バカが知らん島に飛ばされたらヒナに遭遇した件   作:ヒナ推しのDO S

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ミレニアムの整備士

 

 

 

 

センチュリー号の金属輪が、軋み混じりの重厚な音を立てて速度を落としていく。

 

車窓の外を流れていた黒ずんだ針葉樹の影がゆっくりと勢いを失い、やがて視界は朽ちかけた木造の屋根と、赤錆びた鉄骨が組み合わされた古い廃駅の構内へと切り替わった。線路の脇には見捨てられた炭坑の資材や、いつの時代のものかもわからない古びた台車が転がっている。

 

シューッ、という長い蒸気の排出音とともに、装甲機関車は静かにその巨体を停止させた。

 

「ふう……ひとまずはここまで来れば安心だ。この廃駅は周囲を崖に囲まれていてな。奴の巨大な車体じゃ、線路を伝ってくる以外に侵入経路がない。視界も開けているから、万が一の時も遠くから察知できる」

 

操縦席で圧力弁を調整していた日新トシビが、胸を撫で下ろしながら振り返った。

その手際には無駄がなく、短期間でこの装甲機関車を扱い慣れた者の手つきだった。

 

ベンチの上で毛布を羽織っていた空崎ヒナは、ゆっくりと上身を起こした。先ほどまでの激しい目眩と胃を絞られるような嘔吐感は、冷たい水を口にし、トシビの介抱を受けたことで幾分か和らいでいた。しかし、顔色にはまだ蒼白さが残り、頭上のヘイローも普段の揺るぎない輝きに比べれば、どこか微細な揺らぎを帯びている。

 

「……助かったわ、トシビ。ここなら……少しは落ち着けそうね」

 

ヒナは細い指先で毛布の端を握りしめながら、周囲を見回した。

車内は石炭の燃える熱気と、機械油の独特な匂いに満ちている。外の気味の悪い異臭や、あの化け物が撒き散らしていた冒涜的な気配は完全に遮断されていた。鉄板に囲まれた狭い空間だが、今のヒナにとっては世界で最も安全なシェルターのように感じられた。

 

「まだ無理はするなよ、ヒナ。あいつ——チャールズが放つプレッシャーは、精神に直接作用する『毒』みたいなもんだ。お前がどんなに頑丈でも、脳と心が拒絶反応を起こしてちゃ、力なんて入りようがない」

 

トシビは作業用の手袋を外すと、操縦席の脇から木製の丸椅子を引き寄せてヒナの正面に腰掛けた。油で汚れた手拭いで顔の煤を雑に拭き取り、真剣な眼差しをヒナに向ける。

 

「……そうね。銃を撃つどころか、視界に入れることすら身体が拒んだ。……ゲヘナのどんな暴徒も、どんな巨大兵器も、あんな真似はしてこなかったわ。……不甲斐ないけれど」

 

ヒナは自嘲気味に呟き、小さく溜め息をついた。風紀委員長として、常にゲヘナの頂点に立ち、あらゆる脅威をその手に握る機関銃でねじ伏せてきた。そんな自分が、一発の弾丸も撃てずに倒れ込んだという事実は、誇り高い彼女の心に重い影を落としていた。

 

「自分を責めるなよ。俺だって最初は地面に這いつくばって、胃液を吐き出すことしか出来なかったんだからな。……キヴォトスで暮らしてきた俺たちにとって、あの『機械と生き物が歪に混ざり合った存在』は、理解の範疇を超えているんだ。神秘も常識も通用しない……それが、このアランネア島の『ルール』なんだよ」

 

「……この島のルール……?」

 

ヒナは眉をひそめ、トシビの言葉を繰り返した。

 

「ああ。お前が目覚める前に俺が調べて分かったこと、そして……俺にこの島で生き残る術を教えてくれた『ある人』から聞いた話だ」

 

トシビは遠くを見るような目をし、ゆっくりと語り始めた。

 

「俺がこの島に飛ばされてきたのは、お前よりもずっと前のことだ。気がついたら、ミレニアムの自室でも部室でもなく、あの霧の深い森の中にいた。通信機は全滅、GPSも作動しない。右も左もわからないまま彷徨っていた俺の前に、いきなりあのチャールズが現れたんだ」

 

トシビの肩が、思い出して一瞬だけ小さく震えた。

 

