メガコーポは一日にして成らず ~転生特典と未来技術で始める巨大企業創業記~ 作:すすぺっと
会社を辞めた翌朝。
目が覚めても、出勤する必要はなかった。当たり前のことなのに、妙な感じがする。
時計を確認してからベッドを出て、顔を洗う。廊下へ出ると、キッチンの方からコーヒーの匂いがした。
「おはようございます」
「おはよう」
ヴェラはもう起きていた。
昨日からこいつもこの家で暮らしている。もちろん部屋は別だ。
起業準備で一緒に動く時間が増えたことと、ヴェラが俺の生活面まで見た方が効率がいいという、非常に実務的な理由でこうなった。
……本人がそう説明していた。
確かに、朝から夜まで一緒に起業準備をして、そのたびに移動するくらいなら同じ家にいた方が早い。
俺も料理や掃除が壊滅的というわけじゃないが、仕事に集中すると適当になる自覚はある。その辺まで含めてヴェラに管理されるのは少し癪だが、実際助かっているのだから文句も言いづらい。
ただ、一晩で随分と馴染んだものだとは思う。洗面所にはヴェラの物が増え、廊下の向こうには昨日まで使っていなかった部屋の扉が開いている。
家の中に自分以外の生活音があるというのも、久しぶりだった。
実務上の都合。
そういうことにしておけば、今は十分だ。
「資料はもう少し上です」
「でかいから仕方ない」
「昨日から開き直りがひどくなってません?」
「俺は元々こういう人間だ」
「そうでしたね。巨乳好きでした」
「大好きだ」
「朝から堂々と言うことですか?」
「好みは時間帯で変わらんだろ」
「はいはい。では、その大好きな巨乳ではなく、こちらを見てください」
「自分で言うのかよ」
ヴェラが楽しそうに笑う。
昨日までなら、この時間には仕事へ行く準備をしていた。
今日は違う。今日からやるのは、他人の会社の仕事じゃない。
自分の会社を作るための仕事だ。
「で、まず何からやる?」
コーヒーを受け取りながら聞くと、ヴェラがノートPCをこちらへ向けた。
「会社名を決めましょう」
画面には、ここ数日で出した候補が並んでいる。
「まだ決めてなかったな」
「法人設立書類に正式名称が必要ですから、今日中に決めたいところですね」
椅子に座り、候補を眺める。
会社の名前なんて、もっと簡単に決められると思っていた。実際に自分の会社となると、妙に迷う。
将来何をする会社になるかも、まだ完全には決まっていない。研究もしたいし、製造もしたい。Edenにも関わりたいし、いずれは航空宇宙やエネルギーにも手を出したい。
最初から業種を限定するような名前は避けたかった。
「これかな」
俺は一つを指す。
「アクシオム・ダイナミクス」
ヴェラが画面を見る。
「理由は?」
「響きがいい」
「それだけですか?」
「大事だろ」
半分は本気だ。
会社名なんて、何十年も使うかもしれない。呼びにくい名前より、口にした時にしっくり来る方がいい。
「アクシオムには、公理とか基本原則って意味がある。ダイナミクスなら、特定の業種にも縛られない」
「後付けにしては悪くありませんね」
「後付けって言うな」
「では、正式名称はアクシオム・ダイナミクスで?」
少しだけ考える。それから頷いた。
「ああ。それでいこう」
会社の名前が決まった。
ただそれだけなのに、急に輪郭ができたような気がした。
会社を作ると決めるのと、実際に法人を作るのは別だ。
そこから数日は、派手さとは無縁の作業が続いた。会社の所在地、法人形態、株式、銀行口座、税務、会計、契約書類。
ヴェラが中心になって必要なことを整理し、俺が内容を確認して判断する。
「ここは?」
「設立後の株式と議決権です。今はエリックが全て保有する形で問題ありません」
「これは?」
「税務上の扱いです。今すぐ必要な部分だけ説明します」
「こっちは?」
「それは後で大丈夫です」
便利だ。本当に便利だ。
だが、ただ任せきりにはしなかった。俺の会社だ。
分からないことは聞くし、何に署名しているのかくらいは理解する。
「全部お前に任せれば、もっと早いんじゃないか?」
作業の途中で聞いてみる。
ヴェラは少しも迷わなかった。
「早いでしょうね」
「だよな」
「でも、CEOが自分の会社の契約や義務を何も知らない状態にしたいんですか?」
「嫌だな」
「そのために私がいるんですから。面倒な部分は整理します。判断はエリックがしてください」
「了解」
そういう距離感の方がいい。
俺の代わりに全部やる人間ではなく、俺が決められるように支える人間。ヴェラはそういう存在らしい。
法人はデラウェア州で設立する。
実際に活動する拠点はヒューストン都市圏だ。今のところオフィスも工場も研究所もない。
あるのは、この家と、俺とヴェラと、設立準備中の会社だけ。
それでも手続きは進む。
創業資金として、俺は20万ドルを会社へ入れることにした。
今ある資産を全部突っ込むわけじゃない。生活費も必要だし、何かあった時の余裕も残す。
それでも、今まで個人資産だった20万ドルを会社のために使うと決めるのは、それなりに重かった。
「後戻りしたくなりました?」
書類を見ていたヴェラが聞く。
「別に」
「では緊張しています?」
