私がやってきたのは立川にある庶民的アパート、松田ハイツである。
立川駅の南口から徒歩15分。
近くに昭和記念公園もある。
ちょっと寂れた小さなアパートであるそこの、2階の東の角部屋に「聖」という表札がかかっている場所だ。
私は破裂しそうな心臓を何とか押さえ、震える手でチャイムを押した。
どうでもいいけどこんな寂れた場所におんのかあの親友殿は。
俗世を知りたいんだったらピッタリだが、どうしても金を注ぎ込みたい欲が湧き上がる。
あったかい高級布団買ってやりたい。
それからちょっといいカトラリーセットに、あったら嬉しい壁掛け収納に、壁に設置できる大型TVに。
そわそわそわそわそわそわそわそわ、と待っていると扉が遠慮がちに開かれる。
こそっと細めにドアを開けてこちらを上目遣いにしてきたのはナザレの彼である。
彼は固い愛想笑いで小さく頷いた。
「あ、マーリン。ひ、久しぶり………ってめっちゃ振動してる!?!?!?」
「!!!!!!!!!!!!!」
私は激しく震えた。
そしてガタンガタン振動してから、がばりと彼に抱きついた。
「イエシュア君!会いたかった!!あ゛い゛だがっだよ゛お゛!!!!」
「待って待って待ってさば折りされてる!私さば折りされてるから!!!」
「うわぁぁぁぁぁあああああん!!!!」
「ギョアッッッ、い、一旦帰省します」
「わぁ待ってマーリン君!イエス死んでる!死んでるから!!」
「あ、覚者さんお初お目にかかります!マーリンです!!!」
私はブラブラの彼を抱き上げて振り回して一緒に踊った。
こんな嬉しいことがあるか!亡くしたと思った物が返ってきた!えへへ!
ちなみにイエシュア君とはイエスの当時風の読み方である。
ああ懐かしい!
私は遠慮なくイエシュア君に頬ずりした。
なぜかクシャクシャになった彼はか細い声で「私をボロ雑巾にするのはやめてね……」と遺言を残したのだった。
さて、松田ハイツの中はとっても狭かった。
和室8畳一間に台所とトイレに押し入れ。
成人男性二名が暮らすには本当にギリギリのところだろう。
そこで出してもらったお茶を前に、私はニッコニコのデレデレになった。
「改めまして。14使徒の末席マーリンです。まだ天界には行ったことがありません。夢魔なので」
「悪魔が聖人ってなんか妙な感じだね。イエス的にはありだったの?」
「父さんの管轄の悪魔じゃないしね。起源が違うんだよ。そもそもこの世界とは別の起源を持つ……宇宙人が近いかも」
「そうなの!?」
私は胸を張った。
型月のルールを伴う彼方からの侵略者が私である以上、私はこの世界にとって異物であることは間違いない。
でもそこで受け入れてくれたイエシュア君がね!尊くてね!!!
覚者さんがなんか「この人おっきいゴールデンレトリバーみたいだなぁ」と思っているのが丸わかりの顔をした。
だって親友が目の前にいるんだもん!!!
「あっこれ、お土産のシードルです!自家製のお酒!」
「あっこれ知ってる!教皇庁に納品してるっていう特別なやつでしょ!飲む飲む!ブッダの分もいい?」
「どうぞどうぞ!」
酒用のグラスはないみたいなので、そちらも贈答品として持ってきたやつを渡した。
こちらも私がガラスを吹いて作った一品だ。
薄く軽く、金箔を散らした高級感ある仕上がりとなっている。
覚者さんが「え…なんかブランドの高級品…?」と怯えて恐る恐る酒を注いだ。
「私の手作りなのでお気遣いなく!」
「え、こんなの手作りでできる物なの!?」
「人々の救世に2000年の時をかけた覚者さんと違って、私は趣味半々だったので。住まいのアヴァロンは趣味の工房が半分を占めてます」
えへへ、と私は頭をかいた。
それだけ遊んでたってことなので恥ずかしいことではあるのだが、イエシュア君が「凄いよマーリン!大事にするね!!」って言ってくれたので嬉しみの舞である。
あっ、前作った本格ペルシャ絨毯もあるから置いてもらお!
