メガコーポは一日にして成らず ~転生特典と未来技術で始める巨大企業創業記~ 作:すすぺっと
退勤間際に届くメールというのは、大抵ろくなものじゃない。
その日もそうだった。
「三浦さん、東邦精機からです。来週納入予定の制御ユニット、20台のうち8台が間に合わないそうです」
隣の席から声をかけられ、俺は開きかけていた鞄から手を離した。
「理由は?」
「部品が入ってこないらしくて。最短でも3営業日遅れると」
「代替品は?」
「一応あるそうです。ただ、型番が違います」
「それじゃ勝手に替えられないな」
時刻は午後7時を少し回ったところだった。
京浜プロセス機器株式会社、調達部。
そこで働く三浦直人、36歳。
今日中に片づけなければ会社が傾くような話ではない。けれど放っておけば、数日後には製造部門から「部品がない」と電話がかかってくる類の話だった。
「今ある在庫、確認できる?」
「5台です」
「じゃあ明日の朝、別ラインで使う予定の分を動かせるか確認しよう。東邦精機には代替品の仕様書を先にもらって。品質保証にも回したい」
「分かりました」
「あと、8台全部が同じ日に必要なのか製造にも聞いておいて。必要日をずらせるなら、その方が早い」
そこまで言ってから、俺は机の上に残っていた付箋へ明日の確認事項を書き足した。
仕入先を怒鳴ったところで、存在しない部品が湧いて出てくるわけじゃない。
必要なのは、何が足りないのかを確認して、どこまでなら動かせるのかを探して、関係する部署に話を通すことだ。
調達の仕事なんて、大体そんなものだった。
「三浦さん、まだ帰らないんですか?」
「帰るよ。これ以上やると明日の仕事がなくなる」
「絶対なくならないですよ」
「知ってる」
笑いながらパソコンを落とした。
会社を出たときには、外はすっかり暗くなっていた。
特別悪い1日ではなかった。
特別良い1日でもない。
明日になれば、また納期や値段や契約条件の話をして、社内と仕入先の間を行ったり来たりする。
そんな毎日を、俺は別に嫌ってはいなかった。
川崎の自宅に着いたのは午後8時を過ぎた頃だった。
ネクタイを外し、冷蔵庫から適当に夕食を取り出して温める。テレビ代わりにタブレットでニュースを流しながら、1人で遅い夕食を取った。
画面では、海外の巨大企業による買収計画が報じられていた。
買収額は数百億ドル。
俺の勤める会社とは、文字どおり桁が違う。
「よくまあ、こんな金動かすよな」
誰に聞かせるでもなく呟く。
宇宙開発、エネルギー、半導体、軍需、物流。
1つの企業がいくつもの産業に食い込み、国家の予算と比べたくなるような金額を動かしている。
そういう話を見るのは昔から好きだった。
自分がやりたいと思ったことはない。
俺はメーカーの調達担当であって、起業家でも天才技術者でもない。そもそも会社を作ろうなんて考えたことすらなかった。
だからこそ、遠い世界の話として面白かった。
「こういう巨大企業って、どうやったらここまでデカくなるんだろうな」
そんなことを考えながら、食べ終えた容器を片づける。
明日の朝は、まず東邦精機。
その次に製造部。
代替品を使うなら品質保証にも話を――
立ち上がった瞬間だった。
胸の奥で、心臓が妙な打ち方をした。
「……ん?」
1度、大きく脈打つ。
その直後、今度は異様な速さで鼓動が始まった。
反射的に胸へ手を当てる。
痛いというほどではない。
けれど、明らかにおかしかった。
鼓動の間隔がばらばらだ。速くなったと思えば妙に間が空き、次の瞬間には胸の内側を強く叩かれる。
「なんだ、これ……」
疲れているのか。
最初はそう思った。
最近は残業も続いていた。睡眠時間だって十分とは言えない。
だが、そう自分に言い聞かせた直後、息が浅くなった。
「っ……」
テーブルへ手をつく。
肺に空気が入らないわけじゃない。
吸っている。
吐いてもいる。
なのに、身体が足りないと訴えていた。
視界の端が暗くなる。
これは、まずい。
テーブルに置いたスマートフォンへ手を伸ばす。
119番。
そこまで考えたところで、指が震えた。
「くそ……」
うまく動かない。
スマートフォンが手から滑り、床へ落ちた。
拾おうとした膝から力が抜ける。
そのまま床へ崩れた。
心筋梗塞。
脳卒中。
そんな単語が断片的に頭をよぎる。
床に落ちたスマートフォンまでは、ほんの少ししか離れていない。
手を伸ばす。
届かない。
もう少し。
指先が床を擦った。
耳鳴りがする。
視界が狭くなる。
明日、東邦精機に連絡しないと。
なぜか最後に頭へ浮かんだのは、そんなことだった。
別ラインの在庫を確認して。
製造部と話をして。
代替品なら品質保証にも――
そこで、思考が途切れた。
目を開けた。
