ダンジョンに強敵を求めるのは間違っているだろうか   作:アイスクリームベリーベリー

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第四話 遠征の終わり

 

「戻った」

 

 第十七階層へ続く階段から、三つの人影が姿を現した。

 

 先頭はアイズ。そのすぐ後ろをベートとカイが上がってくる。第五階層から十数階層分を駆け戻ってきただけあって、三人とも多少なりとも疲労の色を滲ませていた。

 

「おっそーい!」

 

 待っていたティオナが真っ先に声を上げる。

 

「うるせぇ。誰のせいだと思ってんだ」

 

 ベートが横目でカイを睨んだ。

 

「まだ言ってんのかよ」

 

「十二階層分も余計に走らされたんだぞ」

 

「二人とも、その話はもういい」

 

「チッ」

 

 ベートが舌打ちし、カイも肩を竦める。その様子に僅かに苦笑しながら、フィンが三人へ視線を向けた。

 

「ご苦労様。それで?」

 

「全部倒した」

 

 アイズが短く答える。

 

「最後の一体だけ五階層まで逃げた。駆け出しを襲ってたから、カイが倒した」

 

「その冒険者は?」

 

「無事」

 

 端的な報告を聞き、フィンは小さく頷いた。

 

「ならよかった。上の階層に他の被害は?」

 

「見た限りねぇな」

 

 ベートが答え、カイも同意するように頷く。逃走した個体が全て処理され、巻き込まれた冒険者にも犠牲がなかったと知って、周囲の団員達から安堵の息が漏れた。

 

「それじゃあ帰ろう。ここから先も気を抜かないように」

 

 フィンは一行を見渡す。

 

「オラリオへ戻るまでが遠征だ」

 

 団員達がそれぞれ応じ、再び隊列が動き出した。

 

 長かった遠征も、今度こそ終わりが見えていた。

 

     ◇

 

 階層を一つずつ上るにつれ、ダンジョンを包む空気が変わっていく。

 

 深層特有の重苦しい緊張は薄れ、遭遇するモンスターも次第に弱くなった。それでも長期間の探索と戦闘で蓄積した疲労までは消えず、遠征隊の歩調は往路よりいくらか遅い。

 

「うーん……やっと帰れるねー」

 

 ティオナが両腕を大きく伸ばした。

 

「遠征が終わると、やっぱりほっとするよね」

 

「まだ地上に着いてないでしょうが」

 

 ティオネが釘を刺す。

 

「でも今回は途中で戻ってきちゃったしなー。ちょっと暴れ足りないかも」

 

「まだ言ってるんですか?」

 

 呆れたレフィーヤの声に、ティオナが頬を膨らませた。

 

「だって五十九階層まで行くつもりだったんだよ? ね、カイ?」

 

「俺に振るなよ」

 

「でもカイも暴れ足りないでしょ?」

 

「まあな」

 

「ほらー!」

 

「同類を見つけたみたいな顔しないでください!」

 

 思わず声を上げたレフィーヤに、周囲から小さな笑いが起こった。

 

 そんな空気に混じりながらも、少女の胸には遠征で味わった悔しさが残っている。第四十九階層では恐怖に足を止め、未知の新種との戦いでも幾度となく仲間達に守られた。

 

「……今回も、反省ばっかりです」

 

 俯き気味に漏れた声を、ティオナが聞き逃さなかった。

 

「何言ってんの。最後までちゃんと帰ってきてるじゃん」

 

 ふと、以前言われた言葉が脳裏に蘇った。

 

 『今日駄目でも、死んでねぇなら次がある』

 

 あまり慰めになっていないと思った言葉なのに、不思議と今も耳に残っている。

 

 レフィーヤは少しだけ眉を寄せた。自分でも、どうしてこんなにはっきり覚えているのか分からなかった。

 

「でも、私は足手まといになるばかりで……特にアイズさんには何度も助けていただいて」

 

