冬休みが終わり、北宇治高校も3学期が始まった。
新学期が始まったと共に、3月にある1日の卒業式、22日に行われる定期演奏会に向けての練習も本格的に始まる。
1部……【宝島】、【オーディナリー・マーチ】、【星条旗よ永遠なれ】
2部……【魔女の宅急便コレクション】、【交響組曲「ハリー・ポッター(賢者の石)」】、【交響組曲パイレーツ・オブ・カリビアン~呪われた海賊たち】
3部……【エル・カミーノ・レアル】
アンコール……【3月9日】、【さくらのうた】
今回は去年よりも部員1人1人に実力が備わっているので、初めは部員だけで行おうとしていたのだが、滝透が北宇治高校で指揮をする最後の演奏と言うこともあってOBの参加も認められた。オータムコンサートのように約20人のOBも加わり約90人となったバンドで定期演奏会を開催することになる。
しかし、1年5組から広がったインフルエンザによる学級閉鎖により1月中に想定していたほどの練習ができず、部員一同に焦りが生じる。
フルートやトランペットならば学校以外でも練習はできるが、チューバやコントラバス、打楽器などの持ち運びが困難な楽器の担当者は1週間近く楽器に触れないなどの大打撃を受けた。
学校閉鎖により、吹奏楽部部員も自宅待機をせざるを得なくなり、電話でお互いの近況を報告し合う日々が続く。田中あすかをはじめとするいつもの4人も勉強という名目でパソコンのオンライン通話のアプリを使っていた。
「うー、このままで大丈夫かな?」
「こればっかりは仕方ないよね。各自出来ることをしよう」
「そうだよねー……」
「3年生大変だね。センター後で良かったって思うしか無いかも」
「例年通りなら振り替えでセンター受けられると思うけどねー。あ、晴香、そこの計算違う」
「えっ。……ベクトル難しいよー。数ⅢCとか絶対無理ー」
「晴香典型的な文系だもんね」
「ここにいる4人全員文系でしょー」
「私は生物と化学もやらないとだけどね」
「私達もセンターで基礎受けるけど」
「うへー、大変そう」
中世古香織は看護学部で必須な理系科目、田中あすかと斎藤葵は文系といえど国公立大学を受験するためにセンター試験で理系科目の基礎を受ける必要がある。その為に勉強しなければいけなかった。
「……こういう形で演奏できたら良いね」
「楽器がある。家でも演奏できる環境がある。パソコンがある。なんだかんだで条件が必須になるけどね。でも収録って形は面白いと思う」
「やっぱり難しいかぁー」
「仕方ないよ。ほーら、私達は今できる事をするよ。ってことで勉強勉強」
「はーい」
自他共に勉強が苦手な小笠原晴香の投げやりな態度を見て、他の3人は苦笑する。
学校閉鎖期間が終了し、北宇治高校吹奏楽部一同は練習できなかった分を取り戻すように練習に励んでいく。
曲の完成はもちろん、入退場の練習や2部での振り付け等の確認もしつつ、2月3月と練習に明け暮れ、定期演奏会に向けて完成度を上げていく。
日に日に滝透との別れが近付いていく中、この1年で北宇治高校吹奏楽部を立て直してくれた恩返しの為に部員一同とOBは死に物狂いで取り組んだ。
~滝透の場合
僕が北宇治を離れてからの約10年も一応気には掛けていたけど完全に落ちぶれていて、まあ期待するだけ無駄だろうな、とさえ思ってしまっていた。でも、丁度1年前に松本君に「外部指導として北宇治を見て貰えませんか?」と話を貰って、「まあ、1年なら良いか」なんて気軽に引き受けた。
それがどうだろう。今では離れるのが惜しいとさえ思っている。出来るなら中世古君の代が卒業する来年までこうして指揮を振りたい。
初心者同然だった2年生の雑賀君や鈴鹿君、橋君や高校から吹奏楽に挑戦した1年生の井上君、森田君、加部君、岸部君、岩田君、中川君、長瀬君、坪井君達。たった1年、されど1年でとても成長した。本当の本当にこれからの北宇治が楽しみだ。
そう、これだからこそ高校生の吹奏楽は素晴らしい。小学生や中学生、大学生や社会人と幅広い年代の中でも高校生はなんと面白いのか。教師としては1年でバンド全体の音が変わるのは大変だったけど、個人としてはとても楽しみになっている。
定期演奏会の最後の曲である【さくらのうた】も終わり、僕は指揮棒を下ろす。観客席からは歓声と拍手、ステージの上の教え子達は感極まって泣いてる子達がほとんどだ。それでも尚曲が崩れなかったのは彼ら彼女らの努力の証だろう。……崩れたら崩れたらで練習が足りなかった様だからハードに行くけど。
