恋雪にTS転生したので、猗窩座を救いたい人生だった   作:自分の性癖に素直になろう小説

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>10月10日の投稿1回目です。本日は3回投稿しております。

>今回の閑話は本筋の裏側、あるいは枝葉のお話。別視点の原作改変の舞台裏です。





閑話 連鎖

 

 父の死に顔は、思っていたよりずっと安らかだった。

 

 そのことが、玄真(げんま)にはかえって腹立たしかった。

 

 玄武(げんぶ)道場主・朝倉(あさくら)玄十郎(げんじゅうろう)は、容態が急変し、梅雨が開ける前に息を引き取った。もとより胸の病を抱えていたことは知っていたし、いずれ道場を継ぐ日が来ることも、覚悟のひとつやふたつは持っていたつもりだった。だが「いずれ」という言葉の曖昧さに、玄真(げんま)はどこかで甘えていたのだと思う。もっと先のことだと、勝手に線を引いていた。

 

 その線は、あっけなく踏み越えられた。

 

 葬儀は玄武(げんぶ)道場の格式にふさわしい規模で執り行われたが、玄真(げんま)の記憶にはほとんど残らなかった。焼香の煙と、次から次へと頭を下げてくる人々の顔と、耳元で交わされる小声の弔いの言葉。それらが一枚の薄い紙のように重なって、実感というものを押し流していった。悲しみを整理する暇すら、与えられなかった。

 

 四十九日を待たずして、家老格の重鎮たちが動き始めたのは、そういう意味では当然の成り行きだったのかもしれない。

 

「若様。道場の存続には、まず身を固めていただかねば」

 

 そう切り出したのは、亡き玄十郎の代から仕えてきた者たちだった。悪意があるわけではない。むしろ、この者なりの忠義から出た言葉なのだろうと、玄真(げんま)にも分かってはいた。分かってはいたが、それを素直に呑み込めるほど、心はまだ整っていなかった。

 

 縁談の話は、玄真(げんま)が知らぬところで既に骨組みができあがっていた。相手方の家格、持参金、家への影響——大人たちはそれらを、まるで将棋の駒でも並べるように語り合った。玄真(げんま)の意向が挟まる余地は、最初からほとんど用意されていないように見えた。

 

 そして、相手方の家から出された条件のひとつが、玄真(げんま)の胸に小さな棘のように刺さった。

 

「素流(そりゅう)道場との縁を、完全に断っていただきたく」

 

 理由は遠回しに語られたが、突き詰めれば単純な話だった。恋雪(こゆき)への未練とも取れる噂。狛治(はくじ)という、身分違いの拳術遣いとの奇妙な友情。そして数年前の、あの道場戦の因縁。それらすべてが、朝倉(あさくら)玄真(げんま)という男の「体面」に、拭いきれぬ染みとして映っているのだという。

 

「くだらん」

 

 一人になった部屋で、玄真(げんま)はそう吐き捨てた。だが、その声には、いつもの威勢の良さがなかった。

 

 くだらないと切って捨てられるほど、今の自分に力があるとは思えなかったからだ。

 

 父が最期に遺した言葉は、遺言というほど大層なものではなかった。ただ、うわごとのように繰り返した「道場を、守れ」という一言だけが、今では玄真(げんま)の中で異様な重みを持って響いていた。それは父の願いであり、同時に、玄真(げんま)自身が朝倉(あさくら)家の跡取りとして背負わなければならない、逃げようのない現実でもあった。

 

 守るために、断て。

 

 断つために、守れ。

 

 同じことを言っているはずなのに、玄真(げんま)の中ではその二つが、互いを削り合う刃のように噛み合わなかった。素流(そりゅう)道場との縁を断つことが、本当に道場を守ることになるのか。それとも、これは単に、大人たちが体裁を整えるための都合のいい理屈に過ぎないのか——考えようとするたびに、思考は堂々巡りを繰り返した。

 

 夜、誰もいない道場の板の間に一人座り、玄真(げんま)は竹刀の柄を握りしめた。稽古をする気力はなかった。ただ、何かを握っていなければ、自分の内側から込み上げてくる焦燥に呑まれてしまいそうだったからだ。

 

 父が急に消えた穴の大きさに、玄真(げんま)はまだ慣れていない。そこに縁談という重石が、待ったなしで押し込まれてくる。断れという声と、守れという声。そのどちらにも、玄真(げんま)自身の本当の気持ちを聞いてくれる者はいなかった。

 

 ——オレは、一体何を守ろうとしているんだ。

 

