DS 〈デジタライズ・ストラトス〉リ・デジタイズVer. 作:LAST ALLIANCE
ここからいよいよ学園生活が始まります。
控室で休んでいだ正義は一通り落ち着いた後、ピットに向かっていた。理由は第3試合のナタリアとソヒョンの試合を観戦する為。もう自分の試合は終わった。1勝1敗。それが結果。
試合は間違いなくナタリアが勝ち、彼女がクラス代表になる。そう考えながら廊下を歩いていると、正義の目の前にナタリアが立っていた。
「ナタリアさん……」
「……見事だったわ、マサヨシ。試合は私の勝ちだったけど……本物の戦場なら、私は貴方に殺されていた。『勝負』には完全に負けた」
ナタリアは最大の敬意と敗北の認諾を送るが、正義は拳を固く握りしめながら耐えていた。
胸の奥でドス黒い悔しさが渦巻き、歯の根が噛み鳴りそうになるのを抑えつつ、正義は意識して息を整え、努めて平然とした態度で言葉を返す。
「(笑うな……表情に出すな……! 相手は正真正銘の化け物。敗者が惨めに悔しがって見っともない姿晒すな……!)……ありがとう、ナタリアさん。でも、負けたのは僕だ。実力不足と経験不足だった……ただそれだけの話だよ」
静かに、どこか冷ややかですらある落ち着いた声で一礼を返した正義。
自分の感情を寸前で完璧に殺し、ポーカーフェイスを貫く彼の姿に、ナタリアは微かに目を見張り、そして感心したように微笑む。
「……ふふ、どこまでも誇り高い男ね。……次に拳を交える時を楽しみにしているわ」
「僕もだよ。次は負けないよ?」
ナタリアが立ち去るまで、正義は背筋を伸ばし、完璧に“落ち着いた敗者”を演じきってみせた。
「——だから言ったのよ! たかが一般機相手に手こずって! 我が国と協会の面目を潰すつもりなの!?」
(何だ!?)
ナタリアと別れ、廊下の角を曲がろうとしたその時だった。廊下の向こう側から耳を刺すような甲高い怒号が漏れ聞こえて来た。
通り過ぎようとした足がピタリと止まった。静かに聞き耳を立てながらその声を確認すると、金切り声に近い甲高い女の声だった。
その女性の正体を確認すると、上質なスーツを着合わせた韓国IS協会の幹部と思われる中年女性。その前で、ソヒョンは処刑を待つ罪人のように深く首を垂れている。
(……嫌な光景だな。例え世界の何処に行っても、こういう権力を振りかざす奴は変わらないって事か……)
正義の脳裏に前世の苦い記憶―ブラック企業での過労死寸前の日々が過ぎる。
理不尽なノルマ。無能な上司からの罵詈雑言。深夜のオフィスで“お前の代わりなどいくらでもいる”と怒鳴られ続けたあの悪夢のような日々。
あの時、無力だった自分はただ耐えることしかできなかった。 だが、耐え続けた末に学んだ“自衛手段”だけはこの肉体にも、魂にも刻み込まれている。
――パワハラと理不尽な攻撃に対して、唯一対抗できる武器は“客観的な証拠”だけだ。
胃の奥が痛むのを感じる同時に、正義の手が勝手に動いていた。
ポケットから取り出したのは小型ボイスレコーダー。IS学園に入学が決まった時、両親が“女尊男卑の世の中だから、理不尽な目に遭いそうになったら迷わず使いなさい”と持たせてくれた物だった。
親心からの“お守り”のつもりだったのだろうが、前世で嫌というほど修羅場を経験してきた正義の手は、もはや職人技の域でそれを扱えてしまった。
手元すら見ず、親指の爪でカチリと微かな手応えを確かめる。サイドのスイッチを滑らかにスライドさせて録音機能を起動させた。正義は壁の影に静かに身を潜め、レコーダーの集音マイクを扉の隙間へと向ける。
(父さん、母さん……ありがたく使わせてもらうよ。ちょっと用途は違うかもしれないけどね)
心の中で両親に感謝しつつ、冷ややかな目で液晶画面の録音カウントが増えていくのを見つめる。録音対策もナシに廊下に聞こえる大声で怒鳴り散らす姿。それは正に典型的な無能上司だった。
しかし、録音カウントが進むにつれ、スピーカーから拾われる女の言葉に、正義の顔からスーッと血の気が引いていった。
「……そもそも、あの制御ラインの不具合など、最初から分かっていたことです! ハンボ財閥からの納入パーツに多少の欠陥があろうと、協会の決定として採用した以上、現場の貴女が口出し出来る事ではありません!」
(……は? え、待って! ちょっと待って! これ、大問題じゃないか!?)
