大阪帝国大学内に設けられた研究施設から出たころには、既に日は傾き始めていた。長門は思いっきり伸びをすると思う存分薬品臭くない、新鮮な空気を三か月ぶりに楽しんだ。潮気が足りなかったが、何分海から遠いので贅沢は言えなかった。そこから伊藤と長門は、用意されていた車で駅へ向かい、そこから鉄道を使って京都へ行った。京都に入ったのは、夕刻のことである。
京都は、伝統的な古都の風景を一変させ近代的な都市への改造を急いでいる。横須賀での惨劇の後、深海棲艦の脅威を目の当たりにした政府はすぐさま遷都を決定し、帝都は再び京へ戻った。取り急ぎ政府各省庁は帝国大学などに入って政府機能を維持している。さらに当時未発達であった京都駅南側を政治の中心とすべく大規模な開発が進んでいた。長門が初めて京都を見たのは、ちょうどそんな時期であった。
駅を出ると長門は、そのあまりの人混みの多さに辟易した。さらに、女性士官という出で立ちが珍しいのか、やたらと眺めてくる連中が研究所の人間と重なって見え、さらに不愉快になっていた。その状況に堪り兼ね、遂に長門はやや荒い口調で言った。
「おい、いつまでここにいる気だ」
実際のところ、二人は駅前で三十分ほど暇をもてあそんでいる。仲間が虐げられている事実を知っている以上、彼女は今すぐにでも彼女たちのもとへ飛んで行きたい心情であった。そのことを伊藤にぶつけても、彼はただ「待て」と言うのみであり、そのことが彼女を苛立たせた。
「待たせたな」
そんな時、後ろからの声をかけてくるものがいた。長門が振り向くと、海軍の軍服を着たやや小柄な青年士官が立っている。
「遅かったじゃないか。相変わらず“詰将棋”か」
「ああ、毎日同じ状況での図上演習ばかりで嫌になるよ」
伊藤の問に公衆の面前で堂々と海軍批判を言い放ったその青年士官は、長門にその視線を移して言った。
「ハーン、君が噂の“魔女”か」
長門には既に聴きなれた単語ではあったが、不思議と敵意は感じられず、むしろ好意的な響きに聞こえた。彼女が好感を持ったのは、これが三人目である
この男の名は、秋山源太郎。後年軍令部次長、兵部省大臣を経て総理大臣にまで登り、この国の大変革を行う人物である。
秋山と伊藤は海軍兵学校時代からの付き合いであり、兵学校開設以来の問題児と言われていた。しかし成績自体は二人とも好成績であった。秋山は首席で卒業し異例の若さでこの年の春より海軍大学校に入学し、海軍再建の担い手を期待されている。一方で伊藤もハンモックナンバー上位で卒業後早くも一部隊を任されようとている。
三人は、伊藤と秋山がよく使うという飲食店に向かった。長門は相変わらずすぐに向かいたかったものの、空腹という生理現象には逆らうことはできなかった。場所は中京区の「燕屋」という、帝都の中心街から外れた場所にあり、長門のことを気遣ってかその日は完全に貸し切りであった。
「魔女と話すのには、ここまでしないといかんからな」
秋山を先頭に暖簾をくぐると、そのまま二階へずんずん進んでいった。続いてやや戸惑いながら長門、店主に頭を下げながら伊藤と続く。
三人が座につくと、既に準備が整っといたのかそれぞれの膳に色とりどりの料理が並んでおり、ここ三か月まともな料理を食べていなかった長門の目が変わっている。
宴が始まると、伊藤と秋山は早くも酒を浴びるように飲みながら雑談を始めて、長門はそれを聴きながらひたすら食事を食べ続けている、自分の膳を平らげた彼女は早くも伊藤の分にも手を付けようとしている。
「よく食う魔女だ、少しは遠慮したらどうだ」
「食べられるときに喰っておかねば、戦場ではいつ補給が来るかわからんからな」
秋山も長門がここまで食うとは思っていなかったらしい。階下に料理の追加を早くも叫んでいる。
「――数千名以上の、将兵の魂を力に転換するが故に、その人外じみた能力か」
こいつからの受け入りだが、と秋山が言うと伊藤が応えた。
「その未知数故に、上層部は不快だろうが」
この二人は既に二合ほど飲んでおり、これ以上酔うとまともに話ができないと感じた長門は、いま現在の状況について問うた。彼女自身は茶碗で物足りなくなったのか、飯櫃を抱えている。
「三か月前の横須賀襲撃――現在Y事件といわれているが――から対魔女、艦娘政策は一変した」
少々酔い加減ながら秋山は語りだした。
海軍はこの事件ののち、彼女たちが深海棲艦の手先であるという思想に染まった。艦娘を抑えれば、深海棲艦の活動も止まるという、根拠のない妄信をもった。それ故厳重に隔離しなければならない、という発想を持つに(よくわからないが)至った。その結果、各地に展開していた艦娘を舞鶴の魚雷倉庫の一角に押し込むという、愚策を取った。万一に脱走を企てても津軽、対馬の沿岸要塞で「始末」することができるからだ。
「簡単な話、臭い物に蓋をすれば、敵も来ないだろうという、近代戦とは言えないオカルト的発想から出ているんだよ」
長門は、話を聴きながら唇の色が変わるほど噛んだ。秋山は、その様子を見てさらに続けた。
隔離後、確かに深海棲艦の蠢動は収まった。これを受け南方航路を復活させ、資源の輸送、民間人の疎開を進めた。敵は、まさにこの瞬間を狙っていた。
