ダンジョンに強敵を求めるのは間違っているだろうか   作:アイスクリームベリーベリー

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初投稿です。
拙い文章ですが読んでいただけたら幸いです。
それでは、よろしくお願いします。


第一話 オラリオ一の戦闘狂

 

 迷宮の第四十九階層に、獣の咆哮が轟いた。灰色の大地を踏み砕きながら押し寄せてくるのは、人の倍を優に超える巨躯を持つフォモールの群れだった。

 

 振り回される棍棒が岩盤を砕くたび、砂塵と震動が入り混じり、ロキ・ファミリアの戦列を容赦なく揺さぶっていく。その激戦の中央から、喧騒を貫く団長の声が飛んだ。

 

「前衛、陣形を崩すな! 後衛はそのまま攻撃を続けろ! ティオナ、ティオネ、右翼を支援してくれ!」

 

 フィン・ディムナの指示に従い、団員達が即座に位置を修正する。右翼ではティオナとティオネが押し寄せる巨人を食い止め、左翼ではベートが狼人ならではの脚力で敵陣を掻き回していた。

 

 その少し前方では、ほとんど一人で数体のフォモールを引きつけている青年がいた。黒に近い藍色の短髪は砂埃に乱れ、浅い裂傷から流れた血が頬を一筋伝っている。

 

「……いいじゃねぇか。数だけは文句ねぇな」

 

 カイ・ヴァレスは全長二メートル近い雷槍を片手で回し、口元を吊り上げた。自分を囲もうとする巨人達を見回した深紅の瞳に、焦りや恐怖はない。

 

「――〖迸れ(アストラ)〗」

 

 短い詠唱とともに青白い雷光が全身を駆けた。カイの雷性の付与魔法〖雷纏(ケラウノス)〗は、腕から肩、胴、そして脚へ走った電光が肉体を活性化させ、そのまま握られた雷槍へ流れ込んで穂先まで乾いた放電音を響かせる。

 

 正面から振り下ろされた棍棒へ後退することなく、カイは半歩だけ斜めへ踏み込んだ。巨木じみた武器が肩の横を通過するのと同時に懐へ潜り込み、雷槍の石突をフォモールの膝裏へ叩き込む。

 

 巨体が僅かに揺れた。明確に体勢を崩すほどではないが、巨人が次の一歩を踏み出そうとした瞬間、右脚が微かに痙攣し、動きがほんの僅かに遅れる。

 

 その隙をカイは見逃さなかった。

 

 横合いから別のフォモールの腕が迫ると、攻撃への執着を即座に捨てて身を沈める。拳を紙一重で躱しながら最初の一体の脇へ滑り込み、今度は穂先で脇腹を浅く切り裂いた。

 

「遅ぇよ」

 

 傷そのものは致命傷には程遠い。だが接触した瞬間、雷纏(ケラウノス)の雷が再び巨体へ流れ込んだ。

 

 フォモールが棍棒を振り上げる。先ほどより明らかに遅く、握り込んだ指が強く痙攣したことで腕の動きにも僅かな空白が生じた。

 

「二つ」

 

「何数えてんのー!?」

 

 少し離れた位置で別の個体を相手にしていたティオナが声を飛ばす。

 

「見てろ」

 

 カイは短く返した。

 

 カイの魔法が敵へ与えるのは、ただの感電ではない。肉体や武器が相手へ触れるたびに電荷が接触部位へ残り、浅いうちは一瞬の痺れや反応の遅れに留まるが、蓄積するほど神経と筋肉への干渉は強くなっていく。

 

 もっとも、相手が強ければ同じようにはいかない。同格や格上ともなれば、一度や二度触れた程度では僅かな痺れしか残らず、より多くの接触を重ねなければ十分な効果は得られない。

 

 フォモールが怒りに任せて突進する。

 

 カイは真正面から待ち受け、振り下ろされた棍棒の軌道を寸前で外した。すれ違う瞬間、雷槍の柄を巨大な上腕へ叩きつける。

 

 三度目の接触によって、青白い火花が表皮を走った。フォモールの右半身が大きく痙攣し、膝が揺らいだばかりか、振り向こうとした動きさえ途中で引っかかる。

 

「……そろそろだな」

 

 カイが一歩だけ距離を取る。

 

 フォモールは痺れる右腕を無理やり持ち上げ、それでも青年へ向かって進もうとした。鈍っているとはいえ、その巨体から放たれる一撃をまともに受ければ、カイとて無傷では済まない。

 

 だから正面から受けない。

 

 そして、もう触れる必要もなかった。

 

 カイの身体には、敵へ与えたものとは逆の極性を持つ電荷が残されている。必要量へ達した標的との間で、それを意図的に分離する。

 

「――落ちろ」

 

 瞬間、カイとフォモールの間で青白い雷光が一直線に弾けた。

 

 空間を裂くような轟音とともに、雷撃が巨人の右脇腹から体内へ突き抜ける。すでに蓄積されていた電荷そのものが道標となっているため、放電が成立した後に身体を捻ったところで逃れることはできない。

 

「――ッ、ォオ……!」

 

 フォモールの巨体が激しく跳ねる。

 

 雷が内部を駆け抜け、筋肉が一斉に収縮した。焦げた臭いと白煙を残して全身から力が抜け、巨大な身体がそのまま灰色の地面へ倒れ込む。

 

 二度と起き上がることはなかった。

 

 衝撃で大地が震え、ティオナが楽しげな声を上げる。

 

「おおー! それ、溜めてたんだ!」

 

「そういうこと」

 

 カイは雷槍を肩へ担ぎ直した。

 

 今の放電で、フォモールへ蓄積していた電荷はすべて失われた。同じ相手へもう一度撃つなら、再び接触を重ねて最初から電荷を溜め直す必要がある。

 

 複数の敵へ電荷を残すことはできても、電荷分離による本格的な放電を狙えるのは一度に一体だけ。万能ではないからこそ、使い方次第で戦い方はいくらでも変わった。

 

「ったく……相変わらず楽しそうにしやがって」

 

