SPIDER-MAN:Earth『ZZZ』 作:糸吐く不審者
六分街を出て、僕の足は再びルミナスクエアへ。今度は仕事じゃなく、僕の私用で。
六分街から直通の地下鉄を降りて改札を潜った。高いビルを横目に駅からしばらく歩いたその先に、僕の目的地はある。
白い煌びやかな外装。ガラス製の扉を開くと漂う、消毒液と薬剤の香り。H.A.N.D.が運営する総合病院だ。
「あ、パーカーさん。こんにちは、具合はどうですか?」
「こんにちは。……可もなく不可もなく、ってところかな」
「それは何よりです。アポイントの確認が取れました。どうぞ」
受付のお姉さんはすっかり僕の顔を覚えてくれていて、名乗る手間もなく手続きを済ませてくれる。
受付を通り過ぎ、エレベーターに乗り込んで、僕が向かう先はこの病院の五階。両側に研究室が立ち並ぶ、長い長い廊下。
そのでも突き当たりの、一番奥の部屋。固く口を閉ざした引き戸に、軽く数度のノックをする。
「どうぞ」
こんこん、と乾いた音の後で扉の向こうから聞き慣れた声が聞こえて、少しの間を置いた後で引き戸を開いた。
その向こうから漂うのは病院に似つかわしくない、濃い煙草の香りだ。
向かいの壁には絶賛稼働中の換気扇はあれど、部屋を漂う紫煙は吸い込みきれておらず……ここに通い慣れた今も、引き戸を開けた直後はほんの少しむせ返ってしまう僕がいた。
「……Ms.ジェイド、もしかして煙草の本数増えた? 前回に比べて、灰皿がだいぶ凄いことになってるけど」
「MJで良い、と何度も言ってるだろうに。キミもなかなか慣れないね」
頭頂部あたりでひとつに結い上げた、ウェーブのかかった赤髪が特徴的な女性。目の下には濃い隈、気怠げに細められた瞳、と何処となく『法の外にいるヤブ医者』らしさが抜けきらない彼女は、僕の主治医。そして、
「……で? 今日も大活躍だったようだね、親愛なる変態くん」
僕のもうひとつの顔を知っている、唯一の人間だ。
「もうインターノットでニュースになっているよ。『スパイディまたも大手柄! 平日の午前中から治安局へイカしたプレゼント!! 相も変わらず負傷者ゼロ!!!』と。見出しのセンスは……まあ悪くないね。治安局の目の前で宙吊りにされたひったくり犯の写真がブレブレなのは減点かな。今回
「認めてくれてありがとうだけど、親愛なる変態じゃなく、親愛なる隣人ね」
「迅雷成る兵隊くん?」
あと、だいぶ僕の話を聞いてくれないところがある。
「……おや、あまりお気に召さなかったかな。心配なる変態くん、の方が良いかい?」
「そうスラスラと韻を踏む単語が出てくるなら、医者と研究者をやめて、郊外でストリートラッパーでもやったらどう?」
「はは、それは良い。稼ぎはどれくらいなんだい?」
「本人たちは
「ならこの立場を捨てるわけにはいかないね。来世にでも期待をしよう」
……格差社会を目の当たりにするのが怖くて明確な稼ぎは聞いていないけど、実際この人はかなり稼いでるんだろうな。
お医者さんで、人体におけるエーテル侵食関係の研究者。その中でもかなり上澄みで、新エリー都に重宝されてる――――というのは、病院内でこんなに馬鹿みたいに煙草を吸っても、一番上の階の一番奥の研究室に隔離される、という処遇で終わっている所から察せる。受付のお姉さんも『煙草臭さとあの不健康そうな隈が無ければ……』と言ってたっけ。
まぁその多大なる頭脳も、今は僕を揶揄うことに使われているわけだけどね。宝の持ち腐れこの上ないんじゃなかろうか。というか何でずっと『変態』で韻を踏んでるんだよ。せめて『隣人』で踏んでくれ。
「……で。スパイディの活躍の裏で、キミはまたも失業した、と。働かずに吸う空気は美味しいかい?」
「やめてよ、割とそれ心に来るから……」
「にしては元気そうに見えるね。珍しく、次の仕事が見つかってるのかな」
「まあね。ご縁に恵まれて」
「そうか。一応、慰めるつもりではいたんだけれど」
言いながら、僕の目の前に開いた煙草の箱が差し出される。ゆらりと揺れる緑色の瞳は、口を開かずとも『吸わないのかい?』と語っている。目は口ほどに物を言う、とはこのことか。
「……やめてよ、吸わないよ。言ったろ? もう辞めたんだって」
「良いじゃないか、私と居る時くらいは。タバコミュニケーション。この病院だと付き合ってくれる人が居なくてね。これでも寂しいんだ」
「そういう所から禁煙の失敗って生まれるんだよ。そもそも、患者に煙草を勧める医者ってどうなの」
「キミは身体よりメンタルの方に問題があるからね。……いやまあ、普通の肉体でない事は確かなんだが。そも、キミは金がないから煙草を辞めただけだろ。我慢の方が毒だ、毒」
