ダンジョンに強敵を求めるのは間違っているだろうか 作:アイスクリームベリーベリー
怪物祭――モンスターフィリア。年に一度の催しを迎えた迷宮都市オラリオは、朝から普段とは比べものにならない熱気に包まれていた。
大通りには色鮮やかな旗が掲げられ、立ち並ぶ屋台から食欲を誘う香りが漂っている。中央広場から円形闘技場へ続く道には市民や旅人が押し寄せ、遠くからでも歓声が聞こえていた。
もっとも、ベル・クラネルが
朝、ダンジョンへ向かおうとしていたところを《豊穣の女主人》の店員達に呼び止められ、シルが忘れていった財布を届けてほしいと頼まれたのだ。人混みの中を探し回っているうちに、ベルはようやく見覚えのある小柄な女神を見つけた。
「神様?」
「ベル君!」
ヘスティアは少年の姿を認めるなり、疲れなど忘れたように駆け寄ってきた。
神の宴から戻った後、彼女はその足でヘファイストスの工房へ向かっている。ベルのための武器を作ってほしいと無理を頼み込み、その完成を見届けるまでほとんど休んでいなかったため、目元にはまだ疲労が残っていた。
「神様、ちゃんと寝ました?」
「だ、大丈夫だよ!」
「本当ですか?」
「本当だとも!」
どうにも怪しい。
ベルが半信半疑のままシルの財布について説明すると、ヘスティアは二つ返事で同行を申し出た。そうして今は、二人で祭りの大通りを歩いている。
「すごい人ですね……」
「当然さ! なんたって今日は
得意げに胸を張るヘスティア。その服の下には、一振りの黒いナイフが大切に隠されていた。
ベルのためだけに用意した武器。
祭りが終わったら落ち着いたところで渡すつもりだ。せっかくなら、少しくらい驚かせても罰は当たらないだろう。
「それよりベル君。今日はダンジョン禁止だからね!」
「えっ」
「『えっ』じゃない!」
反射的に残念そうな顔をした少年へ、ヘスティアが人差し指を突きつけた。
「身体だって万全じゃないんだ。シル君を見つけた後は、ボクと祭りを楽しむこと!」
「……分かりました」
「返事が遅い!」
「そ、そんなことないですよ!」
ベルが慌てて否定すると、ヘスティアは頬を膨らませた。それでも、少年が無事に自分の隣を歩いていることが嬉しいのか、その表情はすぐに緩んだ。
◇
「アイズたん! こっちや、こっち!」
同じ頃。
「……うん」
今日のアイズは普段の戦闘装束ではない。レフィーヤから贈られた服を身につけ、腰には修理中のデスペレートに代わって借り受けた細身のレイピアを下げている。
「やっぱ似合っとるなぁ……レフィーヤ、ええ仕事しよったわ」
「……そう?」
「めちゃくちゃ似合っとる! ああもう、抱きつきたい!」
「いやです」
「まだ何もしとらんやん!」
大袈裟に嘆くロキを横目に、アイズが首を巡らせる。
「ロキ。あそこ?」
「ああ」
人目を避けるように設けられた休憩所。その前に、一人の女神が立っていた。
銀色の長髪と、ただそこにいるだけで周囲の視線を奪うほど整った美貌。敵意も殺気もないというのに、目を向けられただけでこちらの内側まで見透かされるような感覚に、アイズの足が僅かに止まった。
「……綺麗」
「せやろ。けど油断したらあかんで」
ロキの声音から軽さが消えた。
「待たせたな、フレイヤ」
「いいえ。私も今来たところよ」
銀色の瞳がアイズへ移る。
「その子がアイズ・ヴァレンシュタイン?」
「せや。うちの自慢の子や」
「……初めまして」
「ええ。初めまして」
フレイヤは微笑んだ。それだけなのに、背筋を何かが這ったような気がして、アイズは無意識に姿勢を正した。
「ほんで」
ロキが二人の間へ割って入る。
「最近、また面白い子ぉ見つけたらしいな」
「あら。耳が早いのね」
「お前が珍しく神の宴にまで出てきたんや。何もない方がおかしいわ」
問い詰められても、フレイヤはすぐには答えない。何かを思い浮かべるように銀の瞳を細めた。
「強い子ではないわ。本当に偶然、目に入っただけ」