 ベートがフォモールの顔面へ蹴りを叩き込みながら吐き捨てた。視線の先では、敵が増えるほど動きを鋭くしていくカイが、もう次の個体へ向かおうとしている。

 

「カイ! 前へ出過ぎだ!」

 

 フィンの一喝が飛び、雷槍を突き出しかけていたカイが舌打ちする。改めて周囲を確認すれば、いつの間にか右翼の先端から数歩分突出し、後続との間に僅かな空白が生まれていた。

 

「まだ余裕だぞ」

 

「君の余裕の話はしていない。列を揃えてくれ」

 

「ここでまとめて潰した方が早いだろ」

 

「後ろの団員全員が君と同じ動きをできるならね」

 

 フィンの返答を受け、カイは後方へ目を向ける。負傷した団員もいれば、ここから先を考えて精神力を温存しながら戦っている魔導士もいる。

 

 自分がさらに奥へ踏み込めば、誰かがそれに合わせて戦線を伸ばさなければならない。その結果まで考えれば、答えは単純だった。

 

「……分かったよ」

 

 不満を隠そうともせず、それでもカイは素直に後退した。

 

 強敵と戦うことが好きだった。自分より強く、一つ判断を誤れば命を奪われるほどの相手ならなおさら、全身の血が沸き立つような感覚を覚える。

 

 その性質へ呼応するように、背中へ刻まれたスキル――〖強敵渇望(ヴァルハラ)〗もまた、強敵との戦いで身体能力と戦闘精度を研ぎ澄ませていく。危険になればなるほど集中は深まり、敵の僅かな動きさえ鮮明に見えるようになった。

 

 だが、それは死を望んでいるという意味ではない。

 

 死ねばそこで終わる。次の強敵にも会えず、まだ見ぬ深層へ進むことも、仲間達と再び遠征へ出ることもできなくなる。

 

 だからこそ危険を楽しみはしても、死ぬために戦うつもりなど一度もなかった。まして、自分の楽しみへ仲間を巻き込むのはカイの望むところではない。

 

 十四歳でロキ・ファミリアへ加入し、恩恵(ファルナ)を授かって三年。十七歳となった今、カイ・ヴァレスはすでにLv.5へ到達している。

 

 第一級冒険者――オラリオでも一握りしか存在しない領域へ十代で足を踏み入れた存在。それでも本人が満足した様子を見せたことはなく、派閥の内外から付けられた呼び名だけが、その性質を何より端的に表していた。

 

 ――オラリオ一の戦闘狂。

 

「レフィーヤ、今だ!」

 

「は、はい!」

 

 戦線の後方で、杖を握るレフィーヤ・ウィリディスが詠唱を開始する。前衛が敵を引きつけ、魔導士が後方から決定打を放つ――ロキ・ファミリアにとって何度も繰り返してきた基本の形だった。

 

 しかし今日の敵は数が多く、一体を押し返せば別の個体が戦列の隙間へ押し込んでくる。前衛の間を強引に突破した一体が団員を弾き飛ばし、そのまま後方にいるレフィーヤへ迫った。

 

「っ……!」

 

 巨大なフォモールを見上げ、少女の喉が凍りつく。頭では詠唱を続けなければならないと分かっているのに、棍棒が持ち上がる光景を前にすると言葉が続かなかった。

 

「レフィーヤ!」

 

 ティオナが叫ぶが、すぐには間に合わない。一方の左翼では別の群れが戦列へ圧力をかけており、アイズもフィンから持ち場を維持するよう指示を受けていた。

 

「アイズ! 左翼を維持してくれ!」

 

「……うん」

 

 アイズ・ヴァレンシュタインが一度だけ頷く。

 

 金色の瞳は正面の敵を捉えていたが、その視界の端には棍棒を振り上げたフォモールと、動けなくなっている後輩の姿が映っていた。

 

「アイズさん……!」

 

 レフィーヤの掠れた声が届く。

 

 次の瞬間、アイズの足が持ち場から離れた。

 

「アイズ!」

 

 フィンの制止より一瞬早く、少女が短文詠唱を口にする。

 

「――〖目覚めよ(テンペスト)〗」

 

 翠色の風がアイズの全身を包み込んだ。

 

 風属性の付与魔法〖エアリエル〗。加速した金色の剣士が戦場を一直線に駆け抜け、レフィーヤへ振り下ろされるはずだった棍棒の軌道へ割って入る。

 

 デスペレートが銀色の弧を描き、フォモールの腕へ深い傷が走った。同時に噴き上がった風圧が巨躯を横へ押し流す。

 

「アイズさん……!」

 

「下がって。大丈夫だから」

 

 アイズはレフィーヤを庇う位置へ着地し、続いて迫っていた二体目へ視線を向ける。纏う風を一気に噴き上げて踏み込みを崩したところへ、ようやく追いついたティオナが大双刃を叩きつけた。

 

「アイズ、戻るんだ!」

 

 フィンの声が再び響く。

 

 レフィーヤの危機は去っている。アイズは一瞬だけ周囲を確認すると、今度は逆らわず元の戦列へ戻った。

 

「……ごめんなさい」

 

「話は後だ。今は目の前を片付けよう」

 

 フィンもそれ以上は追及せず、戦況へ意識を戻した。

 

 なおも残るフォモールの群れを前衛が押し留める中、後方から翡翠色の髪が翻った。リヴェリア・リヨス・アールヴの足元へ巨大な魔法円が広がり、膨大な魔力が渦を巻く。

 

「リヴェリア、いけるか!」

 

「ああ!」

 

 激戦の最中から途切れることなく紡がれていた長大な詠唱が、いよいよ終わりへ近づいている。

 

「射線を空けろ!」

 

 フィンの命令に、カイ達が一斉に左右へ散る。開いた道へフォモール達が雪崩れ込んだ時、詠唱はついに完成した。

 

「【レア・ラーヴァテイン】!」

 

 第四十九階層が紅蓮に染まる。

 

 放たれた業火がフォモールの群れを呑み込み、爆炎と熱風が灰色の大地を蹂躙した。巨人達の咆哮も炎の轟音へ掻き消され、やがて無数の巨体が戦闘能力を失っていく。

 

