ダンジョンに強敵を求めるのは間違っているだろうか   作:アイスクリームベリーベリー

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第七話 力になりたい

 

 昼前のオラリオ。

 

 普段着へ着替えたアイズは、ティオナ達と並んで大通りを歩いていた。

 

「ねえねえ、最初どこ行く?」

 

 先頭を歩くティオナが、楽しそうに振り返る。

 

「服を見に行くんじゃなかったの?」

 

「そうだけど、お店いっぱいあるじゃん」

 

「あなたに任せると、まともな店に辿り着かない気がするんだけど」

 

 ティオネの言葉に、ティオナが頬を膨らませた。

 

 少し後ろを歩いていたレフィーヤは、そんな姉妹のやり取りを聞きながらアイズを窺う。

 

 朝よりも、ほんの少しだけ表情が柔らかい。

 

 リヴェリアと何を話したのかは知らない。それでも、こうして誘いを受けてくれただけでも嬉しかった。

 

「あ、ここ!」

 

 ティオナが唐突に足を止めた。

 

 視線の先にある店を確認した瞬間、レフィーヤの顔が引き攣る。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! 私が言っていたのは、もっと普通のお店です!」

 

「普通じゃん」

 

「どこがですか!?」

 

 店先に並んでいるのは、布地が極端に少ない衣服ばかりだった。

 

 胸元も腰回りも大胆に開き、戦闘服と言われれば辛うじて納得できなくもないが、少なくともレフィーヤの想像していた買い物とはまるで違う。

 

「これなんかアイズに似合いそう!」

 

 ティオナが一着を手に取る。

 

「駄目です!」

 

「まだ着せてもないよ?」

 

「着せる必要もありません!」

 

 レフィーヤが即座に奪い取った。

 

 その勢いに、アイズが少しだけ目を丸くする。

 

「レフィーヤ、必死ね」

 

「当たり前です! アイズさんには、もっとこう……上品で可愛らしくて、布の多い服が似合います!」

 

「布の多いって条件いる?」

 

「いります!」

 

 ティオナが不思議そうに首を傾げ、ティオネが肩を震わせた。

 

 結局、レフィーヤに半ば押し出されるようにして一行は別の店へ移動した。

 

     ◇

 

「アイズさん! これです!」

 

 数軒目。

 

 レフィーヤがようやく理想に近い一着を発見し、目を輝かせていた。

 

 淡い色合いのドレス。

 

 過度に華美ではないものの、襟元や袖には控えめなレースがあしらわれている。

 

「……これ?」

 

「はい! 絶対似合います!」

 

 差し出された服を受け取り、アイズはしばらく見つめた。

 

「動きづらそう」

 

「まず戦うことを考えるのやめようよ、アイズ」

 

「でも」

 

「街で着る服ですから!」

 

 ティオナとレフィーヤに押され、試着室へ送り込まれる。

 

 しばらくして姿を現したアイズを見て、三人の反応が揃って止まった。

 

「おー……」

 

 最初に声を出したのはティオナだった。

 

「似合ってるじゃん!」

 

「そうね。思ってたよりずっといいわ」

 

 ティオネも素直に頷く。

 

 レフィーヤに至っては両手を胸の前で握ったまま、完全に見惚れていた。

 

「アイズさん……素敵です……!」

 

「……そう?」

 

 アイズは自分の姿を見下ろす。

 

 鎧もなければ、腰に剣もない。普段の自分とはあまりにも違い、アイズにはどう反応すればいいのか分からなかった。

 

「おかしくない?」

 

「全然おかしくありません!」

 

 食い気味の返事だった。

 

「むしろ完璧です! こちらにしましょう!」

 

「でも、私は――」

 

「今回はレフィーヤに甘えてあげなよ」

 

 ティオナが横から笑う。

 

「これ、レフィーヤがアイズに元気になってほしくて選んだんだから」

 

「ティオナさん!?」

 

 突然暴露され、レフィーヤの顔が一気に赤くなる。

 

「そ、それは……その……!」

 

 言い訳を探すように両手を彷徨わせる。

 

 だが、アイズはそんなレフィーヤをしばらく見つめた後、もう一度鏡の中の自分を見た。

 

「……ありがとう、レフィーヤ」

 

「え?」

 

「大切にする」

 

 レフィーヤが固まる。

 

 次の瞬間、その長い耳まで真っ赤になった。

 

「――っ、は、はい!」

 

 声が裏返る。

 

