D.Gray-man ― DEALT HAND ― 作:からし明太子
ベルネから戻って数日。
ようやく落ち着いて本部で休める――そう思っていた。
思っていただけだった。
「ジークさん」
「何」
「それ、僕のです」
「賭けた時点でお前のじゃない」
「まだ勝負は終わってませんよ」
「終わってる。フルハウス」
「…………」
アレンが無言になった。
俺は手札を卓上へ広げ、その横に積まれていた硬貨を自分の方へ引き寄せる。
食堂の一角。
朝食後。
科学班の連中が集まった即席のポーカー卓は、今日も賑わっていた。
「また負けた!」
「アレン、お前ヴァイス以外にはほとんど負けないのにな」
「だから納得できないんです」
「世の中には相性ってものがある」
「絶対それだけじゃありません」
アレンが俺を疑うように睨む。
「イカサマしてません?」
「証拠は?」
「その返し、千年伯爵にもやったんですよね?」
「朝から伯爵の名前を出すな。飯が不味くなる」
「否定しないんですね」
「してない証拠もない」
「それを世間では黒って言うんですよ」
周囲から笑いが起きた。
その中で、リナリーだけが少し離れた席から呆れた顔をしている。
「二人とも、朝から元気だね」
「俺は普通」
「僕もです」
「それを普通っていう人たちは、朝食後にお金を賭けないと思うよ」
「……ごもっとも」
俺はカードをまとめた。
アレンはまだ諦めていないようだったが、さすがにここで続けるつもりはないらしい。
「次は勝ちますからね」
「昨日も聞いた」
「今日こそです」
「今負けたところだろ」
「じゃあ明日」
「懲りないな」
「誰に教わったと思ってるんです?」
またそれか。
「俺の教育、間違ってたかな」
「今さらですよ」
「即答?」
アレンが笑う。
俺もつられて口元を緩めた。
マテールから戻った直後より、少しだけ表情が戻っている。
あの日。
『歌を聴きました』
アレンはそう言った。
俺は、それ以上聞かなかった。
前世の記憶がある俺には、その歌の意味も、ララとグゾルに何があったのかも知っている。
けれど。
それを知っているからといって、今のアレンの心まで分かるわけではない。
本人が話したい時に話せばいい。
そう思っていた。
「そういえば」
俺はカードケースではなく、普通のトランプを箱へ戻しながらアレンを見る。
「神田とはどうだった?」
「……」
表情が止まった。
「その顔でだいたい分かった」
「何なんですか、あの人」
「神田ユウ」
「名前を聞いてるんじゃありません」
「短気。愛想悪い。口悪い」
「全部知ってます」
「でも悪い奴じゃない」
アレンが少しだけ黙った。
「……それも、少し分かりました」
「なら十分だ」
それ以上は言わない。
神田には神田の事情がある。
俺が知っているものもある。
知らないものもある。
どちらにせよ、勝手に口へ出す話ではなかった。
そこへ。
『アレン・ウォーカー、リナリー・リー、ジークハルト・ヴァイス。室長室へ』
本部内に放送が響いた。
俺は天井を見上げた。
「……嫌な予感しかないな」
「ジークってそればっかり言ってるよね」
リナリーが席を立つ。
「当たるんだよ、これが」
アレンも立ち上がった。
「任務ですかね」
「三人まとめてなら多分な」
俺も椅子から腰を上げる。
そして何となく。
本当に何となくだが。
胸の奥に引っ掛かるものがあった。
三人。
アレン。
リナリー。
そして俺。
「……まさか」
「どうしました?」
「いや」
まだ分からない。
けれど。
前世の記憶を探る。
マテールの次。
確か。
「……早くない?」
「何がです?」
「何でもない」
アレンが不思議そうな顔をする。
俺は小さく息を吐いた。
この嫌な予感が当たっていないことを願った。
◇
「巻き戻る街?」
アレンが首を傾げた。
コムイの机の上には、ヨーロッパの地図が広げられている。
赤い印が一つ。
