夜。
月影島に、火の手が轟々と燃え盛っている。
三人を殺害せしめた凶悪犯は、炎の中に命を終えようとしていた。
結局降谷達は後手後手に回ってしまった。
犯人がよくやったとも言えるだろう。
殺人事件ということで警察官も少なく無い数、本土から渡ってきていたのだが。
その合間を縫って犯人は三人もの人間を殺害せしめた。
杜撰なところもあったが、きちんとトリックも仕掛けられていた。
非業の死を遂げた父の仇を取ってのけたその復讐心に、降谷は敬意を表してもいたのだ。
既に事件の背景はわかっている。
父の海外公演を麻薬取引に使われていたこと。
それに抵抗した結果、一家殺害の憂き目にあったこと。
体が弱く本土の病院に入院していた息子の彼、麻生成実だけは助かったこと。
それで麻生成実は復讐を誓ったのだ。
その恨みは降谷にも覚えがあるものだが、きっと倫理観は降谷よりずっと上だろう。
だって彼は自分を止めてくれる人を探していた。
探偵事務所に来た依頼文は彼が出したんだろうし、どうか自分の凶行を止めてくれと想いも込めていた。
降谷はもっとずっとシンプルに殺してやろうと思っていた。
己の信頼を裏切った赤井秀一を。
降谷がパチパチとここまで伝わってくる熱気に髪をかき上げた、そのとき。
炎に向かってひた走る影を見つけて驚愕した。
江戸川コナンだ。
「何を馬鹿な!?君が死ぬぞ!」
慌てて後を追おうとしたが、入り口の柱が壊れて倒れ、道が塞がってしまった。
運命が彼を中に招き入れようとしているかのようだった。
だが彼の命には彼だけのものでは無い理由がある。
『マーリン!』
『大丈夫、彼には耐火耐熱と呼吸路の確保もしてある。いざとなったら魔術で強制脱出もさせられるよ』
『っ……』
そうじゃない、と言いかけて降谷は口を噤んだ。
連れ戻して欲しかったのに、マーリンは彼を行かせたいらしい。
復讐者の自殺なんて子供に付き合わせるものでは無い。
まっすぐな彼は燃え尽きて空っぽになった犯罪者にも手を差し伸べるだろう。
でもそれはもう死体とすら呼べるものであって、誰であろうと救うことはできないからだ。
『君なら彼を止めることもできただろう。無意な苦悩になるのに、なぜ彼を向かわせた?』
『…………』
マーリンはしばしの沈黙を挟み、ゆったりと口を開いた。
『君に嫌われることを覚悟で告白するよ』
『……それは』
『私は、より多くが報われる世界をこそ尊ぶ。彼の苦悩と成長は歪みの放出口を安定させ、世界の安定に役立つんだ』
「ベンサムの言う最大多数の最大幸福かな」とマーリンは少しだけ自嘲した。
マーリンの剪定は恣意的だ。
第一次・第二次世界大戦とかいうものの剪定が一番代表的だろう。
彼の剪定により、大戦による多くの死者が無かったことになったという。
しかし同時に、両大戦がなくなったことで戦争特需が消えた。
その上革命が中途半端になって国が割れたロシアや、その煽りを受けたスウェーデン。
本来のチェコスロバキアもオーストリア=ハンガリー帝国の傘下で、あったはずの工業化を受けられず低迷を続けているらしい。
つまり、それは新たに生まれた多くの不幸と密接に結びついているのだ。
マーリンのそれはまさに剪定だ。
形の悪い枝を切り、主観に基づいて見栄えを良くする活動に他ならない。
降谷は厳しい声を出した。
『例えば、日本が切り捨てられることもあると言うことか』
『そうだね。それで、世界がより美しくなるのであれば』
『………』
降谷は黙って燃え上がる公民館を見上げた。
天の業火は、やはり無慈悲に地上を焼き続けているようだった。
降谷くんを突き放すように言葉を吐き出せば、脳内ナザレの親友がまたぶつぶつと言い出した。
「だからね、1匹の迷える羊がいたとして、羊飼いは99匹を置いてでも救いに行くの!少数を数字にするのは危険だよ!」とかなんとか。
マタイによる福音書18章12節か。
相変わらず脳内ナザレの親友の再現度が高い。
親友がポコポコ怒っているのをBGMに、私は燃え盛る公民館を見守った。
しばらくして。
窓ガラスが派手に割れ、コナンくんが投げ出された。
ガラスで怪我をしたらかわいそうなので保護の魔術は忘れない。
落下の衝撃も最小限にしておいたから、無傷で立ち上がることができたようだ。
安室は慌ててその体を抱き起こし、蘭ちゃんが駆け寄ってくる。
ピアノの旋律が中から響いている。
不協和音だ。楽器は嗜んでないから、暗号メッセージもなんと言っているか私ではわからない。
降谷くんが憂鬱そうに目を細めた。
『「ありがとな、小さな探偵さん」か。コナンくんをいじめるのはこれきりにしてもらいたいものだな』
『彼の運命が、これで終わるはずがないなぁ』
『人でなしめ』
降谷くんに吐き捨てられてしまった。
と、そのあたりでチーンと音が鳴り響く。
どうやら塔に設置してあるオーブンが完了を知らせたらしい。
りんごパイが焼けたようだ。
甘くいい匂いが漂ってきている。
慌ててキッチンに向かい、中からりんごパイのトレイを取り出す。
私には味はよくわからないが、問題なさそうである。
諸伏くんがひょいとキッチンを覗いて瞬いた。
「なあ、何作ってるんだ………いや料理じゃんマーリン料理じゃん」