壁の影で、正義は思わず目を見張り、冷や汗が背中をダラダラと伝うのを感じた。最初は聞いている間にただの成績不振へのパワハラかと思っていた。
しかし、蓋を開けてみれば大スキャンダルになる案件だった。特定の財閥からの欠陥パーツ納入。政治的癒着と裏金の臭い。劣悪な整備性の放置。そして事故が起きたら現場の生徒に全責任を擦り付けて隠蔽する算段。
これはもし世間になったら、汚職と不正で協会幹部の首が数十本吹き飛ぶレベルの激ヤバ大醜聞だった。
(うわぁ……うわぁ……何これ、前世でも見聞きした韓国の政治と財閥の汚職構造そのまんまじゃん……これが不正の裏側って奴か……これをナマで聞けるなんて嬉しくもなんともないよ。録音ボタン押した手、一瞬震えちゃったよ……)
そのエグ過ぎる内容にドン引きしながらも、正義は前世で鍛え上げられた“コンプライアンス意識”と社畜魂を呼び起こし、必死に冷徹な思考を保っていた。
(でも……ここまで決定的な“組織ぐるみの欠陥隠蔽と汚職の録音証拠”が取れたなら、もう言い逃れは不可能な筈だ。あの女性がどういう役職かは知らないけど、これは完全に社会的に詰んでるな)
「……気合いや技術でどうにかなる問題ではありません!」
正義が知らぬ間に詰んでいる韓国IS協会の女性の事を嘲笑っていると、ソヒョンの絞り出すような、それでいて毅然とした反論が聞こえてきた。
「あの財閥のパーツを使って開発されたISは過去に何度も事故や故障を起こしていました。その度に現場から詳細なレポートを何度もそちらに提出しました! それをすべて無視して握りつぶし、対応を怠り続けたツケが今ここで出たんです! これ以上現場に全ての責任を擦り付けないでください!」
(えっ!? 現場から何度もレポートが上がっていたのに黙殺していたって事!? 信じられない……今まで死者が出ていない事が奇跡だぞ……!)
正義がソヒョンのぐうの音も出ない、正論と言い切れるような現場の悲痛な叫びに愕然としている一方、女幹部は、その事実を受け止めるどころか、醜く顔を歪めて甲高い金切り声を上げた。
「黙りなさい黙りなさい黙りなさぁいッ!!! 生徒の分際で私に意見する気ですか!? レポートだ何だと生意気な口を利いて、我が協会と私の顔に泥を塗るつもり!?女の腐ったような……不出来な出来損ないがッ!!」
(うっわ……これはひどい……前世の黒歴史とセットで胃と頭が痛くなってきた……頭痛薬持ってくれば良かった……)
扉の隙間から漏れ出る、耳を刺すようなヒステリックな怒号。
甲高く理不尽な叫び声が鼓膜を揺らす度に、正義の脳裏に前世でサービス残業中に理不尽な怒声を浴びせられ続けた苦い記憶がフラッシュバックしてきた。
何時の間にかこめかみのあたりがズキズキと痛み始め、こめかみを指で押さえ、痛みに眉をひそめながら、心底うんざりした息を吐き出した。
(もう我慢の限界だ。聞いてるだけで寿命が縮む。……さっさとこの不快なノイズを止めて、あの幹部を社会的に詰ませて終わらせよう)
正義はボイスレコーダーをポケットに収めると、ゆっくりとソヒョンと女幹部の所に向けて歩き始めた。
「どうも。御取込み中失礼します」
「な、何ですか貴方は!? 今は重要な内部協議中……」
「廊下まで金切り声が響いてますよ。……頭にガンガン響くので、少しトーンを下げていただけますか? こっちはついさっきまで試合してたんですよ?」
突然の第三者の乱入。怒号を上げていた女幹部が不快そうに眉をひそめて正義を睨みつける一方、正義はこめかみを指で軽く押し、頭痛を抑えていた。
「なっ……! 一生徒の分際で生意気な! さっさと立ち去りなさい!」
「僕は一向に構いませんが、後でとんでもない事になるのは貴女の方じゃないですか?」
「どういう……事よ?」
「『ハンボ財閥の欠陥パーツ』の件、全て聞こえていました」