 ティオナが面白そうに笑い、ティオネも呆れながら口元を緩めていた。

 

     ◇

 

 同じ頃。

 

 朽ちた教会の地下では、長い眠りからようやく一人の少年が目を覚ましていた。

 

「……ん」

 

 薄暗い天井を見つめる。

 

 身体を動かそうとすると、全身から一斉に痛みが返ってきた。

 

「いっ……!」

 

「ベル君!?」

 

 すぐ横から声が上がる。

 

 椅子へ座ったまま眠っていたヘスティアが跳ねるように立ち上がった。

 

「起きたのかい!?」

 

「神様……」

 

 まだ霞む意識のまま、ベルは顔を向ける。

 

 女神の目元には僅かな隈が残っていた。

 

「……すみません」

 

「何でいきなり謝るんだい」

 

「昨日……心配掛けたから」

 

 ヘスティアの顔から、怒ろうとしていた気配が少しだけ抜ける。

 

「分かってるならいいよ」

 

 そう答えながらも、完全に許したわけではないらしい。

 

「ただし、約束したことは忘れないでよね」

 

「はい」

 

 ベルは真っ直ぐに頷いた。

 

「ちゃんと帰ってきます」

 

「よろしい」

 

 ようやくヘスティアも笑った。

 

「それじゃあ、身体を起こせそうならステイタスを更新しようか」

 

「今ですか?」

 

「君が一晩でどれくらい頑張ったのか、ボクも確認したいからね」

 

 ベルが少し緊張したように頷く。

 

 上半身の包帯を外し、傷へ触れないようベッドへうつ伏せになった。

 

 一滴の神血(イコル)が、少年の背へ落ちる。

 

 淡い光とともに浮かび上がった神聖文字(ヒエログリフ)を見て、ヘスティアの手が止まった。

 

「…………」

 

「神様?」

 

「ちょ、ちょっと待って」

 

 目を擦り、もう一度見ても変わらない

 

 ベル・クラネル Lv.1

 

 力   H120 → G221

 耐久  I42 → H101

 器用  H139 → G232

 敏捷  G225 → F313

 魔力  I0

 

 ただ事ではない経験をしてきたのは分かっていた。それでも、成長が早すぎる。

 

 その間に増えた基本アビリティは、合計で341。

 

 力だけでも101。

 

 耐久は59。

 

 器用は93。

 

 敏捷も88伸びている。

 

「…………」

 

 ヘスティアはその下へ視線を移した。

 

原因は、やはりこのレアスキル。

 

 〖憧憬一心(リアリス・フレーゼ)〗

 

 ・早熟する。

 ・憧憬が続く限り効果持続。

 ・憧憬の丈により効果向上。

 

『僕……強くなりたいです』

 

 朝方、傷だらけの姿で告げた言葉を思い出す。

 

 カイ・ヴァレスへ追いつきたい。

 

 今度は自分の力で立ちたい。

 

 あの夜に膨れ上がった想いが、恐ろしいほどの成長となって少年の背に表れている。

 

「神様?」

 

 ベルが不安そうに声を掛ける。

 

 ヘスティアはしばらく迷った。

 

 これをどこまで教えるべきか。

 

 この異常な成長を知れば、ベルはもっと無茶をするかもしれない。

 

 けれど。

 

『ちゃんと帰ってきます』

 

 少年が先ほど告げた言葉を信じると決めた。

 

「ベル君。今日は口頭でステイタスを伝えてもいいかい?」

 

「はい」

 

 ヘスティアは一つずつ、更新された数字を伝えていく。

 

 力G221。

 

 耐久H101。

 

 器用G232。

 

 敏捷F313。

 

 聞くほどに、ベルの赤い瞳が大きくなっていった。

 

「……そんなに伸びてるんですか、僕のステイタス!」

 

「うん」

 

「昨日更新したばかりなのに……」

 

 ヘスティアの声音が少しだけ真剣になる。

 

「ああ、君の成長速度は普通じゃない」

 

 ベルが黙った。

 

「これはボク個人の見解に過ぎないけど、君には才能があるんだと思う」

 

「……僕が?」

 

「そうだ、君はきっと強くなる。そして君自身も今よりも強くなりたいと望んでいる」

 

「はい」

 

「逃げるか、戦うか。どこへ刃を振るか。どうやって生きて帰ってくるか。それを決めたのは全部ベル君だ」

 

「神様……」

 

「だから、自信を持っていい」

 

 そこで一度言葉を切る。

 