「その『偶然』が信用ならへん言うとんねん」
ロキが胡乱な目を向ける。
「前にもカイを見つけた時、似たようなこと言うとったやろ。まだLv.2やったあいつにオッタルぶつけよって」
「……カイ?」
アイズが反応する。
Lv.2の頃にオッタルと戦ったなど、初めて聞く話だった。
「あの時とは違うわ」
フレイヤは楽しげに笑った。
「今回の子は、まだ何者でもない。弱くて、未熟で――それでいて、とても綺麗」
「……それ、余計あかんやつちゃうか?」
「さあ。どうかしら」
その時だった。
フレイヤの視線が祭りで賑わう街の一点へ向き、瞳にそれまでとは違う色が宿る。
「ごめんなさい。用事ができたわ」
「お、おい!」
「また会いましょう」
ロキの制止にも構わず、フレイヤは人混みの中へ消えていく。
残されたロキは、その背中をしばらく睨んでいた。
「……何や、あいつ」
「急いでた」
「ああ。せやから余計に嫌な予感すんねん」
◇
中央広場では、
「ダンジョンで見る時と、ちょっと違うな」
カイが檻越しの魔物を眺めながら呟く。
「何が?」
隣からティオナが覗き込んだ。
「逃げ場がないからか、やたら苛立ってる。地上まで運ばれてきたせいかもしれねぇけど」
「へぇ。カイってそんなところ見てるんだ」
「どういう意味だよ」
ティオナが笑い、その横ではティオネが呆れたように息を吐いた。レフィーヤだけは別のことが気になっているらしく、何度も周囲を見回している。
「アイズさん、今頃ロキ様と一緒ですよね」
「後で合流できればいいけど、この人混みじゃ簡単じゃなさそうね」
「昨日の服、ちゃんと着てくださってるでしょうか……」
「着るって言ってただろ」
思わず口を挟んだカイへ、ティオナがにやりとした顔を向ける。
「ちゃんと覚えてるんだ?」
「何がだよ」
「別にー?」
追及しかけたティオナの頭を、ティオネが軽く小突いた。
「遊ぶなら後にしなさい。始まるわよ」
闘技場から一際大きな歓声が上がる。
ガネーシャ・ファミリア所属の
「行きましょう!」
レフィーヤ達が人の流れへ向かう。その後を追おうとしたカイは、不意に足を止めた。
歓声に混じって、金属が軋むような音がした。
「……?」
振り返ると、闘技場地下へ続く搬入口付近で、ガネーシャ・ファミリアの団員達が急に慌ただしく動き始めていた。
ほんの僅かに、胸騒ぎがした。
◇
その頃、ベルとヘスティアは闘技場近くまで足を運んでいた。
ダンジョンで聞けば身構えるはずの咆哮に、今日は大勢の市民が歓声を送っている。その光景を不思議そうに見回していたベルの耳へ、小さな泣き声が届いた。
「お母さん……」
幼い少女が一人、人混みの中で立ち尽くしている。
ベルは迷わず歩み寄り、少女と目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「大丈夫? お母さんとはぐれちゃったの?」
「……うん」
「じゃあ、一緒に探そう」
「ベル君。シル君も探してる途中だけど……」
「でも、この子を一人にはできませんから」
ヘスティアは一瞬だけ目を見開き、それから柔らかく笑った。
数日前まで助けられる側だった少年が、自分から誰かへ手を伸ばしている。
「うん。一緒に探そうか」
◇
「アイズ・ヴァレンシュタイン氏!」
切迫した呼び声に、アイズとロキが振り返る。
駆け寄ってきたギルド職員は息を乱し、顔色を変えていた。
「闘技場の地下からモンスターが脱走しました! 現在ガネーシャ・ファミリアが対応していますが、市街へ流れた個体もいます!」
「何体や?」
「まだ正確には……!」
ロキの顔から笑みが消える。
先ほど突然姿を消したフレイヤ。偶然と片付けるには、あまりにも嫌なタイミングだった。
「アイズたん」
「うん」
「街ん中や。周り巻き込まんようにな」
「分かった」
アイズはすでに腰のレイピアへ手を掛けていた。
「――
風が爆ぜる。
〖エアリエル〗を纏ったアイズは、一瞬で通りの先へ姿を消した。