「……な、何を言っているの……?」
正義は前世の社会人生活の中で嫌というほど叩き込まれた“トラブル原因の特定手順”を頭の中で組み立てながら、女幹部の目を真っ直ぐに見据えた。
「過去に何度も現場から不具合報告が上がっていたにも関わらず、政治的利権と自分の権力維持の為に放置。挙げ句の果てに“現場の気合い不足”として処理しようとしている。……これ、何を意味しているか、分かりますか?」
「な、何よ……」
「不正隠蔽とコンプライアンス違反。あ、組織的な業務上過失致死の予備行為もでした」
「あ、貴方……! 何を分かったようなことを!」
「分かっていないのは貴方です。よくそれで協会幹部をやっていられますね。どうせ政治的な癒着でしょう。汚職とか賄賂。韓国では日常茶飯事ですよね?」
「え、あ、あの……」
まさか自分を庇って正義が淡々と事実と理論で詰めるとは思っておらず、ソヒョンは涙目になりながら両手をパタパタさせてアタフタと右往左往するしかない。
「良いですか? また事故が起きたとしましょう。そう何度も、しかも短期間に事故が起きるなんて普通なら有り得ない。そこで監査が入った時、検察や第三者機関に叩かれるのは、現場で悲鳴を上げていた操縦者や整備士の方々ではありません。報告を握り潰して強硬起用を指示した“責任者である貴女”ですよ」
「そ、そんな……」
「まぁ今までならご自慢の権力で握り潰せていたでしょう。しかし、今度はどうでしょうね?」
そう言い切ると、正義は自慢げにポケットからボイスレコーダーを静かに取り出した。 その液晶に灯る”録音中”の文字を見せつけると、女幹部の顔から一瞬で血の気が引いていく。
「あ、そうそう。ちなみにさっきまでのヒステリックな暴言も、ハンボ財閥との癒着を認める発言も、最初から最後までバッチリ録音できています。それにまだありますよ?」
「ま、まだ……?」
「ここはIS学園の敷地内。自国の生徒に対し機体の不具合隠蔽を強要し、理不尽なパワーハラスメントを行った。……これ、普通に事案ですよね? もし学園長やIS委員会の査察や調査が入ったら……ただでさえお先真っ暗な韓国のIS業界、終わるんじゃないですかね?」
正義の心は氷のように冷めたままだった。前世で理不尽な上司に書類を投げつけられ、理不尽な叱責を喰らっていた時に比べれば、こんな状況下でも何の恐怖も感じない。
「……さて、どうしますか? このまま感情任せに怒鳴り続けても良いですよ? どのみち僕はこれを学園側に提出しますから。それとも、今ここでソヒョンさんにこれまでの無礼を謝罪しますか?」
「ふ、ふざけるぁっ!そのレコーダーを寄こしなさい!」
ついに冷静さを完全に失った女幹部が、顔を真っ赤にして正義に飛びかかろうと踏み出したその瞬間、殺気立った空間を、冷徹で重厚な靴音が鋭く鳴り響いた。
「随分と騒がしいな。何事だ」
一瞬で通路の空気が凍りついた。 振り返った面々の視線の先に立っていたのは2人の女性教員だった。
1人は腕を組み、冷ややかな殺気を隠そうともしない織斑千冬と、その横で呆れたように深々と溜め息をつく真耶。
「お、織斑千冬……!?」
「織斑先生!? どうしてここに?」
正義と女幹部が同時に反応する中、真耶が困ったように眉を下げながら前に出た。そこにいるのは温和でドジっ娘気質の女性ではない。IS学園の教師かつ元日本代表候補生。
「困りますよ、チョ・ハンジンさん。ここはIS学園の敷地内……。許可なく立ち入った上に、我が校の生徒と候補生に怒号を浴びせるなど、明らかな協定違反です」
「違うわ! これは我が国の内部問題! 他国の人間にとやかく言われる筋合いは……」
言いかけたハンジンの言葉を、千冬が一歩踏み出しただけで生じる圧倒的な威圧感が力任せに叩き潰した。
「——黙れ」
(な、何て威圧感なんだ……!)