「相変わらず派手だな」

 

 カイが片腕で熱風から顔を庇いながら呟いた。

 

「てめぇが言うな」

 

 離れた位置へ退いていたベートが、間髪を容れず吐き捨てる。

 

「俺は辺り一面燃やしたりしねぇぞ」

 

「その代わり自分から敵のど真ん中に突っ込むだろうが」

 

「それの何が悪い」

 

「全部だよ」

 

 ベートが心底理解できないという顔をする。

 

 火勢が収まり始める頃にはフォモールの攻勢も完全に止まり、生き残った数体を前衛が手早く処理した。長く続いた第四十九階層での戦闘は、そこでようやく終息した。

 

     ◇

 

 第四十九階層を抜けた遠征隊は、第五十階層の安全地帯へ辿り着いた。

 

 灰色の森林へ足を踏み入れると、長時間張り詰めていた団員達からようやく安堵の息が零れる。とはいえ遠征中に完全な休息などなく、天幕の設営や負傷者の治療、装備の点検、食事の準備へと、それぞれがすぐに動き始めていた。

 

 そんな中、レフィーヤだけは肩を落として座り込んでいた。

 

「元気出しなって、レフィーヤ」

 

 隣へ座ったティオナが背中を軽く叩く。

 

「今回はすっごい数だったしさ。こうしてみんな無事なんだから、気にしなくていいって!」

 

「よくありません……」

 

 レフィーヤは膝の上で拳を握った。

 

「魔導士なのに、モンスターが近づいただけで詠唱できなくなって……結局、またアイズさんに助けてもらって」

 

「最初から全部できる奴なんていないわよ」

 

 ティオネも呆れたように息を吐く。

 

「深層まで来てるんだから、失敗したなら次で直せばいいでしょう?」

 

「でも……」

 

「怪我は?」

 

 聞き慣れた声に、レフィーヤが顔を上げる。

 

 そこにはアイズが立っていた。

 

「ア、アイズさん!」

 

「怪我、してない?」

 

「は、はい! 大丈夫です! その……先ほどは助けていただいて、ありがとうございました!」

 

「なら、よかった」

 

 アイズが小さく頷く。

 

 ただそれだけだったが、憧れ続けている相手から気遣われたことが嬉しく、レフィーヤの目元へ僅かに涙が浮かんだ。

 

「アイズ、泣かせたー」

 

「……そんなつもりじゃない」

 

「ティオナさん!」

 

 レフィーヤが真っ赤になって声を上げる。

 

 少しだけ空気が和らいだところへ、フィンとリヴェリアが近づいてきた。

 

「アイズ。少しいいかな」

 

「……うん」

 

「レフィーヤ、お前もこちらだ」

 

「は、はい……!」

 

 何を言われるのか分かっているらしく、二人とも僅かに背筋を伸ばした。

 

 フィンはアイズと向き合う。

 

「さっき、僕の指示を無視して持ち場を離れたね」

 

「……うん」

 

「レフィーヤを助けるため?」

 

 アイズは少しだけ間を置き、それでも素直に頷いた。

 

「危なかったから」

 

「そうか」

 

 フィンは怒声を上げなかった。

 

「助けようとしたこと自体を責める気はないよ。ただ、君が左翼を離れれば、その穴を別の誰かが埋めなければならなくなる」

 

「……うん」

 

「次に同じことが起きた時は、一瞬でも周囲を見てほしい。誰かが助けに入れるなら任せる。君しか間に合わないなら、その時は動けばいい」

 

「分かった」

 

「それならいいよ」

 

 アイズが小さく頭を下げる。

 

 その隣では、リヴェリアがレフィーヤを見下ろしていた。

 

「まだ深層の戦闘には慣れぬか」

 

「……すみません」

 

「謝れと言っているのではない。お前は未熟だが、魔力に関して言えば高い素質を持っている。だからこそ、こうして遠征へ連れてきた」

 

「はい……」

 

「アイズと共に戦いたいのだろう?」

 

 レフィーヤが顔を上げる。

 

「はい! アイズさんは、私の憧れですから!」

 

「ならば恐怖に打ち勝て。前衛が作った時間を強力な魔法へ変え、戦局を決定づける。それが魔導士の役割だ」

 

「……はい!」

 

「無駄だろ」

 

 棘のある声が横から割り込んだ。

 

 ベートだった。

 

「素質だ可能性だって言っても、肝心な時にビビって動けねぇ奴がいたら邪魔なだけだ。戦えねぇなら消えろ」

 

「ベートさん……」

 

「憧れてるだの追いつきてぇだの言ってるうちは、雑魚はいつまで経っても雑魚だ」

 

「ベート。言葉が過ぎるぞ」

 

 リヴェリアの声音が低くなる。

 

「チッ」

 

 狼人は鼻を鳴らし、その場から離れていった。

 

 レフィーヤは唇を噛み締める。腹立たしい言い方ではあるものの、今日の自分を思えば完全には否定できないことが、何より悔しかった。

 

「気にするな。あの男は、ああいう言い方しかできん」

 

「……はい」

 

「まあ、半分くらいは合ってるけどな」

 

 別方向から声が飛んでくる。

 

 振り向けば、治療を終えたカイが立っていた。

 

「カイさん!?」

 

「何だよ」

 

「今、慰める流れだったじゃないですか!」

 

「慰めてるぞ」

 

「どこがですか!」

 

 思わず大声を上げたレフィーヤに、ティオナが吹き出す。

 

 カイは何が不満なのか理解できない顔をした。

 

「実際、怖くなって詠唱止まったんだろ」

 

「うっ……」

 

「だったら次は止めなきゃいい」

 

「そんな簡単に言わないでください!」

 

「簡単じゃねぇから、できるまでやるんだろ」

 

 あまりにも当然のように言われ、レフィーヤは言葉に詰まった。

 

「今日駄目でも、死んでねぇなら次がある。失敗しただけで全部終わったみてぇな顔してんじゃねぇよ」

 