 その問いに、玄真(げんま)はまだ、自分なりの答えを見つけられずにいた。ただ焦りだけが、日に日に澱のように胸の底へ積もっていった。

 

 

 

 ***

 

 久太郎(きゅうたろう)が素流(そりゅう)道場の門をくぐったのは、まだ梅雨明けで夏日を感じさせる頃だった。

 

「慶蔵(けいぞう)先生、お久しぶりでございます」

 

 愛想笑いを顔いっぱいに貼りつけて、久太郎(きゅうたろう)は深々と頭を下げた。かつてこの道場で汗を流していた頃と比べ、体つきはずいぶんとたるみ、目元には人を値踏みするような、卑しい光が張りついている。

 

「……お前か」

 

 慶蔵(けいぞう)の声には、隠しきれない疲労と警戒が滲んでいた。何度目かも分からない。この男が「実家の母親が病で」と口にするたび、慶蔵(けいぞう)は情に絆されて金を貸してきた。だが、その金が本当に病の母親のために使われたことなど、一度もなかったのだろう。

 

「今度こそ本当に、母が」

 

「もう聞かん」

 

 慶蔵(けいぞう)は久太郎(きゅうたろう)の言葉を、最後まで言わせなかった。

 

「同じ手はもう食わんぞ、久太郎(きゅうたろう)。お前の母親は、達者に暮らしていると聞いた。いい加減にしろ」

 

 久太郎(きゅうたろう)の愛想笑いが、一瞬だけ強張った。だがそれもすぐに、へらへらとした媚びの表情に塗り直される。

 

「そんな、水臭いことをおっしゃらず……昔のよしみじゃありませんか。私だって、この道場で世話になった恩は忘れちゃおりません」

 

「恩を忘れとらんなら、まず借りた分を返しに来い」

 

 にべもない一言に、久太郎(きゅうたろう)はさすがに閉口したように肩をすくめた。だが、帰ろうとはしなかった。それどころか、話をだらだらと引き延ばしながら、視線だけはさりげなく道場の奥や台所の方へと這わせていく。誰がどこに何を置いているか、道場の暮らし向きがどう変わったか——金の匂いのする場所を、久太郎(きゅうたろう)は本能的に嗅ぎ分けようとしていた。

 

「……まあ、そう仰るのでしたら、今日のところは大人しく退散させていただきます。相変わらず、厳しいお方だ」

 

 わざとらしくため息をつき、久太郎(きゅうたろう)はようやく腰を上げた。だが、門を出る足取りはひどく緩慢で、未練がましく道場の敷地を振り返る。慶蔵(けいぞう)がすでに背を向け、道場の中へ戻っていくのを確かめると、久太郎(きゅうたろう)はその場に留まり、垣根の隙間からじっと屋敷の様子を窺い続けた。

 

 やがて、井戸端に人影が現れた。

 

 恋雪(こゆき)だった。

 

 幼い頃、この道場でしょっちゅう寝込んでは、青白い顔でよろよろと歩いていた病弱な娘。久太郎(きゅうたろう)の記憶にあるのは、そんな弱々しい姿だ。だが今、目の前にいるのは、すっかり娘らしい落ち着きを身につけた姿だった。

 

 ——へえ。ずいぶんと、大きくなったもんだ。

 

 垣根の向こうで洗濯物を干している恋雪(こゆき)は、まるで見違えるほどに成長していた。かつての儚げな面影を残しつつも、洗練された美しさを備えている。久太郎(きゅうたろう)の胸の内に、歪んだ執着と独占欲がじわじわと湧き上がる。

 

 白い襦袢(じゅばん)を物干し竿にかけるため、恋雪(こゆき)が両腕を伸ばす。そのしなやかな動作や、陽の光に透けそうなほどに白い肌は、かつての病弱さを想起させながらも、どこか周囲の目を惹きつける。

 

 久太郎(きゅうたろう)は物陰で、自身の口元が品悪く歪むのを止められなかった。頭の中ではすでに、その静かな生活を揺るがし、少女を己の支配下に置くような良からぬ妄想が広がっている。

 

 金を手に入れるだけでなく、この変化した娘をどのように利用してやろうかという執念が渦巻いていた。

 

「くひひっ……思わぬ収穫だな」

 

 こぼれ出た声は低く、濁っていた。洗濯物を干し終えて家の中へと消えていく恋雪(こゆき)の後ろ姿を、油断のない視線で見つめ続ける。金に女、この道場に、まだ何か引き出せるものはないか。そういう卑しい算段だけが、久太郎(きゅうたろう)の頭を占めていた。

