恋雪にTS転生したので、猗窩座を救いたい人生だった   作:自分の性癖に素直になろう小説

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第十一話 わたしは恋雪13歳、普通の女の子☆(狛治視点)

 

 梅雨も終わり、夏の日差しを感じ始める季節になってきた。

 けれど、季節が変わっても俺は毎朝同じ時刻に目を覚ます。

 そして、目覚めると最初に目に入るのが、自分の腕に記された三つの罪人の証。

 

 嫌でも自分の立場というものを分からせられる、そんな日課から俺の朝は始まる。

 

 

 

 素流(そりゅう)道場に拾われてから、もう三年になる。そして、あの玄武(げんぶ)道場との試合から数えても、一年近くが過ぎた。

 

 試合の後、目に見えた嫌がらせはぴたりと止んだ。米や炭の仕入れが急に渋られることもなくなったし、道端で若い衆に絡まれることもない。表向きには、あの試合そのものがなかったことにされている。誰も口には出さない。師範も、俺も。

 

 だが、近所の連中がうっすらと勘づいているのは、俺にも分かっていた。少し前、試合に負けた玄武(げんぶ)道場のことを鼻で笑うような口をきいた男がいたらしい。詳しいことは知らないが、それを耳にした玄真(げんま)が激昂して、小さな諍いを起こしたという噂だけは、俺の耳にも流れてきた。誰かから聞いたわけではない。井戸端の女房たちが、俺の姿を見ると急に声を潜めるものだから、嫌でも察しがついた。

 

 だが、恋雪(こゆき)には、その話をしていない。

 

 あの人はただでさえ、外のことを知りたがっている。寝床から出られない苛立ちを、時折こらえきれずに滲ませる。玄武(げんぶ)道場のことを耳に入れれば、きっと余計な気を揉むだろう。それだけは避けたかった。

 

 玄真(げんま)とは、あれから一度も顔を合わせていない――恋雪(こゆき)さんの方は、だ。俺は違う。隣同士という位置関係のせいで、外で行き合うことが何度かあった。

 

 最初にすれ違ったときのことは、今でも覚えている。玄真(げんま)は俺を見つけると足を止め、何か言いたげに口を開きかけた。結局、何も言わなかった。ただ顔を歪めて、それきり黙って通り過ぎていった。

 

 それ以来、顔を合わせるたびに同じことが繰り返された。何かを言おうとして、飲み込む。その繰り返しだ。俺の方から声をかけたことはない。かけたところで、何を話せばいいのか分からなかった。

 

 それと素流(そりゅう)道場の門下生は、あれから一人も増えていない。師範は気にしていない風を装っているが、朝稽古のとき、たった一人の弟子――俺――を相手に組手をする背中が、たまに寂しそうに見えることがある。俺は何も言わない。言葉にしてしまえば、それが本当のことになる気がしたからだ。

 

 そんな夏の朝だった。

 

 師範は隣町まで出稽古に出ていて、昼過ぎまで帰らない。道場はしんと静まり返っている。俺は井戸端で水を汲み終えると、桶を提げて庭に回った。

 

 素流(そりゅう)道場の庭は、お世辞にも手入れが行き届いているとは言えない。師範は拳のことしか頭にない人だし、恋雪(こゆき)は床から出られない。放っておけば、あっという間に雑草に呑まれてしまう。

 

 そして、誰に頼まれたわけでもないのに、朝の涼しいうちから庭にしゃがみ込んで、雑草を根から引き抜いていく。土の匂い。指先に絡みつく根の感触。何も考えずに、ただ手を動かしているだけの時間。

 

 俺はそれが嫌いではなかった。

 むしろ好きだった。

 

 昔、親父の看病をしていた頃も、そうだった。狭い長屋の、猫の額ほどの庭先で、同じように雑草を抜いていた記憶がある。あの頃は生きるのに必死で、花を愛でる余裕なんてなかった。それでも、土いじりをしている間だけは、頭の中が静かになった。誰かに何かを求められることもなく、ただ土と向き合っていられる。今もその感覚は変わらない。

 

「――狛治(はくじ)さん」

 

 縁側の方から声がした。振り返ると、恋雪(こゆき)が柱にもたれるようにして座っていた。まだ本調子ではないはずなのに、わざわざ出てきたらしい。

 

「起きていて大丈夫なんですか」

 

「今日は、ちょっと調子がいいので」

 

 そう言う声に、少し無理をしている響きが混じっている気がした。それでも俺は、それ以上は聞かなかった。無理に寝かせようとすれば、意固地になって余計に外に出たがるのが、この人だ。三年も一緒にいれば、それくらいは分かる。

