その頃。
風見はガックリと肩を落とした。
また言えなかった、と自分への落胆が心の底に沈澱する。
庁舎のデスクに体重を預けて項垂れた。
上司の狂気に付き合ってもう二年以上になるが、それに関しては別段悩んでいない。
一朝一夕で解決するものでもないし、長く腰を据えてとりかかろうと決めているからだ。
これだけ長ければ心の整理もついたし、小康状態が続いている上司をきちんと観察する余裕もできた。
だいたい、夢と現実の狭間に生きる上司だが、それでも自分などより遥かに優秀なのは相変わらずだ。
心配している暇があったら自分の身を引き締めねばならないことの方が多かった。
………だからと言って、こんな危険な状況に置かれたまま使い捨てられる上司に思うところがないでもないが。
ともかく、今悩んでいるのは別件だ。
そう、非常に重大な案件で、これはもう二週間は悩んでいるほどである。
すなわち。
マギ⭐︎マリの件について!!!!
……神に誓って言っておくが、本命はもちろん沖野ヨーコだ。
ヨーコちゃんこそマイマリア。救世の形に他ならない。
でも人というものはよそ見もしたくなるもので。
箸休め的にネットを巡回していた時、ふと目に留まったのがマギ⭐︎マリだった。
マギ⭐︎マリはコアな人気を博するネットアイドルだ。
主にライブ配信とメイン活動としていて、「楽園より眠れぬ夜のあなたへ」という定期配信を行なっている。
これはファンから寄せられたお便りをもとに人生相談を受ける番組だ。
優しく寄り添うような語り口が夜の時間にしっくりと合い、まさに聖母といった様子を見せる。
どうやら神学について深い知識があるらしく、非常に深い聖書の話も聞くことができる。
そのおかげで風見も有識者ぶれるようになったものだ。
あまりに深く穏やかな話なので、信者とすら呼べるファンもかなり増えているのだという。
ネットアイドルとしては異例とも呼べるファン層を形成しているのもそのせいだ。
さて、風見が問題にしているのは、上司が持っていたマギ⭐︎マリのキーホルダーについてだ。
あれは限定キーホルダーで、公式ファンサイトで会員登録して一定ポイント貯めないと抽選権がもらえない超限定品。
たった10個のみが世に出回っている、幻の一品と言ってもいい。
風見ももちろん応募した。爆死した。
当然の結果である。
「……降谷さんは、マギ⭐︎マリが好きなのだろうか」
己のデスクで栄養ドリンクの瓶の山を片付けながら、風見はぼやいた。
まさか、という思いもある。
女性嫌いの上司がそんな浮ついた趣味を持つはずがない。
でも優秀な人が好きな上司だし、マギ⭐︎マリならあるいは……いやでもなー。
身近な人からもらった?
にしては限定キーホルダーなんてレアモノ過ぎるし。
あれは一握りの勝者だけが手に入れられるトロフィーの類である。
うんうんと悩んでいたら、斜め向かいのデスクの後輩が訝しげな顔をしてこちらを覗き込んでいた。
ごほん、と咳払いすると後輩はピャッと書類の影に顔を隠した。
バレるような観察をするなど公安として弛んでいる。
後で注意せねばなるまい。
もう時刻は大幅に昼を過ぎている。
ゼリー飲料に頼るほど切羽詰まってないし、そろそろ昼ごはんをかっこんできた方がいいだろう。
風見は大きく伸びをしてから、庁舎を出た。
スーツが若干よれているので直す。
向かうはいつもの牛丼屋だ。
霞ヶ関の格安牛丼屋なんて客はみんな目が死んでいるものだ。
ゾンビの群れと言った方が正しい。
風見の姿はそこに迷彩のように馴染むことだろう。
道を歩くと、高い太陽の日差しが容赦なく風見の目を焼いた。
ジュッて浄化されそう。布団に篭ってマギ⭐︎マリの配信聞きたい。
そんなふうにフラフラしていると、不意に目の前に道を塞ぐように佇む人間が現れた。
「そこのあなた」
「?」
長い黒髪の女子高生だ。
どこか妖艶な色のようなものを纏った、陰鬱な気配のする女子高生だった。
制服だが、制服だけでどこの高校か判別できるほど知識はない。
女子高生はずい、と風見の顔を覗き込んだ。
「アイドルストラップ、持ってるわよね。見せなさい」
「お、おお……」
「早く」
親父狩りの亜種だろうか。
謎の勢いに狼狽えながら、特に抵抗する理由はなかったのでストラップを取り出した。
量産品で、マギ⭐︎マリのマークが印刷してあるだけの代物だ。
女子高生はストラップをまじまじと見て目を見開いた。
「やはり。なぜ聖マーリンの導きの護符がこんな形で」
「その……もういいだろうか」
「あの方が積極的に動いているということは、また歴史の転換点が迫っているというの?」
何やらよくわからないことを言って、女子高生は顔を上げた。
