来葉峠に夜が来る。
赤井はシボレーを降り、タバコに火をつけた。
再潜入を無事に終えたキールとは、ここで二人きりで会うことになっている。
車を路肩に停めると、キールは先に来ていたようだ。
キャップを目深にかぶって佇んでいるのがぼうと車のヘッドライトに照らされてよく見えた。
車を降りて、扉を閉める前。
ことは迅速に行われた。
「ッ!!!」
「悪いわね、私も仕事なの」
赤井が話しかける前に、銃声が一つ。
車から降りた赤井を、正面から銃撃が襲ったのだ。
表向きは不意打ち、ということになっている。
拳銃で一発、会話もなく肺を撃ち抜いたふりである。
あらかじめ防弾ジャケットを仕込んであるので、赤井は肋骨に多少ヒビが入った程度でなんとかなった。
口の中に仕込んだ血糊を噛みちぎり、血を吹き出す演技をする。
キールのインカムが小さな音を立てた。
『トドメをさせ……いや。そうだな。ここから先はバーボンにやらせる』
「!!」
予想外のことがあったようで、キールが驚愕に目を見開く様子が見えた。
苦悶にずるずると倒れ込むふりをしていると、足音がだんだん近づいてくる。
「久しぶりですね、赤井秀一」
「バーボン、か」
せせら笑うような声のトーンで現れたのは、安室透その人であった。
闇夜に紛れるような黒のジャンパーを着て、フードを目深にかぶっている。
瞳が悪意にギラギラと輝いた。
「ザマァないですね。可哀想に。相棒の好みではありませんが、これも仕事なので丸ごといただきますね」
「………なにを、するつもりだ」
「魂をいただくんですよ。美味しく美味しく、ペロリと丸ごと」
その言葉と共に巨大な怪物の手が一本、ぬるりとバーボンの影から這い出てくる。
影を纏った、爪あるトカゲのような尋常でない巨大な手だ。
キールがヒッと悲鳴をあげて後ずさった。
赤井の体は人形のように掴まれて、3メートルは持ち上げられた。
その膂力は赤井をプチュリと肉塊に変えて余りあることだろう。
読みが外れたな、と赤井はかすかに笑った。
別段問題はない。
この作戦の要はキールを組織に戻し、楔とすることだ。
赤井はもともと死を確信していたし、ここで命を散らすつもりだった。
コナンの策が上手くいかなかったのは残念だが、特段こだわるつもりはない。
力を抜いて最期の時を待つ、その瞬間である。
腕を通して不可思議な声が頭の中に反響した。
『さて、あなたを完璧に死んだふりさせてあげましょう。今からあなたを崖下に放り投げます』
『生身で50m落下したら死ぬんじゃないか?』
『うるさいですよソコ。で、落下の衝撃はこちらで軽減しますので下で大人しくしててください。マーリンが幻覚を使ってここに死体を作るので。あなたは崖下の応援と合流すればいい』
その声がまるで聞こえていないような顔をして、バーボンは嗜虐的に微笑んだ。
「では、ごきげんよう」
めしゃっと赤井の体が握り潰される。
同時に、透明化した本物の赤井が崖下に思いっきり投げ出された。
これでは死ぬ。
と確信したのも束の間、落下速度は緩やかになっていき、最後はふわりと浮遊するようなスピードになっていた。
そのため無事側面の木に掴まって事なきを得ることができた。
そのままゆっくり、崖を人力で降りていく。
下でコナンが赤井の姿を見て驚愕に目を見開いた。
「赤井さん!?まだ予定の爆発が起きてないけど、何かあったの!?」
「予定と違って、バーボンが前に出た。彼に助けられた形だ」
「っ、悪魔の力は有限だから出し惜しむと思ったけど……それで、上はどんな状況?」
「安室君は俺を殺したふりをしたようだ。チラリと見えたが、上には俺の偽の死体があるはずだ」
コナンはしばし衝撃を受けたような顔をして、静かに目を伏せた。
「…………そういうことか」と、全ての謎が解けてほっとしたような表情を見せる。
それから、やや明るい顔で眉を下げた。
「ごめん赤井さん、読み違えた。これじゃ共犯者失格だ」
「いいさ、結果として生きている、どうせ俺はここで死ぬつもりだったのだから些細な違いだ。それに、君の策は十分以上に俺の命を賭ける価値があった。それは俺の判断だ。この結果は君の価値を毀損しない」
「……次は挽回するよ。必ず」
「楽しみにしている」
コナンが上を見上げ、その間に爆破の衝撃がこの崖下まで吹き下ろしてきたのを感じる。
コナンはほう、と息をついていたようだった。
「安室さんは、本当に……」
赤井さんを目の前でぐしゃぐしゃにして、私はしょぼんとしながら手を魔法陣の中へと戻した。
降谷くんが温度のない声色で肩をすくめる。
「どうです。間違いなく死にましたよ。顔は残しといたので確認取れますけど」
「今行く」
ジンが物見遊山なのかなんなのか、わざわざ赤井君の死体を見に来るらしい。
どことなく意気揚々とした感じでコートを靡かせ、銀髪君は死体を見下ろした。
キールがふんと鼻息をついてくだらなさそうに腕を組んだ。