◇
「離れろ!」
冒険者の怒号に続いて、闘技場地下の搬入口から一体のモンスターが飛び出した。市民の悲鳴が連鎖し、祭りを楽しんでいた人々が一斉に逃げ始める。
「ちっ!」
カイは人波を避けて前へ出た。
今日は祭り見物のつもりだったため、長槍は黄昏の館へ置いてきている。だが武器がなくとも、やれることはある。
「――
短い詠唱とともに
次の瞬間、カイの姿が掻き消える。
「――こっち見ろ!」
市民へ突進していた魔物の側頭部へ蹴りを叩き込み、進行方向を強引に逸らす。巨体が誰もいない石畳へ転がったのを確認すると、カイは地下搬入口へ視線を戻した。
「ティオネ! ティオナとレフィーヤ連れて人を逃がせ!」
「分かってる!」
「あんたは!?」
「ここで止める!」
ティオネはそれ以上聞かなかった。
「ティオナ、レフィーヤ! 行くわよ!」
「了解!」
「は、はい!」
三人が避難誘導へ走る。
続けて地下から現れたモンスターへ、カイは身体を向けた。敵そのものは脅威ではないが、周囲には戦う術を持たない市民がまだ大勢残っている。
雷光が弱まった。全力で放電すれば、一瞬で終わる。
ここでは、使えない。
「そこの通り空けろ! 子供と怪我人を先に逃がせ!」
「は、はい!」
背後の気配を確かめながら、カイはモンスターとの間合いを詰める。
必要な分だけの雷を拳へ纏わせた。
「来い。ここから先には行かせねぇよ」
◇
別の通りへ移ったティオナ達の耳にも、街のあちこちから悲鳴が届いていた。
路地から飛び出してきたモンスターを、ティオネが素手で迎え撃つ。顎を打ち上げて体勢を崩したところへティオナが飛び込み、そのまま石畳へ叩きつけた。
「す、すごい……」
「レフィーヤ!」
「は、はい!」
「ぼーっとしない!」
慌てて杖を握り直す。
自分にもできることを――そう考えたところで、別方向から女性が青ざめた顔で走ってきた。
「助けてください! 向こうに……変なモンスターが!」
「変な?」
「蛇みたいな……でも、花みたいな……!」
三人の表情が変わった。
「花?」
ティオナとティオネが目を合わせる。
「行くわよ」
「はい!」
駆けつけた先にいたものは、
蛇のように長い身体。その先端で、巨大な花弁を思わせる異形の頭部が開いている。
「こんなの……いた?」
「見てないわ」
ティオネが構えを取る。
レフィーヤの背筋を、嫌な感覚が走った。第五十一階層で遭遇した新種とは姿が違う。それでも、未知の怪物を前にした時の不気味さはどこか似ていた。
「来るよ!」
石畳が抉れる。
三人が散開し、ティオナとティオネが左右から怪物を引き付ける。
「レフィーヤ! 魔法!」
「はい!」
杖を構え、魔力を集中させる。
だが、詠唱を始めた瞬間。花型の頭部が、まるで獲物を見つけたようにレフィーヤへ向いた。
「え――」
「レフィーヤ!」
魔法に反応した。
気付いた時には遅かった。
「きゃあっ!」
巨体に弾き飛ばされ、背中から石畳へ叩きつけられる。肺から空気が押し出され、視界が一瞬白く染まった。
「っ……!」
「立ちなさい、レフィーヤ!」
ティオネの声が飛ぶ。
レフィーヤは歯を食い縛って身体を起こそうとした。そこへさらに二つ、聞き慣れない咆哮が重なる。
「嘘でしょ……」
同じ花型の新種が一体。そして、その後ろからさらにもう一体が姿を現した。
「三匹……!」
ティオナの顔から笑みが消えた。
◇
騒ぎが始まってからも、ベルは少女の手を離さず、ヘスティアとともに人波を避けながら進んでいた。
やがて避難誘導に走っていたギルド職員を見つけ、ベルは少女を託す。
「この子、迷子なんです! お母さんを探していて……」
「分かった。こちらで保護する! 君達も早く避難を!」
「お願いします!」
不安そうに振り返る少女へ「大丈夫」と声を掛け、ベルはその手を職員へ預けた。
その直後だった。
「神様!」
銀色の巨大な拳が石壁を砕き、瓦礫が通りへ飛び散る。
「グオオオオオオッ!」
