メガコーポは一日にして成らず ~転生特典と未来技術で始める巨大企業創業記~   作:すすぺっと

1 / 7
第1章 知らない名前

 退勤間際に届くメールというのは、大抵ろくなものじゃない。

 

 その日もそうだった。

 

「三浦さん、東邦精機からです。来週納入予定の制御ユニット、20台のうち8台が間に合わないそうです」

 

 隣の席から声をかけられ、俺は開きかけていた鞄から手を離した。

 

「理由は?」

 

「部品が入ってこないらしくて。最短でも3営業日遅れると」

 

「代替品は?」

 

「一応あるそうです。ただ、型番が違います」

 

「それじゃ勝手に替えられないな」

 

 時刻は午後7時を少し回ったところだった。

 

 京浜プロセス機器株式会社、調達部。

 

 そこで働く三浦直人、36歳。

 

 今日中に片づけなければ会社が傾くような話ではない。けれど放っておけば、数日後には製造部門から「部品がない」と電話がかかってくる類の話だった。

 

「今ある在庫、確認できる?」

 

「5台です」

 

「じゃあ明日の朝、別ラインで使う予定の分を動かせるか確認しよう。東邦精機には代替品の仕様書を先にもらって。品質保証にも回したい」

 

「分かりました」

 

「あと、8台全部が同じ日に必要なのか製造にも聞いておいて。必要日をずらせるなら、その方が早い」

 

 そこまで言ってから、俺は机の上に残っていた付箋へ明日の確認事項を書き足した。

 

 仕入先を怒鳴ったところで、存在しない部品が湧いて出てくるわけじゃない。

 

 必要なのは、何が足りないのかを確認して、どこまでなら動かせるのかを探して、関係する部署に話を通すことだ。

 

 調達の仕事なんて、大体そんなものだった。

 

「三浦さん、まだ帰らないんですか?」

 

「帰るよ。これ以上やると明日の仕事がなくなる」

 

「絶対なくならないですよ」

 

「知ってる」

 

 笑いながらパソコンを落とした。

 

 会社を出たときには、外はすっかり暗くなっていた。

 

 特別悪い1日ではなかった。

 

 特別良い1日でもない。

 

 明日になれば、また納期や値段や契約条件の話をして、社内と仕入先の間を行ったり来たりする。

 

 そんな毎日を、俺は別に嫌ってはいなかった。

 

 川崎の自宅に着いたのは午後8時を過ぎた頃だった。

 

 ネクタイを外し、冷蔵庫から適当に夕食を取り出して温める。テレビ代わりにタブレットでニュースを流しながら、1人で遅い夕食を取った。

 

 画面では、海外の巨大企業による買収計画が報じられていた。

 

 買収額は数百億ドル。

 

 俺の勤める会社とは、文字どおり桁が違う。

 

「よくまあ、こんな金動かすよな」

 

 誰に聞かせるでもなく呟く。

 

 宇宙開発、エネルギー、半導体、軍需、物流。

 

 1つの企業がいくつもの産業に食い込み、国家の予算と比べたくなるような金額を動かしている。

 

 そういう話を見るのは昔から好きだった。

 

 自分がやりたいと思ったことはない。

 

 俺はメーカーの調達担当であって、起業家でも天才技術者でもない。そもそも会社を作ろうなんて考えたことすらなかった。

 

 だからこそ、遠い世界の話として面白かった。

 

「こういう巨大企業って、どうやったらここまでデカくなるんだろうな」

 

 そんなことを考えながら、食べ終えた容器を片づける。

 

 明日の朝は、まず東邦精機。

 

 その次に製造部。

 

 代替品を使うなら品質保証にも話を――

 

 立ち上がった瞬間だった。

 

 胸の奥で、心臓が妙な打ち方をした。

 

「……ん?」

 

 1度、大きく脈打つ。

 

 その直後、今度は異様な速さで鼓動が始まった。

 

 反射的に胸へ手を当てる。

 

 痛いというほどではない。

 

 けれど、明らかにおかしかった。

 

 鼓動の間隔がばらばらだ。速くなったと思えば妙に間が空き、次の瞬間には胸の内側を強く叩かれる。

 

「なんだ、これ……」

 

 疲れているのか。

 

 最初はそう思った。

 

 最近は残業も続いていた。睡眠時間だって十分とは言えない。

 