 カイはそれだけ告げ、自分の雷槍を手に取った。

 

 レフィーヤはしばらくその背中を見つめ、やがて小さく息を吐く。

 

「……やっぱり慰めるの下手です」

 

「あ?」

 

「何でもありません!」

 

 少しだけ声に力が戻った少女を見て、リヴェリアは何も言わず目を細めた。

 

     ◇

 

 食事を終えた頃、幹部を中心とした団員達がフィンの周囲へ集められた。

 

「それじゃあ、今後の予定を確認しよう」

 

 広げられた地図の上へ、フィンが指を置く。

 

「今回の遠征の最終目的は未到達領域の開拓。第五十九階層を目指す方針は変わらない。ただし、その前に一つ済ませておく仕事がある」

 

「ディアンケヒト・ファミリアからの依頼ね」

 

 ティオネが先を読んで口を開く。

 

「そう。第五十一階層にあるカドモスの泉から泉水を採取する」

 

「うえー、あれやるの?」

 

 ティオナが露骨に嫌そうな顔をした。

 

「何でそんな面倒なの引き受けちゃったの?」

 

「報酬が悪くなかったからね。それに派閥同士の付き合いもある。無下にはできないよ」

 

「金貰っても面倒なのは変わんねぇだろ」

 

 ベートも鼻を鳴らす。

 

「第五十一階層へは二班を送る。指定された泉は二箇所あるから、それぞれで泉水を回収してもらう」

 

 フィンは愚痴を流し、そのまま説明を続けた。

 

「第五十九階層を目指す以上、ここで時間は使えない。二手に分かれて効率よく終わらせよう」

 

 各班の編成が告げられていく。

 

 そのうち一班には、ティオネを中心としてアイズ、ティオナ、レフィーヤ、そしてカイが入った。

 

「ちょっと待て」

 

 名前を聞いたベートが眉を寄せる。

 

「何で戦闘狂までそっちに入れてんだよ」

 

「誰が戦闘狂だ」

 

「てめぇだよ」

 

 間髪を容れず返される。

 

 フィンは苦笑しながら二人を見る。

 

「第五十一階層だ。戦力は多い方がいいし、何か予想外のことが起きた時にカイがいれば対応もしやすい」

 

「任せろ」

 

「ただし、勝手にどこかへ行かないこと」

 

「……信用ねぇな」

 

「日頃の行いでしょうが」

 

 ティオネに冷たく言われ、カイが眉を顰める。

 

 リヴェリアは第五十九階層攻略に備えて精神力を温存するため、安全地帯へ残ることになった。

 

「レフィーヤ」

 

「は、はい!」

 

「さっきの失敗を引きずる必要はない。今度は今度だ」

 

 フィンに告げられ、少女は杖を強く握る。

 

「……はい!」

 

「よーし! 今度こそさっさと片付けよー!」

 

「遊びに行くんじゃないのよ、ティオナ」

 

 ティオネが妹を窘める。

 

 アイズが静かに立ち上がり、カイも雷槍を肩へ担いだ。

 

「行こう」

 

「ああ」

 

 一行は第五十階層を後にし、第五十一階層へ向かった。

 

     ◇

 

 第五十一階層へ踏み込んだ瞬間、安全地帯で僅かに緩んでいた感覚が再び研ぎ澄まされた。

 

 足元へ伝わる微かな振動や遠方から聞こえるモンスターの鳴き声、そのどれ一つとして見落とすことは許されない。カイも再び身体へ青白い雷を巡らせ、精鋭達と共に泉を目指しながら進路上へ現れる怪物を手早く排除していく。

 

「よし、五匹!」

 

 ティオナが巨大な魔物を切り伏せる。

 

「数えてる暇があったら周り見なさい!」

 

 ティオネが叱りつける横で、カイは側面から迫った一体を雷槍で牽制した。浅い傷を残すたびに電荷が相手へ僅かに蓄積し、その踏み込みが鈍ったところへアイズのデスペレートが走る。

 

「レフィーヤ、魔法を!」

 

「はい!」

 

 杖を握る少女が詠唱を始めた。今度こそ――そう言い聞かせるように言葉を紡ぐが、近くでモンスターが吼えるたび、意識が僅かに乱れてしまう。

 

「レフィーヤ」

 

 アイズが短く呼び掛ける。

 

「……大丈夫。私達がいるから」

 

「アイズさん……」

 

 それだけ告げ、アイズは迫る敵へ向き直った。

 

 レフィーヤは深く息を吸い、もう一度詠唱へ集中する。

 

 やがて戦闘を抜けてしばらく進んだところで、ティオナが不思議そうに首を傾げた。

 

「なんかさ、思ってたよりモンスター少なくない?」

 

「避けられるなら、その方がいいでしょう」

 

「そういうんじゃなくてさ。何か変じゃない?」

 

 ティオネも周囲へ目を走らせる。

 

 普段の第五十一階層を知る者ほど、違和感を覚える静けさだった。カイが「静かすぎるな」と呟くと、アイズも小さく頷く。

 

 警戒を強めながら、それでも一行は泉へ向かって歩を進める。

 

「泉に着く前に確認しておくわよ」

 

 ティオネが歩きながら振り返った。

 

「目的はカドモスの泉の泉水を確保すること。でも、おそらくカドモスとの戦闘は避けられない」

 

「カドモス……」

 

 レフィーヤが緊張した面持ちになる。

 

「そんなに強いんですか?」

 

「すごく強いよ」

 

 ティオナが明るい調子で答える。

 

「力だけならウダイオスより上かも」

 

「えっ!?」

 

 レフィーヤの顔が引き攣る。

 

「泉水だけ取って逃げるのは……?」

 

「無理ね」

 

 ティオネが即答した。

 

「泉を守ってる間は、あいつを無視して採取なんてできない。そんなこと考えてたら死ぬわよ」

 

「昔吹っ飛ばされて、身体ぐちゃぐちゃになったことあるよねー」

 

「そういう話を今しないでください!」

 

