恋雪にTS転生したので、猗窩座を救いたい人生だった 作:自分の性癖に素直になろう小説
確かめたいことは山ほどあるのに、体がまるで言うことを聞いてくれない。
布団から起き上がっただけで軽く息が切れる。この体に転生してから何度目かわからない舌打ちを、俺は心の中だけでやった。表に出したら
――ここは本当に「あの作品」の世界なのか。
調べたい。自分の足で歩いて、近隣の噂を洗って、できれば刀鍛冶の里だの化け物退治の組織だの、そういう名前を拾い集めたい。前世なら検索窓に打ち込めば数秒で答えが出たようなことが、今はまったくできない。指先で叩けるのは畳の縁くらいのものだ。
仕方がないので、俺は聞き込みに切り替えることにした。標的はまず父さん――
庭に出ると、父さんはちょうど巻藁に拳を打ち込んでいるところだった。この人の道場は剣ではなく素手の拳術が本分で、刀を握っている姿というのをそもそも見たことがない。汗の飛沫を散らしながら、父さんはこちらに気づいて拳を止めた。
「なんだ、
「お父さん。剣ではなく人を斬る……その、鬼を狩るような集団の話とか、聞いたことありますか」
我ながら唐突すぎる質問だと思う。だが直球で聞けるわけがない以上、搦め手でいくしかない。この搦め手が我ながらド下手なのだが。
父さんは拳を下ろし、しばらく考え込んでから答えた。
「鬼を狩る、か。そんな物騒な話は聞かんな。悪さすると鬼に喰われるぞ、なんて子どもを脅す小言なら山ほど聞くが」
「それだけですか」
「それだけって、他に何がいるんだ」
……普通そうなるか。原作知識のかけらも出てこない、健全な田舎の躾け話だ。がっかりする自分に呆れつつ、俺はもう一押ししてみる。
「たとえば、赤い痣とか、日の光を嫌うとか、そういう化け物専門の集まりみたいなのは」
「
父さんの声が急に低くなった。しまった、と思う間もなく、大きな手が俺の額に伸びてきた。
「熱はないな。……お前、最近変な本でも読んだか」
まさか怪しまれる方向が「オカルト小説にかぶれた娘」だとは思わなかった。違います、と首を振りながら、俺は心の中で盛大に頭を抱えた。この調子で聞き込みを続けたら、確証を得る前に頭のおかしい子として家族に囲まれる未来しか見えない。
母・
「お母さん、呼吸って、息を吸ったり吐いたりする、あれとは別に何か特別な意味ってありますか。ぜ、全集中とか」
「……
困ったような、それでいて少し笑いを堪えるような顔をされる。当然だ。聞いたこともないような言葉を持ち出す病弱な娘なんて奇妙以外の何物でもない。それでも俺は食い下がった。
「
母さんは針を持つ手を止め、少し困ったように微笑んだ。
「聞いたことのないお名前ね。……変わった子ね、
母さんは針を置いて、俺の頬にそっと手を当てた。ひんやりとした指先が心地いい。
「そんな難しい言葉を覚える元気があるなら、少しはお昼寝の時間に回してちょうだい。あなたはすぐ無理をするんだから」
困ったように笑いながらも、目の奥にはやっぱり心配の色が滲んでいる。ちくり、と胸が痛んだ。俺が知りたいのはこの世界の秘密であって、母さんを困らせたいわけじゃないのに。
その一言に救われつつも、情報という意味では収穫ゼロだ。俺はため息を飲み込んで、次の標的に狙いを定めることにした。
――
あの男、素行はともかく、隣の
問題は、
「
「あ?」
「聞くも何も、オレが一番強いに決まってんだろ。誰の噂だ、そんなもん」
「いえ、
咄嗟に出た原作の名前、もしかしたら、
「――は? 誰だそいつ」
「え、いや、知らないなら別にいいんですけど……」
「知らねえよ! 聞いたこともねえ名前だ。どこの誰だ、そいつ」
ただの聞き込みのつもりが、
「どこのって、別に……知り合いでもなんでもなくて、ただ噂で聞いた名前を――」
「噂って、誰から聞いた噂だ。
