バカが知らん島に飛ばされたらヒナに遭遇した件 作:UMC OGASOU
先ほどまでの激しい戦闘の残り香である焦げた火薬の匂いと、センチュリー号が吐き出す熱い蒸気が、冷気の漂う空気にゆっくりと溶け込んでいく。
チャールズの幼体群という不気味な脅威を退けた装甲機関車は、切り立った岩壁を縫うように伸びる古い線路を進み、濃霧の隙間にひっそりと姿を現した無人の構造物へと滑り込んだ。
そこは、かつてこの島が鉱山都市として栄えていた時代、鉱石の輸送列車や資材車が点検を受けるために使われていたと思われる、広大な整備駅の跡地だった。
頑丈な鉄骨で組み立てられた巨大な屋根が上空を覆い、線路の脇には何重もの積み出し用プラットフォームと、いくつもの木造やコンクリート造りの倉庫群が立ち並んでいる。人間たちの姿はどこにもなく、風が朽ち果てた看板を揺らすコトコトという音だけが寂しげに響いていたが、少なくとも周囲に狂信者やあの蜘蛛機関車の気配はなかった。
「……ここなら、しばらくは安全そうだな」
トシビが操縦席の窓から顔を出し、慎重に周囲の様子を窺いながら呟いた。
主電源を落とすと、センチュリー号は重々しい金属音とともにその巨大な車体を停止させた。シューッという長い排気音が静まり返った整備駅にひびき渡り、やがて完全な静寂が訪れる。
「……ええ。周囲に動くものの反応はないわ。見張りをするにも視界が遮られていて、一見すると不利に見えるけれど、入り口の線路が狭いから大型の敵なら一箇所で食い止められる。一時的な休息と補給にはうってつけの場所ね」
ヒナは機関銃『終幕:デストロイヤー』を肩に担ぎ直し、センチュリー号のステップから軽やかにホームへと降り立った。
彼女の頭上で揺らめく紫色のヘイローは、先ほどまでの激戦を感じさせないほど穏やかな光を放っている。精神的な乱れは完全に収まり、いつもの冷静で洞察力に満ちた空崎ヒナの佇まいを取り戻していた。
「よし、じゃあ早速作業に取りかかろう。センチュリー号の装甲補強と、ボイラーに使う可燃物、それに弾薬の確保だ。次の戦いがいつ始まるかわからないからな」
トシビも工具箱と大きなキャンバス地の袋を抱えてホームへと降りてきた。煤と油で汚れた作業着の袖を捲り上げる彼の表情には、先ほどの戦闘を乗り越えたことによる確かな自信と、エンジニアとしての熱意が戻っていた。
二人は手分けをして、静まり返った整備駅の探索を開始した。
錆びついた扉を叩き割り、半壊した倉庫の内部へと足を踏み入れると、そこはまさに宝の山だった。
放置された木箱の中には、かつて整備士たちが使っていたであろう未使用のボルトやナット、厚手の鋼板の端材、さらには機械油の缶や、作業用の工具類が埃を被ったまま大量に残されていた。
「ヒナ! こっちだ、すごいぞ! 鉱山警備用の予備倉庫だったらしくて、未開封の弾薬箱が積んである!」
倉庫の奥からトシビの歓声が上がった。
ヒナが駆けつけると、トシビが古い木箱の蓋をバールでこじ開けているところだった。中には、グリースが塗られた状態で保存されていた重機関銃用の大口径弾薬が、ぎっしりと詰め込まれていた。
「……これは助かるわね。私の『終幕:デストロイヤー』の規格とは少し違うけれど、トシビが作った固定銃座の機関銃なら、少しベルトリンクを調整すればそのまま使えるはずよ。私の予備弾薬も、これで撃ち尽くす心配は当分なくなったわ」
ヒナはそう言って、大人二人でも持ち上げるのが難しいほどの重量がある弾薬箱を、両手でひょいと持ち上げた。
「お、おいおい、ヒナ……そんな重いものを一人で……」