 レフィーヤは少し前を歩く金髪の少女へ視線を向けた。

 

 アイズはいつもと変わらない無表情で歩いている。それでもレフィーヤには、その横顔がどこか沈んで見えた。

 

 第五十九階層を目指した遠征は途中で打ち切られ、未知の怪物を前に撤退を選ばざるを得なかった。アイズがそれをどう受け止めているのか、レフィーヤには分からない。

 

 ただ、いつも以上にその視線が遠くを向いているように感じられた。

 

「だったらさ」

 

 ティオナが明るく言う。

 

「地上にいる時は、アイズの力になってあげればいいんじゃない?」

 

「アイズさんの……力に?」

 

「うん。ダンジョンだけが全部じゃないんだし」

 

 レフィーヤは目を瞬かせた。

 

 戦闘ではまだ追いつけないとしても、それ以外で何かできることがあるかもしれない。その考えは単純なものだったが、今の少女には妙に新鮮だった。

 

「……私に、できるでしょうか」

 

「やってみないと分かんないよ」

 

 ティオナが笑う。

 

 その言葉を胸の内で繰り返しながら、レフィーヤはアイズの背中を見つめた。

 

     ◇

 

 長い帰路の果てに、一行はついにダンジョンを抜けた。

 

 バベルを出た途端、夕刻へ傾き始めたオラリオの空気が肌を撫でる。人工の明かりではない陽光に目を細め、何人もの団員が深く息を吐いた。

 

「……地上だ」

 

 ラウルの声には、隠しきれない安堵が滲んでいる。

 

「帰ってきたっすねぇ……」

 

「腹減ったー!」

 

「ティオナ、さっき保存食食べてたでしょうが」

 

「あれはご飯じゃないよ」

 

「じゃあ何なのよ」

 

 いつもの姉妹のやり取りを聞きながら、カイも久しぶりの空を見上げた。長く地下にいた後の空は、何度見ても広く感じる。

 

「カイ」

 

「あ?」

 

 隣を歩くアイズが、荷へ固定されている布包みへ視線を向けた。

 

「槍、最初に修理?」

 

「いや。先にロキんとこ行く」

 

「ステイタス?」

 

「ああ。今回どれくらい伸びたか見てぇ」

 

「……私も」

 

 短く答えたアイズの金色の瞳には、帰還の安堵とは異なる光が宿っていた。

 

 第五十九階層へは届かなかった。未知の怪物を前に、仲間達を先へ退かせ、自分は一人その場に残った。

 

 もっと強ければ。

 

 そんな思いが、彼女の中から消えることはなかった。

 

     ◇

 

「遠征隊! 今ダンジョンから戻った! 開門してくれ!」

 

 黄昏の館へ辿り着くと、先頭から声が飛んだ。

 

 巨大な門がゆっくりと開き、内側で待っていた団員達から歓声が上がる。

 

「お帰りー!」

 

 その歓声をかき分けるように、小柄な女神が真っ先に飛び出してきた。

 

「うちの可愛い子ら、やっと帰ってきたー!」

 

「ロ、ロキ様!?」

 

 両腕を広げたロキの進行方向にいたレフィーヤの顔が引き攣る。

 

「寂しかったでぇ、レフィーヤ~!」

 

「きゃああああっ!? や、やめてくださいロキ様!」

 

「お? なんやレフィーヤ、ちょっと胸大きなったんちゃう?」

 

「なってません!!」

 

「じゃあ縮んだん?」

 

「縮んでもいませんっ!」

 

 館の入口へ甲高い悲鳴が響き渡った。

 

「助けてください!」

 

 涙目のレフィーヤが周囲へ救援を求めるが、誰も積極的に前へ出ようとはしない。

 

「諦めろ」

 

「カイさん!?」

 

「相手ロキだぞ。俺は嫌だ」

 

「薄情です!」

 

「よう分かっとるやん、カイ!」

 