「そりゃするだろ。20万ドルだぞ」
日本円にすれば、かなりの額だ。
しかも投資信託や株を買うのとは違う。今から作る、売上ゼロの会社へ入れる金だ。
「やめます?」
「やめない」
そこは即答できた。
会社を作ると決めたのは俺だ。使うべきところで金を使えないなら、最初から起業なんてしない方がいい。
ただし、法人が正式に成立する前に個人資金を適当に動かすつもりもない。まず会社を作り、銀行口座その他の受け皿を整え、その上で正式に移す。
そういう順番で進めた。
そして数日後。
ヴェラが俺の前へノートPCを置いた。
「完了しました」
「何が?」
「法人設立です」
画面を見る。
そこには正式な法人書類が表示されている。
アクシオム・ダイナミクス。
俺が決めた名前が、正式な会社名として記録されている。
「……できたのか」
「はい」
妙な感じだった。
昨日まで存在しなかった会社が、今は法的に存在している。
まだ製品もない。客もいない。オフィスもない。
社員だって、実質的には俺とヴェラだけだ。
それでも、会社だ。
「俺の会社か」
「エリックの会社です」
ヴェラの声は、さっきまでと変わらない。
でも、俺にはその言葉が少し重く聞こえた。
その時、視界に表示が現れた。
【SYSTEM 通知】
ミッションを達成しました。
「来たか」
意識を向ける。
表示が切り替わった。
【ミッション達成】
《名称》企業を設立する
《達成条件》
正式な法人を設立する
《報酬》1,200 SP
《所持SP》1,300
「会社設立で1,200か」
最初から持っていた100SPと合わせて、1,300。
現金なら金額の感覚がある。だがSPは金では買えない。
20万ドルより価値があるのか、それともそうでもないのか。今の俺にはまだ判断できない。
「結構増えましたね」
「使い道次第だな」
表示を閉じようとしたところで、続けて通知が現れた。
【SYSTEM 通知】
新しい機能が利用可能になりました。
「新機能?」
俺はSYSTEMのトップ画面を開く。
【SYSTEM】
【ステータス】
【スキル】
【適性】
【ミッション】
【ガチャ】
【COMPANY】
【人材ガチャ】
【施設ガチャ】
《所持SP》1,300
「……増えてるな」
最初にSYSTEMを確認した時にはなかった、COMPANY、人材ガチャ、施設ガチャの三つが追加されている。
「会社を作ったからか?」
「その可能性が高いですね」
「お前も知らなかった?」
「具体的に何が解放されるかまでは」
ヴェラでも知らないことはある。
SYSTEMは、まだ使えないものまで先回りして全部教えてくれるわけではないらしい。
「じゃあ次」
「もうですか?」
「作っただけで満足するつもりはないだろ」
「もちろん」
法人名義の受け皿が整ったところで、予定していた20万ドルを会社へ移す。
数字が口座上で動いただけだ。
それでも、個人の金から会社の金になった瞬間、これまでより一段現実味が増した。
アクシオム・ダイナミクスには20万ドルの創業資金があるが、まだ売上も製品も実績もない。
今のところ、立派なのは名前だけだ。
俺は改めてSYSTEMへ意識を向け、まずCOMPANYを開く。
【COMPANY】
《会社名》アクシオム・ダイナミクス
《状態》設立済み
《創業者》エリック・ウォーカー
《Chief of Staff》ヴェラ・ハート
《創業資金》200,000ドル
《所持SP》1,300
「こうして表示されると、お前も正式にChief of Staffなんだな」
「そのつもりで仕事をしていましたけど?」
「肩書きが付くと急にそれっぽいな」
「CEOも同じですよ」
そう言われると弱い。
俺も今日から、法的には会社経営者だ。
次に人材ガチャへ意識を向ける。
【人材ガチャ】
《通常》300 SP
《分野指定》400 SP
《所持SP》1,300
「人までガチャかよ」
「人材ガチャですね」
「言い直しても大して変わらん」
300SP。分野まで指定すれば400SP。
今なら複数回は使える。その気になれば、ここで一人引くこともできる。
だが、そこで止めた。
「引かないんですか?」
「誰を雇うかも決めてないのに引いてどうする」
「少し成長しましたね」
「最初からそのくらい考える」
最初に100SPを使わず残した時と同じだ。
使えるから使う、ではない。必要だから使う。
会社を作った以上、これからはその判断を何度もすることになる。
施設ガチャも気になったが、今すぐ確認する必要はない。
まず人だ。
研究をするにしても、物を作るにしても、会社を運営するにしても、俺とヴェラだけでは限界がある。
誰を最初に迎えるか。それくらいは、ちゃんと考えて決めたい。
SYSTEMの表示を閉じる。
部屋の中は何も変わっていない。
目の前にあるのは、テーブルとノートPC、それに飲みかけのコーヒーだけだ。
それでも、昨日までとは違う。
アクシオム・ダイナミクスという会社が、今日から本当に存在している。
まだ会社しかない。
いや。
会社と、俺とヴェラがいる。
始まりとしては、それで十分だろう。
俺は法人書類をもう一度見た。
「……次は、人だな」
「ええ、CEO」