 

 恋雪(こゆき)は膝を抱えるようにして、俺の手元をじっと見ていた。

 

「そんなに面白いものでもないですよ」

 

「面白いっていうか……」

 

 言葉を探すように、視線が泳ぐ。

 

「なんか、真剣だなって」

 

 その一言に、少し照れた。自分でも、そんな大層なことをしているつもりはなかったから。

 

「雑草を抜いているだけです」

 

「その割には、すごい集中力じゃない」

 

 そう言われて、俺は苦笑いを返すしかなかった。手元の草を一本、丁寧に根元から引き抜く。

 

「花より、こっちの方が性に合ってるんです」

 

「花より雑草って、それはそれでどうなの」

 

 からかうような声だった。だが目は笑っていない。じっと、俺の手の動きを追っている。

 

「昔――親父の世話をしてた頃、こうやって庭いじりをしてた時間だけが、なんていうか……息がつけたんです」

 

 深く考えずに、口が勝手に動いていた。恋雪(こゆき)の前だと、時々そういうことがある。

 

「他のことは、何も考えなくて済むから」

 

 恋雪(こゆき)は、しばらく黙っていた。何か言おうとして、やめたような沈黙だった。

 

「……そう」

 

 短く、それだけを返した。だが声の調子が、少しだけ柔らかくなっていた気がする。

 

 俺は再び手元に視線を戻し、雑草を抜く作業に戻った。恋雪(こゆき)は何も言わずに、縁側からその様子を眺め続けている。

 

 蝉の声が、庭のどこかで鳴き始めた。夏はまだ、始まったばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 錦鯉に餌をやるのは、いつの間にか俺の日課になっていた。

 

 その日も、朝稽古を終えたあと、道場裏の池に回った。餌の入った桶を提げて水面に近づくと、鯉たちが待ちかねたように寄ってくる。橙、白、黒が入り混じった体が、ぬるりと水面をかき乱しながら競い合う。

 

 餌を撒きながら、俺はぼんやりとその光景を眺めていた。

 

 三年前、まだ道場に来て間もない頃、恋雪(こゆき)に連れられてこの池を初めて見た日のことを思い出す。あのときも、こうして鯉が集まってきた。恋雪(こゆき)は縁側近くまで這うようにして出てきて、指を差しながら一匹一匹の名前を教えてくれた。

 

「あれが、ベジータ。あっちの白黒のがスネ夫。で、目が金色に光ってるあの子がムスカ」

 

 聞いたこともない名前ばかりだった。今でも意味は分からない。あのとき、由来を尋ねてみたが、恋雪(こゆき)は困ったように笑うだけだった。

 

「なんだか、好きな名前なんです」

 

 それ以上は教えてくれなかった。妙な名前だとは思ったが、楽しそうに語る顔を見ていると、それでいいような気がした。

 

 近頃町の方で流行っている阿蘭陀(オランダ)から渡ってきた名前か何かだろうか。正直なところ、俺にはよく分からない話だった。ただ、恋雪(こゆき)が語るときの声が少し弾んでいたから、興味があるのだろうと、そのときはそう思っていた。

 

 今日も、鯉たちは変わらず騒がしい。ムスカと呼ばれていた金目の一匹が、他を押しのけて餌に食らいつく。あれからもう三年経つのに、名付けた本人が見ていないところでも、その名前だけは律儀に俺の頭に残っている。

 

 餌をやり終えて、水面が静かになるのを待った。波紋が広がり、やがて消えていく。

 

 池の水を替えるのも、藻を取るのも、いつからか俺の仕事になっていた。師範はそういう細かいことに頓着しない人だし、恋雪(こゆき)さんは体が動かない。誰かがやらなければ、鯉たちはあっという間に弱ってしまう。

 

 面倒だと思ったことは、一度もなかった。

 

 

 

 

 ***

 

 その日は朝から雨だった。

 

 稽古は早々に切り上げて、俺は恋雪(こゆき)の部屋で、隅に座って筆を握っていた。恋雪(こゆき)は布団の中から、特にすることもなさそうに、俺の手元をじっと眺めている。

 

 絵を描くようになったきっかけは、去年の暮れのことだ。

 

 大掃除をしていたとき、恋雪(こゆき)の部屋の隅から、古びた墨と筆が出てきた。埃をかぶった紙も一緒に見つかった。何気なく開いてみると、そこには奇妙な生き物が描かれていた。

 

「犬、ですか? うまいですね」

 

 素直にそう言うと、恋雪(こゆき)は布団の上でむくれた。

 