 ティオナの余計な一言に、レフィーヤが悲鳴に近い声を上げる。

 

 その横でカイの深紅の瞳だけが僅かに輝いた。

 

「ウダイオスより力あんのか」

 

「カイさん?」

 

「面白そうだな」

 

「今の話のどこに面白い要素があったんですか!?」

 

「ほっときなさい」

 

 ティオネが頭を抱える。

 

「作戦通りにやるわよ。私達でカドモスを押さえ込む。レフィーヤが大魔法を撃ち込んで、弱ったところを全員で仕留める」

 

「はい!」

 

 先ほどより強く返事をし、レフィーヤは杖を握り直した。

 

 やがて目的地へ近づいたところで、カイが足を止める。

 

「待て。血の臭いがする」

 

 ベートほど鼻が利くわけではないが、冒険者として鍛えられた感覚が風に混じる異臭を拾っていた。

 

 次いでアイズも顔を上げる。

 

「……来ない」

 

「何が?」

 

「カドモス」

 

 泉を守っているはずの怪物の気配がない。

 

 ティオネの表情が険しくなった。

 

「急ぐわよ」

 

 一行が泉へ到達し、その光景を目にした瞬間、全員の足が止まった。

 

「……何、これ」

 

 ティオナの声から、いつもの明るさが消える。

 

 泉の傍らには巨大な死骸が横たわっていた。カドモス――いや、かつてカドモスだったものと呼ぶ方が正しいほど、強大な竜種の身体は無惨に損壊している。

 

 周囲にも激しい戦闘の痕跡が残されていた。

 

「他のファミリアが……?」

 

 レフィーヤが呟く。

 

 ティオネは答えず、死骸へ近づいた。

 

「おかしいわね。ドロップアイテムが回収されてない」

 

「カドモスの皮膜……」

 

 ティオナも覗き込む。

 

 希少価値の高いドロップアイテムだった。冒険者がこれほどの相手を倒したのであれば、わざわざ置いていく理由は薄い。

 

「他の派閥が遠征してるって話、あったか?」

 

「聞いてないわ」

 

 ティオネが首を横へ振った。

 

 カイはしゃがみ込み、破壊された死骸へ目を走らせる。

 

「冒険者が倒したんじゃないなら、こいつを殺せる何かがこの辺にいるってことか」

 

 レフィーヤの顔色が変わった。

 

「決めつけるには早いわ。でも、嫌な感じね。泉水を回収したら、すぐ戻るわよ」

 

 必要な泉水を確保して泉を離れようとした、その時だった。

 

 遠方から悲鳴が響く。

 

「今の……!」

 

 レフィーヤが息を呑む。

 

「ラウルの声だ」

 

 カイが先に身体を向ける。

 

「急ぐぞ!」

 

 全員が声のした方向へ駆け出した。

 

 やがて負傷したラウルと、その周囲を固めるフィン達の姿が見えてくる。

 

「ラウルさん!」

 

 レフィーヤが駆け寄った。

 

 ラウルの装備には深い傷が刻まれ、身体にも治療を必要とする負傷がある。

 

「フィン、何があった?」

 

 カイの問いに、団長は周囲を警戒しながら答えた。

 

「襲われた。僕達も見たことのないモンスターだ」

 

「新種かもしれんの」

 

 ガレスが低く唸る。

 

 ティオネ達が互いの顔を見る。

 

「団長。私達も泉で妙なものを見たわ。カドモスが殺されてた」

 

「カドモスを?」

 

「ドロップアイテムも回収されてなかった」

 

 フィンの表情が僅かに険しくなる。

 

「こちらの新種と関係があるのかもしれないな」

 

「決めつけるには材料が少ないが、事実なら厄介だね」

 

 フィンが思考を巡らせた、その時だった。

 

「待て」

 

 ベートが突然顔を上げる。

 

 全員の視線が狼人へ集まった。

 

「向こうから悲鳴がする」

 

「どっち?」

 

「キャンプだ」

 

 微かだった声が、今度ははっきり全員の耳へ届く。

 

「クソッ! 野営地がやべぇ!」

 

 ベートが地面を蹴った。

 

「全員、戻るぞ!」

 

 フィンの号令とともに、一行は第五十階層へ走り出した。

 

     ◇

 

 灰色の森林へ戻った時、そこにあったのは先ほどまでの穏やかな野営地ではなかった。

 

「何だ、こいつら……!」

 

 カイが目を細める。

 

 天幕の間を這い回っているのは、見たこともないモンスターだった。巨大な芋虫を思わせる身体を持ち、表皮から滴り続ける黄緑色の粘液が地面へ落ちるたび、白煙を上げながら岩肌を溶かしている。

 

「後ろからも来る!」

 

「負傷者を中央へ! 前衛は包囲を割れ!」

 

 フィンの指示へ応じ、全員が一斉に動き出す。

 

 ティオナが反射的に大双刃を振るった。

 

「こんなの、ぶっ飛ばせば――」

 

「ティオナ、待て!」

 

 刃が新種の身体へ食い込み、傷口から体液が噴き出した。

 

「えっ!?」

 

 液体を浴びた刃から白煙が上がり、頑丈な金属の表面が見る間に侵食されていく。

 

「武器が……!」

 

「腐食液か!」

 

 ティオナが慌てて距離を取った。

 

 地面へ散った液体が周囲の草木まで溶かしていく光景を見て、カイも雷槍の構えを変える。全身にはまだ青白い雷が巡っているが、接触そのものを避けなければならない相手では、電荷を蓄積する戦法も使いづらい。

 

「こいつは面倒だな」

 

「嬉しそうな顔してんじゃねぇ!」

 

 ベートが怒鳴る。

 

「してねぇよ」

 

「してんだよ!」

 

 否定する割に、カイの深紅の瞳には明らかな興味が宿っている。雷と力で正面から押し切れないのであれば、その条件の中でどう戦うかを考えればいい。

 

「どう倒すか考える甲斐はありそうだな」

 

「やっぱ喜んでんじゃねぇか!」

 

 ベートの声を聞き流し、カイは一体へ踏み込む。

 