「褒めてねぇよ」

 

 ロキが満足そうに笑ったところで、フィンが静かに声を掛ける。

 

「ロキ」

 

 団長の表情を見て、女神もようやくレフィーヤから手を離した。

 

「今回の遠征での犠牲者はなし。到達階層の更新もできなかった。詳細は追って報告するよ」

 

「ん。了解や」

 

「それと、今回の撤退理由についても報告がある」

 

 フィンの声に僅かな重みが加わる。

 

「第五十一階層方面で、僕達の誰も見たことがないモンスターと遭遇した。既存種には該当しない。新種と考えていいと思う」

 

 ロキの細い瞳が僅かに開く。

 

「……新種?」

 

「ああ。魔石も回収してある」

 

「ほんなら、後でじっくり聞かせてもらうわ」

 

 フィンが頷く。

 

「まずは皆を休ませたい」

 

「せやな。全員ご苦労さん。今日はゆっくり休みや」

 

 その言葉を待っていたように、団員達の表情が緩んだ。

 

 長かった遠征は、ようやく本当に終わった。

 

     ◇

 

 荷物を下ろし、負傷者の治療と最低限の片付けを終えてから、さほど時間は経っていない。

 

「入ってええでー」

 

 黄昏の館の一室からロキの声が響き、扉が静かに開いた。

 

「よう来たな、アイズたん。今回も一番乗りや」

 

「……うん」

 

 ロキがにやりと笑う。

 

「――言うても、今日は僅差やけどな」

 

「?」

 

「廊下におるんやろ、カイ」

 

「……何で分かったんだよ」

 

 扉越しに、不満そうな声が返ってくる。

 

「アイズたんのすぐ後ろから足音しとったで」

 

「別に張り合ってねぇから」

 

 アイズが僅かに首を傾げた。

 

「……私の方が先だった」

 

「だから張り合ってねぇって」

 

 カイの声に、ロキが楽しそうに喉を鳴らす。

 

「まあ順番や順番。まずアイズたんな」

 

 アイズは慣れた動作で上着を脱ぎ、神の前へ背中を晒した。

 

「毎回言うとるけど、他所でほいほい背中見せたらあかんで」

 

「分かってる」

 

「ステイタスに鍵は掛けとるけどな。ヒエログリフ読める奴がおらんとは限らんから」

 

「うん」

 

 ロキが神血(イコル)を一滴落とす。

 

 光とともに浮かび上がった神聖文字(ヒエログリフ)へ指を滑らせ、更新を終えると、手元の紙へ新しい数値を書き写していった。

 

「ほい、終わりや」

 

 差し出された紙を、アイズは受け取った。

 

 アイズ・ヴァレンシュタイン Lv.5

 

 力   D549 → D555

 耐久  D540 → D547

 器用  A823 → A825

 敏捷  A821 → A822

 魔力  A899

 

「…………」

 

 数字を追う金色の瞳が、僅かに揺れた。

 

 二週間近く深層を進み、数え切れないほどのモンスターを斬った。それでも増えた数値はどれも僅かで、敏捷に至ってはたった一つ、魔力は変わってすらいない。

 

 合計しても、十六。

 

 ――頭打ち。

 

 そんな言葉が、アイズの脳裏を過った。

 

 Lv.5になって、三年。

 

 もっと強くなりたい。

 

 それなのに、目の前には見えない壁がある。

 

「アイズ」

 

 ロキの声に、少女は顔を上げた。

 

「……また焦っとるやろ、アイズたん」

 

「…………」

 

 アイズは答えなかった。

 

 だが、否定もしない。

 

「せやけどな。つんのめりながら前だけ見て走り続けとったら、いつか絶対こけるで」

 

「……」

 

「いつも言うとるやろ?」

 

「うん」

 

「これからも何回でも言う。せやから忘れんようにな」

 

 アイズはしばらく手元の紙を見つめた後、小さく頷いた。

 