「違います。お父さんです……!」

 

 聞けば、師範が素振りをしている姿を描いたものらしい。だが、どう見ても手足が四本では足りない。数えてみると、六本近くあるように見えた。

 

「六本も手足があると、ちょっとその、器用そうですね」

 

 思わずそう言うと、恋雪(こゆき)はさらに頬を膨らませた。珍しいことだった。

 

「動きが早くて、わたしにはそう見えたんです!」

 

 本気で怒っているようで、それが妙におかしくて、俺は思わず笑ってしまった。すると恋雪(こゆき)は、自分の絵が笑われたと思ったらしい。むきになった顔で、紙と筆を俺に押しつけてきた。

 

「だったら、狛治(はくじ)さんが描いてみてください!」

 

 絵なんて描いたことがない、と断ったが、聞き入れてはもらえなかった。「いいから!」の一点張りに押し切られ、仕方なく庭の景色を、見たままに描いてみた。

 

「絵、うまっ!?」

 

 恋雪(こゆき)は目を丸くしていた。俺自身、そんなに驚かれるとは思っていなかった。

 

 

 

 それからというもの、暇を見つけては庭の花や、池の鯉や、通りの景色なんかを描いて見せるようになった。見せるたびに、恋雪(こゆき)が子供みたいに喜ぶものだから――気づけば、それが習慣になっていた。

 

 今日は、庭の紫陽花を描いている。雨に濡れて、いつもより色が濃い。

 

「狛治(はくじ)さん、それ、綺麗ですね」

 

 恋雪(こゆき)の声に、筆を止めずに小さく頷いた。褒められることに、まだ少し慣れない。

 

「そういえば――今度、漫画? とかいうのを描いてほしいって、前に言ってましたよね」

 

 思い出したように言うと、恋雪(こゆき)は目をぱちくりさせた。

 

「漫画……」

 

「絵をいくつも並べて、話みたいにするやつ、じゃないんですか」

 

「あー……いや、うん、そう、そんな感じです」

 

 歯切れの悪い返事だった。恋雪(こゆき)は時々、こういう妙な言葉を口にする。どこで覚えたのか分からないが、聞き返しても、はぐらかされることが多い。

 

 紫陽花の絵の隅に、俺は小さく、鯉の絵を描き足した。ムスカのつもりだった。

 

「あ、それ、ムスカ!」

 

 恋雪(こゆき)が嬉しそうに声を上げる。その顔を見ていると、下手な絵でも、また描いてやろうという気になる。

 

 雨音が、部屋の中まで静かに響いていた。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 熱が上がったり下がったりを繰り返して、もう三日目だった。

 

「いつもごめんね。わたしのせいで鍛錬もできないし、遊びにも行けない……」

 

 意識も朦朧しながら、弱々しい声で、俺ことわたし――恋雪(こゆき)は内心で盛大にため息をついていた。いや、これ、もう三年目のセリフだから、そろそろ定型文として固定してもいいくらいだ。社畜時代の「お疲れ様です」レベルの挨拶と化している。

 

「遊びたいとは思わない、昔から。開いた時間やそこらで鍛錬しているので、気になさらず」

 

 狛治(はくじ)さんが、濡れた手拭いを絞りながら涼しい顔で答える。

 

 ――いや、絶対嘘でしょ。十五の男子が「遊びたいと思わない」はさすがに無理があるでしょ。でも顔が真顔なんだよな……。狛治(はくじ)さんそういうところ本当に信用できるというか、なんというか。休日返上で新人指導してくれる先輩、みたいな謎の説得力がある。ホワイト企業の見本かな。いや、休日返上していたらブラックか。

 

「でも……たまには、気分転換に……。今夜は花火が上がるそうだから、行ってきて……」

 

 これも、もう何度目か分からない台詞だった。毎年この時期になると同じやり取りをしている気がする。年中行事、正月、盆、花火の恋雪(こゆき)劇場。

 

「そうですね。眩暈が治まっていたら、背負って橋の前まで行きましょうか」

 

 ――あれ?

