猫又繋護との邂逅で吹奏楽部の活動を充実させて後悔の無いようにと誓った田中あすか、小笠原晴香、中世古香織、斎藤葵の4名を中心とする革命から約1ヶ月強。
滝透が外部顧問として北宇治高校吹奏楽部の指導を始める日が遂に訪れた。
革命の最中、同級生が次々といなくなっていく一方で残留すると決めた2年生が4人。充実した部活動の障害だった上級生がいなくなって復帰を決めた生徒達も含めた1年生が32人。
2013年2月から合計36人で北宇治高校吹奏楽部は再スタートを切る。
「滝先生、どうぞお入り下さい」
「ありがとう御座います。皆さん、お待たせしてすみません」
「起立!」
そのうち、松本美知恵と一緒に北宇治高校の音楽室に入室した滝透に挨拶するために新しく部長となった中世古香織の号令で36人が一斉に立上がり、指揮壇に上がる滝透を待って挨拶をする。
「本日からご指導ご鞭撻のほどお願いします!」
「「「お願いします!!」」」
「はい、私の方からもお願いします。着席して下さい」
「着席!」
2012年12月と2013年1月の2ヶ月で入学当初のモチベーションを取り戻した36人が一斉に椅子に座る。そして、滝透が全員と視線を合わせてから口を開いた。
「まずは私の自己紹介から。
10年ほど前にここ、北宇治高校で吹奏楽部の指揮者を務めていました滝透と言います。本日から1年の約束で皆さんの指導をさせて頂くことになりました。どうぞ宜しくお願いします」
「「「お願いします!!」」」
「元気があって良いですね。でも、そうガチガチになっていては良い演奏はできません。
そういう訳ですので、コミュニケーションも兼ねて私のポリシーをお伝えさせて頂こうと思います。是非リラックスして聞いて下さい」
その言葉を聞いて、堅苦しい先生では無いな、と判断した36人は少し表情を緩める。そしてそんな生徒達を見て相好を崩した滝透はチョークを持って黒板に【音楽】と【吹奏楽】の単語を書いた。
「はい、皆さんも身近な存在である単語ですよね。
【音が楽しい】と書いて音楽です。ですが、【音を楽しむ】とも言い換えることも出来ますね。
では、この場合の音を楽しむ対象は誰になるでしょう? ……そう、私はその曲に関わる全ての人間だと思っています。作曲者、奏者、聞いてくれる人達、指揮者、会場設営に携わってくれた運営の方々……。そういった全員が音を楽しむことで1つの曲が完成すると思っています。
ですので、皆さんも是非音楽を楽しんで下さい。そうすればいい音を奏でて良い演奏が出来上がります」
滝透は一呼吸置いてまた話し始めた。
「【吹奏楽】も同様です。【楽器を吹いて音を奏でて楽しむ】から吹奏楽。
最初に楽器を持ったときのワクワク感。初めて楽器から音が出たときの喜び。初めて1曲通して演奏した充実感と疲労感。練習を続けて昨日までは出来なかった事が今日出来るようになった達成感。
こういったことに皆さんも覚えがあると思います。そうですよね?」
「「「はい!!」」」
例えば補助輪無しの自転車に乗れるようになったこと。
例えば小学生で2桁の暗算ができるようになったこと。
この場にいる36人の生徒は楽器だけに限らず、何かを始めて達成したときの喜びと努力と困難の末の戦いからの開放感を記憶に浮かべ、慣れることでいつの間にか忘れていた〝初心〟を思い出した。
「表情が良くなりましたね。その調子です。
演奏者が楽しんでいると、聞いてる観客の皆さんも楽しんでくれるんです。
楽器を続けているとなかなか上手くいかなくなる時はもちろんあります。ですが、その時は何故自分は楽器を始めようと思ったのか? どうすれば自分が楽しむことが出来るようになるのか? この2つを模索していって下さい」
「「「はい!」」」
前任の吹奏楽部顧問と折り合いが悪く、積極的な介入を避けてきた松本美知恵は罪悪感を抱きつつも、2度と見られないと思っていたこの活気に溢れた光景を目にして内心涙ぐむ。そして、これからの北宇治高校吹奏楽部に期待した。
松本美知恵の胸中を知ることなく滝透は続ける。
「今現在、吹奏楽コンクールに出場する予定でいますが、この〝音を楽しむ〟ということは常に頭に入れておいて下さい。
何が言いたいかというと、コンクールの結果だけを求めて楽器を演奏しないで欲しい、とお願いしたいのです。コンクールには選択した課題曲や自由曲、曲と審査員の相性、編成のバランス、皆さんの会場での態度、学校の知名度、集客度……。