「これくらいどうってことないわ。私はキヴォトスの生徒よ? これ以上の重量物を運ぶことなんて、ゲヘナでは日常茶飯事なんだから。……それよりトシビ、あなたはそっちの小さめの資材を集めて。重いスクラップや鋼板は私に任せなさい」
ヒナは少し自慢げに胸を張り、言葉とは裏腹にどこか楽しそうな様子で、巨大な鉄くずや鋼板を次々とプラットフォームへと運び出していった。
トシビは苦笑しつつも、彼女の圧倒的な力に甘えることにした。彼は技術者としての鋭い視線で、センチュリー号の補強に使える質の良い金属板や、ボイラーの燃焼効率を上げるための高品質な石炭の塊、さらには配管の補修に使えるゴムパッキンの代替品などを丁寧に選別し、袋に詰めていく。
「ふぅ……これで半分ってところか」
小一時間ほど泥まみれになりながら作業を続け、集めたスクラップと弾薬箱がセンチュリー号の脇に山高く積み上がった頃、トシビは大きく息を吐いてプラットフォームの縁に腰を下ろした。
「疲れただろ、ヒナ。少し休もう」
「そうね。焦って作業をして、大事な時に体力を切らしてしまっては本末転倒だもの」
ヒナもトシビのすぐ隣に歩み寄り、膝までの制服のスカートを軽く整えてから、ちょこんと腰を下ろした。
二人の距離は、ほんの数十センチ。
風が吹き抜けると、トシビの作業着から漂う機械油と汗の匂いに混ざって、ヒナの髪からかすかに甘い花のような香りが漂ってきた。ヒナは少し照れくさそうに視線を泳がせたが、自分から距離を置こうとはしなかった。
トシビは水筒のキャップを開け、中身の冷えた水を一口飲むと、それをヒナへと差し出した。
「ほら、水分補給だ」
「……ありがとう」
ヒナは水筒を受け取り、直接口をつけないように配慮しながら喉を潤した。冷たい水が身体に染み渡り、疲れた身体が徐々に解きほぐされていく感覚が心地よい。
遠くで金属が軋むような風の音が響いている以外、整備駅は穏やかな静けさに包まれていた。さっきまで地獄のような死闘を繰り広げていたのが嘘のように、ここには静かで優しい時間が流れている。
「……なんだか、変な感じね」
ヒナは水筒をトシビに返しながら、ポツリと呟いた。
「何がだ?」
「こうしてあなたと並んで、何気ない作業をして、静かに休憩していることよ。……キヴォトスにいた頃は、毎日が騒音と爆発と書類の山だったわ。静かに座って誰かとお茶を飲む時間すら、私には贅沢なものだった」
ヒナは遠くの霞んだ天井を見上げ、懐かしむような、どこか寂しげな目を細めた。
「そういえば、トシビ。あなたはミレニアムサイエンススクールの生徒……じゃなくて、エンジニアだったわね。ミレニアムって、やっぱりゲヘナとは全然違う場所なのかしら?」
「全然違う、なんてレベルじゃないぞ」
トシビは苦笑しながら、後頭部の後ろで両手を組んだ。
「ミレニアムはとにかく『合理性』と『成果』の街だ。技術や論理がすべてで、新しい発明や理論を証明できれば、どんなに奇抜なアイデアでも評価される。……まあ、そのせいで毎日どこかの部活が怪しい実験をして爆発事故を起こしたり、ロボットが暴走したりして大騒ぎになってるんだけどな」
「ふふっ、爆発事故ならゲヘナも負けていないわよ」
ヒナの唇から、小さく可憐な笑い声が漏れた。
「ゲヘナの場合は『合理性』なんて高尚な理由じゃないわ。ただ『面白そうだから』とか『邪魔だったから』という理由で、毎日どこかでダイナマイトが爆発し、壁が崩れ、給食部がジャックされているの。……本当に、風紀委員会としての私の仕事は、終わりのない泥縄作業の連続だったわ」
