CLANNAD ~Sequel of After Story~ 作:gachamuk
その日の夜。汐はずっとテンションが高かった。
その理由は簡単。翌日に待ちに待った幼稚園の入園式を控えているからだ。
汐はその日をずっと心待ちにしていた。新しい環境に飛び込んで、新しい友達を作ることができるその日を。
だから、汐は明日が待ち遠しくて、中々寝付こうとしなかった。
そんな汐を、風呂から上がってビールを飲んでいた朋也が注意する。
「汐。そろそろ寝ないと、明日起きれなくなるぞ?」
しかし、汐は首を横に振る。
「やだ。まだねたくない」
「寝たくないって言ったってなぁ……。明日起きれなくなったら、お前がずっと楽しみにしてた幼稚園の入園式に間に合わなくなるんだぞ? それでもいいのか?」
朋也の問いに、汐はぴたりと動きを止めて考え込む。
「…………やだ。……にゅーえんしきでたい」
汐の答えに満足そうに頷いた朋也が、優しく言う。
「じゃあ、そろそろ寝ないとな?」
「うん!」
元気よく返事をした汐は、とてとてと部屋の中を横切って、〈だんご大家族〉のぬいぐるみを持ってくると、ぎゅっと抱きかかえながらいそいそと布団にもぐりこんだ。
「パパ。おやすみなさい……」
「ああ、お休み。汐……」
汐はそのまま目を閉じてすやすやと寝息を…………立てられずに、困った顔をする。
「ねれない……」
そこへ、翌日の汐の準備を終えた渚が、明暗を思いついたとばかりにぽんと手を叩いた。
「それじゃあ、しおちゃん! 私がお歌を歌ってあげます!」
「だんごだいかぞく?」
ことりと首を傾げる汐に、渚が満面の笑みを浮かべながら応じる。
「はい。だんご大家族です。しおちゃんが大好きな歌ですよ」
「やった~!」
諸手を挙げて喜ぶ汐は、再びいそいそと布団にもぐりこむと、そっと目を閉じた。
渚は、汐に寄り添うように寝そべりながら、ゆっくりと口ずさんだ。
「だんご♪ だんご♪ だんご♪」
歌いながら、ちらりと朋也に視線を向ける。
恐らく、「朋也君にも歌ってほしいです」といいたいのだろうと理解した朋也は、そっとため息をつきながら、渚にあわせて歌った。
「「だんご♪ だんご♪ だんご♪」」
夫婦の子守唄は、汐が眠るまで小さな部屋の中を静かに満たしていた。
翌日。
「しおちゃん……、しおちゃん……、起きてください」
渚に揺り起こされ、汐がゆっくりと目を覚ます。目をしょぼしょぼしながら大きくあくびをした汐が一言。
「…………まだねむい……」
渚はにっこりと笑うと、
「しおちゃん。お顔を洗った後でパパを起こしてあげてくださいね」
と言い残して、朝食の準備を始めた。汐はそれに「は~い」と元気よく答えると、洗面所でばしゃばしゃと顔を洗った後、まだ寝ている朋也の体を揺すった。
「パパ~おきて~」
ゆらゆらゆらゆら。汐が県名に揺するが、朋也は一向に目覚める気配がない。
「パパ~。パパ~? …………むぅ……」
ゆらゆらゆらゆら。いくら揺すっても起きる気配がない朋也に、汐はぷくりと可愛らしく頬を膨らませると、とてとてと朋也から距離をとると、助走を付けて走り出し、
「えい!」
掛け声と共に、朋也の上に着地した。
ちなみに五歳児の女の子の平均体重は十七キロ。順調にすくすく育った汐の体重は平均よりちょっと上。そんな汐が助走を付けて、熟睡してる朋也の上に飛び乗ったのだ。いくら仕事で鍛えられた身体を持つ朋也であっても、その結果は明々白々である。
「ぐぶぅぇっ!」
