喫茶ポアロでのバイトをしているなり。
降谷くんが組織に呼び出されたから、その代打でのバイト出勤だ。
一応組織の任務なので千里眼で降谷くんの動きは逐一チェックしている。
危険があればすぐさま令呪を通しての干渉が可能となっている。
コナンくんが聖書のポケット版をカウンターで読んでいる。
それから印刷してホッチキス留めしてある書類いくつか。
コナンくんはパタンと聖書を閉じて、こちらへと向き直った。
この朝早い時間、客は他にいない。
「貴方は聖マーリンなの?」
「それは聖人の名だろう。どうしてそう思ったんだい?」
聖マーリンはさまざまな現れ方をする聖人だ。
原初においては預言者エリヤの再来とされた。
本人ではなく、エリヤの霊と力を受け継いだものとされる一方────不老不死の力を持つエリヤ本人とされることもある。
中世になると、聖職者の汚職が問題になってきた。
そこで聖マーリンは懲罰の天使として描かれ。
もっとも、それが実際に天使として現れた話ではない。
マーリンが悪徳司教を罰した記録を見てみると、司教は実際に民衆を搾取していた。
しかしマーリンが現れたと証明する文章は、後世の歴史にばかり描かれる。
すなわち、聖マーリンの懲罰は教会の都合のいい物語でもあったということである。
さらに同時並行して、マーリンの正体が悪魔だとする説もあらゆるところに散見される。
法王に試練を課す、神の御使い。
あるいは単に教会を混乱させようと企む悪魔。
これらは神学上「三相顕現説」と呼ばれ、聖マーリンが人を超えて姿を変えることを示している。
そして最後に、夢の獣。
かの救世主が名指しした旅人が聖マーリンだとする説は根強くある。
現在の主流派は倫理的な教訓を唱えたものだとする説をとっているが。
それ即ち、人々を救いたいという善意が、他人の自由を奪う支配へ変わる危険性へ変わることを注意するものだということらしい。
つまり。
マーリンと名乗る悪魔が、聖マーリンだとしてなんら矛盾はないということ。
コナンくんは私をまっすぐに見ている。
なんとも、まばゆい輝きだ。
私の短絡的な欺瞞を取り払い、真実を真摯に見つめようとしている。
私は肩をすくめて皿を拭く作業に戻った。
「私は聖職者に試練を課したことはないよ。ただ、どうしても加減を間違えてしまうようでね」
「加減?」
「ナザレの彼には良く言われていたよ。力があるからこそ、施すときは注意しなければならないって。容易く人を堕落させてしまうから」
私は人を超えた力を持つ。
そのため私が私の基準で当たり前に友人を助けたとき、友人は全能感に苛まれるのは必定である。
流され堕落した聖職者から、私は慌てて力をとりあげた。
聖職者は力を失い、力が忘れられず惨めに全てを失った。
それを人が試練と呼ぶこともある、というだけの話だ。
富に流されない力を持つか、権力に流されぬ意思を持つかを試される試練だと。
「安室さんを堕落させようとしてるの?」
「まさか。友情のつもりだよ。その結果、試練になってしまう可能性も捨てきれないけど」
その境目を決めるのはとても難しい。
私がなんでもできるのに、苦しむ友人を前に何にもしないのは違うだろう。
だが、その結果友人が堕落したら本末転倒だ。
アイスコーヒーのグラスの中をストローでぐるりと回して、コナンくんは憂いの瞳を落とした。
「最近灰原が頻繁に外出してる。博士にも行き先を黙って」
「年頃の子なら秘密の一つや二つあるだろう?」
「探偵バッジの反応から後をつけたら、そこには見覚えのある人がいたんだ。いるはずのない人」
顔を上げて、コナンくんは宮野明美の姿を詰問した。
「あれは誰だ、悪魔。灰原に幻を見せてるのか」
「幻じゃないよ。あれは本人だ」
「たとえ悪魔だろうと、人は生き返らせることはできない」
「それは……そうだね。死者蘇生は主の奇蹟だ。あるいは、死と生とを超越した覚者の力か」
失ったものは返らない。それは絶対だ。
私では魔法に到達できないが故、死者蘇生の奇跡を使うことはできない。
それができるとするのなら、人類を導くもの、主なる神くらいのものだろう。
この世界において、それは極大の怪異として立ち現れる。
いや、怪異なんて言葉にすら収まらない規模の力場か。
ナザレの親友はその分霊…でもないけど、表れ方の一つである。
逆に死も生も無いのが覚者周りだろうか。
私はあまり面識がないので滅多なことは言えない。
ただ、生前私が千里眼で見ていたら手を振りかえされたことはあった。
あんまりジロジロ見られて恥ずかしかったらしい。
失礼を働いてしまった苦い思い出である。
「だからこそだ。あれは幻でしかねーだろ」
「どうだろうね。私が死の直前に救ったのかもしれないよ」
「バーロー、なら灰原が死体を目撃してるはずもねーだろ」
「そちらこそ私の幻かもしれないよ?」
「………議論はやめとく。いくらでもなんとでも言える話になっちまう」
コナンくんは苦い顔をして戦略的撤退を決めたようだ。
自由に幻覚を見せられる人物がいると、推理がややこしくなっていけない。
私はふふふと軽く笑って口を開いた。
「ところで、キールが目を覚ましたようだよ」
「!!!」
「FBIからもうすぐ電話が来るだろう。すぐ出れるように準備をしたほうがいい」
「……あんたがここにいるってことは、安室さんの代打だろ。安室さんは組織か?」
「さて。どうだろうね」
コナンくんに微笑みかけてやれば、彼はもっと奮い立ったらしい。
「上等だ、絶対に組織の奪還を阻止してやるよ!」と私に啖呵を切った。
気持ちの良い啖呵だ。
これでこそ人間。これでこそ光だ。
スマホが鳴って、コナンくんが外に駆けていく。
よく見ればカウンターにお代が残されていた。
律儀な子である。
私はうんと伸びをして、そろそろ外の掃き掃除もしておかないとと思考を改めた。
おっと、そう言えばマギマリの次の企画も考えとかないと。
お歴々がホクホク顔で次のコンテンツ待ってんだよな。
あんまりスパンを空けすぎると暇した今代法王が私の口座を金で一杯にするのだ。
天の国に富を積んでるだけとか言い張ってるし、NPO法人の選定と再分配も楽ではないんだがなぁ。
うーむ、基督教徒も増えてきたし、いっちょ聖書読み聞かせとかやるか。
脳内ナザレの親友がやる気出してて読んでくれるらしいし。
かわゆい女の子が聖書読んでたら癒されるやろ。
私は男だが…男の娘だったら二度お得だろ。
そんなふうに考えつつ、私は棚から箒を取り出したのであった。
・神学者にして賢者(1422-1479)
「イエスはマーリンに、永遠に正しくあり続けることを命じたのではない。マーリンが誤りうること、罪の一角を担う存在であることを見抜いたうえで、それでも彼を救うと約束したのだ」
「マーリンにとって最大の救済があるとすれば───それは人が間違える可能性を認めて、なお人間を信頼し、人間に選択を返すことである」