「言葉にならない恐怖だった。蜘蛛のような脚で迫ってくる真っ赤な蒸気機関車……そして、その前頭部に張り付いた人間に似た不気味な『顔』。逃げようとしても足がすくんで動かない。絶体絶命だった俺を救ってくれたのが……『ユージン』という老人だった」

 

「ユージン……? 先ほど言っていた、この機関車の元の持ち主かしら」

 

「そうだ」

 

トシビは大きく頷いた。

 

「ユージンはこの島で生まれ育った、元炭鉱技師のじいさんだった。頑固で、言葉遣いは荒いが……根はすごく暖かくて思慮深い人だったよ。身寄りのない俺を自分の隠れ家に匿ってくれて、この島で何が起きているのかを教えてくれたんだ」

 

トシビの話によれば、このアランネア島はかつて豊富な鉱脈を誇る静かな離島だったという。だが、数年前の地下深脈の掘削事故を境に、島は一変した。地下深くから発見された不気味な古の遺物……そしてそこから生まれたのが、あの怪物『チャールズ』だった。

 

チャールズは島に住む人々を襲い、島外への連絡手段を断ち切り、この小さな島を完璧な狩場へと変え死の街へと変貌させた。さらには、その恐怖に狂狂し、チャールズを神と崇める狂信者の集団までもが現れ、島は完全に隔離された地獄と化したのだという。

 

「ユージンは、ただ一人でその絶望に抗い続けていた」

 

トシビの言葉に熱が籠もり始める。

 

「島に残された廃材と自身の技術をかき集めて、この装甲機関車『センチュリー号』を作り上げたんだ。奴の追撃をかわし、島中に散らばる生き残りを助け、いつかあの化け物を倒すための準備を、たった一人で進めていた。……俺が会った時には、もうずいぶんと体を壊していたけれど、その目は少しも折れていなかったよ」

 

「……一人で、そんな過酷な戦いを……」

 

ヒナの脳裏に、かつて一人でゲヘナの秩序を守るために孤軍奮闘していた自分の姿が重なった。だが、ユージンの置かれた環境は、ヒナのそれよりも遥かに過酷で絶望的だったはずだ。援軍も、信頼できる部下も、待っていてくれる者もいない環境。

 

「ユージンは俺に、機械の扱い方やこの島の構造、そして線路を使ったゲリラ戦のノウハウをすべて叩き込んでくれた。ミレニアムで古典的な内燃機関や機械工作を学んでいた俺の知識も役に立ったよ。二人でセンチュリー号を改造し、装甲を補強し、武器を取り付けた。……あの数週間は、死と隣り合わせだったが、不思議と悪くない時間だった」

 

トシビは一度言葉を切り、深く息を吐き出した。その表情に、暗い影が差し込む。

 

「……だが、あの日はあまりにも突然だった」

 

「……っ」

 

ヒナは息を呑んだ。トシビの雰囲気が一変したことで、次に彼が何を語るのかを悟ったからだ。

 

「燃料と弾薬を補給するために、かつて鉱山街だった場所の倉庫へ向かった時のことだ。カルトの連中に待ち伏せされていた。……やつらはチャールズを呼び寄せるために、俺たちの居場所を音で知らせやがったんだ」

 

トシビの拳が、膝の上で固く握りしめられた。指関節が白く変色するほど強い力だった。

 

「あっという間にチャールズが押し寄せてきた。線路は寸断され、センチュリー号は身動きが取れなくなった。修理しようにも、周囲はチャールズの咆哮と狂信者たちの銃撃で地獄絵図だった。……俺はパニックになったよ。恐怖で頭が真っ白になって、工具を持ったまま動けなくなった」

 

「……トシビ……」

 

「そんな俺を、ユージンが突き飛ばしたんだ。彼は自分の一愛用の散弾銃を構えて、立ち塞がった。……体がボロボロだったはずなのに、その背中はすごく大きかった」

 

トシビの目元がわずかに潤む。だが、彼は決して涙をこぼさなかった。

 

「ユージンは俺に向かって叫んだんだ。『トシビ! 機関車のボイラーに火を入れろ! 逃げろ!』って。俺は嫌だと言った。じいさんを置いてなんて行けないって。でも、ユージンは笑いながら……俺にこう言ったんだ」

 