 ただし、穂先で胴を貫くような真似はしない。

 

 新種が身体を持ち上げた瞬間、その足元に転がっていた岩塊を蹴り上げ、雷槍の腹で打ち飛ばす。勢いを得た岩が頭部へ激突し、怪物の巨体が横へ逸れた。

 

「直接触るな! 討伐より防衛を優先しろ!」

 

 フィンも敵の性質を把握し、すぐに指示を変える。

 

「魔導士へ近づけさせるな!」

 

 アイズが一歩前へ出た。

 

「――〖目覚めよ(テンペスト)〗」

 

 翠色の風が少女の全身を包む。

 

 付与魔法〖エアリエル〗を纏ったアイズがデスペレートを走らせ、切り口から飛び散る腐食液を風圧で外側へ押し流した。

 

「アイズの風なら対応できる!」

 

 ティオネ達も岩や倒木を利用し、敵の進路を限定していく。

 

 しかし敵の数は減るどころか、第五十一階層方面からさらに押し寄せてくる。

 

 リヴェリアが戦場を見渡し、その視線をレフィーヤへ止めた。

 

「フィン」

 

「ああ」

 

「この敵はレフィーヤにやらせたい」

 

「えっ!?」

 

 突然名指しされ、少女が目を見開く。

 

「い、今ですか!?」

 

「ああ。お前に足りぬのは力ではない。実戦で魔法を紡ぐ経験と、仲間を信じる僅かな勇気だ」

 

「でも……!」

 

 周囲を這い回る新種へ視線を向け、レフィーヤの顔色が青ざめる。

 

 フィンは戦況を確認した。

 

 この未知の敵が大量に出現した以上、第五十九階層への進行は極めて難しい。ここで全員の援護を受けながら経験を積ませるというリヴェリアの考えにも、一理はあった。

 

「やってみよう、レフィーヤ」

 

「団長……」

 

「僕達が時間を作る。君は魔法に集中してくれ」

 

 少女の手が震える。

 

 周囲を見れば、前衛達がすでに自分を守る位置へ動いていた。自分の魔法を、ただ庇われるための力ではなく、勝つために必要な一撃として待っている。

 

「……はい!」

 

 杖を握り直し、足元へ魔法円を広げる。詠唱が始まった瞬間、前衛達も一体たりともレフィーヤへ通さないよう動きを変えた。

 

「一体もレフィーヤへ通すな!」

 

 ガレスが進路を塞ぎ、ティオナとティオネが左右を固める。アイズは〖エアリエル〗を維持したまま正面を押し返し、カイも岩や倒木を弾き飛ばして新種の軌道をずらしていった。

 

 その防衛線の僅かな隙間を、一体の新種が跳躍して抜ける。

 

「アイズ!」

 

 ティオネの声へ反応し、アイズが纏う風を一気に噴き上げた。激しい風圧が新種の巨体を横から叩き、飛散した腐食液ごとレフィーヤから遠ざける。

 

「続けて、レフィーヤ!」

 

「は、はい!」

 

 しかし詠唱は僅かに揺れていた。

 

 さらに死角から一体が迫ると、カイが舌打ちしてその間へ割って入った。

 

 新種へ槍を突き刺すのではなく、岩盤へ雷槍を斜めに打ち込み、長い柄を障害物として突進の軌道を強引に変える。怪物の腹部が槍身を擦った瞬間、腐食液が柄へ降りかかった。

 

「……ッ!」

 

 白煙が噴き上がった。

 

 即座に引き抜いたものの、雷槍の表面には深い侵食痕が残っている。

 

「カイさん!」

 

「こっち見んな! 詠唱続けろ!」

 

「でも槍が!」

 

「今はお前の仕事の方が先だろ!」

 

 レフィーヤが息を呑み、再び正面へ向き直る。

 

 それでも一度乱れた集中は簡単には戻らない。怪物の咆哮や武器の衝突音、誰かにまた助けられたという焦りが頭の中へ押し寄せ、詠唱が徐々に崩れていった。

 

「私が……やらなきゃ……」

 

 焦れば焦るほど魔力の制御が乱れ、ついに言葉が途切れた。足元に浮かんでいた魔法円も、力を失うように薄れていく。

 

「また……私……」

 

「レフィーヤ」

 

 リヴェリアの声が届いた。

 

 翡翠色の髪の魔導士が前へ進み、少女と入れ替わるように杖を構える。

 

「よく見ておけ」

 

「リヴェリア様……」

 

「魔導士の使命は、強力な魔法を紡いで戦局を決定づけること。そのための詠唱とは、すなわち共に戦い、守ってくれる仲間を信じることだ」

 

 レフィーヤの瞳が揺れる。

 

「仲間を……信じる」

 

「全員、リヴェリアを守れ!」

 

 フィンの号令が飛んだ。

 

 前衛達が少しずつ後退しながら新種を押し留める。カイの雷槍は各所が溶け始めていたが、怪物を直接斬ることはせず、長さを利用して進路を妨げたり、岩を弾き飛ばしたりするために使い続けていた。

 

「カイ、その槍はもう限界だぞ!」

 

 ガレスが叫ぶ。

 

「分かってる!」

 

「分かっておる者の使い方には見えんわ!」

 

「折れる前には止める!」

 

「そこまで使うなと言っておる!」

 

 怒鳴り合いながらも、防衛線は崩れない。

 

 戦闘の最中から紡がれ続けていたリヴェリアの長大な詠唱が、ついに完成へ至る。

 

「全員、退け!」

 

 フィンの合図に合わせ、前衛達が一斉に射線を空けた。

 

「【レア・ラーヴァテイン】!」

 

 紅蓮の業火が第五十階層の森林を照らした。

 

 押し寄せていた新種が炎へ呑み込まれ、腐食液も怪物達の咆哮もまとめて爆炎の向こうへ消えていく。炎が収まり始めた頃には、先ほどまでの攻勢が嘘のような静けさが戻っていた。

 

 カイは大きく損傷した雷槍を地面へ突き立て、荒い息を整える。

 

