油断はしていたのだろう。
自分だけではないからきっと大丈夫だ、憎らしいほど優秀な男が居るのだから問題ないと。
降谷は走り、走り、直走り。
ビルの屋上で、当たり前のように事切れた親友の遺体を見た。
血飛沫に濡れた黒い長髪にニット帽。
拳銃を無造作にしまい、ライは肩をすくめた。
「裏切りには制裁を、だったよな」
「……………おまえ」
降谷は目を見開いて、死体と男を交互に見て、それから遅れて事態を理解した。
拳が出なかったのは奇跡だった。
もう、もうもうもう掴んでいるんだぞこっちはお前の本当の所属もその証拠もそれで黙っていたんだぞ分かっているのか。
分かっているのか。分かって、本当に、なぜ。
半年もかければ流石にボロも出る。
FBIと接触している写真は撮影済みだ。
これ一つでジンを使ってあの世送りにできるが、降谷はそうはしなかった。
利用価値があったし、なにより共に組織壊滅を目指すものだから。
上に報告はしたが、それだけで泳がせた。
奴は優秀だったから、それだけ己の本懐を果たす時間も短くなると思っただけだ。
失敗だった。浅慮だった。愚かだった。
浅い呼吸を精一杯取り繕う余裕もない。
ライは降谷の横を通り抜け気軽な調子で非常階段を降りていった。
「すまないが誤ってスマホを撃ち抜いた。調査はそちらの得意分野だろう。適当にやれ」
「…………」
過ぎた憎悪に、手が銃まで伸びそうになった。
奴が諸伏景光を殺した理由は簡単だ。NOCの始末は、それだけ出世と連動する。
正体がバレたような使えない捜査官を踏み台に、より深部に潜る。
効率的なやり方だろう。
ああ。ああ。
今はダメだ。今ライを殺すのはダメだ。タイミングが悪い。
もっと、もっと自分の手柄になる状況を見極めねばならない。
降谷はまだ暖かい諸伏景光の体に触れた。
今から病院、無理だ。もう死んでる。心臓に銃弾がめり込んで生きてるはずがない。
血を、そうじしなきゃ。
弾痕も。死体はひみつりに処分して。
そしきに報告して。
ヒロ。
そこから先は、曖昧で覚えていない。
気付けば、降谷は崩れ落ちるように花畑に膝を突いていた。
震える両手を恐々と見やる。
その手にはまだ彼の体温、彼の血液、彼の名残が残っているように思えて、吐き気が波濤のように襲ってくる。
スコッチの死体を処理したのは自分なのに、バーボンである自分は思い出のライター一つ残さず無慈悲に全てを焼却炉に投げ捨てた。
だって、裏切り者であるスコッチにかける情けなんてバーボンには無いのだから。
そう思い込んでいないと精神がもたなかったから。
臓物に泥でも溜まっているような気がする。
重く臓腑をかき混ぜて、胃と腸をボロボロと溶かしていく。
肺には溶岩が垂れこめていてたまらなく熱い。
吐息とともにそれらは流れ出て、脳髄を延焼させていく。
なぜ、どうして、奴ならば、なんで、できたはずなのに。
いったいなにが、憎い、もう会えない、憎い、憎い、憎い。
もうこのアヴァロンは見慣れたもののはずなのに、今日はとても遠く感じる。
穏やかな空気も美しい花々も、自分には遠く馴染みないもののように感じられた。
そして己の夢の産物であるはずのここが、未だに楽園の形をとっていると言うことが酷く予想外だった。
こんなことがあったのだ。
もう花は枯れ落ち、白亜の塔は崩壊し、煉獄の炎が焼け爛れた地面を這うだけの場所と化しているとばかり思っていたのに。
「やあ、フルヤ君」
後ろからかけられた声は聞きなれたものだった。
何もかもの気力を失い無言でいると、己の脳が作り出した幻の友人であるはずの彼はゆったりと言葉を続ける。
「こんなところでじっとしているのは良くない。ほら、塔の中に入ろう?私特製のハーブティーも用意してある」
「…………」
優しい言葉に、降谷はなにも答えなかった。
応えたところで何になる?