トシビは天を仰ぎ、ユージンの最期の言葉を噛み締めるように紡ぎ出した。

 

『お前にはまだ、未来がある。こんな狂った島で命を散らしていい人間じゃない。俺の役目は、ここまでだ……だが、この機関車をお前に託す。センチュリーの灯を絶対に消すな。この鉄塊で、チャールズを倒し、この島を解き放ってくれ』

 

「……それが、ユージンの最期の言葉だった」

 

車内に静寂が訪れる。ボイラーの奥で炭が弾ける小さな音だけが、不規則に響いていた。

 

「ユージンは自分を犠牲にしてチャールズの注意を引きつけ、手榴弾で線路の障害物を吹き飛ばしてくれた。俺は……泣きながら操縦桿を倒して、センチュリー号を加速させた。後ろで鳴り響く銃声と、あの化け物の咆哮を聞きながら……俺はただ、逃げることしか出来なかったんだ」

 

トシビは手で顔を覆った。しばらくの間、肩が小さく揺れていたが、やがて彼が顔を上げた時、その瞳には硬質な決意の光が宿っていた。

 

「……俺はあの時、誓ったんだ。絶対に生き残るって。そして、ユージンの遺志を継いで、このセンチュリー号で必ずチャールズを叩き潰すってな。どんなに恐ろしくても、どんなに不気味でも……逃げて終わりにはしない。俺がこの島で出会ったユージンとの約束を、果たすまでは」

 

トシビの言葉には、迷いや揺らぎが一切なかった。非戦闘員のミレニアム生でありながら、彼は命がけの戦いに自らの意志で身を投じていたのだ。亡き老人の遺志を胸に刻み、たった一人で装甲機関車を駆り、異形の恐怖に立ち向かい続けてきた。

 

ヒナは言葉を失っていた。

 

(トシビは……こんな重いものを背負って、ここで戦っていたのね……)

 

自分はどうか。

キヴォトスで圧倒的な武力を誇り、風紀委員長として恐怖や不条理を排してきたはずの自分。それがいざ異世界の理不尽な恐怖に直面した途端、生理的な吐き気と不快感に屈し、旧友に抱えられて救出され、こうして車内で怯えている。

 

胸の奥が、焼けるように熱く、痛かった。悔しさと、己の無力さに対する強烈な苛立ち。

 

「……トシビ。あなたは……すごいわね」

 

ヒナの口から漏れたのは、偽りのない本音だった。

 

「私なんて……あの化け物の姿を見ただけで、まともに立つことすら出来なかった。風紀委員長なんて名乗っておきながら、あなたに守られて……ただの足手まといじゃない」

 

「そんなこと言うな」

 

トシビは即座にヒナの言葉を遮った。

 

「言っただろ、ヒナ。お前はまだこの島の異質さに脳が追いついていないだけだ。お前の強さや、そのヘイローに宿る『神秘』が消えたわけじゃない。時間が経てば、お前は必ず適応する。俺はお前を知っている……ゲヘナの誰よりも不屈で、どんな困難にも折れないお前の姿をな」

 

「……トシビ……」

 

「俺はエンジニアだ。戦うのは得意じゃない。でも、お前が復調するまでの間、このセンチュリー号とお前を守り抜くことくらいはやってみせる。だから……焦るな。今は体と心を休めろ」

 

トシビは優しく、しかし力強く微笑んだ。

その笑顔は、かつてキヴォトスで交わした何気ない日常の会話の時と同じ、温かいものだった。

 

「……はぁ。本当に……あなたには敵わないわね」

 

ヒナは溜め息をつき、困ったように小さく笑った。だが、その瞳の奥には、小さくとも消えない灯火が灯り始めていた。

 

◇

 

夜が訪れた。

 

アランネア島の夜は、キヴォトスのそれとは比べものにならないほど深く、暗い。

空を覆う分厚い雲が月光を完全に遮り、廃駅の構内は漆黒の闇に包まれていた。聞こえるのは、森の奥で吹きすさぶ風の音と、時折遠くで響く正体不明の獣の遠吠えだけだ。

 

センチュリー号のボイラーは出力を最小限に抑えられ、車内にはかすかなランタンの明かりだけが灯っていた。

 

「……すー……すー……」

 