「でも、調子に乗っちゃ駄目」

 

「は、はい!」

 

「成長が早いからって、自分の命まで軽く考えないこと」

 

 ベルは静かに聞いていた。

 

「君は強くなりたい。それをボクは止めないよ。むしろ応援する」

 

「……はい」

 

「だから約束してほしい。もう無理はしないって」

 

 小さな手が、ベルの手へ重なる。

 

「もう、あんなふうに帰ってこないかもしれないって思わせないでくれ」

 

 昨日、夜の街を何度も走り回った。

 

 どこにもいない少年を探し続けた。

 

 その恐怖を、ヘスティアはもう味わいたくなかった。

 

「……約束します」

 

 ベルが強く頷く。

 

「無茶はしません。頑張って強くなりますけど……絶対、神様を一人にはしません」

 

「……うん」

 

「もう、あんな心配は掛けません」

 

 真っ直ぐな赤い瞳。

 

 それを見て、ヘスティアもようやく安心したように笑った。

 

「その答えが聞ければ十分だよ」

 

 更新を終えてベルが服を着直している間、ヘスティアは部屋の片隅を漁っていた。

 

「あった!」

 

 取り出したのは一枚の招待状。

 

「何ですか、それ?」

 

「《神の宴》の招待状」

 

「神様達の?」

 

「そう」

 

 ヘスティアは紙をじっと見つめる。

 

 今夜。

 

 ガネーシャが主催する、神々の集まり。

 

 最初は行くつもりなどなかった。

 

 だが。

 

「……よし」

 

 小さく呟く。

 

「神様?」

 

「ベル君、ボク今夜からちょっと出掛けてくる」

 

「分かりました。お仕事ですか?」

 

「違うよ。久しぶりに友達に会ってくるんだ」

 

「だったら、行ってきてください」

 

 ベルは素直に笑った。

 

「友達は大事ですから」

 

「……そうだね」

 

 ヘスティアも笑い返す。

 

 会わなければならない相手がいる。

 

 そして、頼まなければならないことがあった。

 

 ベルが強くなりたいと言った。

 

 なら自分は、この子の主神として、何ができるのか。

 

     ◇

 

 買い物を終えたアイズ達が店から出たのは、陽が少し西へ傾き始めた頃だった。

 

 レフィーヤが大切そうに服の入った包みを抱え、アイズの横を歩いている。

 

「あの、本当に私が選んでよかったんでしょうか?」

 

「レフィーヤが買ってくれたんでしょ?」

 

「はい! でも、後から考えたら押しつけがましかったかなって……」

 

「そんなことない」

 

 アイズは首を横へ振る。

 

「私も、嬉しかったから」

 

「アイズさん……!」

 

 再びレフィーヤの顔が輝いた。

 

 そこへ。

 

「わぁっ!?」

 

 人混みの間を、小柄な人影が凄まじい勢いで駆け抜けていく。

 

「おっと、ごめんよ。すまない、急いでるんだ」

 

 紺色の髪。背は低いが、どう見ても人間ではない気配を纏っている。

 

 あっという間に通りの向こうへ消えていった。

 

「今の人、女神様ですよね?」

 

 レフィーヤが目を丸くする。

 

「多分」

 

 ティオネが振り返った。

 

「随分急いでたわね、……どうしたの、ティオナ」

 

「可愛かったね。目おっきかった、胸も、すごい大きかった……あの身長で」

 

 ティオナが感想を口にする。

 

 アイズはすでに見えなくなった小柄な女神の背中を一度だけ見つめ、それから周囲へ視線を移した。

 

「……今日は、神様が多い」

 

「あ、確かに」

 

 街中には普段よりも明らかに神々の姿が多い。

 

「何かあるんでしょうか?」

 

「帰ったらロキに聞けば分かるんじゃない?」

 

 ティオネの言葉に三人が頷く。

 

 その女神が、一人の少年のために走っていたことを、アイズ達はまだ知らなかった。

 

 再び歩き始めて、しばらくして。

 

 アイズは隣を歩くレフィーヤへ視線を向けた。大切そうに抱えられた包みが目に入り、昼間からずっと自分のために店を探し回ってくれていた少女の姿を思い返す。

 

「……レフィーヤ」

 

「はい?」

 

「ごめん」

 

「え?」

 

 突然の言葉に、レフィーヤが目を丸くした。

 

「私が落ち込んでたから、ずっと気を遣ってくれてた」

 

「ち、違います!」

 