なんとも表現しづらい悲鳴を上げながら朋也が飛び起きた。……否、目を覚ましはしたけど、そのまま床でぴくぴくと悶絶していた。そのまましばらくして、ようやく起き上がれるようになった朋也が、脂汗をだらだらと浮かべながら汐に訊ねた。
「汐……。あの起こし方は誰に聞いた?」
「さなえさん」
「…………何を教えてるんだあの人は……」
朋也はため息をつき、渚は苦笑しながら朝食を作り、汐は何のことだか分かってなくて、きょとんとしていた。
ともあれ、その後、三人揃って朝食を取った後、汐は真新しい幼稚園の制服に身をつつんで浮き足立っていた。
「パパ、ママ。はやくよーちえんいこう」
汐が今にも飛び出しそうな勢いで朋也と渚を急かすのを、朋也がデジカメを取り出しながら諌めた。
「待て待て。先に写真をとろうな? ほら。ママと一緒に並んで……」
「は~い」
素直に返事をして、とてとてと渚の下へ駆け寄る汐。朋也はカメラを構えながら、素直な娘に微笑んだ。
「よ~し、それじゃあ撮るぞ~」
「お~!」
「よろしくお願いします。朋也君」
朋也はデジカメのモニタに二人の姿を納め、
「はい。チ~ス」
ぱしゃりとシャッターを切った。
モニタで画像を軽くチェックした後、ガスの元栓を締め、窓に鍵をかけ、最後に玄関の鍵を閉める。そして。
「それじゃあ、しゅっぱ~つ!」
「お~!」
朋也の掛け声に拳を突き上げて元気よく返事をした汐は、渚と手を繋いで歩いていく。その様子を後ろから眺めていた朋也は、ふと我が家を仰ぎ見た。
自分が高校を卒業してから入居した我が家。築二十年以上の1DKの部屋は、汐が成長していくにつれ、どんどんと手狭になって来ている。それに今はまだいいかもしれないが、汐もそのうち、自分の部屋を欲する時が来るだろう。
「そろそろ……、限界なのかもしれないな……」
一人ぼやいた朋也は、遠くから「パパ~!」と呼ぶ汐の声で我に返ると、慌てたように二人の下へと駆け出して行った。
「園児入場」
園長先生の合図で、小さな講堂にぞろぞろと新入園児たちが入ってくる。泣いてる子供、はしゃぎまわって列からはみ出る子供、緊張してぎこちない子供、早速仲良くおしゃべりをしている子供。そんな子供達に混じって汐が講堂に入ってきた。
「朋也君! しおちゃんです!」
「ああ! 分かってる! 汐~!」
渚がにっこり笑いながら汐に向かって手を振り、朋也が上司の芳野祐介借りたビデオカメラで娘の勇姿(?)を映し出す。元々若い二人がそんな風にはしゃいだりすればこの上なく目立つのは必至である。その証拠に、慌てたように駆け寄ってきた保育士の人から、「静かにしてください」と注意を受け、二人して首を縮めることになってしまった。
が、その二人よりも目立つ存在がいた。
「うひょ~! 見ろよ早苗! 俺たちの孫が一番可愛いぜ!」
そういいながら、DJ風の服装と帽子という怪しい姿の
「そうですね、秋生さん♪ 汐~! 私ですよ~!」
こちらはまったく変装してない早苗が、笑顔でぶんぶんと汐に向かって手を振っていた。
「お父さんとお母さん!?」
早苗を発見した渚が驚きに目を剥き、朋也は思わず頭を抱えた。
「何をやってるんだ、あの二人は……」
そんな朋也と渚に気付かない二人はその後も汐に向かって手を振ったり、写真に収めたりしていたが、やがて、
「静かにしてください!」
朋也と渚にとって、どこか聞き覚えのある声で叱られ、講堂の外に追い出されてしまった。それを見て、朋也は渚と顔を見合わせてお互いに苦笑した。