「……何度見てもすげぇな」

 

「カイ」

 

 隣へ退いていたアイズが雷槍へ目を向ける。

 

「それ……大丈夫じゃない」

 

「まだ折れてねぇ」

 

「もう武器屋に怒られる形してるぞ」

 

 ベートが鼻を鳴らす。

 

「うるせぇ」

 

 そんなやり取りの横で、ティオネが倒れた新種の一体へ近づいた。

 

「……何、これ」

 

 手袋越しに死骸の内部へ手を入れ、核となっていた魔石を引き抜く。

 

 見慣れたモンスターの魔石とは明らかに違っていた。異様な色合いが内部で揺らめき、光へかざしたティオネが眉を寄せる。

 

「こんな色の魔石、見たことないわ」

 

「新種だから……?」

 

 レフィーヤが恐る恐る覗き込む。

 

「分からない」

 

 フィンが魔石を受け取った。

 

「持ち帰ろう。調べる価値はある」

 

 レフィーヤはその会話を聞きながら、自分の手元へ視線を落とした。結局また詠唱を完成させることができなかった悔しさは残っているが、今度はただ俯いて終わるつもりはなかった。

 

 アイズの風も、槍を傷めながら割って入ったカイも、最後まで術式を紡いだリヴェリアも、全員が自分の魔法を信じて時間を作っていた。

 

「次は……信じる」

 

 少女が小さく呟いて杖を握り直した、その時だった。

 

「……何か来る」

 

 アイズが顔を上げる。

 

 全員が同じ方向へ視線を向けた。

 

 灰色の森林の向こうから、何かがゆっくりと近づいてくる。

 

 先ほどの芋虫型とは違う。

 

 女の上半身を思わせる輪郭を備えた、不気味な人型の異形だった。人間に似ていながら明らかに人ではなく、身体の周囲には細かな鱗粉のようなものが漂い、歩くたび淡い粉塵が空気へ撒き散らされていく。

 

「……あれも新種?」

 

 ティオナが表情を強張らせる。

 

「人型か」

 

 ベートが牙を剥く。

 

 カイも損傷した雷槍を握り直した。

 

「さっきのより強そうだな」

 

「カイ」

 

 フィンの低い声が届く。

 

「撤退する」

 

「は?」

 

 カイが思わず振り向く。

 

 団長の表情には迷いがなかった。

 

「最小限の物資だけ持って、この階層を出る」

 

「待てよ。あいつの能力もまだ分かってねぇぞ」

 

「だからだ」

 

 フィンは異形から目を逸らさない。

 

「能力も目的も分からない。こちらには負傷者がいて、装備も物資も大きく消耗している。未知の敵相手に、今これ以上危険を積み重ねる必要はない」

 

「……チッ」

 

 カイは口元を歪めた。

 

 戦ってみたいという感情はある。

 

 だが周囲へ目を向ければ、フィンが正しいことも理解できた。

 

「全員、撤収準備! 使える物資だけ持て!」

 

 団員達が一斉に動き始める。

 

「アイズ」

 

「うん」

 

「君に殿を頼む」

 

 周囲の空気が変わった。

 

「待て。俺も残る」

 

 カイが即座に口を挟む。

 

「駄目だ」

 

「何でだよ。俺だってLv.5だぞ」

 

「レベルの問題じゃない」

 

 フィンは女型の異形を包む鱗粉へ視線を向ける。

 

「あれが何なのかは分からないが、まともに浴びていいものとは思えない。アイズの〖エアリエル〗なら、風で鱗粉を吹き散らしながら時間を稼げる」

 

 続いて、カイの手元へ視線を落とす。

 

「君の槍はその状態だ。それに君には撤退する隊列と負傷者を守ってもらう」

 

「素手でも――」

 

「カイ」

 

 団長としての声音が強くなる。

 

「命令だ」

 

 数秒、二人の視線がぶつかる。

 

 やがてカイが大きく息を吐いた。

 

「……分かった」

 

「ねえ、フィン! アイズ一人なの? 私も残るよ!」

 

 ティオナが声を上げる。

 

「アイズ一人残して引けるかよ」

 

 ベートも苛立たしげに吐き捨てた。

 

「団長、私からもお願いします」

 

 ティオネまで続く。

 

「二度言わせないでくれ。急げ」

 

 フィンが全員を見渡す。

 

 それ以上の反論は許されなかった。

 

 アイズだけが一歩前へ出る。

 

 すでに纏っていた翠色の風を強め、女型の異形へデスペレートを向けた。

 

「アイズ」

 

 カイが呼び止める。

 

 少女が僅かに振り返った。

 

「無茶すんなよ」

 

「……カイに言われたくない」

 

「お前までそれ言うのかよ」

 

 アイズの口元が、本当に僅かだけ緩んだ。

 

「大丈夫。先に行って」

 

 カイはしばらくその背中を見ていたが、やがて雷槍を下ろした。

 

「死ぬなよ」

 

「うん」

 

 短い返事を最後に、カイも撤退する団員達を追った。

 

     ◇

 

 第五十階層を離れた一行は、可能な限り速く上層を目指した。

 

 負傷者を中央へ置き、カイやベート、ガレス達が前後を守る。物資の多くを失った以上、これ以上の戦闘は可能な限り避けなければならなかった。

 

 カイの雷槍は布で幾重にも巻かれ、荷物の一部として運ばれている。腐食液によって柄は深く抉れ、石突も変形し、武器として使えば次の一撃で折れても不思議ではない。

 

「これ、地上まで持つと思うか?」

 

「槍の話なら、とっくに持ってねぇよ」

 

 ベートが呆れた声を返した。

 

「まだ一本の形してるだろ」

 

「形しか残ってねぇだろうが。鍛冶屋に土下座しろ」

 

「何でだよ」

 

 言い返しながらも、カイは何度も後方を振り返っていた。

 

 アイズがまだ戻っていない。

 

 フィンも分かっているが、隊列を止めることはない。殿とは、残った一人が時間を稼いでいる間に他の全員が可能な限り距離を取るための役目だからだ。

 