「給食部がジャックって……一体どういう状況だよ」
トシビが呆れたように笑うと、ヒナは困ったように肩をすくめて見せた。
「グルメ研究会という部活があるのだけれど……彼女たちは『至高の味』を求めるためなら、学園のルールなんて微塵も気にしないの。給食部のお品書きが気に食わないと言っては給食室を占拠し、爆破し、時には他校の食材を強奪しに行こうとする。……それを止めるために、私やアコたちがどれだけ走り回されたか」
「想像しただけで胃が痛くなりそうだな……。風紀委員長っていうのは、聞いていた以上に大変なポジションだったんだな、ヒナ」
「ええ、本当に大変だったわ。イロハは隙があればサボろうとして戦車の中で寝ているし、温泉開発部は穴を掘っては学園のインフラを破壊するし……。毎日が頭痛との戦いだった」
ヒナは溜め息をつきながらも、その表情にはどこか愛おしそうな色が浮かんでいた。どんなに厄介で手が焼ける生徒たちであっても、彼女にとってゲヘナは守るべき大切な故郷であり、愛すべき日常だったのだ。
「ミレニアムも似たようなものだぞ」
トシビが懐かしそうに語り始める。
「俺がいたエンジニア部も、会長のリオ様やセミナーから無茶な予算削減を突きつけられながら、毎日徹夜でレールガンやら全地形対応メカやらを作らされてた。『安全基準? そんなものより浪漫と出力を優先しろ!』って先輩たちが叫びながら全自動全自動試作機を暴走させて、ヴェリタスの情報支援を借りて必死に止める……なんてのは日常茶飯事だったからな」
「ふふ、ミレニアムの生徒たちも、根っこはゲヘナの暴徒たちとあまり変わらないのね。科学という名目のもとに暴れているだけで」
「おいおい、一緒にしないでくれよ! 俺たちは一応、緻密な計算と物理法則に基づいて暴れてるんだからな!」
「理由がどうであれ、破壊された建物を直す側からすれば同じよ」
ヒナは楽しそうにクスクスと笑った。
二人の間で、軽い軽口が心地よく交わされる。ゲヘナとミレニアム。キヴォトスにおいては政治的な立場や文化が全く異なる二つの巨大学園だが、こうして異世界で生き残るために手を取り合ってみれば、そこには何の隔たりも存在しなかった。
「……でも、不思議ね」
ヒナは膝の上で自分の両手を重ね、静かな声で言った。
「キヴォトスにいた頃の私は、常に『完璧な風紀委員長』でいなければならなかった。誰にも弱音を吐けず、誰の前でも隙を見せられず、ただ圧倒的な力で秩序を維持する存在。……でも、あなたといると、私はただの『ヒナ』でいられる気がするの」
トシビは横顔でヒナの言葉を聞いていた。
彼女の言葉には、長い間一人で背負い続けてきた重圧の深さと、今ここで得ている安らぎの切実さが込められていた。
「俺にとっても同じだよ、ヒナ」
トシビはまっすぐにヒナを見つめ、静かに言った。
「キヴォトスでの俺は、ただのしがないエンジニアの一人だった。凄腕の先輩たちの陰に隠れて、指示された通りにパーツを組み立てるだけの存在。……でも、この島に来て、ユージンのじいさんと出会って、そしてお前と出会った。お前が俺を信じてくれたから、俺は自分の足で立って、このセンチュリー号の操縦桿を握ることができたんだ」
トシビの強い瞳が、ヒナの紫色のかわいらしい瞳と正面からぶつかり合う。
「お前がゲヘナの風紀委員長だから助けたんじゃない。お前が『ヒナ』だから、俺は一緒に生きて帰りたかったんだ。……だから、俺の前でくらい、風紀委員長なんて肩書きは捨てていい。泣きたきゃ泣けばいいし、弱音を吐きたきゃいくらでも吐いていいんだぞ。俺が全部聞いてやるから」