操縦席の脇で、トシビが壁に背を預けたまま静かな寝息を立てていた。連日の機関車の運用と修繕、そしてヒナの救出劇による疲労が限界に達していたのだろう。手帳とスパナを抱えたまま、深い眠りに落ちている。

 

だが、ベンチに横たわっているヒナは、一向に眠ることが出来ずにいた。

 

(……ダメね。目を閉じると……)

 

瞼を閉じた瞬間、脳裏にあの光景が鮮明にフラッシュバックする。

赤く錆びついた車体。わさわさと蠢く無数の黒い脚。そして、あの車体前面に張り付いた青白い「人間の顔」。濁った黄色い瞳が自分を見下ろし、裂けた口から不気味な咆哮を撒き散らす場面。

 

「っ……!」

 

ぞわかりと背筋に悪寒が走り、ヒナは咄嗟に目を開けた。

荒い呼吸を整えようと、胸に手を当てる。心臓が嫌なリズムで跳ねている。手先は冷たく、額には不快な冷汗が滲んでいた。

 

(……恐ろしい……。身体が、あの存在を拒絶している……)

 

自分の肉体が発する警報を、ヒナは嫌というほど理解していた。これは傷による痛みではない。魂の根本が「存在してはならないもの」に対して起こしている拒絶反応だ。

 

ヒナはゆっくりと身体を起こし、足元に置いてあった『終幕:デストロイヤー』を引き寄せた。

ひんやりとした重厚な鉄の感触。指先でフレームを撫でる。長年、自分の体の一部として扱ってきた愛銃だ。これがあれば、どんな敵であっても打ち砕くことができた。

 

だが、今はこの重みが、己の無力さを突きつける重石のように感じられた。

 

ヒナは膝を抱え、ランタンの揺れる炎を見つめた。

 

(トシビは……あんな恐怖を乗り越えて、亡きユージンとの約束を果たそうとしている。非戦闘員なのに、泥に塗れ、油に汚れながら……この機関車を走らせている)

 

睡眠時間を削り、傷だらけになりながら、自分を救い出し、水を与え、毛布をかけてくれた。

『お前は焦るな』『俺が守る』と言ってくれた。

 

その優しさが、今のヒナにはたまらなく愛おしく、そして激しく悔しかった。

 

(私は……風紀委員長よ。ゲヘナの治安を預かり、生徒たちの先頭に立つ者……。いつまでも、守られているだけの存在でいていいはずがない)

 

ヒナは愛銃のグリップを固く握りしめた。

指先がかすかに震える。まだ恐怖は消えていない。あの化け物を思い出すだけで、胃がキュッと締め付けられるような不快感が襲ってくる。

 

だが。

 

(……恐怖を消すことはできなくても、それに屈しないことはできるはず)

 

自分には、背負うべきものがある。

ゲヘナに残してきた部下たち、心配しているであろう先生、そして今、目の前で疲れ切って眠っている旧友・トシビ。

 

彼が「センチュリーの灯」を守ろうとしているように。

自分もまた、胸の中にある「風紀委員長としての不屈の誇り」を消えさせるわけにはいかなかった。

 

ヒナは静かにベンチから立ち上がった。

足元はまだ少しふらつく。だが、確かな意思を持って床を踏みしめた。

操縦席へ歩み寄り、眠るトシビの顔を見つめる。煤で汚れた彼の頬、手に刻まれた無数の小さな切り傷。

 

「……トシビ」

 

かすかな声で、彼の名を呼ぶ。トシビは起きない。

 

ヒナは窓枠に手をかけ、暗闇の広がる廃駅の外を見つめた。

不気味な風が吹き抜け、霧が車体を舐めるように流れていく。この闇の向こうには、今もあの狂気の化け物が蠢いているのだ。

 

「……待っていなさい、チャールズ」

 

ヒナの瞳に、冷たく、そして鋭い光が戻り始めていた。

それはゲヘナの風紀委員長として、幾多の死線を潜り抜けてきた絶対的強者の眼光だった。

 

「次は……逃げないわ。あなたがどんなに歪で気味の悪い存在だろうと……私の風紀を乱すというのなら、容赦なく撃ち抜いて見せる」

 

ヘイローが、闇の中で一瞬だけ強く、美しく明滅した。

 

眠れぬ夜は、まだ明けない。

しかし、少女の胸の中で燻っていた小さな不屈の火種は、静かに、しかし確実にその熱を取り戻し始めていた。

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