「……遅ぇな」

 

「まだ大して経ってねぇよ」

 

「分かってる」

 

「だったら黙って歩け」

 

「うるせぇ」

 

 そう言うベート自身も、何度か後ろへ視線を送っていた。

 

 しばらく進んだ頃、後方から風を切る音が聞こえる。

 

 全員が振り返った。

 

 金色の髪をなびかせながら、一人の少女が走ってくる。

 

「アイズさん!」

 

 最初に声を上げたのはレフィーヤだった。

 

 アイズが一行へ追いつく。

 

「ごめん。遅れた」

 

「アイズ!」

 

 ティオナが勢いよく抱きつこうとし、ティオネに首根っこを掴まれる。

 

「走ってきたばっかりなんだから、少し待ちなさい」

 

「無事でよかったです……!」

 

 レフィーヤの目には涙が浮かんでいた。

 

「怪我は?」

 

「大丈夫」

 

 そう答えたアイズへ、リヴェリアが歩み寄る。

 

「よく戻った。傷を見せろ」

 

「……大丈夫」

 

「役目を果たしたことは認める。だが、その傷を『大丈夫』の一言で済ませるな」

 

 アイズが僅かに視線を逸らす。

 

「……うん」

 

「まずは役目を果たしたことを労ってやれ、リヴェリア」

 

 ガレスが苦笑する。

 

「それとこれとは別だ」

 

「相変わらずじゃの」

 

 厳しい口調ではあったが、アイズが無事に戻ってきたことでリヴェリアの表情から緊張が僅かに薄れていた。

 

 少し離れた場所で、カイも小さく息を吐く。

 

「おせぇよ」

 

「……ごめん」

 

「別に謝らなくていい」

 

「どっちだよ」

 

 ベートが横から吐き捨てる。

 

「うるせぇな」

 

 いつものやり取りが戻り、張り詰めていた空気が僅かに緩んだ。

 

 だが、深層攻略はもう続けられない。

 

 フィンが全員へ向き直る。

 

「予定を変更する。今回の第五十九階層攻略はここで打ち切る。これよりオラリオへ帰還する」

 

 大きな反論は出なかった。

 

 第五十一階層で見つかったカドモスの死骸、腐食液を持つ芋虫型の新種、通常とは異なる色の魔石、そして最後に現れた鱗粉を撒き散らす女型の異形。物資の大半まで失った今、この状態でさらに深層へ進むことが無謀なのは誰の目にも明らかだった。

 

「……せっかくここまで来たのにな」

 

 ティオナが肩を落とす。

 

「いい加減にしなさいよ。物資も装備もあれだけやられたんだから、しょうがないでしょう」

 

 ティオネが妹を窘める。

 

 カイも不満がないわけではなかった。むしろ、あの女型の新種と戦えなかったことへの未練は誰より強い。

 

 それでも仲間達の状態を見れば、先へ行きたいと言い張る気にはなれなかった。そこで駄々をこねるのは戦闘狂ではなく、ただの馬鹿だ。

 

「帰るぞ、カイ」

 

 フィンが声をかける。

 

「ああ」

 

「武器は使わないように」

 

「分かってるよ」

 

「本当に?」

 

「拳と足は残ってんだろ。雷纏(ケラウノス)もあるし、上層へ戻ればそれで十分だ」

 

「……まあ、君ならそう言うと思ったよ」

 

 フィンから半ば諦めたような溜息が返ってくる。

 

「ただし、無茶はしないこと」

 

「分かってる」

 

 近くにいたベートが鼻を鳴らした。

 

「その台詞、今日何回聞いたと思ってんだ」

 

「お前に言われたくねぇ」

 

「あァ?」

 

「はいはい、帰るよー!」

 

 ティオナが二人の間へ割って入り、強引に会話を打ち切った。

 

 レフィーヤもその様子を見て小さく笑う。失敗への悔しさはまだ胸の中に残っているが、それはもう俯き続けるためのものではなかった。

 

「カイさん」

 

「あ?」

 

「……さっきは、ありがとうございました」

 

「何が?」

 

 レフィーヤが一瞬固まる。

 

「槍まであんなにして助けてくれたじゃないですか!」

 

「あれはお前が詠唱中だったからだろ」

 

「だから、それを言ってるんです!」

 

「?」

 

 本当に分かっていない顔をしている。

 

 レフィーヤはしばらくカイを見つめた後、諦めたように息を吐いた。

 

「……もういいです」

 

「何だよ」

 

「何でもありません!」

 

 声を上げて先へ歩いていく少女を見送り、カイは首を傾げる。

 

 その横へアイズが並んだ。

 

「カイ」

 

「あ?」

 

「槍、大丈夫?」

 

「見りゃ分かるだろ」

 

「……大丈夫じゃない」

 

「直せば大丈夫だ」

 

 アイズは布に包まれた得物をじっと見る。

 

「次は、手まで溶かさないで」

 

「素手であいつら殴るほど馬鹿じゃねぇよ」

 

 数秒だけ沈黙が落ちた。

 

「……本当?」

 

「何で疑うんだよ」

 

 少し前を歩いていたティオナが吹き出した。

 

「カイならやりそうだからじゃない?」

 

「やらねぇよ!」

 

 久しぶりに笑い声が起こる。

 

 長く苦しい深層攻略は、こうして予定より早く打ち切られることになった。

 

 到達目標だった第五十九階層へ進むことはできなかったが、その代わりに第五十一階層で起きている明らかな異変と、誰一人として正体を知らない新種に関する情報を持ち帰ることになる。

 

 遠征そのものは、まだ終わっていない。今は負傷者と残された物資を守りながら、全員で地上へ帰ることが最優先だった。

 

 帰還隊は長い迷宮を、一階層ずつ上り始める。

 

 そして数日後。

 

 第十七階層へ辿り着いたロキ・ファミリアの前に、今度は十を越えるミノタウロスの群れが姿を現すことになる。

 

         第一話 了




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

感想や気になった点、誤字脱字などありましたら教えていただけると嬉しいです。

次回もよろしくお願いします。
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