しばらく経って、だいぶ安室も生活に慣れてきたらしい。
朝、傷に響かない程度に軽く運動やストレッチをして。
蘭と一緒にキッチンに立つ。
朝は蘭が担当なことが多いが、夕方は部活の蘭のために降谷がご飯を作っている。
昼は小五郎と共に探偵業に従事しているようだ。
家族同然、と言っていい。
彼自身明るく、よく屈託なく笑うようになった。
犯人も捕まったそうだ。
目暮警部が連絡に来て、安室とコナンに進捗を説明した。
彼らの表情は固く、あの警察官ばかりの場で被害者を出してしまったことを重く見ているのだろう。
目暮警部が重苦しい声を出した。
「記憶は戻りましたか」
「いえ、残念ながら僕はまだ何も。ですがよくしていただいています」
「そうでしたか」
コナンがひょいと頭を出して問いかけた。
「犯人の動機はなんだったの」
「どうも別件で殺人を犯していたらしくてな。その捜査にあたっている警官を殺してまわっていたそうだ」
「最悪の輩だ。早く捕まって良かった」
降谷の言葉に目暮警部の顔が少しだけ穏やかになった。
「なんにせよ僕が気付いたことがあればまた連絡します。コナン君が既に詳しい情報をお話ししているかとは思いますが」
「ええ、ご協力感謝します、安室さん」
佐藤刑事が深々と頭を下げた。
自分が護衛を断ったせいで、とその顔は暗い。
取り調べの結果、犯人の狙いはやはり佐藤刑事だったことがわかっている。
護衛がいればもっと迅速に対応できた、と佐藤刑事は俯いていた。
彼らが去った後、蘭はふわりと笑ってコナンに話しかけた。
「良かったね、コナン君。犯人捕まったって」
「そうだね。安室さんもお疲れ様」
「日本警察も優秀じゃないか。喉が渇いたな……紅茶を淹れるけど、二人ともいる?」
「ありがと!」
「あ、俺の分も頼む!」
毛利探偵の言葉に「はーい毛利先生」と安室は優しい声を出した。
その様子は実に馴染んでいて、安室も幸せそうだった。
平穏そのものの毎日も、長くは続かない。
安室が頭痛を訴えるようになって三日。
今日は病院で一度検査に行く予定になっている。
今日は学校だから、コナンがそれに同行することはできない。
コナンは洗い物をする安室に声をかけた。
「まだ夢は見るの?」
「相変わらずな。失った記憶に関係すると思うんだが、君は心当たりないんだよな」
「うん、ごめんね安室さん」
「仕方ないさ。でももう少しで思い出せそうなんだ。あとちょっと、あとちょっとで手が届く」
どこか浮ついた声色の端に狂気を見たような、見ていないような。
これ以上聞きたくなくて、「行ってきます」と言ってコナンは家を後にした。
登下校はいつものメンツだ。
わいわい騒ぐ少年探偵団から一歩引いたところで、灰原がジトリとコナンを見た。
「工藤くん、あなた今バーボンを引き取ってるって聞いたわよ」
「ああ、毛利のおっちゃんたちの発案で、俺にはどうしようもねーよ」
「そう……」
何かいいたげな様子はコナンもよくわかる。
安室の記憶喪失について灰原に伝えなかったから、彼女が言いたいことがあるのも当然だ。
だが伝えたところでどうにもならないのは理解している。
ぼんやりとした甘く苦い沈黙が静かに場に満ちる。
ぽつり、と灰原は目を伏せて言葉を落とした。
「あの男に愛も慈悲も無いわ。醜悪な自尊心と、人を見下す虚栄心だけ。手を差し伸べても後悔するだけよ」
「あの人の真実はそれだけじゃ無い。それだけの人が、子供を庇って重傷を負ったりしねーだろ?」
「さあ、バーボンの意図は私にはわからないけど」
愛おしげに前を歩く少年探偵団の子供達を見て、それでもなお止まぬ怨念の色を瞳に宿して。
灰原は目を細めた。
「今でも諦めてないわよ。あの男を殺すのを。この手で息の根を止めてやるって、そう思ってる」
「…………」
「工藤君。誰もがあなたのように清廉には生きられない。分かってくれとは言わないわ」
「………灰原」
細く長い息を吐いて、灰原は辛そうに眉間に皺を寄せた。
「貴方は星よ。遠くキラキラ輝くお星様。沼底で汚泥と共に生きる者には眩すぎる」
「そんなんじゃねーよ。灰原も、自分を卑下しすぎんな」