現れたのは、銀色の体毛を持つシルバーバックだった。その姿を前にした瞬間、ベルの足が震える。
第五階層で遭遇したミノタウロスとは違う。それでも、今の自分より遥かに強いことだけは嫌でも分かった。
「ベル君!」
「神様は下がっててください!」
「何言ってるんだい!?」
「早く!」
ベルは短刀を抜き、ヘスティアの前へ立つ。
怖くないわけではない。第五階層でミノタウロスを前にした時の恐怖は、まだ身体の中に残っている。
けれど、死んでしまえば、あの背中を追うことすらできない。
今は、自分の後ろにも守らなければならない人がいる。
「今度は……僕が守る!」
少年は震える足を踏み締め、シルバーバックを正面から見据えた。
◇
アイズは街路を駆けていた。
〖エアリエル〗によって加速した身体からレイピアを走らせ、迫るモンスターの急所だけを正確に貫いていく。
力を入れすぎない。借り物の剣をデスペレートと同じように扱う必要はない。この武器には、この武器に合った振り方がある。
一体。さらに一体。市民へ爪が届く直前に割り込み、必要な一撃だけで仕留める。
「……多い」
遠くで巨大な咆哮が上がる。
建物の向こうを銀色の巨体が横切った。
「シルバーバック……?」
向かおうとした、その時。
「助けて!」
すぐ近くから悲鳴が上がる。
アイズは一瞬だけ銀色の影が消えた方向を見た。それから迷わず踵を返した。
遠くの誰かではない。今ここに、自分でなければ助けられない者がいる。
◇
シルバーバックの拳が石畳を砕いた。
「うわっ!」
ベルが地面を転がる。
一撃が重い。速さも、力も、今まで上層で戦ってきたモンスターとは違った。
「ベル君!」
「来ないで!」
傷の残る身体を起こし、再び短刀を構える。
攻撃は届く。だが、浅い。硬い毛皮を切り裂いても、致命傷にはならない。
「グオオオッ!」
「ぐっ!」
薙ぎ払われ、身体が壁へ叩きつけられた。
叩きつけられたベルを見て、ヘスティアが息を呑む。
「……まだ」
立たなければならない。
そう分かっていても、身体が言うことを聞かない。
その姿を見て、ヘスティアは決めた。
「ベル君!」
「神様、逃げ――」
「これを使って!」
黒いものが宙を舞う。
反射的に受け止めた瞬間、ベルの手の中で紫紺の光が走った。
「……ナイフ?」
「それは君の、君だけの武器だ!」
「僕の……?」
「そうだよ!」
ヘスティアは真っ直ぐ少年を見つめた。
「ボクは君を信じる。だからベル君も、自分を信じてくれ!」
震えていた指が、黒い柄を強く握る。
「……はい!」
シルバーバックが咆哮し、突進する。
ベルもまた、その真正面へ踏み出した。
◇
「レフィーヤ!」
聞き慣れた声が路地へ響く。
「アイズ!」
ティオナが振り返る。
風を纏った金髪の剣士が飛び込んできた。
「何、これ」
「分かんない!」
「魔法に反応するわ!」
ティオネの警告を聞き、アイズはすぐに〖エアリエル〗を解除した。
「三匹なら、一人一匹で止める!」
「了解!」
ティオナとティオネがそれぞれ一体を引き付け、残った新種の前へアイズが立つ。
石畳へ手をついたまま、レフィーヤはその光景を見ていた。
また、守られている。遠征でもそうだった。自分が詠唱に失敗した時、皆が守ってくれた。
今日も同じだ。
アイズが攻撃を受け流し、ティオナが大きく弾かれる。ティオネも歯を食い縛りながら、素手で怪物を押し留めていた。
「……嫌だ」
怖い。また魔法へ反応されるかもしれない。失敗するかもしれない。
それでも――。
『レフィーヤも、強くなってる』
昨日掛けてもらった言葉が蘇る。
追いつきたい。助けたい。
いつまでも守られているだけではなく、あの人の隣で戦いたい。
「私は……レフィーヤ・ウィリディス」
震える足で立ち上がる。
「ロキ・ファミリアの一員です」
杖を握り、深く息を吸った。
詠唱が始まる。
その瞬間、三体の花型が一斉にレフィーヤへ反応した。
「レフィーヤ!」