 

 そんな中、部屋から、恋雪(こゆき)は誰に聞かせるでもなく、ぽつりと独り言を漏らした。

 

「それにしても。これは、強すぎる薬というよりも……ある意味で、毒みたいなものですよね」

 

 その言葉だけが、風に乗って垣根の外まで届いた。

 

 久太郎(きゅうたろう)は、思わず息を潜めた。

 

 何のことを言っているのかは分からない。だが「毒」という一言だけが、妙に耳の奥に引っかかって離れなかった。久太郎(きゅうたろう)は垣根の陰にしゃがみ込んだまま、しばらくの間、身動きひとつせずにそこに留まり続けた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 久太郎(きゅうたろう)が佐吉(さきち)のもとを訪ねたのは、その日の晩のことだった。

 

 かつて玄武(げんぶ)道場に出入りしていた頃から、二人はどこか馬の合うところがあった。持ちつ持たれつ、互いの弱みを握り合いながら生きてきた仲だ。佐吉(さきち)は今や道場を追われた身の上だったが、それでも玄武(げんぶ)道場の内情にはまだ通じている人間として、久太郎(きゅうたろう)にとっては都合のいい相手だった。

 

「素流(そりゅう)道場に、妙な薬があるらしいんだ」

 

 久太郎(きゅうたろう)は安酒を舐めながら、いかにも重大な秘密を分けてやるような口ぶりで切り出した。

 

「妙な薬、だと?」

 

「ああ。恋雪(こゆき)嬢ちゃんが、部屋で独り言をこぼしてるのを聞いちまってな。『これはある意味で毒みたいなもの』ってな。あの家、変わった薬でも隠し持ってるんじゃねえか」

 

 佐吉(さきち)は黙って盃を傾けながら、久太郎(きゅうたろう)の話を聞いていた。表情には出さなかったが、頭の中では既に、その一言をどう使うかという算段が動き始めていた。

 

 佐吉(さきち)にとって、素流(そりゅう)道場も玄武(げんぶ)道場も、もはや恨みの対象でしかなかった。拳術上がりというだけで軽んじられ、追い出された恨みは、玄武(げんぶ)道場に対してだけではない。そして、あの日、竹刀の細工が露見した時の佐吉(さきち)に対する追い込みは恨みもひとしおである。そして、その原因となった素流(そりゅう)道場もまた、佐吉(さきち)の中では等しく積み重なった恨みのひとつだった。

 

 ——両方とも、潰れちまえばいい。

 

 その思いだけが、佐吉(さきち)の行動の芯にあった。

 

「……面白い話じゃねえか。ちょいと、朝倉(あさくら)の若様に耳打ちしてやろう」

 

「若様に? 大丈夫なのか、あんた……」

 

「なに、今の若様は付け入りやすいのさ。親父様を急に亡くして、周りからは縁談だ何だと急かされてる。判断も鈍ってるだろうよ」

 

 佐吉(さきち)はそう言って、口の端だけで笑った。

 

 

 

 

 一人である出歩く玄真(げんま)に対して、佐吉(さきち)がへりくだった顔で近づてくるのを見かける。玄真(げんま)は初め、無視をするつもりでいた。

 

「若様、ご無沙汰しております。今日は、少々お耳に入れておきたいことがございまして」

 

「お前、まだこの辺をうろついてたのか。お前ごときに貸す耳なぞない」

 

 いらだちを込めて、歩き出す玄真(げんま)に対して佐吉(さきち)は声をかける。

 

「素流(そりゅう)道場の恋雪(こゆき)のことでして」

 

 それを聞いた玄真(げんま)は、ぴたりと足を止める。

 佐吉(さきち)はほくそ笑みながら、その背中に声をかけ続ける。

 

「いや、なに。大した話ではございません」

 

「……用件だけ言え」

 

 佐吉(さきち)は慇懃な態度を崩さぬまま、久太郎(きゅうたろう)から仕入れた話を、いかにも玄真(げんま)のためを思っているかのような口調で語り始めた。素流(そりゅう)道場に妙な薬があるらしいこと。恋雪(こゆき)自身が「毒のようなもの」と称していたことから、「毒物」を違法に所持している可能性があること。それが本当であれば、見つかれば即、島流しや死刑になる危険な代物であること。本来の話をわずかに膨らませ、佐吉(さきち)はやんわりと、それとなく核心をにおわせた。

 

「この機に、あの道場との縁を、少々整理なさってはいかがでしょう。何かと、若様の御身に障りとなる噂も多うございますし……」

 