「そう」
コムイが頷く。
「現地のファインダーから妙な報告が届いてる」
「妙って?」
リナリーが尋ねる。
「同じ一日を繰り返してるらしい」
その言葉で確信した。
――来た。
「……やっぱりか」
小さく呟く。
コムイがこちらを見る。
「ジーク君?」
「何でもない」
「知ってる場所?」
「知らない」
嘘ではない。
現実の俺は行ったことがない。
前世で漫画として読んだだけだ。
「詳しく説明して」
俺が促すと、コムイは少し怪訝そうにしながらも資料を手に取った。
「町の外から入ったファインダーが、翌日になっても日付が変わっていないことに気づいた。最初は時計の故障かと思ったらしいんだけど、住民の行動まで前日とまったく同じだった」
「全員?」
リナリーが眉を寄せる。
「ほぼ全員。しかも、町の住民たちは自分たちが一日を繰り返していることに気づいてない」
「イノセンスですね」
アレンが言った。
「その可能性が高い」
コムイが地図を指す。
「特定の地域だけ時間が巻き戻っているのなら、通常の現象とは考えにくい」
「千年伯爵側は?」
「まだ確認されてない。ただ――」
「来る」
気づけば口にしていた。
部屋が静かになる。
「……と思うな」
付け足す。
コムイが目を細めた。
「何か根拠が?」
「十中八九、イノセンスがある場所だ。なら向こうが放っておく理由がないだろ?」
理屈としては通る。
コムイも特に追及しなかった。
俺は地図へ目を落とす。
巻き戻しの街。
ミランダ・ロット。
そして。
ロード・キャメロット。
「……」
できれば会いたくない。
いや。
正確に言うなら。
会えば面倒なことになる。
ほぼ確実に。
「ジークさん?」
アレンの声。
「何?」
「顔、嫌そうですよ」
「任務はいつも嫌だよ」
「そういう嫌そうじゃないです」
何でこいつは妙なところで鋭いんだ。
「気のせい」
「そうですか?」
「そう」
これ以上聞くな、という意味を込めて返した。
アレンは少し疑っていたが、それ以上は言わなかった。
「今回は三人で現地調査」
コムイが続ける。
「原因がイノセンスなら回収。AKUMAが確認された場合は排除。まずは現地のファインダーと合流して」
「了解」
リナリーが答える。
アレンも頷いた。
俺だけは。
机の上の地図を見つめたまま、一つだけ考えていた。
原作通りなら。
ロードがいる。
前世で初登場した、ノアの少女。
けれど俺にとっては。
初対面ではない。
◇
出発準備を終えた頃には昼を過ぎていた。
列車を使えば、現地までは一日半ほど。
駅へ向かう馬車の中。
アレンとリナリーは向かいに座っている。
俺は窓際。
「そういえば」
アレンが突然言った。
「何?」
「リナリーさんは、ジークさんと長いんですか?」
「何だその質問」
「昨日から気になってて」
「何が?」
「ジークさんの扱いに慣れてるなって」
リナリーが笑った。
「そうかな?」
「すごく」
「本人の前で話す?」
俺が言う。
アレンは気にしない。
「僕も長いですけど、ジークさんって昔から一人になる癖があるじゃないですか」
「癖って何だよ」
「気づいたら一人で食事してたり、宿でも端の席にいたり」
「落ち着くんだよ」
「そう言うんです」
リナリーが大きく頷いた。
「分かる」
「分かるんだ……」
「本部でもそうだよ。人がいるのにわざわざ端の席選ぶの」
「別にいいだろ」
「だから私が隣に座るの」
アレンが納得したような顔をした。
「なるほど」
「何がなるほどなの?」
「ジークさんが逃げられない理由が分かりました」
「俺、逃げてたの?」
リナリーが笑う。
車輪の揺れ。
人の声。
こんなやり取りをしていると、本当にただの旅行にでも出ているような気分になる。
けれど。
俺は外の風景を見ながら、右手の指で膝を軽く叩いていた。
癖。
考え事をしている時に出る。
ロード。
いつから会っていない?
