此度で8回目の来訪となる。
夢幻の園たるアヴァロンの塔にある寝室で、降谷は大きなため息をついた。
「……本当に夢なんですね、これ」
「だから言っているじゃないか。これは君の夢。うたかたのひと時だと」
穏やかな声でマーリンが微笑む。
降谷零は納得できるようなできないような心地で、むっつりと黙り込んだ。
あれから。
降谷があの不可思議な夢から覚めると、そこは常と変わらない空っぽのセーフティーハウスのベッドだった。
もう最初の邂逅から1週間が経っている。
その間に、降谷は出来る限りの調査を行った。
セーフティーハウスの移動、監視カメラ・盗聴器の設置、追跡者の有無の確認。
なにせ己は潜入捜査官だ。
万が一アレが第三者による誘拐であったなら、とても看過できるものではない大問題なのだ。
そもそも現実逃避して眠りに落ちるなど言語道断。
公安失格の大失態だ。
降谷は躍起になって調査をした。
だが、調査の結果はまったくのシロ。
カメラには疲れきって仮眠をとる己しか映されていなかったし、不審な人物など影すらなかった。
それでも夜毎に夢は続いた。
見渡す限りの花畑。宙に浮かぶ白亜の塔。そこに住まう不思議な青年。
毎晩同じに続く夢。
早いもので、この夢に来るのも今日で8回目になる。
いい加減、降谷もこれがただの己が見る夢だと納得するしかなかった。
降谷はため息をついて木製のアンティークな紋様の彫られた椅子に背を預けた。
これらは全てマーリンの手作りなのだとか。
優美な背もたれに少しだけ手で触れて、降谷は眉を顰めた。
「これが夢、か。僕が見る夢は悪夢ばかりだったんですがね」
「夢の中でまで苦しむ必要なんてないだろう?どうせなら幸せな夢を見て次の活力に繋げた方が合理的なんじゃないかい」
「なるほど、そう言われればそうかも知れませんね」
「君の底力が次への回復のために穏やかな夢を見せてるんだよ」
「だとしたら僕も呆れるほど仕事人間だ。確かに、睡眠の質が上がって大変助かりましたけど」
己の夢と言うだけあり、この青年は降谷のことをなんでも知っているようだった。
名乗った覚えのない本名も、組織での役回りも、さっきセーフティーハウスで食べた夕飯の献立も。
プライバシーもなにもあったものじゃない。
もちろん、これは夢なのだから青年も己の脳が作り出した幻像だ。
すなわち己自身とそう大差ない存在である。
降谷は美しい蝶の彫刻があしらわれたティーテーブルに紅茶のカップを手に持ち、暖かなハーブティーを飲んだ。
まるで通常空間のように飲み食いができるが、腹は膨れない。
ただ穏やかな満足感だけが胸を満たす。
ハーブティーの熱が胸に満ち、降谷はほうと息をついた。
「それにしても美しい場所ですね、ここは」
ヨーロッパ風の優雅な内装がされた塔の内部には大きな大きな窓が開けている。
そこから眼下に広がる広大な花畑を一望できるようになっているようだ。
風と共にほのかに香る花の匂いは心を安らげるし、優しい日差しは暖かくうららかだ。
マーリンが杖の1振りで出したティーセットとともにこの絶景を楽しむのは、まさに最上級のひとときと言えた。
高望みを言えば、もう少し日本風だともっと嬉しいのだが。
マーリンがにっこりと口を開く。
「そのハーブティーは入眠作用があって、おだやかに寝れるんだ。時間もあるし、この後しばらく寝てくだろう?」
「もちろん。ベッド借ります。あの銀髪野郎のせいで今日も明け方の帰宅でしたから。あの辺は最近工事があって眠りが浅くなりやすい。助かりますよ」
「存分に。いつもの香を焚いておくよ」
「あのお香、本当になんの種類なんですか?専門店に行っても同じ匂いのものは見当たらないし、できれば現実でも使いたいんですけど」
「現実に同じのは無いかなぁ。私のオリジナルだし」
「残念です」
軽く言葉を交わして、降谷はするりと目を細めた。
この青年の名乗った「マーリン」という名の元は比較的初期に検討がついた。
広くヨーロッパ各地に伝承を持つ「マーリン伝説」の人物がそれだ。
一番大きな物語はアーサー王伝説だろう。
マーリンはそこに登場する魔術師にして賢者、不可思議な知識と予言、魔法を使う者として描かれている。
こうした伝承はガリア、地中海、アイルランド、北アフリカ等広い範囲で確認できる。
共通点として「不可思議な力を操る、白髪の魔法使い」というところだろうか。
興味深いのは聖書にもその姿が描かれている点だ。
一般に、マーリンはエリヤの再来として描かれる。
預言者エリヤは古代イスラエルの預言者だ。
それは主に先立って再来すると伝承があり、マーリンはそのエリヤと同一視されているのだ。
洗礼者ヨハネと並んで、賢者マーリンはエリヤとして聖書において言及されている。
他、彼の記載箇所は多岐に上る。
マーリンは救世主の友として、ゴルゴダの丘…すなわち救世主の処刑を予言する者として多くのページにその名前が現れるのだ。
降谷は改めて大きなため息をついた。
「僕、そんなにマーリン伝説に思い入れは無かったつもりでしたが」
「あれ? 私が自分語りに旅路のことを語ったときにきちんと話についてきていたじゃないか。てっきりよく知っているとばかり思っていたけれど」