「……トシビ……」
ヒナの胸が、激しく高鳴った。
昨夜自覚したばかりの、胸の奥を焦がすような温かい感情が、トシビの真っ直ぐな言葉によって溢れ出しそうになる。
自分を「風紀委員長」としてではなく、一人の人間として見つめ、丸ごと受け止めてくれる存在。そんな人間が、自分の人生においてどれほど貴重で、かけがえのないものか。
ヒナの頬が、ポッと朱に染まった。彼女は慌てて顔を背け、小さく咳払いをしてみせた。
「……まったく、あなたって人は……どうしてそう、恥ずかしないことを平気で言えるのかしら」
「へ? あ、いや……変な意味じゃなくてだな!」
トシビも自分の発言の臭さに気づいたのか、急に真っ赤になって慌てて手を振った。
「友だちとして! そう、頼れる相棒としてだ! 深い意味はないんだからな!?」
「……知っているわよ、それくらい」
ヒナは背けた顔のまま、フフッと悪戯っぽく笑った。
(……本当に、鈍感なんだから。……でも、そんなところも、嫌いじゃないけれど)
心の中でそう呟きながら、ヒナはそっとトシビとの距離を数センチだけ縮めた。
トシビの作業着から伝わってくる体温が、冷え切った整備駅の空気の中で、何よりも心地よく感じられた。
二人はしばらくの間、言葉を交わすことなく、並んで座っていた。
言葉がなくても、お互いの存在が最大の安心感となって心を満たしていく。互いの絆と信頼は、試練を乗り越えるたびに、より強く、より深いものへと変化していた。
「……よしっ!」
やがて、トシビが膝を叩いて立ち上がった。
「休憩はおしまいだ! 補充した資材をセンチュリー号に積み込んで、補強作業を終わらせよう! これが終われば、いよいよ次のエリアへの突破だ!」
「ええ、そうね。私も手伝うわ」
ヒナも立ち上がり、スカートについた埃を払った。
先ほどまでの柔らかい表情から一変し、彼女の顔には再び凛とした「戦う者」の表情が戻っていた。だが、その瞳の奥には、先ほどまでの冷徹さではなく、温かい希望の光が確かに宿っていた。
二人は再び息を合わせて、山のように積み上がった弾薬箱や鋼板をセンチュリー号へと積み込み始めた。
トシビがボイラー室の調整を行い、ヒナが外装の鉄板を固定していく。互いの動きに無駄はなく、まるで長年組んできたパートナーのようにスムーズに作業が進んでいく。
やがて、すべての補修作業と資材の積み込みが完了した。
センチュリー号の側面には、新たに拾い集めた鋼板が幾重にも溶接され、その武骨な姿はより一層の強固さを増していた。ボイラーの中では新しくくべられた高品質な石炭がパチパチと音を立てて燃え上がり、十分な蒸気圧力を蓄えている。
「……準備完了だな」
トシビが操縦席に乗り込み、操縦桿に手をかけた。
ヒナも機関室の定位置に立ち、愛銃の動作確認を終えると、トシビの背中へと視線を向けた。
「いつでもいけるわ、トシビ。あなたの合図で」
「よし! センチュリー号、発進!!」
トシビがレバーを力強く倒す。
シューゥゥゥッ!! という力強い排気音とともに、重厚な駆動音が整備駅内に響き渡った。
補強され、弾丸を限界まで詰め込んだセンチュリー号は、静まり返っていた整備駅を後にして、再び濃霧が渦巻く危険な線路の上へと躍り出た。
暗く過酷なアランネア島の旅路は、まだまだ続く。
だが、二人にはもう迷いはなかった。
重ね合わされた信頼と、芽生えた温かい絆。そして修復された鉄の馬とともに、彼らはどんな理不尽な絶望が待ち受けていようとも、それを共に轢き潰して前へと進み続けるのだ。
書き溜めが尽きました。
やる気が出たら続きが出ます