最後は確か――。
『ねえジーク。今度はもっと遊ぼうよ』
『断る』
『即答ひどくない?』
『お前と遊ぶと命懸けになる』
『楽しいじゃん♡』
……あいつにとってはな。
「ジーク」
リナリーの声で我に返る。
「何?」
「また考え事?」
「少し」
「任務のこと?」
「まあ」
嘘ではない。
「何か気になるの?」
聞かれ。
一瞬。
ロードのことを話すか迷った。
でも。
やめた。
まだ会うと決まったわけではない。
余計な警戒をさせても仕方ない。
「時間を巻き戻すイノセンスって、厄介そうだと思って」
「確かに」
アレンが頷く。
「どの程度まで巻き戻せるんでしょう」
「分からない」
そこは本当に。
原作で知っている能力と。
実際のイノセンスは違う。
現地で確かめるしかない。
「まあ」
俺は背もたれへ身体を預けた。
「着けば分かる」
◇
町へ到着したのは翌日の午後だった。
一見。
どこにでもある町だった。
石造りの家。
市場。
馬車。
店先で品物を並べる人間。
子供が走り回っている。
何もおかしくない。
「ここが?」
アレンが周囲を見る。
「普通に見えるね」
リナリーも同じ感想らしい。
「だから面倒なんだろ」
俺は懐中時計を見る。
現地時間、午後二時十三分。
「まずファインダー探そう」
三人で歩く。
すぐに教団の服を見つけた。
「こちらです!」
ファインダーが駆け寄ってくる。
「待っていました」
「状況は?」
俺が聞く。
「変化ありません」
「今日の日付は?」
「十月九日です」
アレンが首を傾げる。
「十月九日?」
「昨日も」
ファインダーが答える。
「その前もです」
リナリーの表情が変わった。
「本当に巻き戻ってるんだ……」
「ですが奇妙なことがあります」
「奇妙?」
「町の外から来た我々だけは、記憶を維持している」
俺は周囲を見る。
時計。
人の動き。
売られている品物。
空。
どこからどこまでが巻き戻っている?
「死者は?」
俺が尋ねる。
ファインダーが少し驚いた。
「え?」
「この期間中に事故や怪我で死んだ人間は?」
「……確認しています」
「で?」
「翌朝には生きています」
アレンが息を呑んだ。
「蘇る?」
「違う」
俺は即座に否定した。
二人が見る。
「多分、蘇生じゃない」
「どうして分かるんです?」
「死んだ後をなかったことにしてるだけだと思う」
時間そのものを戻す。
それなら。
死者を蘇らせることとは意味が違う。
ただ。
どちらにせよ。
尋常な力ではない。
「原因は?」
「一人、妙な女性がいます」
ファインダーが資料を出した。
「ミランダ・ロット。町の住民です」
名前を聞いても、顔には出さなかった。
「どう妙?」
「この町で唯一、毎日少しずつ行動が違う」
「記憶がある?」
リナリーが聞く。
「完全ではないようですが、違和感を覚えている可能性があります」
「住所は?」
「こちらです」
地図を受け取る。
「行こう」
◇
ミランダ・ロットの家は、町の外れに近い場所にあった。
古い集合住宅。
階段を上がり。
扉の前。
ノック。
返事はない。
もう一度。
「はい……」
小さな声。
扉が少し開く。
隙間から女性がこちらを覗いた。
黒い髪。
目の下に濃い隈。
疲れきった顔。
「……どちら様ですか?」
「黒の教団です」
リナリーが柔らかく答える。
「少しお話を聞きたいんですけど」
「く、黒の……?」
女性の顔から血の気が引いた。
「私、何も悪いことしてません!」
「いや、別に逮捕しに来たんじゃない」
思わず口を挟む。
「そうなんですか?」
「俺たち警察じゃないから」
それでも不安そうだ。
アレンが一歩前へ出る。
「ミランダ・ロットさんですよね?」
「は、はい」
「この町で、同じ日が繰り返されていることについて調べています」
ミランダの目が大きくなる。
「……やっぱり」
「気づいてるんですか?」
「私……」
手が震えている。
「ずっと、明日にならないんです」
部屋へ通された。
◇
中は物が多かった。
仕事探しに使ったのだろう求人広告。
古い食器。
縫い物。
そして。
壁際に置かれた、大きな置時計。
俺の視線が止まる。
「……」
分かる。
《アルカナ・デック》が。
僅かに反応している。
イノセンス。
間違いない。
アレンとリナリーも感じたらしい。