その後、特にトラブルらしいトラブル(園児達が泣き喚いていたりを除く)もなく、無事に入園式を終えた朋也は、汐のクラスに移動し、クラス担任を見て驚きを隠せずにいた。
「はぁ~い。今日からみんなの担任の先生になった藤林杏(ふじばやしきょう)です。みんな、よろしくね~♪」
そう、汐のクラスの担任となったのは、朋也と渚の高校時代の友人、藤林杏だったのだ。
「うげっ!? 杏!? ぬぉっ!?」
思わずといった様子で叫んでしまった朋也のすぐ横を、辞書が猛スピードで通過して後ろの壁に突き刺さる。
「父兄の方は静かにしてくださいね~」
にっこり笑っていながらも、その目からにじみ出る圧倒的な圧力に朋也は気圧され、刻々とうなずいた。
「……?」
一方、渚は何が起こったのかわからずきょとんとしていた。
ともあれ、簡単な自己紹介を済ませた杏は、父兄たちに向けての注意事項やら、園児達へ向けた注意事項を伝えていく。その様子は手馴れたもので、朋也は思わず感心してしまった。
「へぇ……。あいつもちゃんと幼稚園の先生やってるんだな……」
「そうですね」
二人は、杏の先生然とした姿にしきりに感心していた。もっとも、二人の会話は、杏から漂ってきた無言の圧力で、すぐに終わってしまったが。
そうこうしているうちに入園式全ての行事が終了し、保護者達が自分の子供を連れて三々五々解散していく中、朋也と渚が汐をつれて帰ろうとしたときのことだった。
「朋也、渚」
杏に呼び止められ、二人は立ち止まった。
「杏」「杏ちゃん」
「久しぶりね、二人とも……」
「お久しぶりです」
そのまますぐに、渚と杏で会話に華を咲かせ始める。それを見て苦笑していた朋也の手を汐が引っ張った。
「パパたちときょうせんせーはおともだち?」
「ああ、そうだぞ。パパもママも、杏先生とは仲がよかったんだ。最も、パパは先生にいじめられ…………、とっても優しい、いい先生だぞ!」
杏から圧力を感じて慌てて言葉を紡ぎなおした朋也は、杏からの圧力が消えたことでほっとため息をついた。汐は、何がなんだかわからずにきょとんとしていたが。
ともあれ、そのまま朋也たちとの会話を楽しんでいた杏だったが、少しして、誰かが杏を呼んだため、
「ごめんね。あたし、まだ仕事が残ってるから。それじゃ、またね。汐ちゃん、明日からよろしくね~」
と言い残してひらひらと手を振りながら去っていった。
それを見送りながら、渚がポツリと呟いた。
「しおちゃんの担任の先生が杏ちゃんでよかったです」
「ああ、そうだな……」
朋也は渚の言葉に同意し、汐は何のことか分からずきょとんとしていた。
幼稚園から帰った三人揃って古河家に顔を出すと、早苗がいつもの笑顔で三人を出迎え、そしてそのまま、汐の入園祝いが行われた。
朋也と秋生は一緒にお酒を飲み、美味しい料理をたらふく食べて、楽しい会話にみんなが大いに笑った。
そうしているうちに、はしゃぎ疲れた汐がうとうとし始めたので、朋也と渚は汐を背負ってアパートに帰ることにした。その道中で。
「朋也君……、今日は楽しかったですね」
「ああ……」
「でも……、朋也君のお父さんにも、しおちゃんの入園式をお祝いしてほしかったです……」
「っ!」
朋也の父の話が出た途端、朋也は思わず顔を顰めた。
渚も、朋也の反応はわかっていた。しかし、それでもしっかりと、話を続ける。
「朋也君……。お義父さんと話し合ってくださいね?」
「…………ああ、分かってる。分かってるから……」
朋也の苦い思いが混じった言葉が、夜の闇に溶けた。