「……分かった」

 

「よろしい。今日はちゃんと休みや」

 

「……努力する」

 

「努力せな寝られん時点で不安しかないんやけど」

 

 アイズは服を整え、扉へ向かった。

 

 外へ出ると、壁へ背を預けて待っていたカイと目が合う。

 

「……終わった」

 

「見りゃ分かる。どうだった?」

 

 アイズは手元の紙へ一度視線を落とす。

 

「……少しだけ」

 

「そっか」

 

「カイは?」

 

「今から」

 

 カイが扉へ手を掛ける。

 

 すれ違う直前、アイズが小さく口を開いた。

 

「カイ」

 

「あ?」

 

「……もっと、強くなりたい」

 

 カイは僅かに目を細めた。

 

「知ってる」

 

「カイは?」

 

「俺は、まだ先が見てぇ」

 

 戦うたびに知らなかったものが見える。

 

 今まで届かなかった相手へ手が届き、その先にはまた別の強者がいる。それを確かめる前に立ち止まる気など、カイにはなかった。

 

「……そう」

 

 アイズは小さく頷き、そのまま廊下を歩いていく。

 

 求めているものは違う。それでも、今いる場所で満足できないという一点だけは、互いに理解できていた。

 

 カイはアイズの背中を一度だけ見送ってから、ロキの部屋へ入った。

 

「ほな、次はカイやな」

 

「待たせたのはそっちだろ」

 

「細かいこと言いなや。ほら、脱ぎ」

 

「言い方どうにかなんねぇのか」

 

「男相手やとつまらんなぁ」

 

「帰るぞ」

 

「待て待て、冗談やって!」

 

 踵を返しかけたカイの服を、ロキが慌てて引っ張る。

 

 上着を脱いだ青年の身体には、遠征中についた浅い擦り傷や汚れがいくつか残っていた。

 

「……ほんま、お前は傷ばっか増やして帰ってくるなぁ」

「これくらい普通だろ」

 

「普通ちゃうから言うとんねん」

 

「アイズだって似たようなもんだろ」

 

「あの子を基準にすんな」

 

「じゃあベート」

 

「何で問題児の中から基準選ぼうとすんねん」

 

 ロキが呆れ果てた顔をする。

 

「槍もボロボロらしいやん」

 

「俺が壊したみたいに言うな。モンスターにやられたんだよ」

 

「お前が持っとる武器、ほんま毎回ろくな目に遭わへんなぁ」

 

「今回は不可抗力だ」

 

「『今回は』言うてもたで」

 

「……早く更新しろ」

 

 カイが背を向けると、ロキはまだ笑いながら青年の背へ神血(イコル)を落とした。

 

 浮かび上がる神聖文字(ヒエログリフ)。その一つ一つへ目を通していた女神の表情が、次第に変わっていく。

 

「……ほぉ」

 

「どうだ?」

 

「結構いったな」

 

「見せろ」

 

「まだや。動くな」

 

 ロキが紙へ数字を書き写していく。

 

 最後まで終えると、出来上がったものをカイへ差し出した。

 

 カイ・ヴァレス Lv.5

 

 力   E458 → E492

 耐久  E437 → E466

 器用  D514 → D562

 敏捷  C688 → B744

 魔力  C651 → B706

 

 発展アビリティ

 

 【狩人】G

 【耐異常】F

 【精癒】H

 【連攻】H

 

魔法

〖雷纏(ケラウノス)〗

・付与魔法

 ・雷属性

 ・詠唱式:【迸れ(アストラ)】

 

 

 スキル

 〖強敵渇望(ヴァルハラ)〗

 ・格上との戦闘時、全アビリティに高補正。

 ・対象の脅威度に応じ効果上昇。

 ・負傷・窮地に応じ効果上昇。

 ・格上との戦闘で得るに高補正。

 