視線が時計へ向く。
ミランダがその様子に気づく。
「あの時計が……何か?」
「どこで手に入れました?」
アレンが尋ねる。
「ずっと前に……買ったんです」
ミランダが俯く。
「仕事が何度もうまくいかなくて」
声が細くなる。
「何をやっても失敗して、クビになって」
「……」
「その日も、新しい仕事を始める予定だったんです。でも怖くて……明日なんて来なければいいのにって」
その願い。
イノセンスが拾った。
俺は時計を見る。
人間の願いを叶えた。
少なくとも。
表面上は。
「でも」
ミランダが自分の腕を抱く。
「毎日同じなんです」
笑おうとして。
笑えなかった。
「失敗するのも。怒られるのも。何回も」
アレンの表情が曇る。
「……辛いですね」
「私が悪いんです」
「そんなこと――」
「だって私が、明日なんて来なければいいって」
ミランダが顔を覆った。
「だから町がおかしくなったんでしょう?」
俺は時計から視線を外し、ミランダを見る。
「多分」
アレンがこちらを見た。
「ジークさん」
「でも」
続ける。
「だからって、全部貴女ののせいって話でもない」
ミランダが顔を上げる。
「……え?」
「願っただけだろ」
「でも」
「俺だって『仕事行きたくない』くらい毎回思ってる」
「ジークさん?」
リナリーの目が向く。
「例えだよ」
「本当に毎回思ってそう」
「それは今関係ない」
話を戻す。
「普通は、思っただけで時間なんて戻らない」
時計を見る。
「これが勝手に応えた」
イノセンス。
人間へ力を与える。
だが、本人が望んだ形で与えるとは限らない。
「だから」
俺はミランダを見る。
「止める方法を探そう」
ミランダは何も答えなかった。
ただ少しだけ、肩から力が抜けたように見えた。
◇
調査を始めて数時間。
時計を外へ運び出そうとすると、時間が歪む。
壊そうとしてもイノセンスが反応する。
ならば適合者はミランダ。
ほぼ間違いない。
問題は、どうやって停止させるか。
「明日の朝を待つしかないかな」
リナリーが言う。
「巻き戻る瞬間を見る?」
アレンが答える。
「それが一番分かりやすいかもしれません」
「俺も賛成」
窓の外を見る。
夕方。
あと数時間。
「ファインダーには町の外へ一度出てもらう。俺たちはここに残る」
「はい」
アレンが頷く。
「それと」
俺は二人を見る。
「気を抜くな」
「AKUMAですか?」
「多分」
「さっきも言ってたね」
リナリー。
「そんなに気になる?」
「イノセンスがこれだけ大きな現象起こしてる」
嘘は言っていない。
「千年伯爵側が気づかないとは思えない」
そして。
その中でも。
来る可能性が高い奴を、俺は知っている。
ノア。
ロード。
それから――。
今、この時点では。
たぶんまだ。
「……」
「ジークさん?」
「何でもない」
その時だった。
外から。
子供の笑い声がした。
「あははっ」
身体が固まった。
アレンとリナリーはまだ反応していない。
普通の子供の声に聞こえたのだろう。
俺には。
聞き間違えるはずがなかった。
「あれ?」
窓の外。
通りの向こう。
制服姿の少女が立っていた。
褐色の肌。
額の聖痕。
明るい笑顔。
傘。
数ヶ月ぶり。
いや。
もっとか。
ロード・キャメロット。
彼女はこちらを見上げた。
目が合う。
その瞬間。
笑顔がさらに大きくなった。
「あ」
そして。
久しぶりの友人にでも会ったような調子で。
「ジークだ♡」
「…………」
俺は額へ手を当てた。
「最悪」
「え?」
アレンが窓へ近づく。
「知り合いですか?」
「違う」
即答した。
外から。
「ひどーい!」
聞こえた。
リナリーが俺を見る。
「知り合いなんだね」
「違う」
「ジーク~!」
「帰れ」
ロードが楽しそうに笑う。
「あははっ! 久しぶりなのに冷たーい!」
アレンの表情が完全に疑問へ変わった。
「ジークさん」
「聞くな」
「でも」
「頼むから今は聞くな」
俺は深く息を吐いた。
前世で俺が知っていた『D.Gray-man』。
そこで。
ロード・キャメロットとアレン・ウォーカーが初めて出会う場所。
巻き戻しの街。
原作なら。
ここが彼女の初登場だった。
けれど。
「会いたかったよ、ジーク♡」
俺にとっては。
――最悪なくらい、よく知っている顔だった。