低く、しかし骨に響くような千冬の声。ハンジンはヒッ、と息を飲み、背筋に冷や汗を走らせる一方、正義も千冬の凄まじい威圧感の前に直立不動になるしかなかった。
「我が校の生徒に手を出そうとしたことも、この学園のルールを無視してヒステリックに喚き散らした事も……全て見過ごすつもりはない。これ以上見苦しい真似を晒すなら、IS委員会へ正式に申し立てを行い、貴様らの出入りを永久に禁止するが……どうする?」
「クッ……! お、覚えていなさい!」
千冬の放つ“本物の覇気”に完全に呑まれたハンジンは、捨て台詞を残して蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
「……ふぅ。全く、見苦しい大人ですね……」
真耶が呆れたように呟く一方、千冬は去っていくハンジンの背中から視線を外すと、暮石レコーダーのスイッチを切った正義と、アタフタしたまま固まっているソヒョンへと鋭い視線を向けた。
「……で? さっきまで何をやっているんだ、正義?」
「……いや、ソヒョンさんが理不尽なパワハラを受けていたので放っておけず……」
「そうか……」
千冬は息を吐き、どこか呆れたような、しかし微かに温かみのある眼差しで正義を見つめる。その眼差しに一瞬戸惑うも、正義は笑顔を浮かべる。
「ソヒョン。大人たちのくだらんメンツや都合に付き合う必要はない。お前がどうしたいか、お前自身で決めろ」
千冬のその言葉と、隣で優しく頷く真耶、そして自分を全力で守ってくれた正義の存在。 ソヒョンは溢れそうになる涙をグッと押し殺し、深く、強く頷いた。
そして胸に手を当て、意を決したように千冬と正義を見つめると、ゆっくりと、しかし凛とした声で言葉を紡いだ。
「……はい。私……第3試合を棄権いたします。もう、誰かの都合や言い訳のために戦いたくはありません」
「……よし。その返答を聞ければ十分だ」
千冬は満足そうに小さく頷くと、傍らの真耶へ視線を送ると、真耶は心得たとばかりに端末を操作し、運営本部へ迅速に連絡を入れた。
数分後、アリーナ全体に静寂を破る無機質なアナウンスが響き渡る。
『——お知らせいたします。第3試合に出場予定のパク・ソヒョン選手より棄権の申し出がありました。規定により、ナタリア・スアレス=ナバロ選手の不戦勝となります。……以上をもちまして、1年3組のクラス代表決定戦の全日程を終了いたします』
スピーカーから流れるアナウンスを聞きながら、正義は長かった戦いの終わりを実感し、深く息を吐き出した。
(……これで、終わりか)
身体にドッと押し寄せる疲労感と痛みに顔を歪めながらも、その胸中には不思議と爽快な風が吹き抜けていた。自分の敗北。ソヒョンの救済。そして大人たちの思惑を撥ね退けた幕引き。
波乱に満ちた1年3組の代表決定戦は、こうして静かに、しかし確かな禍根と新たなドラマの種を残して幕を閉じたのだった。
「しかし正義、なぜそんなボイスレコーダーを持ち歩いている?……手慣れたものだな」
「ああ……これですか? 学園に入る時、両親が持たせてくれたんですよ。“世間は女尊男卑だから、理不尽な目に遭いそうになったら迷わず使え”って」
ハンジンを追い払い、静まり返った廊下。千冬はふと気になった事を正義に尋ねると、正義は苦笑いを浮かべながらボイスレコーダーを見せて答える。
まさか前世で、ブラック企業に勤務していた時に使っていた何て口が裂けても言う事が出来ない。だからこそ苦笑いを浮かべた。
正義の答えを聞いた千冬は一瞬だけ目を見張り、それからフッと口元を緩めて正義の肩をポンと力強く叩いた。
「そうか。……良い両親だな」
「ええ、自慢の両親です。……ところで織斑先生。この録音データ、先生に預けます。僕やソヒョンが持っているより、先生が“学園の公式な抗議”としてあいつらに突きつける方が、一番打撃が大きいでしょうから」
「ふっ……分かっているじゃないか。任せておけ、我が校の生徒に不当な圧力をかける奴らには、相応の落とし前をつけさせてやる」
千冬はボイスレコーダーを受け取ると、不敵な笑みを浮かべて歩き去っていく。その姿を頼もしそうに見つめる正義に、髪を整え直したソヒョンが頭を下げる。
「正義さん。さっきはありがとう」