 だが、そう自分に言い聞かせた直後、息が浅くなった。

 

「っ……」

 

 テーブルへ手をつく。

 

 肺に空気が入らないわけじゃない。

 

 吸っている。

 

 吐いてもいる。

 

 なのに、身体が足りないと訴えていた。

 

 視界の端が暗くなる。

 

 これは、まずい。

 

 テーブルに置いたスマートフォンへ手を伸ばす。

 

 119番。

 

 そこまで考えたところで、指が震えた。

 

「くそ……」

 

 うまく動かない。

 

 スマートフォンが手から滑り、床へ落ちた。

 

 拾おうとした膝から力が抜ける。

 

 そのまま床へ崩れた。

 

 心筋梗塞。

 

 脳卒中。

 

 そんな単語が断片的に頭をよぎる。

 

 床に落ちたスマートフォンまでは、ほんの少ししか離れていない。

 

 手を伸ばす。

 

 届かない。

 

 もう少し。

 

 指先が床を擦った。

 

 耳鳴りがする。

 

 視界が狭くなる。

 

 明日、東邦精機に連絡しないと。

 

 なぜか最後に頭へ浮かんだのは、そんなことだった。

 

 別ラインの在庫を確認して。

 

 製造部と話をして。

 

 代替品なら品質保証にも――

 

 そこで、思考が途切れた。

 

 

♢

 

 

 目を開けた。

 

 最初に見えたのは、白い天井だった。

 

「……?」

 

 しばらく、それを見上げたまま動けなかった。

 

 何が起きた。

 

 いや、その前に。

 

 ここはどこだ。

 

 ゆっくり息を吸う。

 

 苦しくない。

 

 胸も痛まない。

 

 心臓は規則正しく動いていた。

 

「病院……?」

 

 声に出したところで、すぐに違うと思った。

 

 病室ではない。

 

 身体の下にあるのは普通のベッドだ。窓にはカーテンが掛かり、その隙間から朝らしい光が差し込んでいる。

 

 俺は上半身を起こした。

 

 知らない部屋だった。

 

 少なくとも、川崎にある俺の部屋ではない。

 

 なのに。

 

 なぜか、ここが自分の寝室だと分かった。

 

「……何だ?」

 

 ベッド。クローゼット。ドア。窓際の机。

 

 どれにも見覚えはない。

 

 それなのに、クローゼットには服が入っていることも、ドアを出れば廊下があることも、なぜか知っている。

 

 そのとき、自分の手が目に入った。

 

「……は?」

 

 指を開く。

 

 閉じる。

 

 動く。

 

 だが、違う。

 

「俺の手じゃない」

 

 指が長い。

 

 肌の色も違う。

 

 爪の形も、手の甲に浮いている血管も、見慣れたものではなかった。

 

 両腕を確認する。

 

 何度見ても同じだ。

 

「落ち着け……」

 

 最後に覚えているのは、自宅で倒れたこと。

 

 救急搬送されたのかもしれない。

 

 何か薬を使われて混乱しているだけかもしれない。

 

 そう考えようとした。

 

 だが、目の前の手はどう説明する。

 

 ベッドから立ち上がる。

 

 また違和感があった。

 

 視線が少し高い。

 

「……背、伸びてないか?」

 

 呟いた声を聞いて、俺は固まった。

 

 声まで違う。

 

 聞いたことのない男の声だ。

 

 鏡。

 

 そう思った瞬間、俺はドアへ向かっていた。

 

 そこを出て右。

 

 廊下の奥。

 

 洗面所。

 

「なんで分かるんだよ……」

 

 見たこともない家なのに、足は迷わなかった。

 

 洗面所へ入り、鏡を見る。

 

 知らない男がいた。

 

 思わず後ろを振り返る。

 

 誰もいない。

 

 鏡へ戻る。

 

 男もこちらを見ている。

 

 髪も、目も、鼻も、輪郭も違う。

 

 俺が眉を寄せる。

 

 鏡の男も眉を寄せた。

 

「……誰だよ、これ」

 

 そこまで口にして、さらに固まった。

 

 今の言葉。

 

 意味は間違いなくそうだった。

 

 だが――。

 

「英語……?」

 

 口から出ていたのは、日本語ではなかった。

 

 なのに英語を話したという感覚すらない。

 

 最初から自分の言葉だったかのように、自然に意味が通じていた。

 

「いやいやいや……」

 

