ふつつかな悪女たち ―消えた蝶と二匹の鼠― 作:京安藤しーぷ
案内に立った女官は、二人を先導しながら振り返り、そこで初めて足を止めた。同じ顔をした
「……お二人、とも……?」
掠れた声だった。だが、それ以上の詮索は許されなかったのか、あるいは自ら呑み込んだのか、女官はすぐに表情を引き締め、何事もなかったかのように歩みを再開した。
「あなたのお名前は」
玲琳が静かに問うと、女官の眉が、わずかに不服そうに動いた。この一年、仕えてきた
「あなたの側付きの女官よ。名前は確か。り・・・・・・」
答えかけて、やはり覚えていないのか途中で慧月は黙ってしまった。
「あんたにとって私はその程度だったんですね。・・・
「あっ。そうそうそんな名前だったわ。」
無地の衣を纏った、もう一人の慧月は悪びれもせずに言ってのける。莉莉が答えあぐねているのを見かねてか、あるいは苛立ちを紛らわすためか、ぶっきらぼうな口調だった。
莉莉は、二人の慧月を交互に見やった後、諦めたように小さく息をつくと、再び先へと歩き出した。
「ちょっとどこに向かってるのよ。朱慧月の部屋に案内しなさいよ。」
「案内しますよ。大人しく着いてきてください。」
行き着いた先は、朱駒宮の端に忘れられたように建つ、旧食糧庫だった。
「……ここが?」
慧月の声には、隠しきれない苛立ちがあった。
「謹慎の身の上でございますので。本殿にお部屋をご用意するわけには参りません」
莉莉は、抑揚のない声でそう告げると、扉の前に立ったまま、動こうとはしなかった。
扉を開けた先は、埃と黴の匂いが立ち込める、荒れ果てた小屋だった。棚には朽ちかけた木箱が積まれ、床の隅には、いつからか放置されていたらしい麻袋がいくつも転がっている。その隙間から、力なく伸びた蔓のようなものが、白い芽を覗かせていた。
「冗談じゃないわ」
慧月は吐き捨てるように言うと、身を翻して外へと駆け出した。行き先は明らかだった。かつての自分の部屋――今は誰も住んでいないはずの、本来の居所だ。
「お待ちください、慧月様!」
「玲琳よ」
莉莉が慌てて後を追う。追いついたのは、旧食糧庫からさほど離れていない渡り廊下のところだった。莉莉が腕を掴むと、慧月は苛立たしげにそれを振り払おうとする。
「離しなさいよ!」
「離しません。戻っていただきます」
そう言った莉莉の声には、それまでの機械的な響きとは違う、剥き出しの棘があった。
「いい加減にして、あんたが事件を起こしたせいで、あたしにも迷惑がかかってんだよ。あんな廃屋で世話をしろって言うの? これじゃあ、私まで死ねと言われているのと同じだわ」
「な、何よ、それ」
「どうせ、黄麒宮の
「ひっ・・・」
「今さら怯えたような顔しないでよ」
莉莉は、堰を切ったように続けた。
「私のこと、散々馬鹿にしてきたじゃない。卑しい踊り子の娘だ、下賎の血が交じった女官風情が、って。それが今度は、自分が痛い目を見る番になったら、そんなに怯えるの? 何驚いてんのよ、おかしいでしょう、それ」
慧月は、言葉に詰まった。図星を突かれたのか、あるいは単に予想外の反撃に怯んだのか、その顔からは判じかねた。
「……知らないわよ、そんな昔のこと」
「昔のことじゃないわ。ついこの間のことよ」
莉莉は、それ以上言葉を重ねなかった。ただ、掴んだ腕を離さぬまま、無言で慧月を引き摺るようにして、旧食糧庫の方角へと歩き出した。
旧食糧庫が見えてくる少し手前で、莉莉は足を止めた。
莉莉は、慧月の顔を見据えて、低く続けた。
「逃げたければ、お好きにどうぞ。ただし、
慧月の顔から、さっと血の気が引いた。反論しようと開いた唇は、しかし何の言葉も結べないまま、悔しげに噛みしめられる。もとより、逃げ込める場所など、どこにもなかった。
「……分かったわよ。待てばいいんでしょう」
吐き捨てるように言うと、慧月は戸口の脇にしゃがみ込み、膝を抱えた。逃げ出す気力は、もう残っていないようだった。
莉莉は、その姿を確かめてから、一人、もと来た道を少し戻った。忘れ物でもしたような素振りだったが、実のところ、行く手の古い建物の陰で白練の衣が揺れているのに、先ほどから気づいていた。それが上級女官の色であることも、莉莉は知っていた。
近づくと、人気のない古い建物の陰に、白練の衣の主が立っていた。
「莉莉、と言ったかしら」
声をかけてきたのは、金家に連なる家柄という、上級女官の雅容だった。莉莉はぎくりと肩を強張らせ、深く頭を垂れる。会うのは、これが初めてのことだった。
「あの二人の様子を、少し見てほしいの。……ああ、それと」
雅容は、扇の陰でわずかに口角を上げた。
「少しばかり、居心地を悪くして差し上げなさい。何、大したことじゃないわ。雛宮のドブネズミが、これ以上図に乗らないようにね」
雅容は懐から、細工の施された簪を一つ取り出し、莉莉の方へ差し出した。
「これで、足りるかしら」
莉莉は、それを見て一瞬たじろいだ。分不相応な品だと、すぐに分かった。得体の知れない厚意を受け取ることの恐ろしさの方が、勝った。
「……身に余ります。頂戴するわけには」
「そう」
雅容は、興が削がれたように呟くと、一歩、莉莉との間合いを詰めた。かすかに香が匂い立つ。そのまま懐から小さな布袋を取り出し、莉莉の足元へ無造作に放った。かさりと乾いた音がして、袋の中身――米だと、莉莉にはすぐに分かった。
「なら、こちらの方が性に合うでしょう」
言うだけ言うと、雅容は音もなく建物の陰へと消えていった。莉莉は、放られた袋を拾い上げることもできぬまま、しばしその場に立ち尽くしていた。
やがて我に返り、米の袋を懐に押し込むと、莉莉は待たせていた慧月のもとへと戻り、再び旧食糧庫への道を歩き出した。
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追記のあとがきです
いつもご覧になってくださってありがとうございます。
活動報告にも書きましたが、
申し訳ありません。3日後ずつ投稿になるかもしれません。
7章 10月6日 ほぼ内容は固まっている 本文もある 追加訂正 キャラクターの訂正があるか
8章 10月9日? ほぼ内容は固まっている 本文もある
9章 10月12日? 量が少ない、 仮本文がある
10章 10月15日? 量が少ない、 仮本文がある
数字は今後遅くなる可能性があります。