 〖戦禍適応(フェイタル・センス)〗

 ・戦闘継続時、器用・敏捷に補正。

 ・同一対象との交戦時間に応じ効果上昇。

 ・自身を上回る対象との交戦時、効果上昇。

 ・戦闘中断により効果減衰。

 

 

 

「……お」

 

 カイの赤い瞳が僅かに見開かれた。

 

 敏捷と魔力が一つ上の領域へ届いている。器用の伸びも大きく、力と耐久も着実に数値を重ねていた。

 

「相変わらず半端ないなぁ。今回の遠征でも、かなり無茶したんやろ」

 

「フォモールと新種か」

 

「それだけやないやろ。深層でどんだけ戦ったんや、お前」

 

「いっぱい」

 

「子供みたいな答え方すんな」

 

 呆れたロキが、もう一度ステイタスへ視線を落とす。

 

「新しいスキルはなし。今ある二つにも変化なしや」

 

「そうか」

 

「嬉しそうやな」

 

「別に」

 

「顔に書いとる」

 

「アイズにも似たこと言われた」

 

「そら分かりやすいからな」

 

 カイはもう一度紙へ目を落とした。

 

 確かに伸びた。遠征へ出る前の自分より強くなっている。

 

「……悪くねぇな」

 

「お、今日は素直やん」

 

「これなら、次はもうちょい先まで行けそうだ」

 

「あかん」

 

「まだ何も言ってねぇだろ」

 

「今言うたやろ!」

 

 即座に返され、カイが眉を寄せる。

 

「第五十九階層まで行けなかったんだぞ。次は行きてぇだろ」

 

「遠征から帰ってきたその日に次の話すんな!」

 

「別に今すぐ行くとは言ってねぇよ」

 

「その顔で言われても説得力ないわ!」

 

 ロキが額に手を当てる。

 

「アイズたんといい、お前といい……何でうちの子は、先へ進む話になると急に人の話聞かんようになるんや」

 

「俺は聞いてるぞ」

 

「聞いたうえで行くから余計タチ悪いねん」

 

 即座に返され、カイが口を閉じる。

 

 ロキはそんな青年の背へ視線を戻した。

 

「……カイ」

 

「何だよ」

 

「お前が死ぬつもりで戦っとらんのは、うちも知っとる」

 

 先ほどまでとは違う声音だった。

 

「死んだら、その先が見られへん。せやから生きて帰る――お前、ずっとそう言うとるもんな」

 

「ああ」

 

「そこは信用しとる」

 

 ロキは一度言葉を切る。

 

「でもな。死ぬ気がなくても、死ぬ時は死ぬ」

 

 カイは黙って聞いていた。

 

「自分なら帰れる。まだいける。あと一歩だけ。そうやって踏み込んだ一歩が最後になる奴を、うちは何人も見てきた」

 

「……分かってる」

 

「ならええ」

 

 それ以上、ロキは言葉を重ねなかった。

 

 カイも軽口を返さず、僅かに視線を落とす。

 

「ほい。終わり」

 

 ロキが背中を軽く叩いた。

 

「今回もよう頑張りました」

 

「子供扱いすんな」

 

「十七なんか神から見りゃ赤ん坊や」

 

「お前に言われると腹立つな」

 

「なんでや!」

 

 服を着直したカイが、更新結果を折り畳んで懐へしまう。

 

 そこでロキが、思い出したように声を掛けた。

 

「そういやフィンから聞いたで。帰り道で駆け出し助けたんやって?」

 

「ああ」

 

「白髪の子やったらしいな」

 

「そうだったな」

 

「名前は?」

 

「知らん」

 

「ファミリアは?」

 

「知らん」

 

「なんも知らんやん」

 

「聞く前に逃げたんだよ」

 

 思い出したのか、カイが少しだけ眉を寄せる。

 

「礼言おうとしてたっぽいけど、急に走ってった」

 

「ほーん」

 

「まあ、生きてるならいいだろ」

 