「あなた、大切になさい。それほどの聖具を一般人が手に入れられる機会、他に無くてよ」
「おお……」
そのまま質問する暇もなく女子高生は颯爽と反対側へと歩いていってしまった。
遅めの厨二病ってやつだろうか。
マーリン、という単語は少し気になるところではあるが。
まあ、偶然だろうと風見は思い直した。
月影島にて。
第二の殺人が起きたのはすぐのことであった。
私がじろっと見ているのは降谷くんたちのことだ。
殺人事件なんて悲しいものに巻き込まれながら、降谷くん達はかえってイキイキとしているようだった。
「コナン君、譜面の暗号は解けたかい?」
「うん。やっぱり12年前の事件に関わってきてるみたい」
「当時の状況を掘りたいが、あの駐在さんだからなぁ」
「安室さん調べてきてよ。僕が言っても門前払いだし」
「仕方ないな、みんな何故姿形が子供なだけで侮るんだろう。不便極まりないよ」
「安室さんみたいな人は少数派だと思うよ」
降谷くんが仕方なさそうにトボトボ駐在さんの元へと向かう。
なんとか駐在さんを転がして当時の情報を引き出さねばならないのが面倒なのだろう。
おとぼけ駐在さんは「むむう」と思い悩んだ様子を見せたようだった。
「十二年前の記録といわれてものぉ、ただの自殺だし碌な記録は残っとらんよ。残ったのは耐火金庫一つだけじゃし」
「中に何が入ってたんですか?」
「妙な楽譜が少しの。今は公民館の倉庫にしまってあったんだか、どうだったか」
「!!それ、見せていただけませんか!」
「うーん、鍵をどこにやったか……探してくるから少し待っておれ」
「僕も一緒にさがさせてください」
どうやら鍵を駐在さんに探させたらいつまでかかるかわからないと踏んだらしい。
たしかに、派出所の中はごちゃごちゃで整理されてなかったからな。
派出所まで戻り、ごそごそと中を探し始める。
しかし書類で荒れ果てているようだ。
15分ほどしても見つかる気配はがない。
降谷くんが笑顔を崩さないままイラつきだした。
『マーリン、頼む』
『どれがどれかはわからないけど、それっぽい鍵がその書類の山の下に埋もれてるよ』
降谷くんが「これ、違いますか?」と声をかけると、「おお!それじゃ!」と喜声を上げた。
まったり駐在さんで大変よろしい。
公民館へ戻る道すがら、降谷くんが私に話しかけてきた。
『そろそろコナンくんの正体はわかったか?』
『そうだね。分析の結果、なんらかの魔術儀式の核になってしまった人間、という感じの結果が出たよ』
『魔術儀式?』
問い返す降谷くんに、わたしはううんと脳内で言葉をまとめた。
前提として、この世界には本来型月的な魔術は存在しない。
私自身が異物として、理を曲げて行使しているのみだ。
本来この世界に根付くのは魔法と呼ばれる別の神秘体系である。
そして、彼の身に起きたのは、型月的な魔術と現地の魔術の融合と言っていい。
この世界の歪みを正すための力の放出口だ。
大規模な時空異常によって「歪みを正すため現在を停滞させる」魔術機構。
それが彼である。
降谷くんが難しい顔をした。
『つまり?』
『今までの負債を返すため、今後一年が何十年も続く感じになる』
『とんでもないな。社会的混乱がおこるということか』
『いや、それは大丈夫。理論は省くけど人類はそれに気付かないからね』
『余計にとんでもないな』
降谷くんは困った顔をしたようだった。
『下手に解決しようとすれば、負債がそのままになる、という解釈でいいか』
『ああ。これは地震と一緒で不可避の事象だ。溜め込んだエネルギーを放出するだけのもの。止めることはできない』
彼が核なのは、ちょうどいいタイミングで時間にまつわるイベントを体現してしまったからだろう。
あと彼自身の生まれ、魂がこの世界と密接に関係していたか。
『絶対に彼を死なせないようにしないとね』
『死なせる気はないが、コナンくんが死ぬとどうなるんだ』
『溜め込んだ負債が暴発する』
『碌でもない響きだ。精進しよう』
まあ、その間に第三の事件の解決からだ。
千里眼の視線の先では、公民館では三人目の犠牲者が出ようとしていた。
・楽園より眠れぬ夜のあなたへ
半分ぐらいは脳内ナザレの人が喋ってる、週に一度のお悩み相談番組。
実質救世主チャンネル。
マーリンが言葉に詰まるので見かねたナザレの人がフォローに入ってくれた。
専門家しゅごい……。
・怪異について
コナンが死ぬと怪異が噴出、それを防ぐためマーリンが人類悪夢想してデッドエンド。
そうで無くとも一応野生の怪異はいて、ホラー事象を引き起こしてる。
あの世も幽霊も妖怪もいるが、型月のそれではない。