この行動が始まって一月が立った7月、敵は大挙してそれらの船団全てを襲い尽くした。ただでさえ船舶難であり、その国力を海運に頼る日本にとって大打撃であって、再び南方航路は封鎖された。深海棲艦はそれだけに飽き足らず、太平洋沿岸部の都市に大挙して襲来し、その悉くを焼き払ってしまったのである。
この事態を持ってなお、海軍特に軍令部上層部は意味のない妄想を持っていたが、渋々艦娘部隊再建を決定した。約一か月前、8月9日のことである。
「……海軍というのはめんどくさい組織だよ」
一通り語ったあと秋山は言った
「伝統を絶対視する。そこから外れた事象は徹底的に排斥しようとする癖がある。例えば今回の場合は君たち――艦娘――の存在だ。未だ上層部は水上艦隊の力を信望している。三年前の海戦で全てを失ったに関わらず、だ。
高野五十六さんはそういう流れに抗った方だった。反対意見を押さえつけ組織化するまでは良かった。だが彼は理解者が少なすぎた。Y事件の際、横須賀救援を各地に展開する彼女たちに送ろうとした。だがそれは握りつぶされた。だから彼と、君たち横須賀駐留部隊は実質殺されたようなものだ。味方だったはずの、帝国海軍にな」
秋山はそこまでの一気に言うと、杯の酒を一気に飲み干して、さらに言った。
「そうしてまで潰した魔女部隊に、今は国の全てが懸かっていると知り、手のひらを返し再建を図ろうとしている。全く度し難い」
「……どこに世界でも、人は変わらないのだな」
抱えていた飯櫃を置き、ようやく満足したという表情の長門は言った。
「私は以前戦艦でな、戦争前は大変期待されていた。だが始まってみればどうだ、戦艦の時代が終わって前線に行くことはほとんどなかった。あげく、留守艦隊だの、ホテルだ御殿だのと陰口ばかり叩かれていた。
逆に戦前は軽んじられていた部隊は大活躍で、大洋狭し暴れまくった。それ故酷使され、消耗していった」
ホテル、という単語に伊藤が少し反応したように見えたが、長門は気にせず続ける。
「その戦争も終わりを迎えるころ、我々戦艦にも出番は来た。だがそれは伝統やらの意地だったのだろう。無謀な作戦で――多くの仲間を失った」
「世界は変わっても、追い詰められるとどいつもこいつも同じだな。成功の成否以前に、体面だのメンツだのにこだわって、無謀な突撃をしたがる」
秋山は少し呆れて言った。
秋山は伊藤に目を向けて言った。
「再建は、どの程度かかる」
「まだ直に見たわけじゃないが、少なく考えて二年はかかる」
「むしろ二年これまでの我々の行いが氷解するとは思えないが」
秋山は少し伸びをしながら言った。
「俺も明日付で軍令部勤務になる。可能な限りお前たちを助けてやっていきたい。幸い海軍大臣米内光弘さん、軍令部次長井上成春さんの両名は五十六さんのころから親艦娘派で通っている。あのころに比べればやりやすいだろ、提督」
提督、という単語に対し伊藤は鼻で笑った。
「まだ提督と呼ばれるような階級でもないが、やってはみるさ」
彼はそのままごろりと横になると目をつぶりそのままいびきをかき始めた。
「……ここ徹夜続きらしいから大目に見てやるか」
秋山はぶっ倒れている僚友のために寝具を既に準備していたらしく体を布団の上へ運んでやった。彼もただがさつなだけでなくこういった気配りができることに長門は内心感心している。
「――長門」
伊藤を寝かせたのち秋山は長門の前で姿勢を正していった。
「あんたらの身の上話は、伊藤からの大体は聴いている。半ば信じられなかったが、さっきの話で分かったよ」
長門はただ聴いている。
「あいつは顔には出んが、これと決めたら例えどんな無茶でも平気でやりかねん奴だ。だから」
秋山は頭を下げた。
「伊藤のことを、よろしく頼む」
この情景を見て不意に、長門の胸に去来するものがあった。それは長らく人として見られていなかった彼女を対等に扱ってくれるものが二人もいたことへの喜びか――自然、長門の瞳にここ数か月ぶりの生理現象が発生した。
「頭を、あげてくれ」
彼は頭を上げると、少し涙の溜まった彼女の顔を見た。
「ど、どうした」
「いや、うれしくてな。今までずっと化け物扱いだったからな」
長門は目にたまっていたものを拭うと言った。
「任せておけ。彼を、第二の五十六さんにはしないさ」
「それからもう一つ、尋ねておきたいことがある」
長門は秋山に言った。
「戦艦大和の居場所について、わかっていることはないか」
「そのことだが……」
秋山は少し声を潜めた。
「既に伊藤から依頼を受けて、憲兵に極秘裏に動いてもらっている」
「本当か」
「ああ、だが……」
少し秋山はためらってから言った。
「あいつ元々何かにあまり拘らないたちだが、この件だけは別人のようだったな。まるで取りつかれたように」
まあ、そこまで気にすることでもない、と秋山の声が聞こえていたが、長門は聴いていなかった。彼女には、そのことについて思い当たる節がいくつかあった。とはいえ、明日からの任務に備え休むことにした。新たな戦いへの不安はあったが、柔らかい布団に身を委ねると、これまでの実験漬けの日々からの解放感が体を支配し、彼女はすぐに意識を手放した。