最初に見えたのは、白い天井だった。
「……?」
しばらく、それを見上げたまま動けなかった。
何が起きた。
いや、その前に。
ここはどこだ。
ゆっくり息を吸う。
苦しくない。
胸も痛まない。
心臓は規則正しく動いていた。
「病院……?」
声に出したところで、すぐに違うと思った。
病室ではない。
身体の下にあるのは普通のベッドだ。窓にはカーテンが掛かり、その隙間から朝らしい光が差し込んでいる。
俺は上半身を起こした。
知らない部屋だった。
少なくとも、川崎にある俺の部屋ではない。
なのに。
なぜか、ここが自分の寝室だと分かった。
「……何だ?」
ベッド。クローゼット。ドア。窓際の机。
どれにも見覚えはない。
それなのに、クローゼットには服が入っていることも、ドアを出れば廊下があることも、なぜか知っている。
そのとき、自分の手が目に入った。
「……は?」
指を開く。
閉じる。
動く。
だが、違う。
「俺の手じゃない」
指が長い。
肌の色も違う。
爪の形も、手の甲に浮いている血管も、見慣れたものではなかった。
両腕を確認する。
何度見ても同じだ。
「落ち着け……」
最後に覚えているのは、自宅で倒れたこと。
救急搬送されたのかもしれない。
何か薬を使われて混乱しているだけかもしれない。
そう考えようとした。
だが、目の前の手はどう説明する。
ベッドから立ち上がる。
また違和感があった。
視線が少し高い。
「……背、伸びてないか?」
呟いた声を聞いて、俺は固まった。
声まで違う。
聞いたことのない男の声だ。
鏡。
そう思った瞬間、俺はドアへ向かっていた。
そこを出て右。
廊下の奥。
洗面所。
「なんで分かるんだよ……」
見たこともない家なのに、足は迷わなかった。
洗面所へ入り、鏡を見る。
知らない男がいた。
思わず後ろを振り返る。
誰もいない。
鏡へ戻る。
男もこちらを見ている。
髪も、目も、鼻も、輪郭も違う。
俺が眉を寄せる。
鏡の男も眉を寄せた。
「……誰だよ、これ」
そこまで口にして、さらに固まった。
今の言葉。
意味は間違いなくそうだった。
だが――。
「英語……?」
口から出ていたのは、日本語ではなかった。
なのに英語を話したという感覚すらない。
最初から自分の言葉だったかのように、自然に意味が通じていた。
「いやいやいや……」
今度も英語だった。
笑えない。
完全におかしい。
寝室へ戻り、ベッド脇にあったスマートフォンを手に取る。
当然、見覚えはない。
それでも画面へ顔を向けると、端末は何事もなくロックを解除した。
「なんで通るんだよ」
ホーム画面。
知らないアプリ。
見覚えのない壁紙。
なのに、何がどこにあるのかが何となく分かる。
そして画面上部の日付を見た。
「……2038?」
しばらく数字を眺める。
端末の設定が狂っている。
まず思ったのはそれだった。
自分が別人になったなどという話よりは、まだそちらの方が現実的だ。
そのとき。
階下から音がした。
小さく何かを置く音。
続いて、コーヒーメーカーらしい作動音。
身体が強張った。
誰かいる。
スマートフォンを握ったまま廊下へ出る。
階段の場所も知っていた。
1階へ降りる。
そしてキッチンを覗いたところで、俺は足を止めた。
女がいた。
背が高い。
長い髪をまとめ、朝のキッチンで当たり前のようにコーヒーを淹れている。
見覚えはない。
俺の気配に気づいた彼女は振り返った。
そして、ごく自然に微笑んだ。
「おはようございます、エリック」
「……エリック?」
一瞬、誰か別の人間へ話しかけているのかと思った。
だが、キッチンには俺と女しかいない。
「誰のことだ?」
「あなたです」
「俺?」
「はい」
冗談を言っているようには見えなかった。
「違う」
即座に否定する。
「俺は三浦直人だ」
女の表情は変わらなかった。
驚きもしない。
少し考えるように俺を見てから、落ち着いた声で答えた。
「はい。その記憶は正常です」
背筋に冷たいものが走った。
「……なんでその名前を知ってる?」
「存じていますから」
「何を」
「三浦直人という方についてです」
彼女はコーヒーカップを置いた。
「そして、その方が昨夜亡くなったことも」
胸の奥が冷えた。
床。
落ちたスマートフォン。
動かない指。
狭くなっていく視界。
「俺は……」
喉が乾く。
「死んだのか?」
「はい」
短い返事だった。
そこには冗談も、慰めるような色もなかった。
ただ事実を答えている。
「……じゃあ、これは何なんだ」
自分の身体を指す。
「ここはどこだ。お前は誰だ。なんで俺のことを知ってる」
「順番にお答えします。ですが、立ったまま聞く話でもありません」
「その前に、お前が誰なのか答えてくれ」
「ヴェラです。ヴェラ・ハート」