そうして渡した盃を使って酒を口に含むと、覚者さんは目を見開いた。
「美味しい!イエスの葡萄酒ぐらい濃厚!」とびっくりした様子を見せる。
わちゃわちゃイエシュア君もはしゃいでいる。
「本当だ!私が葡萄酒を作るには限界まで嬉しい気持ちにならなきゃならないのに、普通に果物で作ってこんなに美味しいなんて!」
「ふふふ、アヴァロンのリンゴは品種改良に品種改良を重ねた傑作…季節にはリンゴ狩りも楽しめます」
「!!せっかくだしリンゴ狩りやりたい!ねぇブッダ!」
「いいのかいマーリン君。私たちがお邪魔してしまっても」
「もちろん!どうぞどうぞ、果実狩り無料ですよ!」
私はうんうん頷いて胸を張った。
「その時は幻術シアターも作るよ!大迫力で映画を見よう!」
「わぁ、懐かしいなマーリンの幻術シアター!昔みんなで見たなぁ。マーリン、幻を見せるのがとっても上手いんだよ」
「マーラの最高画質幻覚とどっちが凄いだろ…」
ちょっとマーラさんと比べられると分からんが、私も夢幻の獣として幻術には一家言あるつもりだ。
タダで負けはすまいよ。
私はホワホワふわふわ、夢見心地でしみじみ頷いた。
「ああ、夢みたいだ。またこんなふうにイエシュア君と語らうことができるなんて」
「……ごめんね。こんなに経っても君を救済することができなくて」
イエシュア君がしょぼんと肩を落としている。
ジーンズの端を掴んでしょげかえっているようだ。
「この世のものじゃないマーリンはどんなに頑張っても天界には来られない。ただ一人生き続けて、どこにも行けない。それを私は2000年経ってもなんともできてないのに」
「そんなこと!君に会えただけで吹っ飛んださ!まだ君が私を思ってくれてる。それだけで十分だよ」
「マーリン……!」
瞬間、食器棚の皿がぽんぽんぽんぽんっと全部パンに変わって水切り棚を圧迫した。
ふかふかのもふもふの食パンだった。
すかさず覚者さんの喝が飛ぶ。
「イエス!!!!何か悲しいこと!!!」
「待って待って急には世界の戦争が無くならない理由…!」
「あー、昨日も権力者による虐殺を止めようとして夢で声をかけたら罵られたよ。人の未来に介入するなって。ツノ生えたから切った」
瞬時にパンは食器に戻った。
私はダプルピースをすると、震えるイエシュア君に揺さぶられた。
「今のすごく良くなかった!?私の持ちネタ!」
「マジネタじゃんか!!!絶対思い留まってね!!獣ダメ絶対!!」
親友にゆびきりげんまんされたら抵抗できないので、私は大人しく約束を誓った。
覚者さんが難しい顔をしている。
「なるほど、獣ってそういうこと。マーラとかの話じゃなくて、人であれば拭えない、悟っていないが故の人らしさのことなんだ」
「私も詳しく知ってるわけじゃないんだけどね。マーリン、思い詰めるといつもこうなんだよ」
「例えば全人類が悟ればマーリン君も救われるんだろうけど、現実的じゃないし。人が倒すべき悪の類だね」
覚者さんは若干哀れんだように合掌した。
「滅びもまた大きな流れの一つだ。君が手を離して滅びたとして、君のせいじゃないよ」
「そう思うには愛しい物が多すぎるんです。今も、新しく友人ができて。彼の大切なものには幸せでいてほしい」
私の言葉に、イエシュア君がニッコリと笑いかけてくれた。
「なら今日は目一杯楽しんで帰ってよ!そうやって明日の活力が満ちる方が人生満ち足りるでしょ!」
「……うん!ありがとうイエシュア君!」
そうして。
マーリンが帰った後、イエス・キリストは穏やかに笑って見せた。
「優しい人でしょ、マーリン君」
「そうだね。というか、あんな寂しがりな人ほっといたらダメじゃないかイエス。小型犬留守番させるようなものだよ」
「ウン………ソウダネ……」
「あと、しっかり見ておきなよ。悲しいことにはしたくないんでしょ」
イエスはしばし目を伏せて、決意するようにそっと頷いたのだった。
「そうだね。気をつけるよ」
・翌日
いっぱい貢ぎたい気持ちが爆発してマーリンから3Tトラックいっぱいの高級品が届いた。
・仏陀
あの性格でも魔族なだけあるね…(戦慄)