 それだけ言って、カイは肩を竦めた。

 

 白髪の少年を特別気にしている様子はない。自分の目の前で誰かが死にかけていたから助けた。

 

 カイにとっては、本当にそれだけのことだった。

 

「ほな、今日は休みや」

 

「槍の修理に――」

 

「明日!」

 

「まだ店開いてるだろ」

 

「明日や!」

 

「分かったよ……」

 

 露骨に不満そうな顔をしながら、カイは部屋を出ていった。

 

 扉が閉じ、部屋に静けさが戻る。

 

 机の上には、先ほど更新した二人分の記録が残っていた。

 

 アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

 二週間近い遠征を終えてなお、伸びた基本アビリティは僅か十六。

 

 カイ・ヴァレス。

 

 同じ遠征で、二百を超える成長をその身へ刻み込んだ。

 

 片方は、思うように強くなれないことへ焦りを募らせている。

 

 もう片方は、その先にいる強者を求めて、まだ先へ行こうとしている。

 

「……似とるようで、全然ちゃうな」

 

 ロキは椅子の背へ身体を預け、細い目を天井へ向けた。

 

 求めているものも、そこへ向かう理由も違う。それでも、立ち止まるつもりがないところだけは、どうしようもなくよく似ていた。

 

     ◇

 

 その頃。

 

 遠征装備を片付け終えたレフィーヤは、黄昏の館の廊下を一人歩いていた。

 

 身体は重く、今すぐベッドへ倒れ込めと言われれば、そのまま朝まで眠れそうだった。それでも頭の中には、帰路でティオナに言われた言葉が残っている。

 

『地上にいる時は、アイズの力になってあげればいいんじゃない?』

 

「アイズさんの……力に」

 

 戦闘ではまだ追いつけず、隣に立って剣を振ることもできない。それでも何か一つくらい、今の自分にもできることがあるはずだった。

 

「レフィーヤ?」

 

 聞き慣れた声に顔を上げる。

 

 廊下の先から歩いてきたリヴェリアが、考え込んで立ち止まっている少女へ怪訝そうな視線を向けていた。

 

「リヴェリア様」

 

「どうした。まだ休んでいなかったのか」

 

「その……アイズさん、少し元気がないように見えて」

 

 リヴェリアの眉が僅かに動く。

 

「お前にもそう見えたか」

 

「はい。遠征が途中で終わってしまったからなのでしょうか」

 

「それだけとは限らん」

 

 リヴェリアは静かに答えた。

 

「あの子はあの子で、お前とは違うものを抱えているということだ」

 

「……」

 

「気になるのであれば、本人に聞けばよい。それもまた仲間であろう」

 

 思いもよらないほど単純な答えに、レフィーヤは目を瞬かせた。

 

「ですが、私なんかが……」

 

「それを全て理解する必要はない。理解できぬから何もしてはならない、ということでもない」

 

「……はい」

 

「だが、お前も遠征帰りだ。無茶だけはするな」

 

「はい!」

 

 強く返事をしたレフィーヤを残し、リヴェリアは廊下を歩いていく。

 

 何がアイズを悩ませているのか、自分には分からない。それでも、ほんの少し元気になってもらうことならできるかもしれない。

 

「……そうだ」

 

 一つ思いついた。

 

「ラウルさん!」

 

「ん?」

 

 荷物の整理を終え、自室へ戻ろうとしていたラウルが振り返った。

 

 そこには杖を抱えたレフィーヤが、妙に真剣な表情で立っている。

 

「あの、お願いがあるんですけど……」

 

「お願いっすか?」

 

「その……一緒にダンジョンへ付き合ってもらえませんか?」

 

 ラウルの表情が固まった。

 

「……今帰ってきたばっかりっすよね?」

 

「分かってます!」

 

「分かってる人のお願いじゃないっすよ、それ!?」

 

