神様にはなれない私たち   作:琴ノ葉しずく

89 / 90
第77話 拒絶と、ときめき

 

 

ヴィラン連合のアジトは、どんよりとした薄暗さに包まれていた。

 

 壁際に置かれたへたったソファ。手垢のついた使い古しのテーブル。雑然としたコンクリートの室内には、誰かがどこからか持ち込んだ菓子の空き袋や飲料の空き缶が、片付けられることもなくそのまま転がっている。

 

 監禁されていたはずの部屋から連れ出された祈は、そのひんやりとした一角で静かに床に膝をついていた。

 

「……失礼しますね」

 

 目の前に座り込む男の腕を、そっと両手で取る。

 鱗のような独特の皮膚に覆われたその腕は、衣服の袖ごと派手に裂け、前腕部には生々しく深い切り傷が走っていた。どくどくと流れる血はすでに止まりかけているものの、抉れた傷口の有様はひどく痛々しい。

 

「……なぁ、マジで俺を治す気かよ?」

 

 怪訝そうな声を上げたのは、治療を受けている当人――スピナーだった。

 彼はその爬虫類のような特異な相貌を歪め、掴まれた自分の腕と、祈の白いヴェールの奥にある瞳を交互に何度も見つめる。

 

「怪我をしていらっしゃいますので。少し、じっとしていてくださいね」

「おいおい、ここがどこだか分かって言ってんのか? おい」

 

 壁に背中をもたれ、その光景を眺めていた荼毘が、心底呆れたように冷たい声をかけた。

 祈は、手元を狂わせることなく平然と答える。

 

「はい。ヴィラン連合のアジトですね。トゥワイスさんたちからも伺いました」

「……分かっててそれかよ。お前、頭のネジでもぶっ飛んでんじゃねぇの」

「怪我をしている方を、そのままにしておく理由にはなりませんから。敵であれ、味方であれ、痛むものは痛むのでしょう?」

 

 スピナーはますます戸惑ったように、背後の死柄木たちへと視線を彷徨わせた。

 

「おい、死柄木……いいのかよ、これ。こいつ、例の『灯』が勝手に拉致ってきたオリジナルなんだろ? 大人しく転がしておく予定じゃなかったのか?」

「連れてきた灯のやつ、お前と話終わって飯食ったら速攻で部屋に引きこもりやがった。目的の引き渡しを無視してここに置いておくとか、マジで何を考えてんだか分かんねえよ」

 

 荼毘が吐き捨てるように言う。その言葉を聞きながら、祈は小さく首を傾げた。

 

「灯さん……。あの子は、私のクローンですよね。ですが、私とは全然違いましたよ。……少し、悲しい目をしている子でしたけれど」

「悲しい目ぇ? あいつが? 冗談だろ。お前を拉致ったときも、エンデヴァーたちの前でも、虫ケラでも見るような無表情だったぜ。お前、あいつのどこを見てそんなこと言ってんだ」

 

 荼毘の皮肉を、祈は静かに受け流した。

 彼女は何も言わず、スピナーの裂けた腕に視線を戻す。白く細い指先が、生々しい傷口の縁へと優しく触れた。

 

 彼女の個性が静かに駆動する。

 淡い光が、スピーカーの皮膚の下を走った。

 裂けていた組織が急速に繋がり、損傷した筋肉の線維が瞬く間に元の形へと修復されていく。溢れかけていた出血は完全に止まり、抉れていた傷口は、衣服の擦れる音だけが響く静寂のなかで、少しずつ、確実に閉じていった。

 スピナーが、その大きな目を見開いた。

 

「……おお……っ!?」

 

 痛みに歪んでいた彼の顔が、驚愕と共に次第に緩んでいく。

 祈は手を止め、穏やかに語りかけた。

 

「ゆっくり動かしてみてください。治したばかりですから、まだ無理は禁物ですよ」

「あ、ああ……。マジかよ、これ……」

 

 スピナーは恐る恐る、自分の前腕を曲げたり伸ばしたりした。

 激痛はどこにもなかった。それどころか、あれほど深く抉れていた傷跡すら、皮膚の表面にはほとんど残っていない。

 

