ダンジョンに強敵を求めるのは間違っているだろうか 作:アイスクリームベリーベリー
「戻った」
第十七階層へ続く階段から、三つの人影が姿を現した。
先頭はアイズ。そのすぐ後ろをベートとカイが上がってくる。第五階層から十数階層分を駆け戻ってきただけあって、三人とも多少なりとも疲労の色を滲ませていた。
「おっそーい!」
待っていたティオナが真っ先に声を上げる。
「うるせぇ。誰のせいだと思ってんだ」
ベートが横目でカイを睨んだ。
「まだ言ってんのかよ」
「十二階層分も余計に走らされたんだぞ」
「二人とも、その話はもういい」
「チッ」
ベートが舌打ちし、カイも肩を竦める。その様子に僅かに苦笑しながら、フィンが三人へ視線を向けた。
「ご苦労様。それで?」
「全部倒した」
アイズが短く答える。
「最後の一体だけ五階層まで逃げた。駆け出しを襲ってたから、カイが倒した」
「その冒険者は?」
「無事」
端的な報告を聞き、フィンは小さく頷いた。
「ならよかった。上の階層に他の被害は?」
「見た限りねぇな」
ベートが答え、カイも同意するように頷く。逃走した個体が全て処理され、巻き込まれた冒険者にも犠牲がなかったと知って、周囲の団員達から安堵の息が漏れた。
「それじゃあ帰ろう。ここから先も気を抜かないように」
フィンは一行を見渡す。
「オラリオへ戻るまでが遠征だ」
団員達がそれぞれ応じ、再び隊列が動き出した。
長かった遠征も、今度こそ終わりが見えていた。
◇
階層を一つずつ上るにつれ、ダンジョンを包む空気が変わっていく。
深層特有の重苦しい緊張は薄れ、遭遇するモンスターも次第に弱くなった。それでも長期間の探索と戦闘で蓄積した疲労までは消えず、遠征隊の歩調は往路よりいくらか遅い。
「うーん……やっと帰れるねー」
ティオナが両腕を大きく伸ばした。
「遠征が終わると、やっぱりほっとするよね」
「まだ地上に着いてないでしょうが」
ティオネが釘を刺す。
「でも今回は途中で戻ってきちゃったしなー。ちょっと暴れ足りないかも」
「まだ言ってるんですか?」
呆れたレフィーヤの声に、ティオナが頬を膨らませた。
「だって五十九階層まで行くつもりだったんだよ? ね、カイ?」
「俺に振るなよ」
「でもカイも暴れ足りないでしょ?」
「まあな」
「ほらー!」
「同類を見つけたみたいな顔しないでください!」
思わず声を上げたレフィーヤに、周囲から小さな笑いが起こった。
そんな空気に混じりながらも、少女の胸には遠征で味わった悔しさが残っている。第四十九階層では恐怖に足を止め、未知の新種との戦いでも幾度となく仲間達に守られた。
「……今回も、反省ばっかりです」
俯き気味に漏れた声を、ティオナが聞き逃さなかった。
「何言ってんの。最後までちゃんと帰ってきてるじゃん」
ふと、以前言われた言葉が脳裏に蘇った。
『今日駄目でも、死んでねぇなら次がある』
あまり慰めになっていないと思った言葉なのに、不思議と今も耳に残っている。
レフィーヤは少しだけ眉を寄せた。自分でも、どうしてこんなにはっきり覚えているのか分からなかった。
「でも、私は足手まといになるばかりで……特にアイズさんには何度も助けていただいて」
レフィーヤは少し前を歩く金髪の少女へ視線を向けた。
アイズはいつもと変わらない無表情で歩いている。それでもレフィーヤには、その横顔がどこか沈んで見えた。
第五十九階層を目指した遠征は途中で打ち切られ、未知の怪物を前に撤退を選ばざるを得なかった。アイズがそれをどう受け止めているのか、レフィーヤには分からない。
ただ、いつも以上にその視線が遠くを向いているように感じられた。
「だったらさ」
ティオナが明るく言う。
「地上にいる時は、アイズの力になってあげればいいんじゃない?」
「アイズさんの……力に?」
「うん。ダンジョンだけが全部じゃないんだし」
レフィーヤは目を瞬かせた。