完全に的外れな方向に話が転がり始めている。俺は慌てて首を振った。
「会ってません、そもそも会ったこともない人の名前ですし」
「じゃあなんでその名前知ってんだよ!」
前世の記憶ですとも言えず、俺は曖昧に言葉を濁すしかなかった。すると
「……わかったぞ。
「ん?」
「オレがどれだけお前のこと気にかけてるか、確かめたかったんだろ。可愛いとこあんじゃねえか」
全く違う。何一つ合っていない。訂正しようと口を開きかけたが、
「いいぜ。誰だか知らねえが、そいつに負けねえくらい強くなってやる。
「いや、そういう話じゃ――」
「木刀、あと百回振ってくる!」
俺の訂正を置き去りにしたまま、
結局、
(……誤解の種、また一つ増えたな。しかも今度は、会ったことすらない相手に)
結局、誰に聞いても要領を得ない。頭の中がぐるぐると同じ場所を回るばかりで、少しも前に進まない。
その夜、俺は珍しく寝付けずにいた。日中の失敗続きが尾を引いているのか、妙に頭が冴えて、胸の苦しさも心なしか軽い。こんな夜は珍しい。少し外の空気を吸えば、この堂々巡りの思考も整理できるかもしれない――そんな、いつもなら絶対にしない判断を、俺はしてしまった。
(今日は調子がいい。少しだけなら)
その慢心が命取りになると気づくのは、もう少し後のことだ。
母さんが眠りについたのを確かめて、俺は寝間着の上に一枚羽織っただけの格好で裏口から抜け出した。夜道は思っていたよりずっと暗い。月明かりだけを頼りに歩くというのが、これほど心もとないものだとは知らなかった。それでも、頭を冷やしたい一心で、俺は当てもなく足を進め続けた。
異変に気づいたのは、道場から少し離れた頃だった。
喉の奥が、ひゅっと鳴る。
しまった、と思った時にはもう遅い。真っ暗な中で息が上がっていく感覚は、昼間よりも何倍も恐ろしい。誰かに気づいてもらうことすら期待できない場所と時間だ。膝から力が抜けて、俺は道端に崩れ落ちた。
(最悪だ。こんな真っ暗な中で……)
意識が薄れていく中、ふと、誰かの気配がすぐそばに立った。足音すら聞こえなかったのに。
「――大丈夫? 息を、ゆっくり」
静かで、それでいて有無を言わさぬ響きを持つ声だった。何かを飲まされる感触があり、驚くほど早く息苦しさが引いていく。ただの薬草には出せない効き目だった。
目を開けると、月明かりの下に一人の女性が座り込んでいた。黒髪、整いすぎた顔立ち。だがそれ以上に目を引いたのは、その瞳の色と、口元からわずかに覗く牙、そしてどこか作り物めいて白い肌だった。人ではない、と直感する。同時に、なぜこんな夜更けに、こんな女性が一人で出歩けているのかも合点がいった。
「あなたは……」
「通りすがりの者です。こんな夜更けに、こんな場所で倒れているとは、危うい真似をしますね」
女性はそう言って、俺の顔をじっと覗き込んだ。値踏みするようでいて、どこか懐かしむような眼差しだった。
「発作の頻度と息の上がり方……相当重い病ね。それでいて、諦めた顔をしていない。珍しい子」
言葉の選び方が、ただの通行人にしては専門的すぎる。医者なのだろうか、と思う間もなく、女性は独り言のように続けた。
「昔、私にも……ああ、いいえ。忘れてください」
一瞬だけ、その表情に影が差した。俺はその影の正体を知らない。だが、笑みの下に隠しきれない何かが滲んでいるのだけはわかった。深く踏み込んではいけない領域だと、本能が告げていた。
「私は医者のようなものよ。……例え、今は人でなくなったとしても」
その言い回しに、俺の中で何かが引っかかった。人でなくなったとしても――それは、原作のどこかで聞いたことのあるような響きだった。
「あなたは、優しい子のようですね。それに――強い」
「……強い、ですか? 俺、じゃなくて、わたし、こんなに弱いのに」