 今度も英語だった。

 

 笑えない。

 

 完全におかしい。

 

 寝室へ戻り、ベッド脇にあったスマートフォンを手に取る。

 

 当然、見覚えはない。

 

 それでも画面へ顔を向けると、端末は何事もなくロックを解除した。

 

「なんで通るんだよ」

 

 ホーム画面。

 

 知らないアプリ。

 

 見覚えのない壁紙。

 

 なのに、何がどこにあるのかが何となく分かる。

 

 そして画面上部の日付を見た。

 

2038年4月17日

 

「……2038?」

 

 しばらく数字を眺める。

 

 端末の設定が狂っている。

 

 まず思ったのはそれだった。

 

 自分が別人になったなどという話よりは、まだそちらの方が現実的だ。

 

 そのとき。

 

 階下から音がした。

 

 小さく何かを置く音。

 

 続いて、コーヒーメーカーらしい作動音。

 

 身体が強張った。

 

 誰かいる。

 

 スマートフォンを握ったまま廊下へ出る。

 

 階段の場所も知っていた。

 

 1階へ降りる。

 

 そしてキッチンを覗いたところで、俺は足を止めた。

 

 女がいた。

 

 背が高い。

 

 長い髪をまとめ、朝のキッチンで当たり前のようにコーヒーを淹れている。

 

 見覚えはない。

 

 俺の気配に気づいた彼女は振り返った。

 

 そして、ごく自然に微笑んだ。

 

「おはようございます、エリック」

 

「……エリック?」

 

 一瞬、誰か別の人間へ話しかけているのかと思った。

 

 だが、キッチンには俺と女しかいない。

 

「誰のことだ?」

 

「あなたです」

 

「俺?」

 

「はい」

 

 冗談を言っているようには見えなかった。

 

「違う」

 

 即座に否定する。

 

「俺は三浦直人だ」

 

 女の表情は変わらなかった。

 

 驚きもしない。

 

 少し考えるように俺を見てから、落ち着いた声で答えた。

 

「はい。その記憶は正常です」

 

 背筋に冷たいものが走った。

 

「……なんでその名前を知ってる?」

 

「存じていますから」

 

「何を」

 

「三浦直人という方についてです」

 

 彼女はコーヒーカップを置いた。

 

「そして、その方が昨夜亡くなったことも」

 

 胸の奥が冷えた。

 

 床。

 

 落ちたスマートフォン。

 

 動かない指。

 

 狭くなっていく視界。

 

「俺は……」

 

 喉が乾く。

 

「死んだのか?」

 

「はい」

 

 短い返事だった。

 

 そこには冗談も、慰めるような色もなかった。

 

 ただ事実を答えている。

 

「……じゃあ、これは何なんだ」

 

 自分の身体を指す。

 

「ここはどこだ。お前は誰だ。なんで俺のことを知ってる」

 

「順番にお答えします。ですが、立ったまま聞く話でもありません」

 

「その前に、お前が誰なのか答えてくれ」

 

「ヴェラです。ヴェラ・ハート」

 

「名前を聞いてるんじゃない」

 

「でしょうね」

 

 わずかに口元が緩んだ。

 

 この状況で笑える神経が分からない。

 

「私は、あなたを支援するためにここにいます」

 

「誰に頼まれた?」

 

「あなたをこちらへ送った存在に」

 

「……神様か?」

 

「その呼び方が適切なのかは、私にも分かりません」

 

 ますます訳が分からない。

 

 ヴェラはもう1つカップを用意し、こちらへ差し出した。

 

「コーヒーをどうぞ」

 

「飲めると思うか?」

 

「毒は入っていませんよ」

 

「そう言われて飲む奴がいるか」

 

「もっともですね」

 

 ヴェラはあっさり引き下がった。

 

 俺は椅子へ座った。

 

 信用したわけじゃない。

 

 ただ、立っているよりは頭を整理しやすい。

 

「まず確認する」

 

「どうぞ」

 

「お前の話じゃなくて、自分でだ」

 

「ええ。その方がよろしいかと」

 

 妙に素直だ。

 

 スマートフォンを操作する。

 

 設定された名前。

 

 住所。

 

 電子身分証。

 

 銀行口座。

 

 何を開いても同じ名前が出てきた。

 

ERIC WALKER

 

「エリック・ウォーカー……」

 

 声に出した瞬間だった。

 