戦闘ではまだ追いつけないとしても、それ以外で何かできることがあるかもしれない。その考えは単純なものだったが、今の少女には妙に新鮮だった。
「……私に、できるでしょうか」
「やってみないと分かんないよ」
ティオナが笑う。
その言葉を胸の内で繰り返しながら、レフィーヤはアイズの背中を見つめた。
◇
長い帰路の果てに、一行はついにダンジョンを抜けた。
バベルを出た途端、夕刻へ傾き始めたオラリオの空気が肌を撫でる。人工の明かりではない陽光に目を細め、何人もの団員が深く息を吐いた。
「……地上だ」
ラウルの声には、隠しきれない安堵が滲んでいる。
「帰ってきたっすねぇ……」
「腹減ったー!」
「ティオナ、さっき保存食食べてたでしょうが」
「あれはご飯じゃないよ」
「じゃあ何なのよ」
いつもの姉妹のやり取りを聞きながら、カイも久しぶりの空を見上げた。長く地下にいた後の空は、何度見ても広く感じる。
「カイ」
「あ?」
隣を歩くアイズが、荷へ固定されている布包みへ視線を向けた。
「槍、最初に修理?」
「いや。先にロキんとこ行く」
「ステイタス?」
「ああ。今回どれくらい伸びたか見てぇ」
「……私も」
短く答えたアイズの金色の瞳には、帰還の安堵とは異なる光が宿っていた。
第五十九階層へは届かなかった。未知の怪物を前に、仲間達を先へ退かせ、自分は一人その場に残った。
もっと強ければ。
そんな思いが、彼女の中から消えることはなかった。
◇
「遠征隊! 今ダンジョンから戻った! 開門してくれ!」
黄昏の館へ辿り着くと、先頭から声が飛んだ。
巨大な門がゆっくりと開き、内側で待っていた団員達から歓声が上がる。
「お帰りー!」
その歓声をかき分けるように、小柄な女神が真っ先に飛び出してきた。
「うちの可愛い子ら、やっと帰ってきたー!」
「ロ、ロキ様!?」
両腕を広げたロキの進行方向にいたレフィーヤの顔が引き攣る。
「寂しかったでぇ、レフィーヤ~!」
「きゃああああっ!? や、やめてくださいロキ様!」
「お? なんやレフィーヤ、ちょっと胸大きなったんちゃう?」
「なってません!!」
「じゃあ縮んだん?」
「縮んでもいませんっ!」
館の入口へ甲高い悲鳴が響き渡った。
「助けてください!」
涙目のレフィーヤが周囲へ救援を求めるが、誰も積極的に前へ出ようとはしない。
「諦めろ」
「カイさん!?」
「相手ロキだぞ。俺は嫌だ」
「薄情です!」
「よう分かっとるやん、カイ!」
「褒めてねぇよ」
ロキが満足そうに笑ったところで、フィンが静かに声を掛ける。
「ロキ」
団長の表情を見て、女神もようやくレフィーヤから手を離した。
「今回の遠征での犠牲者はなし。到達階層の更新もできなかった。詳細は追って報告するよ」
「ん。了解や」
「それと、今回の撤退理由についても報告がある」
フィンの声に僅かな重みが加わる。
「第五十一階層方面で、僕達の誰も見たことがないモンスターと遭遇した。既存種には該当しない。新種と考えていいと思う」
ロキの細い瞳が僅かに開く。
「……新種?」
「ああ。魔石も回収してある」
「ほんなら、後でじっくり聞かせてもらうわ」
フィンが頷く。
「まずは皆を休ませたい」
「せやな。全員ご苦労さん。今日はゆっくり休みや」
その言葉を待っていたように、団員達の表情が緩んだ。
長かった遠征は、ようやく本当に終わった。
◇
荷物を下ろし、負傷者の治療と最低限の片付けを終えてから、さほど時間は経っていない。
「入ってええでー」
黄昏の館の一室からロキの声が響き、扉が静かに開いた。
「よう来たな、アイズたん。今回も一番乗りや」
「……うん」
ロキがにやりと笑う。
「――言うても、今日は僅差やけどな」
「?」
「廊下におるんやろ、カイ」
「……何で分かったんだよ」
扉越しに、不満そうな声が返ってくる。
「アイズたんのすぐ後ろから足音しとったで」
「別に張り合ってねぇから」
アイズが僅かに首を傾げた。