 思った以上に強く否定され、今度はアイズが僅かに目を瞬かせる。

 

「……違う?」

 

「違うというか、その……!」

 

 レフィーヤは胸元で両手を握り、少しだけ俯いた。

 

「私は、アイズさんの力になりたかったんです」

 

「私の?」

 

「はい。遠征から帰ってきてから、ずっと元気がなさそうでしたから……少しでも元気になってもらえたらって」

 

 言い終える頃には、レフィーヤの頬がほんのり赤くなっていた。

 

「だから、気を遣ったとかじゃなくて……私が、そうしたかっただけなんです」

 

「……そう」

 

 アイズはしばらくレフィーヤを見つめた。

 

 自分のために選んでくれた服。

 

 少しでも元気になってほしいと、今日一日ずっと傍にいてくれた少女。

 

「ありがとう、レフィーヤ」

 

「……はい!」

 

 レフィーヤの顔に、今度こそ明るい笑みが浮かんだ。

 

     ◇

 

「おおーっ! 帰ってきたー!」

 

 黄昏の館へ戻るなり、レフィーヤへ赤い影が飛んできた。

 

「ロキ様!?」

 

「レフィーヤ~!」

 

「きゃああああっ!? や、やめてください!」

 

 抱きついて頬擦りを始めたロキから逃れようと、レフィーヤが必死にもがく。

 

「買い物帰りのレフィーヤとか最高やん!」

 

「意味が分かりません!」

 

「実はうちが帰ってくるん待ってたとか?」

 

「待ってません!」

 

「幸せやなぁ、神の宴に行く前にレフィーヤを愛でられるとは~。」

 

 騒ぎを聞きつけたカイが中庭の方から顔を出した。

 

「またやってんのか」

 

「カイさん、助けてください!」

 

「無理」

 

「即答しないでください!」

 

「前にも言っただろ。相手ロキだぞ」

 

「薄情です!」

 

 レフィーヤの悲鳴が館へ響く。

 

 その横で、ティオネが呆れたようにロキを引き剥がした。

 

「ところでロキ」

 

「なんや?」

 

「今日、街に神様が多かったけど何かあるの?」

 

「ああ」

 

 ロキは服の皺を直しながら、にやりと笑う。

 

「今夜《神の宴》があるんや」

 

「神の宴?」

 

 ティオナが首を傾げる。

 

「ガネーシャんとこ主催や。今度の怪物祭(モンスターフィリア)を問題なく開くための顔合わせみたいなもんやな」

 

「もうすぐなんだ」

 

「せやで」

 

 ロキは壁際の時計へ目を向ける。

 

「うちもそろそろ行かなあかんな」

 

「ロキも行くの?」

 

「当然や。こういう時こそ主神様の仕事やで」

 

「酒飲みに行くだけじゃねぇの?」

 

 カイがぼそりと言う。

 

「聞こえとるで!」

 

「否定しろよ」

 

「仕事もするし酒も飲むんや!」

 

「結局飲むんじゃねぇか」

 

 カイが呆れる。

 

 その横で、アイズは手にした包みを抱え直した。

 

「アイズたん、それ何や?」

 

 ロキの目が光る。

 

「服」

 

「服!?」

 

 嫌な予感を覚えたレフィーヤが、一歩後退した。

 

「どんな服!? 見せて! 今着て!」

 

「駄目です!」

 

「なんでレフィーヤが止めるん!?」

 

「絶対ろくなことになりません!」

 

「うちのアイズたんやぞ!?」

 

「意味が分かりません!」

 

 再び始まった騒ぎに、カイが小さく息を吐く。

 

「……まぁ、元気になったならいいか」

 

「何か言った?」

 

 アイズだけが聞き取った。

 

「何でもねぇよ」

 

「……そう」

 

 アイズは少しだけ目を細める。

 

 朝よりは確かに、胸の奥が軽かった。

 

     ◇

 

 夜。

 

 ガネーシャ・ファミリアが用意した大広間には、多くの神々が集まっていた。

 

 華やかな衣装。

 

 上等な料理。

 

 魔石灯に照らされた会場の至るところで、神々が杯を交わしている。

 

「久しぶりやなー」

 

 珍しく華やかな装いをしたロキが、卓上の杯を手に取る。

 

「相変わらず豪勢なもんや」

 

「怪物祭(モンスターフィリア)は我々だけで行える催しではないからな!」

 

 ガネーシャが胸を張る。

 

「市民と冒険者! そしてファミリア同士の繋がり! そのためにも皆の協力が不可欠なのだ!」

 