 思わず声を上げたラウルに、レフィーヤは深々と頭を下げる。

 

「お願いします! どうしても欲しいものがあるんです!」

 

 その必死な様子を前に、ラウルは困り果てたように頭を掻いた。

 

「……何が欲しいんすか?」

 

「十八階層にある、クリスタルドロップです」

 

「クリスタルドロップ?」

 

 聞き返したラウルに、レフィーヤは勢いよく頷いた。

 

「はい!」

 

「あれ、結構珍しいやつっすよね。でも、何で急に?」

 

「そ、それは……」

 

 言葉に詰まる。

 

 アイズへの贈り物にしたいなど、とてもではないが素直には言えない。

 

「……どうしても、食べたくなってしまって」

 

「へぇ。レフィーヤって意外と食いしん坊なんすね」

 

「ち、違っ――……いえ、そうなんです!」

 

「どっちなんすか……」

 

 首を傾げるラウルの前で、レフィーヤは耳まで真っ赤にする。

 

 それでも必死な後輩を放っておけないのが、ラウルという青年だった。

 

「分かったっすよ。一緒に行くっす」

 

「本当ですか!?」

 

「ただし無茶はなしっす。遠征帰りなんですからね」

 

「はい! ありがとうございます、ラウルさん!」

 

 ぱっと顔を明るくしたレフィーヤに、ラウルは苦笑した。

 

     ◇

 

 それから数刻後。

 

「やりました……!」

 

 第十八階層で、レフィーヤの両手には透き通った小さな結晶――目当てのクリスタルドロップが収まっていた。

 

「ちゃんと見つかってよかったっすね」

 

「はい! ラウルさんのおかげです!」

 

「いやぁ、自分は特に何も。レフィーヤが頑張ったからっすよ」

 

 目的を果たした二人は、それ以上深く潜ることなく来た道を戻った。

 

 往復を終えて再び黄昏の館へ辿り着いた頃には、夜もかなり深まっている。

 

「付き合っていただいて、本当にありがとうございました」

 

「どういたしましてっす。後輩に頼られるのも悪くないっすね」

 

 どこか満足げなラウルと別れ、レフィーヤは大切そうにクリスタルドロップを抱えたまま館の中へ入った。

 

 あとは渡すだけだと思うと、モンスターと戦う時とは別の意味で胸が高鳴る。

 

「あれ……?」

 

 アイズの部屋を訪ねたものの、姿はなかった。

 

「どこかに行ってるんでしょうか……」

 

「レフィーヤ」

 

「ひゃっ!?」

 

 背後から突然名前を呼ばれ、少女は飛び上がった。

 

 振り返れば、そこには探していたアイズ本人が立っている。

 

「あ、お、お帰りなさい、アイズさん!」

 

「うん。ただいま」

 

「どこかへ行ってたんですか?」

 

「……少し、身体を動かしてた」

 

「えっ!? 遠征帰りなのにですか!?」

 

 驚くレフィーヤに、アイズは小さく頷いた。

 

「眠れなかったから」

 

「そ、そうですか……」

 

 先ほどロキから「休め」と言われたばかりなのに、もう身体を動かしに出ていたらしい。

 

 やはり、いつものアイズとは少し違う。

 

 レフィーヤには、その原因までは分からない。それでも今は、手の中にあるものを渡すことくらいならできる。

 

「あの、アイズさん。これ……よかったら」

 

「……何?」

 

「クリスタルドロップです。とっておきなんです!」

 

 アイズが透明な結晶へ視線を落とす。

 

「でも、これ……貴重なものだし」

 

「いいんです! ぜひ!」

 

 勢いに押されたのか、アイズは少しだけ目を瞬かせてから受け取った。

 

 透明な結晶を一口だけ口へ含み、ゆっくりと味わう。

 

 レフィーヤは固唾を呑んで、その表情を見守った。

 

「……おいしい」

 

「本当ですか!?」

 

「うん」

 

