠くの現場へ目を向ける。

 啓悟くんも、あちらにいるのでしょうか。どうか、無事でいてください。胸の中でそう願い、祈は待機場所へ戻った。

 

 

 

 

     

 それからしばらくして。

 

 

 

「神代さん」

 

 公安職員が足早に部屋へ入ってきた。

 

「すぐに病院へ向かってください」

「……病院、ですか?」

「エンデヴァーの治療をお願いします」

 

 祈の表情が変わった。

 

「エンデヴァー様がお怪我を?」

「詳しい状況は移動中に説明します。現場で重傷者が出ています。通常の治療だけでは回復に時間がかかる可能性があります」

 

 職員は一度言葉を切った。

 

「あなたの個性が必要です」

「……分かりました」

 

 祈は頷く。

 迷いはなかった。誰かが助かる可能性があるのなら、行かない理由はない。

 それに。病院へ行けば、彼に会えるかもしれない。

 祈は、胸の奥に生まれた小さな期待を自覚した。会いたい。その気持ちは、九州に来ると決めたときから変わっていない。

 

 

 

 

 

◇

 

 

     

 病院の中は、慌ただしかった。

 消毒液と血の匂い。微かに火薬の匂いも混じっている。医療スタッフの足音。次々と運び込まれる負傷者。

 

「こちらです!」

「神代さん、治療は最低限でお願いします。あなたまで倒れたら、他のヒーローに何かあった時に困りますので」

 

 案内されるまま、祈は廊下を進んだ。そして。見慣れた金色の髪が、視界に入った。

 

「……ホークスくん」

 

 思わず、声がこぼれた。

 壁際に立っていたホークスが振り向く。

 

「……おねえさん?」

 

 目を見開いた彼を見て、祈は自然と頬を緩めた。会えた。ようやく。

 

「お久しぶりです」

「えっ、ちょっと……なんでおねえさんがここに? 待ち合わせ場所にいるはずじゃ…」

「公安の方に、エンデヴァー様の治療をとのことで呼ばれました。あと…病院に来ればあなたにも会えるかと思いまして」

 

 あまりにも素直に言われて。ホークスは、一瞬だけ言葉を失った。

 

「……俺に?」

「はい」

 

 祈は小さく頷く。

 

「少しでもお顔を見られたらと」

「……そっか」

 

 ホークスは、ふっと表情を緩めた。

 

「……会えた」

「はい。会えましたね」

 

 祈は微笑んだ。

 

「お元気そうでよかったです」

「おねえさんも」

 

 ホークスは彼女の顔を見つめる。

 

「……元気そうでよかった」

「あなたも、ご無事でよかったです」

 

 祈は彼の顔を見上げた。疲れている。いつもより顔色も悪い。羽も少ないうえ、体中に傷がある。それでも、こうして立っている。そのことにひとまず安堵した。

 

「お怪我はありませんか?」

「まあ、多少は。でも大丈夫ですよ」

「本当ですか?」

「本当です。俺、結構頑丈なんで」

「……そうでしょうか」

「そこは信じてくださいよ」

 

 軽いやり取り。祈は小さく笑った。

 

「……よかった」

 

 その声があまりにも柔らかくて。ホークスは少しだけ目を細めた。

 

「それでは、エンデヴァー様の治療に行ってきますね」

「俺もついていきます、中には入れないかもしれませんけど」

 

 祈は少し迷ってから尋ねた。

 

「……終わったら、またお話しできますか?」

「もちろん」

 

 ホークスはすぐに答えた。

 

「待ってます」

「ありがとうございます」

「無理はしないでくださいよ」

「……ふふ。気をつけます」

 

 そう言って、祈は処置室へ入った。

 

     

 

 

 そこには、傷だらけのエンデヴァーの姿があった。

 顔の左側を中心に、ひどい怪我を負っている。身体にも深い傷が残っていた。祈は一瞬、言葉を失った。

 

「これは…」

 

 思っていたよりも、ずっとひどい。だが―――自分なら、治せる。

 祈はそっと手を伸ばした。

 

「…始めます」

 

 個性を発動する。

 傷口に淡い光が集まり、裂けた組織が少しずつ繋がっていく。出血が止まる。呼吸が安定する。内側の損傷も、危険な部分から順に修復されていく。

 

「最低限と伺っていますが」

 

 祈の手が止まった。目の前の傷を見つめる。

 最低限。命を取り留めるための治療だけで良いと言われている。しかし。

 

「……すぐに治した方がいいのでは……」

 

 傷を残す必要などない。治せるのなら、治せばいい。そう思って、もう一度手を伸ばそうとした。

 

「っ、おねえさん」

 

 背後から声がした。

 

「ダメだ」

 

 祈が振り返る。

 

「確かに、戦えるようになった方がいいですよ」

 

 ホークスは、エンデヴァーを一度見てから祈を見る。

 

「でも、エンデヴァーさんには休む時間も必要です」

「……」

「それに」

 

 ホークスの視線が、祈の手へ落ちる。

 