思わず素が出かけて、慌てて言い直す。女性はそれを気にする様子もなく、静かに目を細めた。
「体は弱くても、目が死んでいない。諦めていない目よ。……昔の私が見たかった目、といったところかしら」
独り言のようなその一言に、俺は妙な胸騒ぎを覚えた。この人は、何か途方もなく重いものを背負っている。楽しげに笑う口元の裏に、氷のように冷たい何かが張り付いている気がした。優しさと、底の見えない恐ろしさ。その両方が、同じ顔の中に同居している。
――この人を、敵に回してはいけない。理屈より先に、そう思った。
女性は懐から小さな包みを取り出し、俺の手に握らせた。
「今日のところは、これで。夜が明ける前に、戻りなさい」
「ま、待ってください……!」
女性が踵を返しかけた瞬間、俺はほとんど無意識のうちに手を伸ばし、その袖を掴んでいた。力の入らないはずの指に、自分でも驚くほどの力がこもる。振り払われれば簡単に離れてしまうような、弱々しい握り方だったはずなのに、なぜか離したくなかった。離してはいけない気がした。
「お願いします……! もし……もし俺に――わたしに、何か、力を分けてもらえるようなことがあったら……!」
言葉になっていない。自分でも何を言っているのかわからないまま、口だけが先走っていた。原作の記憶が正しければ、この人は「治す」力を持っている。人ではないものになる力も。確証なんて何もない。ただの願望が、聞きかじりの知識と混ざり合って、喉の奥から溢れ出してくるだけだ。
それでも、止められなかった。
この機会を逃したら、次はもうないかもしれない。この人が本当に「
女性はしばらく黙って、俺の――正確には、俺の手の力の入り方を見つめていた。値踏みするような視線が、いつのまにか驚きに似た色に変わっている。
「……力、ね」
女性は静かに呟いた。その声に、俺を突き放すような響きはなかった。かといって、頷くような響きでもない。
「あなたが何を求めているのか、私にはまだわかりません。けれど――今にも消え入りそうな体で、それでもこんなに強く縋ってくる子には、初めて会いました」
その女性がその美しい顔を近づけてくる。
「あなた――名前は?」
俺はかすれた声で、自分の名前を告げる。
初めて、原作に……「あの作品」のふちに、指がかかったのを感じた。
***
女性はゆっくりと自分の手を持ち上げ、俺の指に軽く触れた。振り払うでも、離させるでもなく、ただ確かめるように。
「覚えておきます。あなたの名前も、顔も、この手の力も」
「それは……」
「答えは、今すぐには渡せません。私にも、詳しく話せない理由があります。……けれど、忘れはしません」
それだけ言うと、女性は俺の手をそっと自分の袖から外させ、音もなく闇の向こうへ溶けていった。引き止める力は、もう俺には残っていなかった。
その後ろ姿を見送りながら、俺の中で確信めいた予感が膨れ上がっていく。
(……
声には出せなかったその名前を、俺は何度も心の中で反芻した。単独行動の代償は大きかったが、それを補って余りある収穫だ。この世界が「あの作品」の世界であることは、これでほぼ確信に変わった。
同時に、猛烈な自己嫌悪も襲ってくる。真夜中に一人で抜け出したことが露見すれば、母さんや父さんからの叱責では済まないかもしれない。
(……でも、悔いはない。むしろもっと早く動けばよかった)
軽口を叩きながらも、俺の胸の奥には、自分でも制御できなかったあの必死さの正体が、いつまでも静かに残り続けていた。
「私の名前は、
去り際に、一言いって闇に消えていく。
そして、俺はこの後に起きること、これからの未来に思いをはせる。
「そこ」には救いたい、救わなければならない人たちがいた。
>本作の
>明日からの平日は20時投稿。土日は朝晩8時の投稿予定です。一応、完結させていますので、良ければ最後までお付き合いください。