ソロを担当した姫神君、鳥塚君、中世古君、沢田君、野口君を順に立たせて最後に皆を立たせて一礼させる。再び歓声と拍手が沸き起こった。
そして、舞台袖で松本君から花束を受け取って、半泣き状態でその花束を持った中世古君が指揮台へとやって来て僕にその花束を手渡す。昇と千尋君も言っていたけど、やっぱり千尋君に雰囲気がそっくりだ。
「滝先生、1年間ありがとうございました……!!」
「こちらこそありがとう」
中世古君と握手をしてから花束を受け取って、そのまま2人で観客席側に礼。三度歓声と拍手が沸き起こる。この1年でここにいる皆は相当上手になった。指揮棒を振る機会を貰って本当に有り難い。あとは来月から北宇治の顧問になる昇に任せよう。
そして、何度目か分からない定期演奏会が終わった。
翌日の24日になって、楽器倉庫の掃除と来年度楽器が足りなくなる恐れがあると聞いてから知人に相談して、廃校する学校から楽器を譲り受ける日が来た。これで大きな仕事は終わる。
ピッコロ、フルート、オーボエ、B♭クラ、アルトクラ、Esクラ、バスクラ、コルネット、バストロ、シロフォン、グロッケン、チューバ……年季が入ってるけど全て調整済みの楽器が生徒達の手でトラックの中から運び出されて楽器倉庫へと運搬されていく。
予定されていた全ての楽器が運搬されて、松本君と一緒に業者の人と挨拶だ。
「以上が予定されていたものになります」
「はい、ありがとう御座います」
「今後とも弊社をご贔屓によろしくお願い申し上げます」
そう言って、業者の人はトラックに乗って去って行った。……気づけば桜の蕾がなりかけている。そうか、もうすぐ新年度が始まるんだな。
僕の知人で、廃校する学校で吹奏楽部を指導してた山中君が今日来ていて、楽器を見終わったからこっちに来たようだ。
「それじゃあ、ウチの楽器をよろしくお願いします、松本さん」
「はい、大切に使用させて頂きます。この度は誠にありがとう御座いました」
「いえいえ、どうせならきちんと使ってくれる所に受け渡したかったので。昨日の演奏会で北宇治高校なら大切に使ってくれるだろうと確信しました。また全国で鳴らして下さい」
「はい。……私は先に戻っていますね」
「すまないね」
山中君と話す時間を作ってくれたのだろう。気が利く所は昔から変わらない。
「滝もお疲れ」
「ああ。今日はありがとう」
「よせよ。……実際の所まだできんじゃねえのか?」
「できないことは無いと思う。でも、年取った今、やはり昔ほど上手くいかないな」
「俺らも年取ったもんなー、毎年誰かの葬儀がある。お前も長生きしろよ」
「山中君もね」
「違えねえ」
山中君とは大学で出会ってかれこれ40年近く友人でいる。彼と2人きりになって、勝手知ったる雰囲気で気軽に話す。
「そういや、クラリネット4重奏が全国銀か。やったな」
「僕はそこまで指導できなかったな。水谷君が見てくれていたし」
「そんなことねえだろ。アンコンの存在を生徒に知らせたのは滝だろうに」
「彼女達ならそのポテンシャルはあったからね。どうせなら夏のコンクールでも全国に出てほしいものだ」
「関西は激戦区だからなー、こればっかりは他の高校との兼ね合いもある。……まあでも、40人くらいは新入生入ってくるだろ。公立、立地も悪くない、組織運営もしっかりしてる、部長副部長のカリスマでゴタゴタが起きにくい、……やっぱり私立は金がかかるもんなぁ。公立の何倍だよ」
「こればっかりはね。そんなわけで楽器が大切に使わせて貰うよ」
「おう、頼むわ」
外部顧問では無くなったけど、サンフェスや地域演奏、コンクール、文化祭なんかはきっとやるだろうから妻と一緒に見に行こう。もしかしたら千紗都ちゃんに誘われるかもしれない。
うんうん、良し。新しい目標ができた。
4月から北宇治高校に入学する中学3年生が部活体験に来て、新年度の部活紹介で演奏する曲を決めたりと過ごしていると今日の部活が終わった。
音楽準備室で松本君と昇の3人で引き継ぎのことを話していると、今はもう北宇治高校を卒業した井形君、山崎君、池田君と内山君の4人が顔を見せに来た。さっきもそうだったけど、後輩から慕われていたようで安心する。
「滝先生、松本先生少しお時間頂いても宜しいですか?」
「悪い昇」
「いえ、お2人はそちらを優先して下さい」
