「状況はどうなっている」
中佐の階級章を付けた若き指揮官は傍らにいた女性秘書艦を務める長門に尋ねた。
「依然、両部隊共に戦闘能力を維持してはいる、ただ一昼夜ぶっ続けで演習しているから、駆逐級や巡洋級はそろそろ限界だな」
長い髪を少しいじりつつ彼女は答えると、そうか、と提督――伊藤誠一は温和な表情のまま頷くと体を伸ばしつつ大きな欠伸をした。
「ではここで切り上げることにしよう。私も眠い」
「相変わらず、そういったところは正直だな」
長門は笑いながらそう答えた。伊藤は徹夜する必要がないのだが、結局一睡もせず指揮所に立ち続けている。彼女達と同じ状況に身を置きたがる彼の癖はこのころからあった。
長門は彼の指揮下の艦隊へ演習を切り上げ集結するように伝えた。どの程度かかる、との質問に対し、まあ一時間程度だろうと答えた。
「おい頼むぞ、艦隊指揮官がそんな顔では困る」
横で今にも寝そうな自らの上官を軽く小突いた。
「少し休んでこい。集まりだすまで私が代行するから」
「じゃあ少し頼んだよ」
待ってましたと言わんばかりのタイミングで答えるとそそくさと指揮所から降りて行った。やれやれ、とため息をつくと再び視線を日本海の海原へ戻した。今回の大演習はこの二年間の集大成であり、日本海全域を舞台に鎮守府全艦娘を二分して行われた空前の規模であった。その演習実績は上々で、彼女たちの能力は二年前のそれを遥かに上回っていることは、通信を拾っていた彼女にも実感できることだった。
(とはいっても)
彼女は頬に未だ生々しく残る古傷を撫でながら思った。
(私たちは確かに戦うことができるだろう。だが再びあの化け物とぶつかったとき、勝てるだろうか)
そんな思案をめぐらすうち、水平線上にいくつかの姿が見え始めた。どうやら近場に展開していた部隊らしく早々に到着したようだ。先頭を走るのは軽巡級の矢矧、その指揮下の水雷戦隊らしいと判断した時、彼女はふとその思いを呟いていた。
「我々は画竜点睛を欠いている。大和、貴様は今どこにいる」
臨時指揮船『信濃丸』に帰投した矢矧は、前甲板でひっくり返っている駆逐艦たちを羨ましいと思いつつも、自らの責務を果たすため艦橋へ続くラッタルを、悲鳴を上げる体に鞭打ちつつ登って行った。
(いくらか海の上では無茶がきくとはいえ、丘に上がればただの人だものね)
付き合い始めてようやく慣れつつある感覚を少し楽しみながら彼女は艦橋へ入った。
「報告。第十三水雷戦隊帰投いたしました」
「ご苦労」
息を少し上げながら報告する矢矧に長門は腕を組んだまま応えた。艦娘部隊内では、時間の無駄だという理由でこの時期殆ど挙手の礼が行われなかったという。部外者がいるときはその限りではなかったが。
「どうだ、調子は」
「個々の能力には問題はありません。」
ただ、と矢矧は続ける。
「編成がどうも理解しかねます。他の戦隊は極力同一能力を持った者で構成されています。対して私の隊は全員ほぼばらばらの寄せ集めですし、何より」
「浜風、雪風、霞、初霜、そして矢矧」
遮るように長門は口を開いた。
「あの日、すなわちお前の最後の出撃時の部隊だな」
「どうして私たちだけ」
「さあな、提督の趣味じゃないか、今の私たちはあいつの私兵部隊にすぎんからな」
少しからかうように言うと、少し遠くを見る目をしたのち呟いた。
「待っているのかもしれん、あの子を。帰ってきたとき再び共に戦う艦隊を用意してな」
矢矧は複雑な表情をして聴いていた。この長門のつぶやきは、このすこしのちに現実のものとなる。
にわかに、外が騒がしくなりはじめた。どうやら集結近くで模擬戦闘を行っていたらしく予定より早く集まってきたようだ。長門は後を矢矧に任せると、伊藤を呼ぶべく艦橋を離れた。通路には帰投した艦娘達を物珍しそうに見ている船員がごったがえしており、彼女は彼らをかき分けるように進んだ。
彼の部屋につくととりあえず声をかけたが、部屋からは返事がない。彼女はいつもの通り押し入ってみると、伊藤は寝台に転がり天井を眺めていた。
「なんだ、起きていたのか」
「いや」
彼は重そうに体を起こすと
「相変わらず私の秘書はいろいろと荒っぽくてね、うるさくて目が覚めたよ」
「全く貴様は、人がせっかく呼びに来てやったというのに」
長門は呆れた表情で、自身を指揮する提督の顔を見た。この、極度の人員不足でなければ未だ尉官程度であろう若さの、軍人というより文学者という風貌の中佐は未だ夢覚めやらないという顔をしている。
「…またあれを見た。」
ふと彼は語りだした。
「彼は、ただ見ているしかできなかった。前線で将兵が次々と斃れているのに本土で督戦することが努めだった。それ故彼は死に場所を求めていた。そして最期は」
伊藤は少し間を取ったあと
「戦争が絶望となったとき、史上最大最強の、そして最も美しい戦艦に乗って勝ち目のない戦場へ赴き、逝った」
「それを観ていたから貴方は私達の名を、どういった世界から来たかを知っていたのではなかったのか」
長門は少し柔らかい口調でそう語りかけると、彼は少し笑ったように見えた。
二人が甲板に上がると既に矢矧達が手筈を調えていたらしく、だらけていた空気は一掃され彼女たち、伊藤の指揮する艦娘は整然と整列していた。さすがに眠そうな表情をしているものも多いが長門の横にいる指揮官に比べれば幾分かましであった。もっとも彼も、長門に尻をたたかれるかたちで先ほどよりだいぶ引き締まっていたが。
(よくもまあ)
長門は整列する艦娘をみて感嘆する思いをした。
(あの崩壊状態、というより人として生きていられない寸前の状況からここまで立て直したものだ)
この男、やはり何か持っている。少なくとも私達を信じさせるにたるものを。そんなことを考えていると船首楼甲板にようやくのぼった伊藤は軽く咳払いをした。
「みんな本当にご苦労さまでした」
この一言で、場に笑いが満ちた。彼の演説嫌いは有名であるが自身の話も簡潔でかつ短かった。この時も笑っている彼女達を怒りもせず、いつもの温和な表情で見渡したのちこう結んだ。
「さて、帰るとするか、わが家へ」
梅雨の時期にしてはすっきりとした空気のした、水平線もくっきりとするほど晴れきった日であった。時に一九四四年六月一八日、彼と彼女達の躍進が始まる約一月前のことである。