「続けて!」
ティオネが叫ぶ。
「私達が止める!」
ティオナが怪物へ組みつき、アイズもレイピアを走らせる。
一節。さらに一節。
喉が震える。それでも止めない。
「私には……追いつきたい人がいる」
魔力が膨れ上がった。
「力になりたい人がいる」
術式が完成する。
「――〖エルフ・リング〗!」
淡い光がエルフの少女を包み込んだ。
それで終わりではない。
脳裏へ浮かべるのは、幾度となく自分達を救ってきた大魔導士の姿。
「リヴェリア様……力を貸してください」
借り受けた魔法を選び取る。
詠唱を重ねるたび、街路の熱が奪われていった。
白い冷気が石畳を這う。
「……!」
アイズが真っ先に気付いた。
「離れて」
「ティオナ!」
「分かってる!」
三人が一斉に飛び退く。
花型の怪物達が術者へ殺到しようとする。
だが、遅い。
「――〖ウィン・フィンブルヴェトル〗!」
白い奔流が街路を呑み込んだ。
吹雪と凍気が三体の異形へ襲いかかり、蛇のような身体を瞬く間に凍結させていく。
やがて、巨大な氷塊が音を立てて崩れ落ちた。
「……できた」
レフィーヤの声が震える。
守ってもらった仲間達を、今度は自分の魔法で助けることができた。
◇
西側区画。
別のモンスターを石畳へ叩き伏せたカイが、ふと顔を上げた。
「……?」
遠方から、膨大な魔力の余波が届く。
根元にある魔力には覚えがある。
「レフィーヤか」
カイは一度だけそちらを見たが、すぐ目前の敵へ視線を戻した。
向こうには仲間がいる。ならば、自分は自分の持ち場を守ればいい。
◇
「はぁぁぁぁっ!」
黒いナイフが走った。
先ほどまで短刀を弾いていた銀色の毛皮が、今度は確かに切り裂かれる。
「グオオッ!?」
シルバーバックが初めて後退した。
「すごい……!」
驚いている暇はない。
武器が強くなっただけで、自分自身が急に強くなったわけではない。相手は依然として格上だ。
巨大な拳をかわした瞬間、ベルの脳裏に第五階層で見た光景が蘇る。
ミノタウロスを倒したカイ。ただ力任せに槍を振るっていたわけではなかった。
自分を巻き込まない位置を取り、相手の動きを見て、必要な瞬間だけ踏み込んでいた。
「僕も……!」
焦るな。相手を見て、かわす。そして懐へ入る。
巨腕の軌道から身体を外し、その内側へ飛び込む。
「神様は――僕が守る!」
黒い刃が深々と突き刺さった。
シルバーバックの咆哮が途切れ、巨体がゆっくりと後ろへ傾いていく。
轟音と共に石畳が揺れた。
ベルはしばらく動けなかった。
自分より強いモンスターを。今度は、自分自身の手で倒した。
「ベル君!」
ヘスティアが駆け寄り、そのまま飛びつく。
「やったじゃないか!」
「神様……」
「すごいよ、ベル君!」
よろめきながらも、今度は自分の足で受け止めた。
ベルは手の中にある黒いナイフを見る。
「……ありがとうございます。大切にします」
「もちろんだとも!」
胸を張るヘスティアを見て、ベルも笑った。
その武器にどれほどの代価が付いているのかだけは、まだ知らない。
◇
戦闘が収まり始めた頃。
「レフィーヤ」
「アイズ……さん」
大きく魔力を消耗し、膝を折りかけたレフィーヤの身体をアイズが支えた。
「ありがとう。助かった」
「――っ」
たったそれだけの言葉で、レフィーヤの目が大きく開く。
「すごかったよ!」
「本当、よくやったわ」
ティオナとティオネも笑う。
アイズは氷の残骸へ目をやった後、もう一度レフィーヤを見る。
「……リヴェリアみたいだった」
自分の手を見る。まだ震えている。
怖かった。それでも、最後まで詠唱を通せた。
「私……できた……」
「うん」
アイズが小さく頷く。
「できてたよ」
その言葉を聞いて、レフィーヤはようやく笑った。
◇
怪物騒ぎが収まり始めた頃、ロキが通りへ姿を現した。
「みんなご苦労さん! アイズたんは残りの逃げた奴頼むで。ティオナとティオネは近くの水路を見てきてや」
「分かった!」
「レフィーヤは治療な」