「こちらこそ。実は数日前にさ、セシリアさんとマドカさんからそっちの国のIS事情については大体聞いていたんだ。多分協会のお偉いさんが来るだろうと思っていたけど……まぁ予想通りだったよ。それにしても……今日の試合、君の専用機に使われていたパーツが欠陥品じゃなくて万全な状態だったとしたら……勝っていたのは君の方だった。それくらい、君は操縦技術と戦い方がしっかりしていた」
「……ありがとう。でも、それは違うわ」
正義の言葉に、ソヒョンははにかみながらお礼を言うも、直ぐに自嘲気味に答えながら壁に寄りかかった。
「チョ・ハンジンをはじめ、財閥の一族や協会の連中は、ISを“国の威信”や“自分たちの権力を誇示するための飾り”としか思っていないの。現場のエンジニアやパイロットの事なんて二の次で、見た目の数値や自分たちの顔立てばかりを優先する。あんな欠陥パーツが平然と回されてくるのも、それが理由よ」
「マジかよ……そりゃ次の代表候補生が育たないってのも納得が行くよ」
「そこまで知っているのね……そうよ、正直韓国のIS業界は冬の時代に突入する、うぅん。もう突入していると言えるかも」
ソヒョンは自身の国のIS開発を取り巻く歪んだ環境についてポツリポツリと語ると、まっすぐに正義を見つめ直した。
「だからね、正義さん。仮に機体が万全で、欠陥が一切なかったとしても……私は間違いなく貴方に負けていたわ」
「何で? 正直、あの勝利は10回やって1回勝てるかどうかのチャンスをたまたま掴めただけだと思っているけど?」
「うぅん。そんなことはないわ。試合中、貴方は私の機体の動きや武装を見て戦い方を考えていた。そしてそれを実行していた。技術や経験では私の方が勝っている。でも、貴方は“戦士”として私の機体や戦い方を完璧に把握した上で、私に勝利した。仮に万全な機体で戦っていたとしても、最後に勝利するシナリオは変わらなかったと思う」
ソヒョンは試合を通して理解した。正義の強さを。技術や経験の差を、戦術とガッツで泥臭く埋める事を。
「……確かに完璧な状態で戦えなかった悔しさはあるわ。でも、貴方に負けたこと自体に何の言い訳もないわ」
「ソヒョンさん……ありがとう。僕も君と試合出来て本当に嬉しかったよ。これから大変な事になると思うけど、お互い頑張ろう」
ソヒョンはどこか憑き物が落ちたような、すっきりとした表情で微笑むのに合わせ、正義も何処か晴れ晴れとしたような笑顔を浮かべた。
「正義! お疲れ!」
ピットに戻った正義を待っていたのは純一と簪だった。彼らの姿を確認した瞬間、正義の中でつい先ほどまで張りつめていた緊張の糸が切れ、脚からスーッと力が抜けた。
「おい、正義! 大丈夫か!?」
「正義……!」
壁にドサリと背中を預けながらずるずると床へ崩れ落ちる少年。自分に駆け寄る純一と簪の顔が見えた瞬間、正義の中でギリギリまで耐えていた感情が、音を立てて弾け飛んだ。
「……くそ!」
ポツリと漏れ出た声。 正義は顔を両手で覆い、床に膝をついたまま、全身をガタガタと激しく震わせ始めた。
「クソっ! クソォぉぉぉぉぉぉッ!! 何だよあの最後の一撃は! あそこで躱しきれていたらまだ勝てたかもしれないのに……!なんだったんだよ、あの最後の一撃は! あとコンマ数秒、スラスターの絞りが速ければ……! 僕がもっと機体を乗りこなせていれば勝てたのに!!」
正義の両目からボロボロと溢れ出す大量の涙。ナタリアの前で必死に殺していた“勝ちたかった”、“届かなかったのが悔しくてたまらない”というドロドロとした本音が、嗚咽となってピット中に響き渡る。
「……あんな化け物に認められただけで満足できるかよ! 勝てたはずなんだ! 僕がもっと上手く専用機を乗りこなせていたら……」
「正義……」
純一は言葉を失い、静かに正義の肩に手を置いた 簪は膝をつき、自分が教えた戦術を、自分が仕込んだショットガンを100%使い切ってくれた正義の頭を、愛おしそうに、優しく胸元へ抱き寄せる。
「……正義は凄かった……私、アニメが好きで……昔から、勧善懲悪のヒーロー物をよく見るの」
ぽつり、ぽつりと語りかける簪の声はどこまでも優しく、暖かかった。その声に正義はゆっくりと顔を上げる。