 金色の瞳が、ほんの少し柔らかくなった。

 

 それだけで、十八階層まで往復した疲労などどこかへ飛んでいく。

 

「よかったぁ……」

 

 レフィーヤが心底安堵したように胸を撫で下ろす。

 

「あの、アイズさん」

 

「何?」

 

「私、まだ全然アイズさんの力にはなれませんけど……もっと頑張ります」

 

 アイズが静かに少女を見る。

 

「いつかちゃんと戦いでも力になれるように。だから、その……元気出してくださいね」

 

「…………」

 

 遠征が途中で終わったことも、思うように伸びなかったステイタスも、強さを求める焦りも、何一つ解決したわけではない。

 

 それでも――

 

「……うん」

 

 アイズは小さく頷いた。

 

「ありがとう、レフィーヤ」

 

「――はい!」

 

 弾けるような返事が廊下へ響く。

 

 少女が満面の笑みを浮かべる前で、アイズはもう一つクリスタルドロップを口へ運んだ。

 

 甘さが舌の上に広がる。

 

 遠征は終わった。

 

 けれど、それぞれが抱えたものまで、そこで終わるわけではない。

 

 思うように進めず焦る者もいれば、その先を求めて走り続ける者もいる。そして誰かの背中を追いながら、自分なりの一歩を踏み出そうとする者もいた。

 

         第四話 了




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

感想や気になった点、誤字脱字などありましたら教えていただけると嬉しいです。

次回もよろしくお願いします。
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読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

“天剣”がダンジョンにいるのは間違っているだろうか(作者:覇者)(原作:ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか)

▼ ──“天剣”の宗次郎に転生した男が、ダンジョンのある世界で歩む一風変わった冒険譚。


総合評価:1188/評価:8.88/連載:2話/更新日時:2026年09月23日(水) 20:55 小説情報

アイズさんの脳を年上お兄さんでこんがり焼こう!(作者:脳でバーベキュー)(原作:ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか)

タイトル通りです。主人公はアストレアファミリアの一員です。・・・・ということは?お察しの通りです。


総合評価:2313/評価:7.89/連載:7話/更新日時:2026年08月07日(金) 10:17 小説情報

ようこそ実力至上主義のダンジョンへ(作者:修羅シュラ)(原作:ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか)

━━━世界は英雄を欲している。▼下界の悲願は未だ果たされず、北の最果てで終焉が待っている。▼綾小路 清隆は英雄と呼ぶには不完全で不適切である。▼だがこの世界は実力主義である。


総合評価:981/評価:8/連載:12話/更新日時:2026年09月18日(金) 19:50 小説情報

デメテル・ファミリアの団長(作者:Mr.♟️)(原作:ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか)

▼地雷だと思った方はブラウザバックしてください。▼オリ主ハーレム?モノです。▼タグは随時更新します。▼原作の30年前から始まります。▼挿絵は全てAI絵になります。▼オリ主:ライ・フェンネル▼物語スタート時、年齢:10歳。▼狐人とハイエルフのハーフ、妖精狐(エル・ルナール)。


総合評価:1748/評価:7.55/連載:13話/更新日時:2026年09月01日(火) 00:00 小説情報

アストレア・ファミリアの盾使い(作者:ナカタカナ)(原作:ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか)

 【最強】と【最凶】が黒龍に敗れて訪れた暗黒期。死の七日間と呼ばれる大抗争の一年前・・・正義の眷属【アストレア・ファミリア】はギルドより依頼(クエスト)を要請された。オラリオを離れ海を渡った先にある、廃都に眠る宝の調査と回収。▼ 誰もいないはずの孤島にいたのは一人の少年。▼ 「お姉さんは誰?」▼ 「私はアリーゼ・ローヴェル! あなたは?」▼ 「僕はギャラハッ…


総合評価:2618/評価:8.66/連載:25話/更新日時:2026年09月15日(火) 21:44 小説情報


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