「すげぇ……おい、完全に元通りだぞ、これ! すげぇ!」

「大成功だ! いや、大失敗だ! いや、大成功に決まってんだろこれ!」

 

 トゥワイスがソファから思わず身を乗り出し、大声を上げる。

 

「どっちなんだよ、うるせぇな」

 

 荼毘が冷たく突っ込む。

 祈は、スピナーの腕をそっと離し、衣服の袖を整えてあげた。

 

「これで大丈夫です。もし、まだ内側に鈍い痛みが残るようでしたら、遠慮なく仰ってくださいね」

「……あ、ああ。……悪りぃな、助かった」

 

 スピナーが、敵であるはずの少女に対して、戸惑いながらも素直に礼を口にした。祈は嬉しそうに微笑む。

 

「どういたしまして。お役に立ててよかったです」

 

 その一連のやり取りを、少し離れたカウンターの影から、死柄木弔がじっと眺めていた。

 彼の指先が、無意識のうちに自らの首元を執拗に掻きむしる。

 カリ、カリ。

 皮膚が赤く変色していく。

 

「……お前」

 

 低く、掠れた声が室内に響いた。祈が顔を上げる。

 

「はい? 死柄木様」

「何で、そいつを治す」

「……怪我をしていらっしゃいましたので」

「そういう表面的な話じゃねぇんだよ」

 

 死柄木は苛立たしげに首を掻きむしる速度を上げた。

 

「ここにいる連中は、あの灯がどこからか連れてきたとはいえ、お前を物理的に拘束したヴィランだ。ヒーロー社会の敵だろ。なのに、何でそんなに平気な顔をして助けるんだ」

 

 祈は少し考え、それから静かに死柄木を見つめた。

 

「怪我をしている方を治すことと、その方がこれまでの人生で何をしたのかは、全く別の話だと思います」

「……あ?」

「その方が、社会において悪いことをしたのであれば、それはそれとして、しかるべき場所で考えなければなりません。でも、今、目の前で怪我をして苦しんでいることまでを、放っておいていい理由にはならないでしょう? 痛みを放置することは、何の解決にもなりませんから」

 

 死柄木は重く口を閉ざした。

 荼毘が、つまらなそうに横から口を挟む。

 

「随分とご立派な聖者様だな。敵だろうが味方だろうが、平等にお慈悲を与えてやるってか。反吐が出るね」

「お慈悲、というほどの大層なことではありませんよ」

「へぇ」

 

 荼毘の口元が、歪に吊り上がる。

 

「じゃあ、俺も治してくれよ。前に自分の炎で焼いたここ、皮膚が突っ張って、今もまだ時々痛むんだよな」

 

 祈は、荼毘の顔や腕に刻まれた、紫色の継ぎ接ぎの皮膚をじっと見つめた。

 青い炎を操る男。三ヶ月ほど前の林間学校のとき、自分を容赦なく炎で焼いた人間。あのときの凄まじい熱と、皮膚が焦げる匂い、骨の砕ける音。そして彼が自分に向けて放った強烈な憎悪を、祈は今なお鮮明に記憶していた。

 

 けれど、彼女の青い瞳には、恐怖も嫌悪も浮かばない。

 

「……拝見してもよろしいですか?」

「は?」

「痛むのでしょう? でしたら、その突っ張りを取り除くくらいは、私にもできると思います」

 

 荼毘は一瞬、言葉を失った。

 本気で、自分を焼いた男の傷を治そうとしている。毒気を抜かれたように鼻で笑った。

 

「……本当に、気味が悪いな、お前は」

 

 祈は答えなかった。荼毘は壁から背を離すと、片手を軽く振って彼女を拒絶する。

 

「遠慮しとくわ。お前に無闇に触られる趣味はねぇよ」

「そうですか。気が変わったら、いつでも仰ってくださいね」

「それにさぁ、俺のこれが完全に治っちまったら、困る奴がすぐ隣にいるだろ?」

 

 荼毘の視線の先で、死柄木が彼を鋭く睨みつけていた。

 

「……荼毘、お前は黙れ」

「はいはい」

 