「相変わらず暑苦しいなぁ」

 

 ロキが片耳を押さえる。

 

 近くにいたディオニュソスが苦笑した。

 

「でも、彼の言うことも間違いではないよ」

 

「モンスターを街へ持ち込むのですもの。何かあった時に他のファミリアから反発されたら大変だわ」

 

 デメテルも杯を傾けながら続ける。

 

「せやな」

 

 ロキも頷く。

 

 怪物祭(モンスターフィリア)。

 

 ギルドとガネーシャ・ファミリアが主催する、大規模な祭。

 

 本来なら地下にしか存在しないモンスターを地上へ運び、市民の前で調教して見せる。

 

 冒険者ではない者達にとって、モンスターは恐怖の象徴だ。

 

 だからこそ、実際にその姿を知ってもらう。

 

 迷宮都市に住む者と、命懸けでダンジョンへ潜る冒険者達との隔たりを僅かでも埋めるための祭りでもあった。

 

「ロキも明日は来るのかい?」

 

 ディオニュソスに尋ねられ、ロキは即答する。

 

「行くで。祭りやしな」

 

 その時。

 

 会場の空気が僅かに変わった。

 

「あれ」

 

 ロキの細い瞳が開く。

 

 銀色の長髪。

 

 人目を奪わずにはいられない、美そのものを形にしたような女神。

 

「フレイヤ……?」

 

 普段こうした場へ積極的に顔を出す印象の薄い美神が、静かな足取りで会場へ入ってきた。

 

「珍しいわね」

 

 デメテルも気づく。

 

 ロキは杯を傾けながら、その姿を目で追った。

 

「……また何か企んどらんやろな」

 

 嫌な予感がした。

 

 理由までは分からない。

 

 ただ、あの女神が妙に機嫌良さそうに見える時は、大抵ろくなことにならない。

 

     ◇

 

 一方。

 

「届かない……!」

 

 会場の別の一角。

 

 卓上の料理へ必死に手を伸ばしている小柄な女神がいた。

 

「あとちょっと……!」

 

「何をやってるのよ、あんたは」

 

「うわっ!」

 

 背後から呆れた声を掛けられ、ヘスティアが振り返る。

 

 そこには紅い髪と眼帯が印象的な女神――ヘファイストスが立っていた。

 

「ヘファイストス!」

 

「久しぶりね」

 

「探してたんだよ!」

 

「その前に言っておくけど、お金なら貸さないわよ」

 

「まだ何も言ってないじゃないか!」

 

「あんたの場合、先に言っておいた方がいいのよ」

 

「失礼だな!」

 

 頬を膨らませる。

 

 それでも、目的の相手を見つけられたことへの安堵は隠せなかった。

 

「ファイたーん!」

 

 そこへ、聞きたくない声が飛んできた。

 

 ヘスティアの顔が露骨に引き攣る。

 

「……最悪だ」

 

「誰が最悪や、ドチビ!」

 

 ロキが楽しそうに近づいてくる。

 

「お前か! 街でも見かけへん思ったら、こんなとこ来とったんか」

 

「君にだけは会いたくなかったよ!」

 

「なんやなんや。貧乏神が宴に来るなんて珍しいやん」

 

「うるさい!」

 

 いつものように火花が散る。

 

「しかし珍しいなぁ。今日はえらい真剣な顔しとるやん」

 

「君には関係ない!」

 

「ほーん?」

 

 細い瞳が僅かに開く。

 

 ヘスティアは思わず顔を逸らした。

 

 ――よりによって。

 

 ベルが追い掛けている相手は、この女神の眷族だった。

 

 カイ・ヴァレス。

 

 あの名前を思い出すだけで、少し複雑な気分になる。

 

 ベルの心の大部分を占め、あれほど強烈な憧憬を抱かせている存在。

 

 その主神が、目の前でにやにや笑っている。

 

「何や?」

 

「何でもないよ!」

 

「怪しいなぁ」

 

「しつこい!」

 

 言えるはずもない。

 

 ましてあのスキル(リアリス・フレーゼ)のことなど、絶対に。

 

「ロキ」

 

 ヘファイストスが間へ入った。

 

「用がないならあっちに行ってなさい。この子、私に話があるみたいだから」

 

「ファイたんがそう言うならしゃーないな」

 

 ロキは肩を竦める。

 

「ほなな、ドチビ」

 

「二度と来るな!」

 

「同じ会場や!」

 