「で、でも――」
「治療」
「……はい」
有無を言わせない声に、レフィーヤが肩を落とす。
そこへ別方向からカイが戻ってきた。服には土埃と返り血が付いているものの、本人に怪我らしい怪我はない。
「西は片付いた。残りはガネーシャの奴らに引き継いできた」
「そっか。ご苦労さん」
カイは周囲を見回し、レフィーヤへ視線を止める。
「さっきの魔法、お前だろ」
「……分かったんですか?」
「魔力でな」
それだけ答えて、軽く笑った。
「良いの撃ったじゃねぇか」
「……はい!」
疲れ切っていた少女の顔が明るくなる。
だが、カイの表情は路上に残った氷の欠片を見た瞬間に変わった。
「こいつら、
「違うと思う」
ティオネが首を振る。
「運び込まれていた中では見てない。魔法にも妙に反応してたわ」
「……また新種か」
カイが異形の残骸を見つめる。
第五十一階層で遭遇した芋虫型とも、女型の存在とも違う。
ロキの細い目も、笑ってはいなかった。
「これは……ちょっと調べる必要ありそうやな」
◇
夕刻。騒ぎが収まり、街にはようやく日常の気配が戻り始めていた。
建物にはいくつもの傷が残り、軽傷者も出ている。それでも、あれだけのモンスターが市街地を暴れ回ったことを考えれば、被害は驚くほど少なかった。
「カイ」
振り返る。
アイズが歩いてきた。
「終わった?」
「大体な。そっちは?」
「私も」
借り物のレイピアにはいくつもの細かな傷が増えている。それでも刀身は折れていない。
アイズはレイピアを一度確認すると、今度は自分の服へ目を落とした。
「……汚れた」
「戦ってたんだから仕方ねぇだろ」
「レフィーヤにもらったのに」
「なら、また一緒に買いに行けばいい」
「……うん」
ほんの僅かに表情が和らいだ。
その時。
「娘が……娘がいないんです!」
近くで女性の声が上がった。
モンスター騒ぎの最中に、幼い娘とはぐれてしまったらしい。ギルド職員が必死に宥めている。
「探す?」
「行くか」
二人が動きかけた、その時だった。
「あっ!」
通りの向こうから、小さな少女が駆けてくる。
「お母さん!」
「――!」
母親が駆け寄り、少女を強く抱き締めた。
「どこに行ってたの!? 怪我は!?」
「大丈夫!」
少女は笑った。
「お兄ちゃんが助けてくれたの」
「お兄ちゃん?」
アイズの足が止まる。
「どんな人?」
「白い髪!」
カイも振り返った。
「白い髪?」
「うん。赤い目でね」
少女は両手を頭の上へ伸ばし、長い耳を作るような仕草をした。
「うさぎさんみたいなお兄ちゃん!」
沈黙。
アイズとカイが顔を見合わせた。
「あの酒場の……」
「第五階層の……」
同時に、一人の少年が脳裏へ浮かぶ。
二度、自分達の前から逃げていった白髪の少年。
「……元気だったんだ」
アイズが小さく呟く。
「あの夜のことで折れたわけじゃなかったみてぇだな」
「よかった」
その声音が、僅かに柔らかい。
「次は、名前聞けるといいね」
「何で俺が毎回逃げられる前提なんだよ」
「二回も逃げられてる」
「それは言うな」
アイズの口元がほんの少しだけ緩んだ。
二人が知ったのは、白髪の少年が少女を助けたということだけ。
彼が自分より強い怪物を前にして、守るために立ち、自分自身の手で勝利したことまでは知らない。
ベル・クラネルは、確かに一歩進んだ。
一方で、地上に現れるはずのない新種の謎は残されたままだった。祭りの喧騒が終わっても、その不気味な痕跡だけは消えていない。
誰が、何のためにあの怪物を地上へ放ったのか。その答えを知る者は、まだいなかった。
第八話 了
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
感想や気になった点、誤字脱字などありましたら教えていただけると嬉しいです。
また、今回から書き方を変えてみました。どちらがいいかなども教えていただけると助かります!
次回もよろしくお願いします。