「どうかしらね。少なくとも、敵にまで手を差し呼べようとする貴方は誰もが認める聖人だわ。私はまだ、この恨みを捨てられそうにないから」
まだ灰原に彼の狂気も正義感も伝えていない。
伝えたところであまりに救いがなさすぎるから、ずっとコナンは伝えることを躊躇っていた。
姉が殺されたのは狂気に冒された幼馴染のせいで、そこにあるのは悲劇の連鎖だけだった。
そんなの灰原のせいではないのに、悲劇だけが灰原に襲いかかる。
恨む相手がいないのは、あるいは恨み続けるよりずっと苦しいことだろう。
無理やりに恨み続けてもいずれは自家中毒を起こし、その理論は脆く儚く崩れ去る。
コナンは黙ったままただ歩いた。
まだ何かを進展させることは、出来そうになかったから。
夕方。
コナンは小学校に通っているが故、帰りは高校生である蘭よりも随分早い。
赤く赤く血のように広がる夕日が街を染め上げる中、コナンは二階の探偵事務所に向かった。
小五郎はコンビニにでも行っているのかいないようだ。
扉を開けると、ただ安室だけ後ぼんやりと探偵事務所に差し込む夕日を見て、一人でつぶやいていた。
「すまないマーリン、思い出すのが遅くなった」
「先ほど取り急ぎ組織には連絡したが、任務はベルモットが肩代わりしてくれていたようだ。この借りは高くつきそうだ」
「ヒロはどうしてる?明美さんは?」
「………そうか。迷惑をかけてしまったみたいだな」
「僕は問題ない。全て思い出した」
一瞬、ひゅっと息が漏れた。
コナンの声に反応して、安室はバッと振り返った。
そしてはあ、とため息を漏らして首を振る。
「訂正だ。本調子ではなさそうだ。こんな単純な接近に気づかないなんて」
「安室、さん?」
「ごめんよコナン君、こんなに長く迷惑をかけて。記憶を失った僕の面倒を見てくれてありがとう」
屈託なく笑う彼を知っている身からすれば、今までの安室の笑顔のおかしさが良くわかる。
まるで仮面のようだ。
付け替えできる薄っぺらなシートのように、笑顔というサインが張り付いている。
安室は己の腹を撫でて薄っぺらに笑った。
「しかし、とんでもない凶悪犯だったね。子供の君に三発も銃弾ぶち込んでくるとか。捕まってよかったよ」
「……安室さんが護ってくれたおかげだよ」
「アヴァロンはあくまで最後の手段だからね。他に命が救える手段があるならそれに越したことはない」
どろりと狂気と正気が交差して瞳の中で入り混じる。
コナンを間違いなく守りたいと願っている。
その上で、この人は万が一『救う』しか道はないと思ったなら、コナンを残酷に殺して見せるだろう。
「ねえ安室さん」
「なんだい」
「記憶喪失の間、楽しかった?」
安室は沈黙した。
そしてどこか遠い理想郷を見るような目で、淡く笑んで見せた。
「楽しかったよ。記憶喪失も悪くないもんだって思う程度には」
「そっか」
それが心からの本音であることが、コナンにとって唯一の救いだった。
『マーリン。僕はもうダメだ。完全にコナン君に悲しき狂人だと思われた。骨は拾ってくれ』
『安心して、元からだよ』
『僕にとどめ刺して楽しいか?薄情者め。こちらにはタイマンの用意があるぞ』
『だから私はタイマン苦手だってば』
『というか夢で必死に僕のこと揺さぶってたのヒロじゃないか。夢の僕どうなってたんだ?』
『接続不良で意識が半分飛んでたんだ。だから夢を通じて私が君の脳に干渉して記憶を戻した。その間何とか意識を戻そうと揺さぶってたのが諸伏君さ』
『そうか……あーー、毛利一家暖かかったな。僕もう安室やめて毛利になる』
『よしよし。諸伏君が心配してるから今夜会ってあげてくれ』
『言われずとも。あーーー。一人暮らしやだ。組織の仕事やだ。僕が毛利探偵事務所継ぐんだ。あーーー』
『哀れな生き物になってしまった……』
・諸伏さんの叫び
ゼロ!!!!
なんか高校時代のゼロをもっとピュアに浄化した完全ピュアピュアゼロって感じだったな!!!
小学生の時分の正義感を残しつつ幸せに過ごした捻くれてないゼロはすごく良かったぞ!!!
たぶん今よりも人格できてると思う!!
・降谷さんのコメント
どうして病み上がりでこんな辱めを受けるのか。