「……私の方が先だった」
「だから張り合ってねぇって」
カイの声に、ロキが楽しそうに喉を鳴らす。
「まあ順番や順番。まずアイズたんな」
アイズは慣れた動作で上着を脱ぎ、神の前へ背中を晒した。
「毎回言うとるけど、他所でほいほい背中見せたらあかんで」
「分かってる」
「ステイタスに鍵は掛けとるけどな。ヒエログリフ読める奴がおらんとは限らんから」
「うん」
ロキが
光とともに浮かび上がった
「ほい、終わりや」
差し出された紙を、アイズは受け取った。
アイズ・ヴァレンシュタイン Lv.5
力 D549 → D555
耐久 D540 → D547
器用 A823 → A825
敏捷 A821 → A822
魔力 A899
「…………」
数字を追う金色の瞳が、僅かに揺れた。
二週間近く深層を進み、数え切れないほどのモンスターを斬った。それでも増えた数値はどれも僅かで、敏捷に至ってはたった一つ、魔力は変わってすらいない。
合計しても、十六。
――頭打ち。
そんな言葉が、アイズの脳裏を過った。
Lv.5になって、三年。
もっと強くなりたい。
それなのに、目の前には見えない壁がある。
「アイズ」
ロキの声に、少女は顔を上げた。
「……また焦っとるやろ、アイズたん」
「…………」
アイズは答えなかった。
だが、否定もしない。
「せやけどな。つんのめりながら前だけ見て走り続けとったら、いつか絶対こけるで」
「……」
「いつも言うとるやろ?」
「うん」
「これからも何回でも言う。せやから忘れんようにな」
アイズはしばらく手元の紙を見つめた後、小さく頷いた。
「……分かった」
「よろしい。今日はちゃんと休みや」
「……努力する」
「努力せな寝られん時点で不安しかないんやけど」
アイズは服を整え、扉へ向かった。
外へ出ると、壁へ背を預けて待っていたカイと目が合う。
「……終わった」
「見りゃ分かる。どうだった?」
アイズは手元の紙へ一度視線を落とす。
「……少しだけ」
「そっか」
「カイは?」
「今から」
カイが扉へ手を掛ける。
すれ違う直前、アイズが小さく口を開いた。
「カイ」
「あ?」
「……もっと、強くなりたい」
カイは僅かに目を細めた。
「知ってる」
「カイは?」
「俺は、まだ先が見てぇ」
戦うたびに知らなかったものが見える。
今まで届かなかった相手へ手が届き、その先にはまた別の強者がいる。それを確かめる前に立ち止まる気など、カイにはなかった。
「……そう」
アイズは小さく頷き、そのまま廊下を歩いていく。
求めているものは違う。それでも、今いる場所で満足できないという一点だけは、互いに理解できていた。
カイはアイズの背中を一度だけ見送ってから、ロキの部屋へ入った。
「ほな、次はカイやな」
「待たせたのはそっちだろ」
「細かいこと言いなや。ほら、脱ぎ」
「言い方どうにかなんねぇのか」
「男相手やとつまらんなぁ」
「帰るぞ」
「待て待て、冗談やって!」
踵を返しかけたカイの服を、ロキが慌てて引っ張る。
上着を脱いだ青年の身体には、遠征中についた浅い擦り傷や汚れがいくつか残っていた。
「……ほんま、お前は傷ばっか増やして帰ってくるなぁ」
「これくらい普通だろ」
「普通ちゃうから言うとんねん」
「アイズだって似たようなもんだろ」
「あの子を基準にすんな」
「じゃあベート」
「何で問題児の中から基準選ぼうとすんねん」
ロキが呆れ果てた顔をする。
「槍もボロボロらしいやん」
「俺が壊したみたいに言うな。モンスターにやられたんだよ」
「お前が持っとる武器、ほんま毎回ろくな目に遭わへんなぁ」
「今回は不可抗力だ」
「『今回は』言うてもたで」
「……早く更新しろ」
カイが背を向けると、ロキはまだ笑いながら青年の背へ
浮かび上がる
「……ほぉ」
「どうだ?」
「結構いったな」
「見せろ」
「まだや。動くな」
ロキが紙へ数字を書き写していく。