「私にカメラまで取り付けておいて、どういうつもり?」
「奴を万が一にも逃さねぇためだ。キール、テメェの疑いは晴れてねぇんだからな」
「いい加減にして。ここまでやっといてFBIが許したらただの頭お花畑の連中じゃない」
「どうだかなぁ」
いかにもネズミをいたぶるような表情でジンはくつくつと笑った。
ウォッカがドン引きしながらくしゃくしゃになった赤井秀一の幻覚を覗き込む。
「うわ、ひっでぇ死体ですね!重機で潰したみてぇだ」
「死んだか。シルバーブレットとも呼び称された男が、呆気ねぇもんだな」
「人間なんて相棒の前では皆等価です。くだらない、食い散らかすだけの資源でしかない」
「そうだな」
銀髪君は非常に満足そうに同意した。
「この哀れな様が組織に逆らった代償だ。キール、予定通り爆弾を作動させておけ。事故に見せかけるため、赤井秀一は車の中に放り込んでな」
「……この死体を触るの?」
「ぐだぐだ抜かすな。テメェから死ぬか?」
「わかったわ。その代わり、この後シャワーの時間ぐらいは貰うわよ」
キールが重いため息をついた。
降谷くんがぼんやりとした声を出す。
『マーリンの幻覚はホント便利だよな。触覚、嗅覚、味覚、聴覚……あらゆる感覚を騙して永続するんだから』
『まあ、私の一番の得意魔術だからね。神だって騙せる精度さ』
『それは凄い』
実際、私の幻覚は原理的にORTの侵食固有結界に近しいところがある。
自分の世界でもって現実を塗りつぶし、それを正とする身勝手な所業だ。
流石にORTほどの出力は出せないが、私の幻術とはそうした世界をも騙すタイプの力である。
故にあまりにうまくハマり過ぎてしまうと解除後も幻が残ってしまったり、変な失敗をしてしまうことが時折あったりもする。
世界の方がすっかり納得してしまって、騙されてたことを認識しないというか。
術を解いても満足してしまって訂正してくれないんだよな。
まあともかく。
キールが赤井秀一の残骸の幻覚を運転席に乗せて、そのまま爆弾を作動させる。
火柱ともうもうと立ち上る黒い煙が夜を汚していく。
これで彼らの計画は完成した。
あとは楠田陸道の死体を燃える車の中に放り込むだけ。
いや、私の幻覚があればそれさえ必要ないか。
赤井秀一死亡偽装は簡単に成立したのだ。
降谷くんがちらり、と崖下を見た。
『どうだ、赤井の方は無事に逃げ延びたか?』
『下にいたコナンくん達に回収されたよ。あれは阿笠博士かな。見覚えのない…コナンくんのお母様らしき人と一緒だよ』
『家族ぐるみとはいい気なものだなFBI!』
『あの後はなんとでもなるんじゃないかな。問題はキールだね。また変な任務押し付けられるよきっと』
『CIAだったか?気に食わないがコナンくんの手のものと思えば別にいいか。投獄は後にしてやる』
『さらっと公安節なんだよね』
いつも通り軽口をたたきつつ、今日のところはこれでお仕事終了である。
軽く伸びをして降谷くんは柔らかく笑った。
「ああ、僕はそろそろ帰ります」
「乗れ、送っていく」
「いえ、相棒が珍しくサービスで送ってくれるそうなので、そちらで行きます。早く寝たいので」
言葉と共に長大な黒い翼をバサリと具現化。
ジンが心底嬉しそうにニタリと笑った。
キールが「化け物」と小さく吐き捨てたのが耳に残る。
「そうか。ご苦労だったな、バーボン」
「いえ。ではこれで、お疲れ様でした」
羽ばたくと同時に黒い粘液が滴り落ち、降谷くんの体を覆い尽くす。
降谷くんが擬似レイシフトによってセーフティハウスまで転移すれば、後には何も残らない。
ただ、夜の来葉峠だけがヘッドライトに照らされているだけだ。
降谷くんは着替えすらせずにバタッと布団の上に横に横たわった。
そのままアヴァロンに来る気らしい。
着替えは向こうでするというストロングスタイルだ。
着替えぐらいこっちでやってもバチは当たらないのに、私に魔術早着替えさせてもらいたがるんだよな。
布団に大の字になったまま、降谷くんは微笑んだ。
「ありがとう、マーリン。俺はいつもお前に助けられてる。感謝してもしきれない」
「ふふ、どういたしまして。さあ、僕らのアヴァロンに帰ろう。温かいハーブティーを入れて、疲れを癒そう」
「ヒロも明美さんも夕食後の時間だろ?少し挨拶していかないとな」
「赤井くんの生存報告だ。明美さんも喜ぶだろうね」
「ああ…………そうだな」
ふわふわとした声のまま、その肉体は霊子変換されてアヴァロンへと導かれていく。
私は友人のため、働くことができている。
それが何より嬉しくて、私はそっと本体で喜びを噛み締めたのだった。
・マーリン
割と尽くすタイプ。
悲しんでる人にどうしても手を差し伸べたくなるが、自覚してそれを厳に諌めている。
ナザレの人相手につくしまくって怒られた過去。
次回は基督教騒動ネタ番外編。
千年前の文献に誤字を見つけた校正したいマーリン主の話。