 荼毘は肩を竦め、元の位置へと戻っていく。

 

「お優しいお姫様に、嫌われたくないからな。これ以上は口を慎むよ」

「……誰がお姫様だ。殺すぞ」

 

 死柄木の声が、目に見えて低くなる。祈は二人を見比べて、少しだけ困ったように微笑んだ。

 

「……仲がよろしいのですね」

「「よくねぇよ」」

 

 死柄木と荼毘の声が、見事に重なった。

 それを見たトゥワイスが、今度は腹を抱えて大爆笑し始める。

 

「仲良しだ! 大の親友だ! いや、殺し合いの仲だろこれ!」

 

 騒がしくなるアジトの室内。

 祈は、ほんの少しだけ目を細め、その光景を眺めていた。ホークスに拒絶されて以来だった。彼女の胸の痛みが、この騒々しい悪党たちの日常のなかで、ほんの少しだけ紛れていくような気がした。

 その様子を、死柄木は首を掻く手を止めてじっと見つめていた。

 彼の脳裏に、数ヶ月前のショッピングモールでの出来事が、生々しい質感とともに過る。

 

 あのとき。

 祈が自分の手に直接、触れたのだ。

 ほんの一瞬だった。自分の個性『崩壊』が発動するはずの局面だった。触れたものを、指先から容赦なく塵に変えていく暴力。それが、死柄木弔という存在のすべてのはずだった。

 

 なのに。

 あの瞬間、死柄木の肉体は、自らの意志を置き去りにして動いていた。

 祈の手を、強引に、弾き飛ばしたのだ。無意識のうちに。

 彼女を、崩壊させないように。

 自分の手で、彼女を破壊の渦から遠ざけた。

 何故。何故、自分はそんな矛盾した真似をした。

 あのとき、胸の奥底に生まれた、妙な、言葉にできない感覚。それは、決して不快なものではなかった。むしろ、心臓が耳の奥でうるさく跳ねるような、自分でも制御できない、どうしようもなく落ち着かない感覚。

 

 ――ときめき。

 社会の底辺で、壊すことだけを教えられてきた男の語彙のなかでは、その言葉で表現するのが、最も近かった。

 

「……おい」

 

 死柄木が、重く口を開いた。祈が振り返る。

 

「はい?」

「お前、あのときのショッピングモールで、俺の手に触ろうとしただろ」

「……はい。そうですね。よく覚えています」

「俺、あのとき……お前を崩壊させなかった」

 

 祈は、白いヴェールの下で目を丸くした。

 

「……そうなのですか?」

「触られた瞬間、お前は塵になるはずだった。俺の個性が、お前を五指で捉えるはずだった。なのに、俺はお前を弾いた」

 

 死柄木は、自らの手を見つめる。

 

「……完全に、無意識だった」

 

 祈は、静かに彼の独白を聞いていた。

 

「お前を壊さないように、俺が、身体を勝手に動かしたんだ……」

 

 そこまで言葉にしてから、死柄木は不快そうに眉を寄せた。何故そんなことをしたのか、何故、あの瞬間だけ自分の個性が狂ったのか、答えは出ない。ただ、あのとき胸の奥に生まれた、熱い感覚だけは、今も消えずに残っていた。

 

「……変な感じだった。お前に触られて……」

 

 死柄木は顔を上げ、祈の青い瞳を真っ直ぐに見据えた。

 そこからは、やはり何の偏見も恐怖も読み取れない。彼は一瞬躊躇い、それから自暴自棄に、激しく首元を掻きむしりながら吐き捨てた。

 

「……ときめいたんだよ。クソが」

 

 一瞬の、強烈な沈黙。

 アジトの空気が完全に凍りついた。

 スピナーが持っていた道具を床に落とし、トゥワイスは仮面の奥で限界まで目を見開いた。

 

「ときめいた!?死柄木が!? いや、何に!? 何でこのタイミングで告白してんだよお前!!」

「うるせぇ、殺すぞ!!」

 

 死柄木が怒鳴りつける。

 荼毘は、言葉を失ったあと、心底呆れたように深い溜息を吐き出した。

 