最後まで終えると、出来上がったものをカイへ差し出した。
カイ・ヴァレス Lv.5
力 E458 → E492
耐久 E437 → E466
器用 D514 → D562
敏捷 C688 → B744
魔力 C651 → B706
発展アビリティ
【狩人】G
【耐異常】F
【精癒】H
【連攻】H
魔法
〖
・付与魔法
・雷属性
・詠唱式:【
スキル
〖
・格上との戦闘時、全アビリティに高補正。
・対象の脅威度に応じ効果上昇。
・負傷・窮地に応じ効果上昇。
・格上との戦闘で得るに高補正。
〖
・戦闘継続時、器用・敏捷に補正。
・同一対象との交戦時間に応じ効果上昇。
・自身を上回る対象との交戦時、効果上昇。
・戦闘中断により効果減衰。
「……お」
カイの赤い瞳が僅かに見開かれた。
敏捷と魔力が一つ上の領域へ届いている。器用の伸びも大きく、力と耐久も着実に数値を重ねていた。
「相変わらず半端ないなぁ。今回の遠征でも、かなり無茶したんやろ」
「フォモールと新種か」
「それだけやないやろ。深層でどんだけ戦ったんや、お前」
「いっぱい」
「子供みたいな答え方すんな」
呆れたロキが、もう一度ステイタスへ視線を落とす。
「新しいスキルはなし。今ある二つにも変化なしや」
「そうか」
「嬉しそうやな」
「別に」
「顔に書いとる」
「アイズにも似たこと言われた」
「そら分かりやすいからな」
カイはもう一度紙へ目を落とした。
確かに伸びた。遠征へ出る前の自分より強くなっている。
「……悪くねぇな」
「お、今日は素直やん」
「これなら、次はもうちょい先まで行けそうだ」
「あかん」
「まだ何も言ってねぇだろ」
「今言うたやろ!」
即座に返され、カイが眉を寄せる。
「第五十九階層まで行けなかったんだぞ。次は行きてぇだろ」
「遠征から帰ってきたその日に次の話すんな!」
「別に今すぐ行くとは言ってねぇよ」
「その顔で言われても説得力ないわ!」
ロキが額に手を当てる。
「アイズたんといい、お前といい……何でうちの子は、先へ進む話になると急に人の話聞かんようになるんや」
「俺は聞いてるぞ」
「聞いたうえで行くから余計タチ悪いねん」
即座に返され、カイが口を閉じる。
ロキはそんな青年の背へ視線を戻した。
「……カイ」
「何だよ」
「お前が死ぬつもりで戦っとらんのは、うちも知っとる」
先ほどまでとは違う声音だった。
「死んだら、その先が見られへん。せやから生きて帰る――お前、ずっとそう言うとるもんな」
「ああ」
「そこは信用しとる」
ロキは一度言葉を切る。
「でもな。死ぬ気がなくても、死ぬ時は死ぬ」
カイは黙って聞いていた。
「自分なら帰れる。まだいける。あと一歩だけ。そうやって踏み込んだ一歩が最後になる奴を、うちは何人も見てきた」
「……分かってる」
「ならええ」
それ以上、ロキは言葉を重ねなかった。
カイも軽口を返さず、僅かに視線を落とす。
「ほい。終わり」
ロキが背中を軽く叩いた。
「今回もよう頑張りました」
「子供扱いすんな」
「十七なんか神から見りゃ赤ん坊や」
「お前に言われると腹立つな」
「なんでや!」
服を着直したカイが、更新結果を折り畳んで懐へしまう。
そこでロキが、思い出したように声を掛けた。
「そういやフィンから聞いたで。帰り道で駆け出し助けたんやって?」
「ああ」
「白髪の子やったらしいな」
「そうだったな」
「名前は?」
「知らん」
「ファミリアは?」
「知らん」
「なんも知らんやん」
「聞く前に逃げたんだよ」
思い出したのか、カイが少しだけ眉を寄せる。
「礼言おうとしてたっぽいけど、急に走ってった」
「ほーん」
「まあ、生きてるならいいだろ」
それだけ言って、カイは肩を竦めた。
白髪の少年を特別気にしている様子はない。自分の目の前で誰かが死にかけていたから助けた。
カイにとっては、本当にそれだけのことだった。
「ほな、今日は休みや」
「槍の修理に――」