 笑いながら去っていく背中を睨みつけ、ヘスティアは大きく息を吐いた。

 

「……それで?」

 

 ヘファイストスの声音が変わる。

 

「私に何を頼みたいの?」

 

 ヘスティアも表情を引き締めた。

 

     ◇

 

「武器を作ってほしい」

 

 ヘファイストスの眉が寄った。

 

「……誰の?」

 

「ボクの眷族」

 

「ベルって子?」

 

「うん」

 

「却下」

 

「早いよ!?」

 

「当然でしょう」

 

 容赦のない返事だった。

 

「あんた、自分の生活費だってぎりぎりなのに、うちの武器がいくらすると思ってるの?」

 

「分かってる」

 

「分かってないから頼んでるんでしょうが」

 

「分かってるよ!」

 

 珍しく、ヘスティアも引かなかった。

 

 ヘファイストスの片目が僅かに細くなる。

 

「……何があったの?」

 

 その問いに、ヘスティアは一瞬黙った。

 

「ベル君の力になりたいんだ!」

 

 血だらけで帰ってきた少年を思い出す。

 

「強くなりたいって言ったんだ。憧れに追いつきたい、もっと強くなりたいって」

 

「…………」

 

 拳を握る。

 

「昨日、一人でダンジョンに潜って……酷い怪我をして帰ってきた」

 

「それなら止めなさい」

 

「止めたさ、無茶はするなって約束させた。でも、強くなりたいって気持ちは憧れに追いつこうとする気持ちだけは止めるつもりはない」

 

 ヘスティアは即答した。

 

「……」

 

「ボクはあの子の神様だから」

 

 真っ直ぐ、紅い瞳を見る。

 

「進むなって言うんじゃなくて、進むあの子がちゃんと帰ってこられるようにしたい」

 

 ヘファイストスは何も言わない。

 

「ボクは今まで、ベル君に助けてもらってばっかりだった」

 

 仕事もろくになかった自分を支え、貧しい生活へ文句一つ言わず、少年は笑ってくれていた。

 

「だから今度は」

 

 ヘスティアは頭を下げた。

 

「ボクが、あの子の力になりたい」

 

 騒がしい宴の音が、二人の周りだけ少し遠ざかったように感じられた。

 

「お願いだ、ヘファイストス」

 

 頭を下げたまま続ける。

 

「ベル君のために、武器を作ってほしい」

 

「……ヘスティア」

 

「お金なら働いて返す。何年掛かっても返す」

 

「顔を上げなさい」

 

 静かな声に、ヘスティアがおそるおそる顔を上げる。

 

 ヘファイストスは深く息を吐いた。

 

「詳しく聞かせなさい」

 

「……!」

 

「まだ作るとは言ってないわよ」

 

「うん!」

 

「まず、そのベルって子のこと。それからどういう武器が必要なのか」

 

「ありがとう、ヘファイストス!」

 

「だからまだ――」

 

 抱きつこうとしたヘスティアの額を、ヘファイストスが片手で押し返した。

 

 それでも小柄な女神の顔には、ようやく希望が浮かんでいた。

 

     ◇

 

 翌朝。

 

 黄昏の館の廊下を歩いていたレフィーヤは、前方に見慣れた金髪を見つけて足を速めた。

 

「アイズさん!」

 

 振り返ったアイズは、すでに外出用の装備を整えている。

 

 腰にあるのはデスペレートではなく、ゴブニュから借り受けた細身のレイピアだった。

 

「おはよう、レフィーヤ」

 

「おはようございます!」

 

 レフィーヤは笑顔を返し、ふと思い出す。

 

「昨日の服……」

 

「うん」

 

 アイズが僅かに頷いた。

 

「ありがとう。大切にする」

 

「――はい!」

 

 昨日と同じ言葉でも、嬉しさは全く薄れなかった。

 

「ところで、こんな朝早くからどこへ?」

 

「ダンジョン」

 

「えっ」

 

「まだ、この剣に馴染めてないから」

 

 腰のレイピアへ視線を落とす。

 

「少し使っておきたい」

 

「あ、あの!」

 

 レフィーヤが慌てて声を上げる。

 

「その……よかったら、私もご一緒してもいいですか?」

 

「レフィーヤも?」

 

「はい。サポーターでも何でもします!」

 

 アイズは少しだけ考え、頷いた。

 

「ありがとう。それじゃ一緒に行こう」

 

「……!ありがとうございます!」

 

     ◇

 

 上層。

 