 

 そこで、意識が少し覚醒する。

 

 いやいやいや、待って。そこは「俺は行きませんよ」ってなるところじゃないの。何を当たり前のようにわたしを連れて行く前提で話進めてるの。しかも「背負って」って、何その具体的な移動手段。介護福祉士の資格でも持ってるの。

 

 でも顔を見ると、本当になんでもないことのように、当たり前のように、そう言っているだけだった。表情筋一つ動かさずに。

 

 ――ああ、これは。知ってる。知ってるぞ、このシーン。

 

 濡れた布を頭にかけてもらいながら。

 

 

 

「今日行けなくても、来年も再来年も花火は上がるから、その時に行けばいいですよ」

 

 

 

 ――。

 

 来た。

 

 本当に、寸分違わず、来てしまった。

 

 原作の、あの、屈指の名シーンが。何回読み返したか分からない、あの台詞が、今、目の前で、本人の口から。

 

 しかも、こっちは前世の記憶があるせいで、原作でこの台詞がどれだけの意味を持つか、全部知ってしまっている。知っているのに、いざ本人の声で聞かされると、そんな予備知識なんて何の役にも立たなかった。

 

 視界がにじんだ。

 

「……」

 

「だ、大丈夫ですか、恋雪(こゆき)さん……」

 

 しくしくと、勝手に涙が出てきた。

 

 止めようと思っても止まらない。心の中では「待って、勝手に涙が!?」とわたしがパニックになりながら、もう半分では別の思考が働いていた。

 

 ――原作の恋雪(こゆき)は、この時、自分が来年も再来年も生きているなんて、想像すらできなかったはずだ。それくらい、自分の命を諦めていた。だからこそ、この台詞にただただ泣いて頷くことしかできなかった。

 

 でも、俺は違う。

 

 来年も再来年も生きている未来を、想像できてしまう。というか、原作知識がある為に、俺は来年も再来年もあることを知っている。

 

 けれど、狛治(はくじ)さんは違う。三年も一緒に暮らしていれば、否応なく分かる。この人がどれだけ丁寧に、当たり前みたいな顔をして、こっちの命を繋ぎ止めようとしてくれているか。

 

 ちゃんとした、社畜仲間、介護もできる系男子。年末に大掃除してたら、俺の描いたヘタクソな父親の絵を見て「犬ですか?」とか言ってきたくせに、絵の才能はなぜかバケモノ級。庭の手入れも、鯉の世話も、しれっと完璧にこなす。

 

 ――ダメだ。ダメだこれ。熱で意識が朦朧として俺は変なことを考えている。

 

 涙を拭う手を止めて、考え込む。

 

 わたしは知っている。この人が、この先、何になるのかを。

 

 猗窩座(あかざ)――。人を守れず、誰も救えなかったと、記憶を無くしても、何百年も無意識に己を責め続ける、空っぽのまま強さだけを求めるだけの鬼になる。それを、わたしは知っている。知っていて、それでも今、この人の隣で生かされている。

 

 それだけじゃない。玄武(げんぶ)道場との因縁だって、何一つ片付いていない。玄真(げんま)との間には、まだ消えていない燻りがある。あの毒殺事件の伏線は、今もどこかで静かに時を待っている。わたしと、父さんの命を狙う、その芽は。

 

 なのに――。

 

 なのに、今、この瞬間、狛治(はくじ)さんの隣にいると、どうしようもなく嬉しい気持ちが込み上げてくる。それは前世の推し語りとか、そういう軽い感情じゃない。もっと、深いところから湧き上がってくる、名前をつけるのが怖いくらいの何かだった。

 

 原作の恋雪(こゆき)だって、この後、少しずつ元気になっていったはずだ。物語が進むにつれて、体調が上向いていったという描写があった。それなら――。

 

 わたしも、元気になれる。

 

 元気になれば、動ける範囲が広がる。できることが増える。調べられなかったことを調べられるし、防げなかったものを、今度こそ防げるかもしれない。原作をなぞるだけの、諦めた生き方をしなくてもいい。

 

 原作の恋雪(こゆき)がどう生きたかは、一旦置いておこう。

 これから先をどう生きるかは、俺が決めていい。

 

 

 

 決めた。

 

 今より、ちゃんと生きよう。

 

 母さんのことは、もう取り返せない。でも、この先の全部が、同じように奪われるとは限らない。狛治(はくじ)さんのことも、父さんのことも、今度こそ――。

 

 そこまで考えて、胸の奥に小さく灯った、名前のつけられない熱だけは、そっと蓋をした。

 

 今はまだ、見ないふりをする。

 

「恋雪(こゆき)さん、大丈夫ですか。ほら、また汗が……」

 

 狛治(はくじ)さんが、心配そうに顔を覗き込んでくる。

 

「だ、大丈夫です。ちょっと、感動しちゃって」

 

「感動、ですか……?」

 

 きょとんとする狛治(はくじ)さんは、年相応の少年にしか見えなかった。

 

 涙声のまま、なんとかそう誤魔化した。

 

 我ながら、嘘は下手だと思う。

 

 

 

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