「テレビの中のヒーローは……いつも綺麗に勝って、格好いい技を決める。でもね、今日……私が一番格好いいと思ったのは……傷だらけになっても、泥まみれになっても最後まで諦めないで、必死に食らいついた正義だった」
「かん……ざし……さん……」
「……私にとって、今日の正義は……どんなヒーローよりも格好良かった。泥臭くて……最高に、格好良かったよ……」
そう言いながら、簪の大きな瞳からもポロポロと大粒の涙が零れ落ち、正義の頬を濡らした。 正義の悔しさを誰よりも理解し、自分の機体を、自分の武器を、自分自身を命懸けで信じてくれた相棒の涙だった。
「……うわぁぁぁぁっ……!」
正義はプライドも何もかも投げ打ち、簪の胸に顔を埋めて、子供のように声を上げて泣き続けた。 純一も何も言わず、静かに貰い泣きながら正義の肩を強く叩き、共にその悔しさを分かち合う。
どれほどの時間が経っただろうか。 ひとしきり涙を流し尽くした正義は、ゆっくりと顔を上げた。 腫らした目には、もう悲壮感や迷いは一切なかった。残っていたのは、静かに燃え上がる不屈の炎だけだ。
「……ありがとう、二人とも」
正義は腕で力任せに涙を拭うと、握りしめた拳を自分の胸に強く当てた。
「……今日は上手くいかなかったけど、次は絶対に届かせる。もっと練習して、強くなって……今度こそ超えてみせる!」
泣き顔のまま力強く宣言する正義に、純一は頼もしくニヤリと笑い、簪も涙を拭いながら嬉しそうに頷くと、静かにドアが開く音と共に、スコールとオータムが姿を現す。
「あら、男の子がそんなに泣いちゃって。……正義君。私も観客席から見させてもらったけれど、あのナタリアさん相手に“さっさと失せろ”なんて決め台詞言ってから零距離発砲だなんて……とびきりクレイジーで最高にシビれる試合だったわよ?」
「……ああ。結果は敗北だったが、相手のスタイルを完全に破壊し、機体の相性と実力と経験差を戦術と覚悟で強引に埋めてみせた。戦士としての立ち回りは満点以上だ。……よくやった、正義」
「ありがとうございます……」
スコールとオータムの賞賛に涙を拭い、息を整えながらお辞儀をする正義だったが、そんな彼と簪をオータムは一転して、鋭く冷徹な眼光で見据える。
「だが、それとこれとは話が別だ。簪、そして正義」
「えっ……?」
「ふふ、そうそう。いくら本番でいいところを見せたからって、裏でやった“あの無茶な連日連夜の過密シミュレーション特訓”……あれはちょっとやり過ぎね。身体データと機体ログを見れば一目瞭然よ」
「勝つための準備は評価するが、自己管理を怠る者は、本物の戦場では真っ先に命を落とすぞ」
「……申し訳、ありません。私が無理を言ったから……」
「違います! 簪さんは僕の無茶ぶりに付き合ってくれただけなんです! 悪いのは全て僕なんです!」
ぎゅっと唇をかみ締め、俯きかける簪を見かねて、正義は精一杯フォローしながら自分の責任を認める。
「はいはい、お互いを庇い合わない! ……まあ、今回はその“無茶な特訓”があったからこそ、あのナタリアさん相手に一矢報いたのも事実。 お咎めはこれくらいにしておいてあげるわ」
「……悔しさは次に活かせ。お前が流したその涙と、無駄にならなかった特訓の成果は、間違いなく次なる戦いの糧になる。……ゆっくり休め」
「はい! ありがとうございます!」
オータムは静かに息を吐き、正義の肩に重い手を置きながら激励すると、正義は元気よく答えた。
「へぇ〜? 君が世界で2人目の男性操縦者?」
「ッ!? 束……博士……」
寮部屋に戻っている最中。廊下を静かに歩いている正義の目の前に、1人の女性が現れた。その姿を見た正義は固まってしまう。
ウサミミ調のカチューシャを付け、胸元が大きく開いたエプロンドレスを着用している女性。その女性の姿を見て、正義の頭に最高レベルのアラートが鳴り響く。
「ふ~ん? 何か、君……いっくんやちーちゃんとは何か違うんだよね~な〜んか変なノイズが混ざってるというか……ねぇ、君って“何者”なの?」
(やばいやばいやばい……! なんでここに篠ノ之束がいるんだよ!? と言うか、僕の正体に気付いているみたいだし……このままだと連れ去られて解剖されちゃう……!)