 借り物のレイピアが、モンスターの身体を鋭く切り裂いた。

 

「……やっぱり、馴染まない」

 

 アイズは手首を返し、感触を確かめる。

 

 切れ味は悪くない。

 

 ただし不壊属性(デュランダル)を持つデスペレートとは違う。

 

 同じ力の入れ方をすれば、武器の方が耐えられない可能性がある。

 

「アイズさん、右です!」

 

「うん」

 

 飛び掛かってきたモンスターを一歩ずれてかわし、必要最小限の力で首を断つ。

 

 その後ろではレフィーヤが杖を構えていた。

 

「――っ」

 

 詠唱と敵、そしてアイズ。

 

 全部を同時に意識しようとする。

 

 だが、すぐに集中が乱れた。

 

「す、すみません……また詠唱が遅れてしまって」

 

「大丈夫」

 

「でも、もっと並行詠唱ができれば……」

 

 レフィーヤが悔しそうに杖を握る。

 

「リヴェリア様みたいに、動きながら魔法を使えれば、守っていただかなくても戦えるのに」

 

「……リヴェリアはすごいから」

 

「はい」

 

「でも、レフィーヤも強くなってる」

 

「え?」

 

「遠征の時より、周りを見られてる」

 

 突然の言葉に、レフィーヤが目を瞬かせる。

 

「……本当ですか?」

 

「うん」

 

「アイズさん……!」

 

 その一言だけで、先ほどまで沈んでいた気持ちが一気に軽くなる。

 

 アイズはそんな少女を見ながら、昨日リヴェリアに言われた言葉を思い出していた。

 

 ――進み方を見失うな。

 

 レフィーヤも進もうとしている。

 

 自分とは違う速さで。

 

 自分とは違う方法で。

 

 それでも確かに前へ。

 

     ◇

 

 探索を終えて地上へ戻る途中。

 

 バベル近くの広場で、大きな騒ぎが起きていた。

 

「あれは……」

 

「ガネーシャ・ファミリアですね」

 

 何人もの冒険者達が、巨大な檻を運んでいる。

 

 分厚い鉄格子の内側から、低い咆哮が漏れた。

 

「怪物……」

 

「怪物祭(モンスターフィリア)の準備ですね」

 

 明日に迫った怪物祭(モンスターフィリア)。

 

 地下から捕獲された怪物を地上へ運び、会場へ移している最中らしい。

 

「もう明日なんですね」

 

「……うん」

 

 アイズが檻を見つめる。

 

 レフィーヤはしばらく迷った後、意を決したように口を開いた。

 

「あの、アイズさん」

 

「何?」

 

「明日……一緒に行きませんか?」

 

「怪物祭(モンスターフィリア)?」

 

「はい!」

 

 少しだけ声が上擦る。

 

「ティオナさんとティオネさんも一緒に! せっかくのお祭りですし、その……昨日買った服も」

 

 アイズが瞬きをする。

 

「……うん、着ていく」

 

「え?」

 

「昨日の服」

 

 レフィーヤの表情が一瞬で輝いた。

 

「本当ですか!?」

 

「うん」

 

「絶対ですよ!」

 

「うん」

 

 思わず両手を握るレフィーヤを見て、アイズはほんの僅かに笑った。

 

     ◇

 

 二人が黄昏の館へ戻った時には、すでに陽が傾いていた。

 

 玄関を入るなり、待ち構えていたリヴェリアの姿を見つける。

 

「アイズ」

 

「……」

 

「レフィーヤ」

 

「は、はい!」

 

 二人の背筋が揃って伸びた。

 

「遠征から戻ってまだ日も浅いというのに、どこへ行っていた?」

 

「ダンジョン」

 

 アイズが正直に答える。

 

 リヴェリアの眉間に皺が寄った。

 

「昨日、私が何を言った?」

 

「……進み方を見失うな」

 

「分かっているではないか」

 

 アイズが僅かに視線を逸らす。

 

「遠征の疲れも抜けきらぬうちにダンジョンへ潜ることが、その言葉に沿った行動だと思うのか?」

 

「ち、違うんです!」

 

 レフィーヤが慌てて前へ出た。

 

「私がどうしても一緒に行きたいとお願いしたんです! アイズさんだけが悪いわけでは――」

 

「だとしてもだ」

 

 リヴェリアの視線が今度はレフィーヤへ移る。

 

「お前も遠征帰りだろう」

 

「……はい」

 

 肩を落とす。

 