「名前を聞いてるんじゃない」
「でしょうね」
わずかに口元が緩んだ。
この状況で笑える神経が分からない。
「私は、あなたを支援するためにここにいます」
「誰に頼まれた?」
「あなたをこちらへ送った存在に」
「……神様か?」
「その呼び方が適切なのかは、私にも分かりません」
ますます訳が分からない。
ヴェラはもう1つカップを用意し、こちらへ差し出した。
「コーヒーをどうぞ」
「飲めると思うか?」
「毒は入っていませんよ」
「そう言われて飲む奴がいるか」
「もっともですね」
ヴェラはあっさり引き下がった。
俺は椅子へ座った。
信用したわけじゃない。
ただ、立っているよりは頭を整理しやすい。
「まず確認する」
「どうぞ」
「お前の話じゃなくて、自分でだ」
「ええ。その方がよろしいかと」
妙に素直だ。
スマートフォンを操作する。
設定された名前。
住所。
電子身分証。
銀行口座。
何を開いても同じ名前が出てきた。
「エリック・ウォーカー……」
声に出した瞬間だった。
知らないはずの情報が、頭の中に浮かんだ。
36歳。
アメリカ国籍。
ここは自宅。
住所も分かる。
どの銀行を使っているのかも分かる。
なのに――。
その人生を生きた記憶がない。
「……気持ち悪いな」
「無理もありません」
「俺はこいつなのか?」
「現在のあなたはエリック・ウォーカーです」
「現在の?」
引っかかった。
ヴェラは小さく頷く。
「三浦直人としての人生は終わりました。そして現在、あなたはエリック・ウォーカーとして、この世界に存在しています」
「それって……」
しばらく言葉を探した。
こんなもの、現実で口にする日が来るとは思わなかった。
「転生ってことか?」
「一般的な表現を使うなら、その理解で問題ありません」
「……マジかよ」
頭を抱えたくなった。
だが、今の状況を説明できる言葉が他に思いつかない。
次に確認したのは日付だった。
ニュースサイト。
検索結果。
政府機関。
どこを見ても同じ。
スマートフォンだけがおかしいわけではない。
「未来……?」
思わず呟いた。
2038年。
俺が知っている時代より先だ。
最初は、それだけなのかと思った。
死んだ後、十数年先の未来で別人として目を覚ました。
それだけでも十分におかしな話だが、少なくとも理屈としてはまだ単純だった。
だが。
俺はニュースサイトを閉じ、検索欄を開いた。
自分が生きていた頃の出来事。
知っている企業。
知っている技術。
思いつくものをいくつか調べていく。
最初のうちは、見慣れた名前ばかりだった。
国もある。
都市もある。
企業もある。
俺が知っている出来事も、かなりの数が残っている。
「……同じじゃないのか?」
そう思いかけた。
だが、調べるほど違和感が増えていった。
同じ名前の企業なのに、俺の記憶とは沿革が違う。
知っている出来事の時期が微妙にずれている。
逆に、俺がまったく知らない出来事が、何年も前の常識として扱われている。
1つや2つなら、俺の記憶違いで済ませられた。
だが、そういう違いがいくつも出てくる。
似ている。
かなり似ている。
それでも、同じではない。
俺はスマートフォンから顔を上げた。
「ヴェラ」
「はい」
「ここ、俺がいた世界の未来じゃないな」
ヴェラは少しも驚かなかった。
「はい」
即答だった。
「やっぱりか」
「非常によく似た世界ではあります」
「国も同じ。言葉も同じ。知ってる会社まである」
「ええ」
「なのに、歴史が完全には一致しない」
「その認識で問題ありません」
俺は椅子の背にもたれた。
死んだ。
別人になった。
2038年だった。
その上、ただ未来へ来たわけでもないらしい。
「じゃあ、ここは何なんだ?」
「あなたが生きていた世界とは異なる世界です」
ヴェラは淡々と答えた。
「別の世界……」
自分で転生という言葉を使ったときには、まだ実感がなかった。
身体が変わったことを説明するための、突拍子もない単語でしかなかった。
だが今は違う。
俺が知っている地球によく似ている。
それでも、俺が知っている地球ではない。
「どのくらい違う?」
俺がそう聞くと、ヴェラは少しだけ間を置いた。
「それについては、順番に説明した方がいいでしょうね」
「まだ何かあるのか?」
「あります」
嫌な予感しかしない。
俺はまだ手をつけていなかったコーヒーへ目を落とした。
少し迷ってから、カップを手に取る。
「……分かった」
一口飲む。
普通にうまい。
少なくともコーヒーまで別物ということはないらしい。
「聞こうか」
「では、この世界についてお話しします」
2038年。
エリック・ウォーカー。
そして、俺が知っている世界とは少しずつ違う歴史。
どうやら俺は、未来へ来たわけではない。