 知らないはずの情報が、頭の中に浮かんだ。

 

 36歳。

 

 アメリカ国籍。

 

 ここは自宅。

 

 住所も分かる。

 

 どの銀行を使っているのかも分かる。

 

 なのに――。

 

 その人生を生きた記憶がない。

 

「……気持ち悪いな」

 

「無理もありません」

 

「俺はこいつなのか?」

 

「現在のあなたはエリック・ウォーカーです」

 

「現在の?」

 

 引っかかった。

 

 ヴェラは小さく頷く。

 

「三浦直人としての人生は終わりました。そして現在、あなたはエリック・ウォーカーとして、この世界に存在しています」

 

「それって……」

 

 しばらく言葉を探した。

 

 こんなもの、現実で口にする日が来るとは思わなかった。

 

「転生ってことか?」

 

「一般的な表現を使うなら、その理解で問題ありません」

 

「……マジかよ」

 

 頭を抱えたくなった。

 

 だが、今の状況を説明できる言葉が他に思いつかない。

 

 次に確認したのは日付だった。

 

 ニュースサイト。

 

 検索結果。

 

 政府機関。

 

 どこを見ても同じ。

 

2038年。

 

 スマートフォンだけがおかしいわけではない。

 

「未来……?」

 

思わず呟いた。

 

2038年。

 

俺が知っている時代より先だ。

 

最初は、それだけなのかと思った。

 

死んだ後、十数年先の未来で別人として目を覚ました。

 

それだけでも十分におかしな話だが、少なくとも理屈としてはまだ単純だった。

 

だが。

 

俺はニュースサイトを閉じ、検索欄を開いた。

 

自分が生きていた頃の出来事。

 

知っている企業。

 

知っている技術。

 

思いつくものをいくつか調べていく。

 

最初のうちは、見慣れた名前ばかりだった。

 

国もある。

 

都市もある。

 

企業もある。

 

俺が知っている出来事も、かなりの数が残っている。

 

「……同じじゃないのか?」

 

そう思いかけた。

 

だが、調べるほど違和感が増えていった。

 

同じ名前の企業なのに、俺の記憶とは沿革が違う。

 

知っている出来事の時期が微妙にずれている。

 

逆に、俺がまったく知らない出来事が、何年も前の常識として扱われている。

 

1つや2つなら、俺の記憶違いで済ませられた。

 

だが、そういう違いがいくつも出てくる。

 

似ている。

 

かなり似ている。

 

それでも、同じではない。

 

俺はスマートフォンから顔を上げた。

 

「ヴェラ」

 

「はい」

 

「ここ、俺がいた世界の未来じゃないな」

 

ヴェラは少しも驚かなかった。

 

「はい」

 

即答だった。

 

「やっぱりか」

 

「非常によく似た世界ではあります」

 

「国も同じ。言葉も同じ。知ってる会社まである」

 

「ええ」

 

「なのに、歴史が完全には一致しない」

 

「その認識で問題ありません」

 

俺は椅子の背にもたれた。

 

死んだ。

 

別人になった。

 

2038年だった。

 

その上、ただ未来へ来たわけでもないらしい。

 

「じゃあ、ここは何なんだ?」

 

「あなたが生きていた世界とは異なる世界です」

 

ヴェラは淡々と答えた。

 

「別の世界……」

 

自分で転生という言葉を使ったときには、まだ実感がなかった。

 

身体が変わったことを説明するための、突拍子もない単語でしかなかった。

 

だが今は違う。

 

俺が知っている地球によく似ている。

 

それでも、俺が知っている地球ではない。

 

「どのくらい違う?」

 

俺がそう聞くと、ヴェラは少しだけ間を置いた。

 

「それについては、順番に説明した方がいいでしょうね」

 

「まだ何かあるのか?」

 

「あります」

 

嫌な予感しかしない。

 

俺はまだ手をつけていなかったコーヒーへ目を落とした。

 

少し迷ってから、カップを手に取る。

 

「……分かった」

 

一口飲む。

 

普通にうまい。

 

少なくともコーヒーまで別物ということはないらしい。

 

「聞こうか」

 

「では、この世界についてお話しします」

 

2038年。

 

エリック・ウォーカー。

 

そして、俺が知っている世界とは少しずつ違う歴史。

 

どうやら俺は、未来へ来たわけではない。

 

本当に、別の世界へ転生したらしい。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。