原作知識があるからこそ、目の前にいる女性の恐ろしさが分かってしまう。ISの基礎理論をたった1人で考案・実証し、全コアを造った自他ともに認める稀代の天才科学者。
頭脳だけでなく身体能力も優れており、千冬と同じようにIS使用者と素手で渡り合えるほどの戦闘能力も併せ持っている。
ただの一般人の自分が勝てる相手じゃない。束の笑顔の奥にある底知れない底なし沼のような目を見て、正義の背筋に氷を突きつけられたような悪寒が走り、声も出ずにガタガタと後ずさる。
「そこまでだ、束さん」
正義が壁際に追い詰められかけた瞬間、静かで厳かな男性の声が響いた。束と正義が声がした方向を見ると、そこには八神カズマが立っていた。
「あっ、カズ君……相変わらずお堅いね。ちょっと気になった彼を“観察”しようとしただけだよ~」
「貴女の言う“観察”ほど信じられない物はない。彼は私の大切な教え子だ。悪いがモルモットにさせるつもりはない。これ以上踏み入るなら、例え君が財団に入っている身だとしても容赦しないぞ?」
「はいはい、君は相変わらず過保護なんだから。ま、いっか! またね〜♪」
束はカズマが見せた静かな闘気を察して肩をすくめると、正義に笑顔を見せてから消えて行った。
その瞬間、正義は膝から崩れ落ちそうになり、壁に背中を預けながら荒い息を吐いた。カズマは束がいた場所に視線を向け、呆れたように溜息をついた。
「八神先生……ありがとうございます。助かりました……本気で死ぬかと思いました……」
「災難だったな……奴は神出鬼没で直感は異常だ。だが、怯える必要はない。君は私が守って見せる」
「そこにいましたか、八神先生」
そこに軍服姿の2人の女性がやってきた。ヴィクトーリアとエレーナ。ヴィスコンティ財団の総帥と次期総帥の2トップ。
「お疲れ様です。ヴィクトーリア総帥、エレーナさん」
「えぇ、お疲れ様。正義君。初めまして。私はヴィクトーリア・ヴィスコンティ。ヴィクトーリア財団の総帥よ」
「私はエレーナ・ヴィスコンティ。総帥の養子です」
「ヴィスコンティ……財団?(何だそれ……原作に存在しない組織だ……)
空気が、物理的に重くなった気がした。目の前に立つ女性——ヴィクトーリア・ヴィスコンティ。その佇まいだけで、前世で出会ったり、見聞きしたどんな大企業の会長や政界の重鎮すら霞んで見える。圧倒的な“持てる者“の威圧感。
ヴィクトーリア財団。原作の知識にはそんな組織の名はどこにも存在しなかった。一体どのような組織なのか。彼らの狙いは何なのか。前世で培った洞察力と原作知識。それらを総動員して考える。
ISの誕生によって既存の国家権力が揺らぐこの時代、世界の軍事・経済・政界の裏を牛耳る超国家的な巨大フィクサー連合。国家の法律すら彼らの前では都合の良いルールに過ぎない。
(……まさか、この世界にこんな巨大な暗部が存在してたなんて……!)
ヴィクトーリアの優しくも何処か冷徹な眼光が、まるで品定めするように正義を見ていた。
彼女達がわざわざこの場に足を運んだ目的は、試合観戦ではない事は正義でも分かる。カズマや千冬といったIS学園のトップと、表のニュースには絶対に出ない裏の政治交渉を行うためだ。
正義はただ、その“大人の商談”のついでに拾い上げられた、珍しい玩具に過ぎないのだと肌で理解する。だったら束が現れた理由にも納得がいく。背中に嫌な汗が吹き出すのを、必死で押し殺す事しか出来ない。
「見事な戦いぶりだったわ、正義君」
「……え?」
「機体の相性と実力と経験差。このどうしようもない壁を乗り越え、スペインの次期国家代表候補に一矢報いた。実に素晴らしい。実に美しい。貴方のその勇姿、我々財団が追い求める“真の戦士”その物でした」
「い、いえ……試合には負けてしまいました。ですが……ありがとうございます」
「謙遜は不要です。……ですが、専用機の運用に関してはまだ改善出来る余地があります。出力レイアウトと機動制御、このようなやり方で行けばシールドエネルギーの減少を最小限に抑えつつ、反撃に素早く移れます」
「そ、そのやり方があるとは……エレーナさん、アドバイスして頂きありがとうございます!」
エレーナが手元のモニターを操作し、今日行われた試合の場面を見せながら専用機の運用方法のアドバイスを行う。
その内容に正義の目が輝き、ポケットからメモ帳とペンを引っ張り出し、一生懸命にメモを取る。
「……メモを取るほどのことでもありませんのに。真面目な方ですね。しかし、貴方の姿勢に私は胸を打たれました。またお会いできる日を楽しみにしています」
「はい! 僕も楽しみにしています! 次にお二人に会うその時までに鍛錬を積み、更なる強さを手に入れて見せます!」