自問自答の慰めあいなど、バカらしいうえに益体もない。
現実の辛さに耐えられない人間が己の人格を分裂させるのと何一つ変わらないじゃないか。
ただの逃避で、ただの弱さ。
それでも、それなのに、降谷はぽろぽろと口から零れだす言葉を止めることはできなかった。
「友人が、死んだんです」
「殺されたんです」
「僕の、大切な、心の支えで、昔からずっと一緒で、」
「でも、死んでしまって」
「あいつのせいで」
「僕がわるかったのに」
「大切な時、いつも僕は間に合わなくて」
「あのライター、一緒に旅行行ったときに買ったんです」
「二つセットだと安いからって同じモノを2個も買って、あいつは何を考えてたんだか」
「片方やるよって言われて、恋人じゃないんだからオソロはないだろって笑いあって」
「それで」
「全部燃やしました」
「だって、バーボンにとってはただの裏切り者ですし」
「ほら、経歴に泥を塗られてほんと腹立たしいというか」
「だから全部処分したんです」
「友人の、大切な、思い出が、」
「………………」
「…………」
「……」
「あいつが憎い」
「憎いんです」
マーリンはただ黙って聞いていた。
同情もなく、非難もなく、ただ無機質に降谷を見つめている。
その姿に降谷は少しだけ救われた。
同情も何も、己には価値がないのだ。
もう過ぎ去ったものは戻らない。流れ出す感情に意味などない。
ならばそこに向ける第三者の意思など煩わしいだけだ。
「あいつが、あいつが全て悪い」
「恩知らず。クソ野郎。そんな裏切りがあるか」
「俺の友人を、ヒロを返せ…ッ!」
マーリンは降谷の発する吐瀉物のごとき言葉をただただ受け入れ続けた。
降谷によって花畑は踏み荒らされ、踏みつけられた花は茎が折れて痛々しい。
にじられた花びらが地面に擦りつけられて破れる。
塔も空も常と変わらぬ優しさと美しさで佇んでいて、己の持ち込んだ汚らわしい泥など意に介さないようだった。
五分だろうか、一時間だろうか、それとももっとか。
ただ思いを吐き出し続け、降谷は痛む喉を感じながら深く息を吐いた。
明日もまた組織の任務がある。
暗殺対象の情報収集だ。失敗は許されない。
裏切り者であるスコッチと共にいて見抜けなかったバーボンへの制裁の意味合いもある。
その難易度は万全を期さねばならないものだろう。
ここで吐き出すことができたのは僥倖だった。
こうして口にすれば、ここに思いを置いていくことができる。
足かせにしかならない私情を楽園に捨て、明日からも完璧にバーボンを演じ切る。
それができるのはここが楽園であり、その楽園に彼が居たからだ。
「……ありがとうございます、マーリン」
ぽつり、と降谷は顔を伏せたまま礼を言った。
唾を吐きかけられたに等しい状況だったのに、マーリンは穏やかに笑ったままだった。
降谷は、彼が己の想像上の人物であると言うことが酷く惜しい気持ちになった。
きっと良い友になれただろう。
彼の隣は心地が良い。彼は深入りせず、しかし存在から己を受け入れてくれる優しさに満ちている。
現実にいたなら、きっと降谷は頼りにし、交流を続け、穏やかな日常を経て、――そして失ってしまうのだ。
大切なものばかり失ってきた己にとって、現実の友は辛すぎる。
想像上の人間であるマーリンなら、降谷がその存在を失うことは絶対にありえない。
もう二度と失うことがない、永遠の隣人。
あまりの後ろめたさに、降谷は彼の顔を正面から見ることができなかった。
そのまま静かに時が流れていく。
彼は黙ったまま、空を見上げている。
「君とあってしばらく経つから、そろそろ君にお近づきの印をプレゼントしようと思うんだ」
なんでもない穏やさで、マーリンが口を開いた。
降谷は顔を伏せたまますこしだけ身じろぎした。
「私は人間じゃないから少しだけ迷ったんだけど、でも、できれば君に喜んでもらえる贈り物がしたい。この魔術師マーリンの贈り物が不格好でありきたりであってはいけないと、思ったんだ」
マーリンは常に持ち歩くあの不思議な装飾の施された杖を三度地面に打ちつけた。
環状に大量の花びらが舞い上がり、視界をふさぐ。
これまでにない量のそれはまるで竜巻のようで、パステルカラーの花びらたちは渦を巻いて空を埋め尽くす。