「明日!」
「まだ店開いてるだろ」
「明日や!」
「分かったよ……」
露骨に不満そうな顔をしながら、カイは部屋を出ていった。
扉が閉じ、部屋に静けさが戻る。
机の上には、先ほど更新した二人分の記録が残っていた。
アイズ・ヴァレンシュタイン。
二週間近い遠征を終えてなお、伸びた基本アビリティは僅か十六。
カイ・ヴァレス。
同じ遠征で、二百を超える成長をその身へ刻み込んだ。
片方は、思うように強くなれないことへ焦りを募らせている。
もう片方は、その先にいる強者を求めて、まだ先へ行こうとしている。
「……似とるようで、全然ちゃうな」
ロキは椅子の背へ身体を預け、細い目を天井へ向けた。
求めているものも、そこへ向かう理由も違う。それでも、立ち止まるつもりがないところだけは、どうしようもなくよく似ていた。
◇
その頃。
遠征装備を片付け終えたレフィーヤは、黄昏の館の廊下を一人歩いていた。
身体は重く、今すぐベッドへ倒れ込めと言われれば、そのまま朝まで眠れそうだった。それでも頭の中には、帰路でティオナに言われた言葉が残っている。
『地上にいる時は、アイズの力になってあげればいいんじゃない?』
「アイズさんの……力に」
戦闘ではまだ追いつけず、隣に立って剣を振ることもできない。それでも何か一つくらい、今の自分にもできることがあるはずだった。
「レフィーヤ?」
聞き慣れた声に顔を上げる。
廊下の先から歩いてきたリヴェリアが、考え込んで立ち止まっている少女へ怪訝そうな視線を向けていた。
「リヴェリア様」
「どうした。まだ休んでいなかったのか」
「その……アイズさん、少し元気がないように見えて」
リヴェリアの眉が僅かに動く。
「お前にもそう見えたか」
「はい。遠征が途中で終わってしまったからなのでしょうか」
「それだけとは限らん」
リヴェリアは静かに答えた。
「あの子はあの子で、お前とは違うものを抱えているということだ」
「……」
「気になるのであれば、本人に聞けばよい。それもまた仲間であろう」
思いもよらないほど単純な答えに、レフィーヤは目を瞬かせた。
「ですが、私なんかが……」
「それを全て理解する必要はない。理解できぬから何もしてはならない、ということでもない」
「……はい」
「だが、お前も遠征帰りだ。無茶だけはするな」
「はい!」
強く返事をしたレフィーヤを残し、リヴェリアは廊下を歩いていく。
何がアイズを悩ませているのか、自分には分からない。それでも、ほんの少し元気になってもらうことならできるかもしれない。
「……そうだ」
一つ思いついた。
「ラウルさん!」
「ん?」
荷物の整理を終え、自室へ戻ろうとしていたラウルが振り返った。
そこには杖を抱えたレフィーヤが、妙に真剣な表情で立っている。
「あの、お願いがあるんですけど……」
「お願いっすか?」
「その……一緒にダンジョンへ付き合ってもらえませんか?」
ラウルの表情が固まった。
「……今帰ってきたばっかりっすよね?」
「分かってます!」
「分かってる人のお願いじゃないっすよ、それ!?」
思わず声を上げたラウルに、レフィーヤは深々と頭を下げる。
「お願いします! どうしても欲しいものがあるんです!」
その必死な様子を前に、ラウルは困り果てたように頭を掻いた。
「……何が欲しいんすか?」
「十八階層にある、クリスタルドロップです」
「クリスタルドロップ?」
聞き返したラウルに、レフィーヤは勢いよく頷いた。
「はい!」
「あれ、結構珍しいやつっすよね。でも、何で急に?」
「そ、それは……」
言葉に詰まる。
アイズへの贈り物にしたいなど、とてもではないが素直には言えない。
「……どうしても、食べたくなってしまって」
「へぇ。レフィーヤって意外と食いしん坊なんすね」
「ち、違っ――……いえ、そうなんです!」
「どっちなんすか……」
首を傾げるラウルの前で、レフィーヤは耳まで真っ赤にする。