(初対面であの素直さと行動力……そしてアドバイスをすぐに吸収する姿勢……間違いないわ。彼、これから間違いなく伸びる上に化ける)
IS学園からの帰り道。プライベートジェットの中でヴィクトーリアは振り返りながら確信した。正義は必ず強くなる事を。
「正義君、今日はお疲れ様。見事な試合だったよ」
「ありがとうございます。でも……ナタリアさんは強かったです」
「まぁな……でもあのナタリアさんが自分のスタイルを捨ててまで勝ちに行ったんだ。君が強豪だと認められた証だ。これは間違いなく誇れる事だよ」
「いえ、ですが僕はまだまだだなと改めて突き付けられました。また明日から頑張ります」
「応援しているよ? あ、そうそう。さっき、エレーナさんが機体性能についてアドバイスしていたけど……私から君に“戦い方”についてアドバイスするよ」
「“戦い方”……ですか? ありがとうございます!」
正義がメモ帳とペンを再度ポケットから取り出し、いつでも話を聞ける態勢を整えると、カズマは話し始める。
「君は真面目な性格だと思う。それは良い事だ。でも真面目過ぎるあまり、相手の攻撃を真正面から受け止めよう、競い合おうとする所がある。君の場合、相手の攻撃を真正面から受け止めよう、競い合おうとしなくて良い」
「しなくて良い……と言うと?」
「あぁ。君の持ち味が活かせないと言う事だ。君の専用機は軽量タイプで機動性重視。そんな機体が防御主体な戦い方をすれば、折角の機動力が活かせない。それは勿体ない事だ。折角得意の機動力があるのだから、それを用いた戦い方をすれば良いんだ」
「機動力を用いた戦い方……」
カズマの言葉を咀嚼するように、何度も頷きながらメモ帳に言葉を書いていく正義。彼の様子を見て、カズマはここが本番と言わんばかりに声に力を入れながら話し出す。
「良いか? 防御行動は必要最低限に抑えるんだ。基本は相手の攻撃を機動力で躱す。徹底した回避行動に徹するんだ。その中で相手との間合いを常にコントロールするんだ。不用意に近付いてはいけない。常にある一定の距離を保ち、相手の攻撃を躱しながら展開を組み立てていくんだ。君が試合で見せた必勝パターン、簪さんと共に会得したあの戦い方だよ」
カズマは正義に分かりやすく伝わるように、あちこち動き回ったり、身振り手振りを使って直接脳にアドバイスを叩き込んでいく。
「そして相手の体勢が崩れた一瞬、攻撃が途切れた一瞬。この僅かな時間を狙って攻撃を叩き込め。良いか? 私が君に伝えたい事は1つだけだ。絶対に相手と正面から競うな。相手の得意な土俵で勝負をするな。自分の持ち味を最大限活かせ。君は君自身の土俵で戦えば良い。そうすればどんなに強い相手だって倒せるようになる。絶対に忘れないように」
「(相手の機体性能、実力と経験差がある相手と正面からぶつかり合っても勝てるわけがない。でも、相手の攻撃をかわし、泥臭く間合いを支配して崩す戦い方なら……僕にもできる! やれる!)はい!」
カズマの言葉が正義の胸にストンと落ちた。まるで天啓を得たようなそんな感触だった。自分のような凡人の戦い方を理解しており、それを体現しているかのような説得力がそこにあった。
一真から授かった戦術の指針をノートに強く書き留め、正義はぎゅっと拳を握り締める。
目の前に迫るクラス代表戦。怪物達がひしめく学園の中で、自分が勝利し、勝ち上がる為の“答え”を確かに掴んでいた。
寮部屋に帰ってから、正義はお風呂に入りながら冷や汗混じりの息を静かに吐き出し、考え事をしていた。
(そういえば、八神先生と一緒にいたヴィクトーリア総帥って本当に何者なんだろう? やっぱり、この世界を裏から牛耳ってるレベルのヤバい巨大組織のボスっぽい雰囲気は伝わってくるけど、詳しいことはさっぱり分からん……)
総帥や次期総帥だの、カズマの目の前にいる面々が凄すぎるのは伝わってくる。 だが、それ以上に謎に包まれている事がある。
それはカズマの正体。巨大組織の総帥やあの篠ノ之束を相手に、ごく当たり前の顔をして渡り合っているからだ。
(それに八神先生……マジでただの先生じゃないよな? なんでそんな世界の中心にいるみたいな重鎮たちと普通に話ができてるんだよ……絶対何かあるよ。はぁ……世の中、僕の知らないことばかりだな)
正義は小さく頭を振った。前世の経験や原作知識なんて、このドロドロした現実の前ではほんの一部分に過ぎない。
しかし、メモ帳に刻まれた戦術と、背中を押してくれた言葉だけは確かな本物だった。押し寄せる困惑と圧倒的な現実感を噛み締めながら、正義は近づくクラス代表戦に向けて、静かに覚悟を決め直したのだった。
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