審査員も人間ですので、残念ながら無意識的に演奏以外も審査の対象となってしまっているのが現状です。
その為、最初から〝全国大会金賞だけ〟を目指すのでは無く、〝良い演奏には自ずと結果が付いてくる〟という気持ちでコンクールには挑戦しましょう。こちらは新入生が入ってからもお伝えします。
まずは音を楽しんで下さい。長くなって申し訳ありませんが、以上が私のポリシーです」
空気が良くなったのを理解した上で、再び滝透は間を取った。
「さて、話は変わりますが今後の日程です。
直近の予定で言うと、3月1日の卒業式、23日の定期演奏会、4月5日の入学式と7日の新入生歓迎会、5月のサンライズフェスティバルを現状控えています。
……分かりますか、我々にはそこまで時間が無いんです。
そういうわけで、これからちょっと忙しくなると思いますが、皆さん体調管理はしっかりと行っていきましょう」
「「「はい!!」」」
「ありがとう御座います。
それでは、まず卒業式と入学式で演奏する【威風堂堂】を1回通してみましょうか。私の話が長くなってしまったので、休憩と音だしも兼ねて15分取ります。……はい、どうぞ」
滝透は手を鳴らしてその時間を取った。
本日の練習が終わり、滝透は指揮棒を降ろす。
「それでは本日の練習はここまで。お疲れ様でした」
「「「ありがとうございました!!」」」
「今日だけで皆ぐっと上達しましたよ。この調子で頑張っていきましょう」
「「「はい!」」」
「先程お伝えしたとおり、2月3月の土日祝日には指導をお願いした各楽器のOBと定期演奏会に参加して頂くエキストラをお呼びします。
通院など私の事情もあって申し訳ない。OBの方々から知識を吸収して基礎から作り上げていきましょう」
「「「はい!」」」
「それでは中世古部長、挨拶を」
「はい!
起立! 気を付け、礼!」
「「「ありがとう御座いました!!」」」
「こちらこそありがとう御座いました」
本日の練習が終わり、今後の予定を確認するために滝透と松本美知恵、部長の中世古香織と副部長の田中あすかは音楽室を退出した。残りの部員は楽器と音楽室の片付けを始める。
「……つっかれたー!」
「その割にイキイキしてんじゃん」
「するよー! 悪い!?」
「悪くない!! すっごく楽しかった!」
「でしょ!!」
ファゴットを担当している喜多村来南と岡美貴乃はスワブを通してから割り当てられている教室に移動して自分のファゴットを片付けていく。
2人とも確かに練習終わりの疲労はある。しかし、中学校を卒業してから腐った環境に属して久しく忘れていた吹奏楽への情熱を思い出し、今日の練習に取り組んでいた。疲労と共にある程度の充実感が体中を巡っている。
「……やばい。まだ楽器吹いてたい」
「いつもはさっさと帰る喜多村の発言かよー」
「うるさいなぁ。岡はどうなのよ」
「…………私も」
「あんたもかい!」
「だってさー、合奏って楽しいじゃんかよー。滝先生のおかげで思い出したって言うか、まあ小笠原達のおかげなんだけど」
「あの時はびっくりしたよねー。いきなり『私達革命起こすわ』なんて言いだしてさぁ? ……まあ、あいつらがいてクッソつまんなかったのは事実だしー、あすか様々だよね」
「あいつらに啖呵切ったときの田中めっちゃ恐かったー。まあ、でもあいつらの自業自得だし」
「それな」
喜多村来南と岡美貴乃を始めとする吹部生は、2つ上と1つ上の先輩をたまに家の中に現れる黒光りの昆虫と捉えていた。見た瞬間に嫌悪感がMAXになるあのくろーい奴だ。
今までは憂鬱な部活動の時間であったが、今日からは打って変わった時間となることが確定されたので、音楽室内の雰囲気は今までに無いほど良い。
音楽室を離れた滝透と松本美知恵、中世古香織と田中あすかは暖房がきいた職員用の会議室に集まって、今日の反省と今後の予定について話し合う。
「滝先生、本日はありがとう御座いました」
「「ありがとう御座いました!」」
「こちらこそありがとう。隠居した身でも必要とされるとは思わなかったよ。
……そうだね、これなら十分間に合う。さっそくだけどこれからの予定だ」
以前から親交のある松本美知恵の前か、滝透は口調を崩して彼本来の話し方へと切り替えた。とは言っても、歳を重ねて落ち着いた話し方であることに変わりは無い。