「な、これは…」
「どうか受け取ってほしい。この私が生み出す奇跡の一端を。2500年を生きた魔術師の研鑽を」
「何を言って……」
とん、と杖でもう一度地面をつく。
「――さあ、再会の時だ」
同時に、花弁の竜巻が破裂するように形を失った。
色とりどりの花たちはカーテンのように落ちていき、空は青さを取り戻す。
そのカーテンの向こうに見える、ぼんやりとした人影。
「え……?」
花が落ちる。
露わになった人影。
彼我の距離は3メートルもない。
目前に立つ人影は、降谷を見て笑っている。
屈託のないその笑顔はいつも降谷の心を支えていた。闇に浸かっていることを忘れさせるような、その邪気のない笑み。
無精ひげは生やしっぱなしで手入れが行き届いておらず、彼の齢を勘違いさせる。
整った顔立ちだが意外と親しみやすい性格をしており、少し内気で正義感が強くて、優しく穏やか。
音楽好きであり、学生時代はバンドの経験もあったらしい。
そんな彼が、降谷を見て笑っている。
「すまなかった、ゼロ」
「…っ、ぁ、……?」
声が出ない。
思考が停止して、今何が起こっているのかよく分からない。
諸伏景光が、降谷を見て満面の笑みを浮かべた。
「あっ、その、自殺したのは悪かった!本当に、敵だと誤解してあれしかないと思ったんだ!まさかゼロだなんて!」
「……、」
「なんかゼロがフリーズしてる?俺第一声を間違えたかな。マーリン、どう思う?」
「うーん、幻覚か偽物だと疑っているとかかな」
「あっ、そういう可能性もあったか!ゼロ、言っとくけど俺は本物だからな。警察学校で俺たちだけで風呂場洗わせられたの、まだ覚えてるし。ゼロは口が回ったから時間稼ぎ役で!」
「……、…」
「え、俺まだ疑われてるのか?えと、後何がいいかな……女医さんネタは擦られ過ぎて飽きてるだろうし。ライの妹ネタとか?」
「…………ヒロ……なのか……?」
絞り出すようにして答えた声に、あわあわと早口でまくし立てていた諸伏は表情を一変させた。
あの日あの時、いつものような万遍の笑み。
「そうだ! スコッチこと諸伏景光! 別人でも偽物でもない!」
「……っ、ぅ、ヒロ、ヒロ……!」
もう都合のいい夢でもなんでもよかった。
己の夢であるここに現れた彼は、きっとマーリンと同じく脳が作り出した幻覚に過ぎないのだろう。
イマジナリーフレンドと同じだ。
弱さが作り出した架空の人間で、本当に彼が生き返ったわけじゃない。
けれど、それがなんだというのだ。
彼と今言葉を交わし、再会を果たし、永遠の楽園で別れを否定する。
それは己にとってたしかに現実なのだ。
他人から見ればとか第三者から見ればとか、そんなものはどうでもいい。
だって彼がここにいるのだ。
降谷は恐る恐る手を伸ばした。
あの時のまま、黒い衣服に身を包んだ彼。
彼の肩に手を伸ばし、ぬくもりを確認する。
彼は温かくあのときのまま。
そして、そのまま降谷はスコッチを抱きしめた。強く、ともすれば締め付けるような勢いで。
「……ろ、ヒロ……っ、ヒロ、ぅう、ぁ、ヒロッ…………!!」
涙が止まらない。
あらゆる感情があふれて、どうなっているのか分からない。
いま自分は嬉しいのだろうか? 悲しいのだろうか?
ただ涙だけが瞳からとめどなくあふれて決壊してしまい、自分ではどうすることもできなかった。
慌てて諸伏は降谷の背中を撫でさすって心配そうに声をかけるが、それすらも涙を助長する。
生きてる、生きてる、生きてる!
夢が何だというのか。もうどうだっていいじゃないか。
途切れ途切れの息が苦しくて彼の名をきちんと呼べない。
それでも呼び続けるのは、なにかを確認したいからなのか。
「私は希望を謳う魔術師だからね。喜んでくれてくれてなによりさ」
魔術師のあまりに残酷な気遣いに、降谷は泣き笑いのままに涙を流したのだった。
・降谷零
もうこれが夢だっていい。
手に感じる柔らかな暖かさは、自分にとって本物なのだから。
というか不法滞在外国人なんぞ適当に牢にぶち込んで拷問しとくべきだった。
・マーリン主
夢じゃなくて本物だから病まないで!?
ただ本人をアヴァロンに連れ込んで幻を現実に出しておいただけだよ!!!
本作における大トロの部分(個人的感想)