それでも必死な後輩を放っておけないのが、ラウルという青年だった。
「分かったっすよ。一緒に行くっす」
「本当ですか!?」
「ただし無茶はなしっす。遠征帰りなんですからね」
「はい! ありがとうございます、ラウルさん!」
ぱっと顔を明るくしたレフィーヤに、ラウルは苦笑した。
◇
それから数刻後。
「やりました……!」
第十八階層で、レフィーヤの両手には透き通った小さな結晶――目当てのクリスタルドロップが収まっていた。
「ちゃんと見つかってよかったっすね」
「はい! ラウルさんのおかげです!」
「いやぁ、自分は特に何も。レフィーヤが頑張ったからっすよ」
目的を果たした二人は、それ以上深く潜ることなく来た道を戻った。
往復を終えて再び黄昏の館へ辿り着いた頃には、夜もかなり深まっている。
「付き合っていただいて、本当にありがとうございました」
「どういたしましてっす。後輩に頼られるのも悪くないっすね」
どこか満足げなラウルと別れ、レフィーヤは大切そうにクリスタルドロップを抱えたまま館の中へ入った。
あとは渡すだけだと思うと、モンスターと戦う時とは別の意味で胸が高鳴る。
「あれ……?」
アイズの部屋を訪ねたものの、姿はなかった。
「どこかに行ってるんでしょうか……」
「レフィーヤ」
「ひゃっ!?」
背後から突然名前を呼ばれ、少女は飛び上がった。
振り返れば、そこには探していたアイズ本人が立っている。
「あ、お、お帰りなさい、アイズさん!」
「うん。ただいま」
「どこかへ行ってたんですか?」
「……少し、身体を動かしてた」
「えっ!? 遠征帰りなのにですか!?」
驚くレフィーヤに、アイズは小さく頷いた。
「眠れなかったから」
「そ、そうですか……」
先ほどロキから「休め」と言われたばかりなのに、もう身体を動かしに出ていたらしい。
やはり、いつものアイズとは少し違う。
レフィーヤには、その原因までは分からない。それでも今は、手の中にあるものを渡すことくらいならできる。
「あの、アイズさん。これ……よかったら」
「……何?」
「クリスタルドロップです。とっておきなんです!」
アイズが透明な結晶へ視線を落とす。
「でも、これ……貴重なものだし」
「いいんです! ぜひ!」
勢いに押されたのか、アイズは少しだけ目を瞬かせてから受け取った。
透明な結晶を一口だけ口へ含み、ゆっくりと味わう。
レフィーヤは固唾を呑んで、その表情を見守った。
「……おいしい」
「本当ですか!?」
「うん」
金色の瞳が、ほんの少し柔らかくなった。
それだけで、十八階層まで往復した疲労などどこかへ飛んでいく。
「よかったぁ……」
レフィーヤが心底安堵したように胸を撫で下ろす。
「あの、アイズさん」
「何?」
「私、まだ全然アイズさんの力にはなれませんけど……もっと頑張ります」
アイズが静かに少女を見る。
「いつかちゃんと戦いでも力になれるように。だから、その……元気出してくださいね」
「…………」
遠征が途中で終わったことも、思うように伸びなかったステイタスも、強さを求める焦りも、何一つ解決したわけではない。
それでも――
「……うん」
アイズは小さく頷いた。
「ありがとう、レフィーヤ」
「――はい!」
弾けるような返事が廊下へ響く。
少女が満面の笑みを浮かべる前で、アイズはもう一つクリスタルドロップを口へ運んだ。
甘さが舌の上に広がる。
遠征は終わった。
けれど、それぞれが抱えたものまで、そこで終わるわけではない。
思うように進めず焦る者もいれば、その先を求めて走り続ける者もいる。そして誰かの背中を追いながら、自分なりの一歩を踏み出そうとする者もいた。
第四話 了
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
感想や気になった点、誤字脱字などありましたら教えていただけると嬉しいです。
次回もよろしくお願いします。