「おねえさんの負担にもなる」

「ですが……」

「ダメです、必要最低限でいい」

 

 今度ははっきりと言った。

 

 ホークスがそう言うなら、と祈は黙った。

 

「……分かりました」

 

 祈は再びエンデヴァーへ向き直る。

 傷を完全に消すことはしない。生命に関わる損傷を塞ぎ、出血を止め、身体がこれ以上悪化しないところまで。そして、残った傷はそのままにする。

 やがて、エンデヴァーの呼吸が安定した。

 

「……これで大丈夫です」

 

 祈が手を離す。エンデヴァーの左顔面には、後に残る傷がまだ残っていた。けれど、命の危険は去っている。

 

「安定しました」

 

 医療スタッフが確認する。祈は小さく頷いた。

 

「よかった……」

「神代さん」

 

 公安職員が声をかける。

 

「こちらは医療班に任せます。別室へ移動をお願いします」

「はい」

 

 祈は立ち上がった。そして、ホークスを見る。

 

「ホークスくんも、こちらへ」

「……」

 

 ホークスは祈について、別室へ移動した。

 

     

 

 別室に入ると、祈はすぐにホークスへ向き直った。

 

「では、ホークスくんも」

「え?」

「治療をしましょう」

 

 祈が手を伸ばす。その手を、ホークスが掴んだ。

 

「……?」

「どうして」

 

 ホークスの声は、先ほどまでとは違っていた。

 

「どうして今まで、さっきみたいな治療をしなかったんです?」

「……?」

「今まで、完治させてましたよね。でもさっきは完治させなかった」

「はい」

「どうして今まで、本人の治癒力に任せなかったんですか」

 

 祈は少し考えた。

 

「…人はすぐに死にますから」

「え?」

「怪我も簡単には治りません」

 

 祈は静かに答える。

 

「病気になったら、死ぬかもしれない」

「……」

「私なら治せるから…大丈夫です」

 

 ホークスの眉が寄った。

 

「そういう問題じゃない」

「ですが」

「っそういう問題じゃないんです!」

 

 握られていた力が、少し強くなる。

 

「おねえさんが治せるからって、全部治す必要なんてないでしょう?!」

「治せるものを治さない理由が、私には分かりません」

「っ俺には分かる」

 

 ホークスは言った。

 

「おねえさんが、無理するからです」

「私は無理など――」

「してるでしょう!」

 

 ホークスの手が離れ、言葉が重なった。祈が黙る。ホークスは一度だけ息を吐いた。

 

「…自分が傷つくこと、全然気にしてない」

「……」

「誰かが怪我してたら、自分が治せばいい。死にそうなら、自分が助ければいい。自分がどうなるかなんて、後回し」

「……」

「それじゃ、おねえさんが壊れる」

「私は壊れませんよ」

「そうやって言うところも嫌なんです」

 

 祈は目を瞬いた。

 

「……ホークスくん?」

「っもう、いいです」

 

 祈が再び手を伸ばす。

 

「せめて治療だけでも――」

 

 その手を、ホークスはばしんと払った。

 

「……必要ありません」

 

 祈の手が宙で止まる。

 

「今、おねえさんと話したくない」

「……」

 

 静かな部屋に、重い沈黙が落ちた。祈はしばらくホークスを見つめた。

 

「どうして」

 

 小さな声だった。ホークスは答えなかった。代わりに、苦しそうに目を伏せる。それでも、祈は続けた。

 

「私が、何か……」

「自己犠牲はただの独りよがりって、知ってます?」

 

 ホークスが遮った。

 

「……」

「自分が助けたいからって、周りの気持ちを置いていくのは、独りよがりでしょう」

 

 その言葉を聞いて。祈の表情が、ほんの少しだけ揺れた。

 

「……そう、ですね」

「……」

「…ホークスくんは、そういう私が」

 

 祈は静かに尋ねる。

 

「お嫌いですか?」

 

 ホークスは答えようとして。できなかった。

 好きだから。大事だから。だからこそ、腹が立った。けれど、その感情をうまく言葉にできない。出てきたのは、もっと幼くて、もっと傷つける言葉だった。

 

「……そういうおねえさん、大嫌いです」

 

 祈の目が、僅かに見開かれた。

 ホークス自身も、その言葉を口にした瞬間に後悔した。けれど。

 

「……」

 

 もう取り消せなかった。

 

「……すみません」

 

 そう言い残して、ホークスは部屋を出ていった。

 扉が閉まる。静かだった。

 ひとり残された祈は、先ほど払われた自分の手をゆっくりと見つめる。痛くはない。けれど、胸の奥が妙に冷たかった。

 

「……」

 

 九州まで来た。会いたかった。会えたことが、嬉しかった。無事だったことが、嬉しかった。少しだけでも話したかった。それなのに。

 

「……嫌われたくは、なかったのですが」

 

 ぽつりと呟く。返事はない。

 

 祈は俯いた。白いヴェールの向こうで、その表情は誰にも見えない。

 ただ、膝の上で。行き場をなくした手だけが、静かに握られていた。

 

 

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