「定期演奏会まで大体2ヶ月弱。とは言っても学校行事や演奏会の準備なんかで実際に練習できる日はそこまでない。だとすると、今回の定期演奏会では皆が一度は演奏したことがあるだろう曲がいいと判断してこんな感じにしてみたよ」
そう言って、滝透は次の定期演奏会で演奏予定の曲が載ってるプリントを3人に見せた。
1部……【さくらのうた】、【オリエント急行】。
2部……【ディープ・パープル・メドレー】、【ルパン3世のテーマ】、【カーペンターズ・フォーエバー】。
3部……【アルヴァマー序曲】。
アンコール……【ブラジル】、【テキーラ】。
「こちらで勝手に決めてすまない。ただ、今から曲選びから始めると絶対に間に合わない。本来は生徒で決めるべきなんだけど、今回だけは勘弁して欲しい」
「いえ、ありがとう御座います」
「ありがとう。ただ、僕の言いなりではつまらないだろうから1曲だけ君達の要望を聞きたいと思う。ディズニー系かジブリ系か。今の所2部で演奏しようと思っているよ」
「えーっと。それなら……」
中世古香織と田中あすかは視線を合わせて決まり決まったように頷く。そして、中世古香織が口を開いた。
「可能でしたら【PHOENIX】という曲を演奏したいのですが構わないでしょうか?」
「【PHOENIX】……、確か今年の春の高校バレーの応援ソングだったか。サラッとしか聞いてないんだ。どういう曲だったかな」
「是非こちらを使って下さい」
「悪いね、ありがとう松本君」
松本美知恵はインターネット回戦が繋がっているタブレット端末を滝透に渡して、動画配信サイトで【PHOENIX】を流す。
イントロと1番を聞き終えたら演奏を止めた。
「良い曲だね。この曲、楽譜は?」
「すみません、採譜と編曲をしようとしてはいるのですが……」
「いや、いいよ。今回は僕の方でなんとかしよう。ただ、今後は楽譜がある曲を選ぶこと。いいね?」
「「はい、すみません」」
「大丈夫だよ。じゃあ楽譜は来週の月曜に配れるようにしよう。
さて、明日はOBとの顔合わせだ。頑張っていこう」
「「はい!」」
「滝先生がちゃんとした指導員で良かったな」と思う中世古香織と田中あすかであった。
翌日、2月2日の土曜日に、指導をするOBまたはエキストラで定期演奏会に参加するOBとの顔合わせが行われた。
打楽器担当とチューバ、ホルン、オーボエが2人、それ以外は1人ずつ生徒の前の方に立つ。そこには容姿が整った何人かのOBに戦くか、現在プロとして活動しているOBを見て感動している現役生がいた。
「こちらが私の教え子で皆さんのOBにあたる方々です。それでは新山君から自己紹介をお願いします」
「はい。
皆さん初めまして、本日からフルートパートの皆さんに指導させて頂きます新山聡美と申します。どうかよろしくお願いします」
「「「お願いします!」」」
新山聡美が一礼し、次の女性2人が話し始めた。
「皆さん初めまして。今回オーボエのエキストラで参加させて頂くことになりました片岡由香です。滝先生と皆さんと一緒に演奏を作り上げていきたいなと考えていますので宜しくお願いしますね。そして――」
「――はい、皆さんこんにちは。そして初めまして。
片岡と一緒にエキストラで参加させて頂く高山美佳です。どうか宜しくお願いします~」
「「「お願いします!」」」
片岡由香と高山美佳が一礼し、次の女性が話し始めた。
「皆さん初めまして。ファゴットのお2人に指導させて頂くことになりました鈴木胡桃と申します。喜多村さんと岡さんかな? どうか宜しくね」
「「「お願いします!」」」
鈴木胡桃が一礼し、次の女性が話し始めた。
「皆さん初めまして。場合によってはエキストラで参加予定の水谷佳代子と申します。B♭クラ、アルトクラ、Esクラ、バスクラ、どんと来いです。クラリネットパートの皆さんはどうぞよろしくお願いします」
「「「お願いします!」」」
水谷佳代子が一礼し、次の女性が話し始めた。
「皆さん初めまして。今回サックスパートの皆さんの指導をさせて頂く事になりました柚木由美子と言います。私もエキストラで参加させて頂くかもしれません。その時は宜しくお願いします!」
「「「お願いします!」」」
柚木由美子が一礼して、中世古香織に似て柔和な印象を持つ女性が話し始める。