 その先を、佐吉(さきち)は言葉にはしなかった。だが、暗に何を示唆しているのかは、火を見るより明らかだった。

 

 玄真(げんま)の中で、何かが音を立てて弾けた。

 

「……お前、三年前のことを忘れたわけじゃあるまいな」

 

 低く、抑えた声だった。だが、それだけに底光りするような怒気が滲んでいた。

 

「仕込み竹刀の一件、下男とお前が結託していたという話、オレが忘れたとでも思っているのか」

 

 佐吉(さきち)の表情が、わずかに強張った。

 

「若様、あれは私が――」

 

「黙れ」

 

 玄真(げんま)は佐吉(さきち)の言葉を遮り、拳を握りしめた。あの日、狛治(はくじ)に竹刀を叩き折られた屈辱は、今も体のどこかに刻み込まれている。だがそれ以上に、玄真(げんま)の中には別の感情があった。

 

 この数か月、素流(そりゅう)道場との間柄は、決して悪いものではなかった。むしろ、近頃、狛治(はくじ)とはどこかで通じ合うような時間もあったと、玄真(げんま)自身は思っている。恋雪(こゆき)のことにしても、幼い頃から見てきた分だけ、憎からず思う気持ちこそあれ、薬だ毒だと騒ぎ立てられるような、後ろ暗いものだとは考えていなかった。

 

 それを、こんな男の口車に乗って、勝手に「障り」だの「縁を断て」だのと踏みにじられる筋合いはない。

 

「お前のような男の入れ知恵で、あの道場をどうこうしようなど、思い違いも甚だしいわ」

 

 玄真(げんま)は吐き捨てるように言うと、佐吉(さきち)に背を向けた。

 

「二度と、この道場の傍に近寄るな。次に見かけたら、只では済まさん」

 

 その時の玄真(げんま)には、本当に、それ以上のことをするつもりなどなかった。

 ――少なくとも、この時までは。

 

 

 

 佐吉(さきち)は、それ以上何も言わなかった。ただ、去っていく玄真(げんま)の背中を見送りながら、その口元には、静かな――そして底冷えのするような笑みが浮かんでいた。

 

 まだ、種は蒔いたばかりだ。芽吹くまでには、もう少しの時がいる。

 

 

 

 

 ***

 

 数日後、素流(そりゅう)道場の裏手にある薪小屋から、白い煙が上がった。

 

 火の気の始末を怠ったものか、あるいは風にあおられた炭火の粉が飛んだものか、原因ははっきりしなかった。誰かが煙に気づいて叫んだ声を合図に、道場の内外は一気に慌ただしくなった。桶を手にした者、井戸へ走る者、隣近所から駆けつけてくる者。声と足音が重なり合い、普段は静かなこの一帯が、束の間だけ騒然とした。

 

 火の勢いはさほど強くはなかった。薪小屋の一角を焦がした程度で、じきに消し止められる見込みだったが、それでも人手はいくらあっても足りない。近隣の住人だけでなく、たまたま近くを通りかかった者までもが、桶を受け取り水を運ぶ列に加わった。

 

 その中に、玄武(げんぶ)道場に仕える下男の姿もあった。もとより、この界隈で人手が要り用になれば、隔てなく駆けつけるのが習わしのようなものだ。素流(そりゅう)道場と玄武(げんぶ)道場の間に、表向きどのような因縁があろうとも、火事場においてはそうした事情など二の次だった。下男は他の者たちに混じり、黙々と水桶を運び、燃え広がりそうな箇所へ土をかぶせては、また戻っていった。

 

 半刻ほどのうちに、火はすっかり消し止められた。焦げた木材の匂いだけが、しばらくその場に残った。

 

 薪小屋の一角を失った以外に、目立った被害はなかった。怪我人もなく、母屋にまで火が及ぶこともなかった。安堵の息をつく声があちこちから漏れ、集まっていた者たちは口々にねぎらいの言葉を交わしながら、三々五々、それぞれの持ち場へと散っていった。

 

 慶蔵(けいぞう)は近隣の者たちに頭を下げて回り、恋雪(こゆき)は水を運んでくれた人々に茶の一杯でも出そうとして立ち働いていた。誰もが、火が小さいうちに消し止められたことにほっとし、あとに残った煤や焦げ跡の片付けに気を取られていた。

 

 

 

 

 そうした慌ただしさの中で、素流(そりゅう)道場のとある一室に置かれていたすずり箱に、誰の目も向けられることはなかった。

 

 そして、その中から“ある物”が盗み出されたことに、誰も気づかなかった。

 

 

 

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