「マーリン料理って、名前つけないでくれるかい?僕もレシピ見て作ればまともにできるよ」
「でもあの時の芸術的塩ペーストはいったい」
「あれはね、まあ多少はね」
私は言葉を濁した。
料理はずっとやっていなかったが、私とて錬金術や薬剤調合は嗜む身だ。
レシピ通りに作れば問題ない、はずである。
一個どうぞ、と皿に乗せて出来立てをお裾分け。
諸伏くんは「人間が食べていいやつ?」とやや恐怖を含んだ顔で身を引いた。
「大丈夫。子供が健康に生まれてくる効果があるだけだから」
「気が早い。相手もいないのに…まぁいいか。あっつ。はふ。あ、美味しい!」
「よかった。魔術を組み込むとどうしても味がレシピから変わるんだよね」
レシピ通りに作ればなんの問題もない、のはさっき言った通り。
だがそれじゃ楽園のりんごが勿体無いので、魔術で効果を最大限引き出すことにしたわけで。
そうすると余分な手順を付け加えざるを得ない。
すると味が変わるのは必然というわけで。
私ではどこまで味が変わったか判断がつかないから、そうなると諸伏くんか降谷くんに見てもらうしか他にない。
諸伏くんがくしゃくしゃの顔で嫌そうにした。
「なんだそのロシアンルーレット。よくないぞそういうの」
「まあまあ。今回は美味しかったろう?」
「次回は保証しないの地雷すぎる。ゼロにも情報共有しとこ」
言いつけられてしまうらしい。
私がしょぼんとしていると、静かに諸伏くんが皿を料理台の上に置いた。
「……なあ、さっきの話。マーリンが功利主義って話だけど」
「聞いてたんだ」
諸伏くんは頷いた。
今のところ、諸伏くんには農作業を手伝ってもらいつつ、自由に過ごしてもらっている。
どうも上には「聖マーリンの指示に従え」と言われているらしく。
書庫を解放したりして、今は日本の歴史の記録を読み漁っていることが多いようだ。
一つの国だけでも莫大な量の本があるからな、私の書庫は。
その書庫からこっそり出てきていたのだろう。
先ほどの会話を盗み聞きしていたのだ。
「マーリンはどうして人間の歴史に干渉しようと思ったんだ?」
「……悲しいことは、少ない方がいいだろう?見ていてとても痛いんだ。私には見えてしまうから」
初めはそんな思いで手を差し伸べていた。
悲しいから。辛いから。そんな気持ちで人を救い始めた。
だが差し伸べれば差し伸べるほど、全てを救うのが不可能だと気づくことになる。
なるほど、エミヤを笑えない。
1を救う行為は気付けば1を切り捨てる行為に変わってしまっていると言うわけだ。
脳内ナザレの親友がまた怒り出したのでミュートにしておく。
あっ脳内で光出した!眩しい眩しい眩しい!!
仕方ないのでミュートを解除する。
「でも、そんなふうに苦しんでまで続けるのはなんでだ」
「目が痛いから。あらゆる悲しみが目に飛び込んで、痛くて痛くて仕方がない。人だって、痛い時は鎮痛薬を飲むだろう?」
千里眼は現実がよく見える。
悲劇、絶望、慟哭、それらがつぶさによく見える。
どんなに頑張っても消えないそれらの悲鳴が、目にこびりついている。
諸伏くんがううむと困ったように腕を組んだ。
「たしかになぁ、でも全世界の人間を全て幸せにするなんてできっこないし」
「いや、出来ないわけではないんだけどね。結果として人類が滅びるからしないだけで」
「えっ」
あれだ、いわゆる無限月詠だ。
夢魔の力を魔術で後押しして、人類全てを永劫に幸せな夢へと閉じ込める大秘術。
昔、自暴自棄になった時に一回やってやろうと思った時期もあったんだよ。
すごい勢いでツノが生えてきたのでやめたけど。
脳内ナザレの親友もめちゃくちゃに説教してきたし。
「まあなんだ、見えすぎてもいいことないよって話さ」
「うーん、温かいおしぼりいる?目を温めるやつ」
「物理的に目が痛いわけじゃなくてね???」
すごくマイペースな諸伏くんは私を労って肩を叩いてくれた。
肩こりがあるわけでもなくてね。
「あーー、もうちょっと右。でも最近悩んではいるんだよ。私の介入が多すぎれば私が人類の支配者になっちゃうし、いい塩梅がね、わからない」
「助けられた側としては支配者に異論無いけど、そうだなぁ、支配者がダメなら権力者養成講座とか夢で開催すればどうだ?」
「なるほど、場当たり的対処でなく教育で自立させるのか。ありかも」
「うーん、でも支配者感増してそうだなそれ」
のんびり意見を出しつつ、私はポンとハーブティーを出現させた。
「相談に乗ってくれたお礼のハーブティーをどうぞ。頭脳の回転が良くなるぞう!」
「おっ、助かる。全然本が頭に入ってこなかったんだよな」
まったり日々を過ごすこと2500年。
まだ答えは出ないわけだが、悩むことに意義はあるだろう。
少なくともナザレの親友はそう言っているし、悩み工夫することはやめないでおく。
・楽園りんごパイ
子と母体の健康を保証する神秘のパイ。
子は賢く、強く、優秀に生まれてくるだろう。
支配者垂涎の品。
後ほど降谷も食べた。好評だった。
・マーリンの目の痛み
心の痛み。
悲しんでいる人を放って置けない、普通の人だからこその共感性。
なまじ目がいいから苦しみ、ナザレの人に心配されてる。