昇から許可を貰って松本君と卒業生の4人の所に向かっていく。以前よりも音楽を好きになってくれて何かしらの形で音楽に携わるようでほっとする。コンクール至上主義や吹奏楽部の経験で卒業後に楽器を手放す選択肢をする子供は少なくない。指導者としては音楽を好きのままで卒業して欲しいものだ。
「……あの、今のってトロンボーン指導の滝昇さんですよね?」
そう言って、4人は昇の方をチラチラと気にする。あいつの見た目が良いのは事実だからそうなるのも無理はない。
そんな冗談は置いといて、別に隠すことでも無いから伝えておこう。
「僕の後任だよ。4月から息子がここの正式な顧問に赴任する。……息子の方が良かったかい?」
「いえ、挨拶くらいしか関わりが無かったのでよく分かりません」
「そうか。卒ぎょ――」
「「「わー! 私達から言わせて下さい!!」」」
「ふふっ、聞かせて貰おうか」
意趣返しの為に意地悪を仕掛けたら、あっけなくその考えは見透かされる。大人しく聞こう。3年生の代表として行動してきた井形君が話し出す。
「滝先生と松本先生がいなければ、私達は3年間特に思い出が無いまま北宇治を卒業していたかもしれません。滝先生は約1年、松本先生は3年間、ありがとうございました」
「「「ありがとうございました!」」」
お礼を言ってから4人は一礼して、こういう雰囲気が弱い松本君は涙腺が緩みだしている。
「僕も1年間君達の指導をさせて貰って新しい発見もまた沢山あった。こちらこそありがとう。誘われているかもしれないけど、社会人バンドで指揮を振っているからもし良かったらまた一緒にステージに立とう。高校を卒業しても君達は僕の教え子だからね」
「「「はい!」」」
高校〝は〟ここでおしまいかもしれない。でも、一度できた縁はそう簡単に切れはしないと思ってる。またいつか一緒に音楽をしたいものだ。
「おまえ達、よく頑張ったなぁ! 私がもっとしっかりしていればおまえ達が苦しむ必要は無かったのに、本当に申し訳ない!」
「それでも最高の思い出ができましたから。結果オーライです」
「……生意気だぞ」
「「「あははっ!」」」
ハンカチで目元を優しく押さえながら松本君は呟き、思わず大声で笑ってしまう。嫌いな先生なら挨拶には来ないから。そう言った意味で卒業というイベントは残酷でもある。
一頻り笑った後に、最後に彼女達に何かメッセージをと考えた。……良し。
「さっきも言ったけど、期間が短かったとは言え君達は僕の教え子だ。何かあれば連絡してきて良いから」
「例えば、結婚式に呼ぶとかでも良いですか?」
「もちろん。呼んでくれるなら参列させて貰うよ」
「じゃあその時は招待状出しますね」
「……ちなみにそういう予定があるのかな?」
「いえ、全く」
無いのか。まあいいか、その時が来るのを待たせて貰おうか。
「バイトやサークルと一気に世界が広がるだろうがあまり無茶するなよ。お酒の問題でトラブルはよくあることだからな」
「「「はい」」」
お酒の問題はこの先ずっと付きまとうからねえ。早めに自分の限界値を知っておくべきだとも思う。飲み会から始まるコミュニケーションも有るわけだし。
いつか彼女達とお酒を飲む機会は出来るのかちょっと楽しみだ。
「滝先生と松本先生、失礼します。……あ、先輩方」
「あ、香織達。先生方ありがとう御座いました。香織達も最後の1年頑張ってね」
「はい、また遊びに来て下さい」
「もち」
「では私達はこれで。またどこかで」
「ああ、息災でな」
鍵を返しに来たのか、中世古君と田中君が音楽準備室に来て、入れ違いで井形君達4人は音楽準備室から退出した。
「すみません、鍵を返しに来ました」
「分かった。最後に私が確認しておこう」
「お願いします」
「暗くなってるから気を付けて帰るんだよ」
「はい、失礼します」
その2人も音楽準備室から退出して帰っていった。さて、最後の仕事といこうじゃないか。
松本君と昇の所に戻って中断していた打ち合わせを始める。
「それじゃあ4月の部活紹介では【暴れん坊将軍のテーマ】、【ドラゴンクエスト「序曲」】、【Fly High !!】の3曲だね。明日から午前中は中学生と午後は高校生だけで練習していくから」
「「分かりました」」
「……何人くらい入部してくれるんだろうねぇ」
「30人はかたいんじゃないでしょうか」
昔だと1学年40人くらいだったからその位入ってくれると嬉しいな。
3月31日、僕が北宇治に指揮棒を振りに来る最後の日だ。