 そこへ、廊下の奥から楽しそうな声が聞こえた。

 

「なんやなんや。みんなして何しとるん?」

 

「見ての通り説教だ」

 

「大変やなぁ、ママは」

 

「誰がママだ!」

 

 ロキがけらけらと笑う。

 

 その後ろから、カイも顔を出した。

 

「何やったんだ?」

 

「ダンジョン行ってた」

 

 アイズが答える。

 

「へえ」

 

「お前まで感心するな!」

 

 リヴェリアの叱責が飛んだ。

 

「俺は関係ねぇだろ!?」

 

「似たようなことをやりかねんからだ!」

 

「まだやってねぇ!」

 

「『まだ』と言ったな?」

 

「……」

 

 墓穴を掘った。

 

 ロキが腹を抱えて笑う。

 

「ほんなら、たまにはうちが神様らしく罰を決めたろ」

  

 細い瞳がアイズへ向く。

 

「アイズたん」

 

「?」

 

「明日の怪物祭(モンスターフィリア)、護衛役としてうちにつきおうてもらうで」

 

「え?」

 

 レフィーヤの顔が固まった。

 

「そ、そんな! 明日は私達と一緒に――」

 

「ごめんな、レフィーヤ」

 

 ロキが手を合わせる。

 

「ちょっと訳ありでな。アイズたんにはうちに付いてきてもらわなあかんねん。拒否権はなしや」

 

「……分かった」

 

 アイズは素直に頷いた。

 

「そんなぁ……」

 

 レフィーヤの肩が落ちる。

 

 ティオナとティオネも騒ぎを聞きつけてやってきた。

 

「アイズ、明日ロキと行くの?」

 

「うん。罰だから」

 

「せっかくみんなで回る予定だったのにー」

 

「仕方ないでしょ」

 

 ティオネが妹を宥める。

 

「向こうで合流できたら一緒に回ればいいじゃない」

 

「それだ!」

 

 ティオナがすぐに復活する。

 

「屋台いっぱい回ろうね、アイズ!」

 

「うん」

 

 レフィーヤも少しだけ顔を上げた。

 

「アイズさん」

 

「何?」

 

「明日……」

 

 言いにくそうに視線を彷徨わせる。

 

 アイズはすぐに察した。

 

「あの服、着ていくから」

 

「――はい!」

 

 満面の笑顔。

 

 その様子を少し離れたところから見ていたカイが、首を傾げた。

 

「服?」

 

「今日、レフィーヤがアイズに買ったの!」

 

 ティオナが答える。

 

「ふーん」

 

「カイも見たい?」

 

「何で俺に聞くんだよ」

 

「見たくない?」

 

 カイは少し考える。

 

「……まぁ、似合ってんなら見てみたいけど」

 

 一瞬。

 

 アイズの目が僅かに開いた。

 

「カイ」

 

「あ?」

 

「明日、着るから」

 

「お、おう」

 

「見れば?」

 

「何で俺が誘われてんだ?」

 

 ティオナがにやにやする。

 

 ティオネも何か察したように口元を上げる。

 

「……何だよ、その顔」

 

「別にー?」

 

「気色悪ぃな」

 

 カイは眉を顰めた。

 

「カイは明日どないするん?」

 

 ロキが尋ねる。

 

「明日か?別に予定はねぇけど」

 

 カイは少しだけ考える。

 

 祭りそのものに強い興味があるわけではない。

 

 だが、怪物を地上へ持ち出すという催しには、多少興味があった。

 

「……気が向いたら行く」

 

「強そうな怪物見つけても係員困らせんなよ?」

 

「何で俺が困らせる前提なんだよ!」

 

「『一回だけ戦わせろ』とか言いそうやし」

 

「言わねぇよ!俺を何だと思ってんだ!」

 

「オラリオきっての戦闘狂」

 

 ティオナが即答する。

 

「お前が言うな!」

 

 再び館へ笑い声が広がった。

 

 遠征を終えたばかりのロキ・ファミリアにも、ようやくいつもの時間が戻り始めていた。

 

 そして。

 

 明日は怪物祭(モンスターフィリア)。

 

 アイズ達にとっては、ただの祭りになるはずだった。

 

 ベルにとっても。

 

 カイにとっても。

 

 まだ誰も知らない。

 

 その一日が、彼らを同じ場所へと引き寄せることを。

 

         第七話 了




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

感想や気になった点、誤字脱字などありましたら教えていただけると嬉しいです。

次回もよろしくお願いします。
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