「皆さん初めまして。今回トランペットパートの指導をさせて頂くことになりました滝千尋と申します。トランペットの皆さんはどうか宜しくお願いします」
「「「宜しくお願いします!」」」
滝千尋が一礼して、眼鏡を掛けた細身の男性が口を開く。
「皆さん初めまして。トロンボーンの指導と場合によってはバストロで演奏会に出演する可能性もある滝昇と言います。
……皆さんのご想像通り、父滝透の息子で、滝千尋は私の妻になります。少し事情が混み合うので最初は戸惑うことがあるかもしれません。どうか宜しくお願いします」
「「「お願いします!」」」
部員の中に〝滝〟と聞いて、まずは滝透を。そして滝千尋を順に見て3人の関係性を探った者がいた。滝昇は丁寧にその疑問に応える。
そして、次の男女1人ずつ前に出て、女性の方から話し始めた。
「皆さん初めまして。今回ホルンの指導に当たります奥山聡子と申します。そして、こちらが――」
「――はい、皆さんこんにちはー。僕は大澤諒って言います。指導にはあたらずエキストラだけの予定ですがどうか宜しくお願いします!」
「「「お願いします!」」」
奥山聡子と大澤諒が一礼して、次の男性2人が前に出た。
「皆さん初めまして。
今回チューバのエキストラ枠で参加させて頂くことになりました吉村浩明と言います。そして――」
「――同期の吉村と一緒にエキストラで参加させて頂く二宮栄一と言います。皆さんの土台になりますから存分に吹いて下さいね」
「「「はい、お願いします!」」」
吉村浩明と二宮栄一が一礼して、次の女性が話し始める。
「皆さんこんにちは。コントラバスを弾いている小山内幸代と申します。後輩の皆さんに色々伝授していきますので、どうか宜しくお願いします」
「「「お願いします!」」」
小山内幸代が一礼して、男女1人ずつ前に出た。男性の方から話し始める。
「は~い、皆さん初めまして~。打楽器担当の橋本真博って言います。気軽に〝はしもっちゃん〟って呼んでね~。そして、こちらが――」
「――加古美也子と言います。橋本さんと一緒に打楽器の皆さんに指導、そしてエキストラとして参加させて頂く予定です。どうか宜しくお願いします」
「「「お願いします!」」」
橋本真博と加古美也子が一礼して、OBの自己紹介が終わった。
「はい、皆ありがとう。
では早速だけどパート練習に移ろうか。そして基礎から身につけていきましょう。現役生はOBから積極的に吸収していって下さい。OBの皆さんも高校生から何か学びのあることを望みます」
「「「はい!」」」
こうして、滝透による北宇治高校吹奏楽部の改革は始まった。
何やら吹奏楽部が面白くなっているらしい。
北宇治高校でそんな噂が立つのもそう時間はかからなかった。冬休みではあったが警察と教育委員会の人間が立ち入っているのを現役生が確認しているからだ。
そして、今までは何をしているのか分からなかった吹奏楽部の部員が朝、昼、放課後と熱心に部活動に励み、日に日に成長する音が学校中に聞えてきて、変革の様子が如実に表れていた。
10年ほど前の北宇治高校吹奏楽部を知る教員は何やら感動しているとかなんとか。
あっという間に2ヶ月経ち、遂に明日は定期演奏会の日である。滝透は指揮棒を降ろし、2月当初より何倍も成長した現役生とエキストラのOBの顔を見渡した。
「はい、お疲れ様でした。これで練習は終わりです」
「「「ありがとう御座いました!」」」
「遂に明日は本番です。緊張しているかもしれませんが、皆さんは上手です。私は何も心配していません。是非ね、明日は目いっぱい楽しみましょう」
「「「はい!」」」
「それでは楽器の梱包に移りましょうか。暖かくなってはきてますが最後まで体調管理をしっかりしましょう」
「「「はい!」」」
2年生4人、1年生32人、エキストラのOB 13人の合計49人でステージに立つ。
95年度生まれ
井形みずき ソプラノサックス担当
山崎侑依 コントラバス担当
池田永美子 打楽器担当
内山香純 打楽器担当
96年度生まれ(田中あすか達と同級生) 復帰組
北本恵子 クラリネット担当
石原有美 トランペット担当
藤田麻弥 ホルン担当
下山結 ユーフォニアム担当
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