1週間強の部活体験では、北宇治に入学予定で経験者の中学3年生も32人来てくれて、色々と足りなかったパートが補強された。中世古君と田中君のやり方だったら未経験者も何人かは入部してくれることだろう。音楽に経験者も未経験者も関係ないからね。吹奏楽コンクール部だったら未経験者はお断りかもしれない、でも吹奏楽部なら是非とも音楽を好きになって欲しい。どうか結果を残すことだけに囚われて音楽の本質を置き去りにしないでほしいものだ。
……実は来年度が楽しみでまだ外部顧問を引き受けていたい気持ちが残ってる。それを表面に出すことはしないけど。
部活が終わりの時間が着々と近づいてきて、「30分ほど時間を頂きたいです」と言われていたから中世古君達に後は任せる。……とは言ってもやることの見当は付いていてちょっとした楽しみでもあった。
既に半泣き状態の中世古君が楽器を置いて前まできた。
「滝先生。
1年間という短い期間でしたが、ご指導いただき誠にありがとうございました。もしも、滝先生が指導に来て下さらなかったら私達は充実した1年を過ごすことはできませんでした。本音を言ってしまうと来年度も指導をお願いしたいです。
ですが、来年度はどうか観客側として私達の活躍を楽しみにして下さると嬉しいです」
「そうだね。サンフェス、コンクール、定期演奏会のように外部に公開する演奏会には足を運ぼうと思ってる。是非とも成長した姿を見せて欲しい。頑張ってね」
「はい! ……最後に【さくらのうた】をお聞き下さい。松本先生、お願いします」
「ああ、分かった」
既に必死に涙を堪えている松本君が壇上に上がってきて、僕はそのまま指揮台の側で控え、中世古君は自分の席まで戻った。
たった1年、されど1年見てきた生徒達の勇姿を目に、演奏を耳に焼き付ける。
泣きじゃくりながらも素晴らしい演奏を聞かせてくれた生徒達に拍手を聞かせる。比較的クールな田中君や後藤君、鎧塚君も目元が赤い。感情を表に出しやすい小笠原君や傘木君、吉川君はもうボロボロだ。僕との別れをそこまで惜しんでくれて本当に喜ばしく思う。
「素敵な演奏をありがとう、皆の気持ちは十分伝わったよ。
……そうだな、ちょっと外を見てみようか。桜が咲き始めているよね。桜が咲く〝春〟は出会いと別れの季節だ。今日僕とは別れてしまうかもしれない、でも明日から君達はまた新しい出会いがきっとある。
是非ね、春夏秋冬に起こる新しい出会いや新しい経験を通して大人になっていって欲しい。君達ならばきっといろんなことに挑戦できるはずだから。良いね?」
「「「はい!」」」
「〝音を楽しむ〟と書いて音楽だ。存分に音楽を楽しむように」
「「「はい!」」」
こうして、再び僕は北宇治高校を離れた。
家に帰ると千尋君と千紗都が遊びに来ていた。昇は……? まあどこかにいるだろう。
「あ、お祖父ちゃん! お帰り~!」
「ただいま、手洗いうがいをしてくるから待ってておくれ。千尋君もいらっしゃい」
「お邪魔しています、お義父さん」
千紗都と一緒に洗面台まで来て、何故か一緒に手洗いうがいをする。
「千紗都はしなくていいんだよ?」
「お祖父ちゃんの真似するの!」
「そうかい? じゃあ一緒にやろう」
「うん!」
以前おざなりに熟していたら、千紗都が注意してきたから丁寧に行う。どうやら幼稚園で徹底的に扱かれたらしい。11月位には良いお姉さんになりそうだ。
千紗都とお互いにチェックをして居間に戻ると昇もいた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
「ほら、千紗都」
「うん、ママ!」
さっきバタバタと戻っていった千紗都が両腕を背中側に持っていって何かを隠してる。……まあ、こういう日もあっていいか。
ちょこちょこと僕の方に歩いては両腕を差し伸べてきた。右手にはちょっとしたカスミソウうやスイートピーが入り交じったブーケ、左手には僕が指揮棒を振っている姿が描かれた絵が現れた。……不覚にも泣きそうになる。
「貰っても良いのかな?」
「うん! 『1年間お疲れ様ー!』ってママとパパとお祖母ちゃんの4人で考えたの!」
「そっか。有り難く頂こう。昇と千尋君もありがとうね」
「いえいえ、私もこの1年間楽しませて貰いましたから!」「ん、お疲れ様」
「明日からは昇に任せたからな」
「分かってるよ」
音楽の教師として昇にしてやれるのは今回で最後かもしれない。あとは昇なりの音楽を貫いてほしいものだ。
それにしても楽しかったな。今度はお客としてあの子達の演奏を楽しませて貰おう。ああ、本当に楽しみだ。