「……お前、マジで何言ってんだ? 脳みそ腐ってんのか」

「黙れと言っている」

「いや、だってよ。ヴィランの親玉が、拉致ってきた女に触られてときめいたって……どんなギャグだよ、それ」

「黙れっつってんだろ、灰にするぞ!!」

 

 祈はしばらくの間、怒鳴り散らす死柄木の姿をじっと見つめていた。

 それから少しだけ首を傾げ、困ったように微笑む。

 

「……ときめき、ですか?」

 

 祈は、自らの胸元に手を当てた。

 

「いえ、死柄木さん。あれは、私の内にある個性の側面が、あなたの崩壊の衝動に対して防衛的に反応した結果ではないかと――」

「やっぱりな」

 

 死柄木が、祈の説明を遮り、妙に確信に満ちた声を出した。

 

「……え?」

「お前の個性が、俺の存在に反応したんだろ。お前のなかのナニカが、俺を拒絶しなかった」

「……干渉を拒絶はしましたが、それは私の意思というよりは、個性の影響でして……」

「だから、俺はお前を壊さなかった。お前のその個性の反応に対して、俺の身体が応えたんだ」

 

 祈は、それ以上どう説明すればよいのか分からなくなり、言葉を止めた。

 

「……いえ、そうではなくて……」

「俺の意思だ」

 

 死柄木は、自分の手のひらをもう一度見つめる。

 

「俺が、お前を壊したくなかった。……そういうことだろ。他人のために自分を削るようなお前のその歪みが、俺のなかのナニカに引っかかったんだ」

「……」

 

 祈は困惑した。確かに、あのとき彼女の『ハイド』は反応した。死柄木の放つ崩壊の力に対して、祈の肉体を守るように強烈な拒絶の波を放ったのだ。けれど、死柄木自身が「壊したくなかった」と、自らの意志で彼女を弾いたというのなら。それは、彼の精神が、無意識のうちに彼女の存在を肯定したということなのだろうか。

 

「……不思議ですね」

 

 祈がぽつりと呟く。

 

「何がだ」

「あなたが、私を壊さなかったことです。私は、誰かに壊されることも、誰かの代わりになることも、ずっと当然のことだと思って生きてきましたから」

 

 死柄木は、少しだけその鋭い目を細めた。

 

「……そうだろ。俺はお前を壊さなかった。俺の個性は、お前には通じないし、俺自身がそれを拒んだんだ」

「はい、ありがとうございます、死柄木様」

 

 死柄木が首を掻く手が、ピタリと止まった。

 

「……は? 何で俺に礼を言う」

「私を壊さないで、生かしてくださったのでしょう? それは、とても有り難いことです」

「……ああ」

 

 死柄木は、自らの胸の奥が、何故か先ほどよりもさらに熱くなるのを感じていた。

 自分はただの破壊者だ。誰かに生かしてくれたと、そんなふうに感謝されたことなど、これまでの人生でただの一度もなかった。向けられるのはいつも、恐怖と、嫌悪と、拒絶の視線だけ。それなのに、この女は自分の歪みすらも真っ正面から受け入れ、感謝している。

 

「……別に、礼を言われるようなことじゃねぇよ。気色の悪い……」

 

 死柄木はそっぽを向いたが、その耳の裏が微かに赤くなっているのを、トガは見逃さなかった。

 荼毘が、横から冷ややかに口を挟む。

 

「……お前ら、敵のアジトで何の話をしてんだよ、本当に。おい、死柄木。お前、今、拉致ってきた人質に礼を言われて、明確に喜んでんじゃねぇか」

「喜んでねぇ!! 殺すぞ、荼毘!!」

「はいはい、お熱いことで」

 

 祈は、小競り合いを始める二人を見比べ、くすりと笑った。

 

「……やはり、皆さんはとても仲がよろしいのですね」

「「だから違ぇって言ってんだろ!!」」

 

 死柄木と荼毘の怒鳴り声が、再び綺麗に重なった。

 アジトの薄暗い空気のなかに、祈の穏やかな笑い声が静かに溶けていった。

 

 

 




年上お姉さんに対して暴走気味な死柄木くん。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。