「初めに貴方がマーリンと名乗りましたからね。調べるくらいはしますよ。知識の有無はそのまま命の有無に繋がりますから」
「流石は探り屋だ。優秀なんだね」
「イマジナリーフレンドに自分を褒めさせるのは流石に恥ずかしいです」
「ふふふ、空想と言えど褒められるというのは精神の健康に役立つものだ。聞くだけならタダなんだから聞き入れても損は無いよ?」
「考えておきますよ」
ゆったりと夢の中の時を過ごしながら、降谷は少しだけ息を抜いた。
そう、イマジナリーフレンドだ。
あくまでこれは自分の夢で、自分の夢想でしかない。
こうやって勝手に付き合いやすい、何も聞いてこない喋らなくてもなんでも理解してくれる相手を脳内で作って、勝手に独り言をくっちゃべっているのだ。
普通こういうのは女だろ、と降谷は苦笑いした。
嫌な思い出が重なりすぎて、相談相手は麗しい乙女でなく、若い青年として作り上げられてしまったらしい。
つくづく自分が嫌になる。
降谷は空のティーカップを置いてベッドルームへと向かった。
ここで睡眠を取ると決めてから、彼が杖の一振りで作り上げた新しい空間だ。
木製の扉を開けるとこじんまりとした部屋が現れて、そこは和室だったり洋室だったり降谷の気分次第で変わる。
柔らかく香が立ち込め、大きく開けた窓からは夜の花畑が淡い燐光を浮かべている。
初めは狙撃を考えると落ち着かなくてカーテンを閉めていたが、今は開けっぱなしだ。
こんなところで狙撃なんてあるわけないし、なんとなく心が豊かになる。
今日は洋室だ。
ベッドで横になって、少し寒いくらいに設定してある温度の中で布団にくるまる。
ここが心地よければ心地よいほど、現実を思えば心が暗くなる。
ああ、いやだ。
口八丁で半グレのまだ若い子供を騙して破滅させることも。
薬の仲介を引き受けて素知らぬ顔で税関を通り抜けることも。
引きずる死体の入った袋の重さも非合法の拳銃の手入れも汚い談合もなにもかも。
松田は、あんなふうに大勢の人を守って死んだのに。
自分は一体何をしているのだろう。
鬱々とした心がとろとろと、なんだか曖昧に眠りの中へと落ちていく。
こんなに暗い思考に囚われていては眠りさえままならないはずなのに。
ただ穏やかにとろんと思考が曖昧になる。
よく寝れそうだ。
ここが楽園だから、きっと己も許されているのだろう。
そう思い込みたいだけなのだろうと。
瞼を無理やり閉じたのだった。
意外にも青年とは話が弾んで、私はウキウキになっていた。
というか、この青年は潜入捜査官らしい。
最初は探偵とか言っていたが、私が千里眼で見ればなにやら大スパイ活劇をしていたからわかったことだ。
まるで小説みたいでワクワクが止まらない。
それに、私の深いところにまるで立ち入らないのもプラスポイント。
非常に居心地がよく距離感が置かれ、私もマーリンの真似に専念できた。
私は非常に内弁慶というか、コミュ障拗らせてるタイプの人間だからな。
陽キャみたいに気軽に話しかけてこられると混乱してテンパってしまう。
ちょうどマーリンエミュできる程度の節度を保って話してもらえて、私はワクワクのウホウホである。
その心は猿並みという意味で。
青年はどうも大元は多弁な方ではないらしく、会話が途切れることもよくあった。
だが私がリラックスできる空間を提供しているからか、無言でこの世界へのリピーターとなり、ただ起きがけに多少会話することを繰り返している。
私もただ本を読んだり千里眼で現実世界の出来事を鑑賞したりと忙しいからな。
同居人としてまさにベストフィットである。
これは革命ではなかろうかと思うほどだ。
この関係を円滑化するためにも、私は苦労は惜しまない。
魔術で眠りが穏やかに健康になる成分を調合して香にしたてたり、食べると体の修復や体調の改善に役立つ一口大福を作ったり。
お疲れの青年に役立つようにせっせと働いている。
どうも潜入捜査官とは大変な仕事らしいからな。
見ていたらそれはもうハリウッド映画さながら大活劇だった。
手に汗握る波乱万丈の連続に、私もついここのところはこの青年の動向ばかり見てしまっている。
爆弾のカウントダウンの中監禁場所から脱出とか正気じゃないんだよなぁ。
寝室は完全防音なのだが、なんとなく気になってそぉーっと物音を立てないように二階に上がる。
そこには書庫がある。
世界中から蒐集した本だ。
昔から王侯貴族と知り合うと本を対価としてもらっていたからな。
その他石板の写しとか、当時の人の聞き取り資料とか、私自身の旅の日記とか。
ここには結構な量の本があるが、魔術で空間を拡張しているので特に不便はしていない。
私がここに来たのは、現世で作れるハーブティーを調べるためだ。
私の魔術に頼らず現実に流通してる材料で、となると結構難しい。
精神に良いハーブティーは…自分で作れるやつ……これか。
うーん、原材料が入手困難。
なら代替案は、と。
ほんと見比べながらメモを整理する。
久しぶりの友人のため、私は心を弾ませながら笑顔を作ったのだった。
・エリヤの再来、賢者マーリン
イエスはおっしゃられた。
「あなたは私が何者か知っているのですか」
賢者は強く頷いた。
「もちろん。いずれ、多くの人にとって救いとなる方です」
「あなたにとっては?」
賢者は答えなかった。
────対話篇『旅人と主の対話』より