……寂しい、という言葉に嘘はないようだった。こんな会話が交わされている今も、ずい、ずい、と箱が顔に押し付けられている。そろそろ箱の角が鼻先に刺さりそうだ。
致し方なし。箱の中から一本取り出してフィルターを咥えると……目の前で金属音を上げながらジッポーライターの蓋が跳ね上がり、僕が咥えた煙草の先に火が灯る。彼女の指は長細くて綺麗なモノだから、やけにその手つきが様になっていた。
ゆっくり息を吸い込む。口の中に広がる煙草特有の苦味と、メンソールの清涼感。久々な気がするな、この感じ。
「さて、私の趣m――――
「待って。今言い直した上に、悪意のあるルビの振り方しなかった!?」
「そんな旧文明のライトノベルのような真似はしないよ」
白々しい。絶対悪意があったでしょ、今。……ため息混じりに湿った視線を向ける僕を他所に、デスクの引き出しからダンボールが差し出される。それを受け取りながら、僕は彼女の向かいの椅子に腰を下ろした。
「はい、今回のウェブ生成液の配給ね。いつも通りの量」
「ありがとう。……でも原料と配合を教えてくれれば、僕だって自分で作るのに」
「いや。そうしたらキミ、定期検診来なくなるだろ」
「……、…………
僕なりの精一杯の皮肉であった。それでも言葉の裏を察しているかのように、煙草を咥えながら机の上に乱雑に放置されたままの医師免許証を爪の先で数度小突くのが見える。知ってるよヤブじゃ無いことくらい。資格持ってるもんね、ちゃんとね!
ため息混じりに大きく肩をすくめる僕と、それを満足げに見やるDr.MJ。僕らが不健康な煙を体内に取り込むだけの時間が少し続いて、彼女は灰皿で煙草の火を揉み消して、改めて口を開いた。
「ではスパイダーボーイ――――」
「スパイダーマンね」
「……スパイディへの用事は終わりにして、次は『キミ』の本題ね」
……こうやって一瞬で『悪友』の顔から『主治医』の顔に変わるものだから、この人は本当にわからない。
「前回の診療のときに比べて、体調に変化は?」
「大して変わらず、可もなく不可もなくって感じかな」
「……キミの主治医としては、『現状維持』ではなくて前進してほしいモノなんだけど」
咎めるような冷たい目線。返す言葉が見つかりません。とりあえず煙を吸い込みながら目を逸らしておくことにした。
「例の悪夢は?」
「……まだ見るね。二日に一回くらいのペースで」
「なるほど。……記憶の方は?」
「変わらず、旧都陥落以前の記憶は全くって言って良いほど無いかな。……あ、両親の研究所に忍び込んだ時に蜘蛛に噛まれたせいで体がこうなった、ってことは覚えてるよ」
……まあ、その『蜘蛛に噛まれた』という話も、確かベン叔父さんかメイ叔母さんが言ってた気がする……くらいの程度のものだから、僕の記憶というには心許ない。
――――二人との温かい日々があったはずだった。温かいやり取りがあったはずだった。
それでも、今の僕の頭の中には二人に関する記憶はほとんど存在しなくて。二人は優しい人だった、というぼんやりとした記憶と、二人の命が潰える最後の瞬間だけ。
僕らの何気ない日々を切り取った写真なんかがあったとしても、今は旧都陥落に飲み込まれて……灰になったか、瓦礫の下か。どちらにしろ、ホロウの中で眠っている。
「……特に変わらず、可もなく不可もなく。キミの言葉に偽りは無いようだね。旧都陥落の一件によるストレス性のモノか、エーテル侵食による記憶障害か――――キミのエーテル適性値を見るに、後者の可能性は低いか」
「適性値の検査結果、出たの!?」
思わず食いつく僕の声に驚いたらしい。Dr.MJの肩が小さく跳ね上がり、タブレットの画面を僕に向けてくる。
「キミの適性値は凄まじいね。零号なんかの特殊なホロウの中でも、問題なく活動できるくらいには高いよ」
うーん、数値を見てもどれくらいが平均値なのかわからないから何とも言えない。でもDr.MJがそう言ってるんだから、そうなんだろう。きっと。
「イマイチ理解していなさそうな顔をしてるけど。その点も鑑みて、次にキミが何と言おうとしてるか当ててあげようか」
「……なんだと思う?」
「そろそろ活動範囲をホロウまで広げても良いかな、と思っていたんだ。丁度良かった――――」
「一言一句違わずそのまま」
いやあ、見事にご明察。流石僕の主治医と言ったところだね。
事実、そろそろホロウも活動範囲に含めても良い頃合いだとは思ってたんだ。街中に困っている人は勿論居るけど、それと同じか……それ以上の人が、きっとホロウの中で困ってる。
インターノットのスレッドを見れば、ホロウの中に残してきた思い出の品を取ってきて欲しい……みたいな依頼もよく見られるし。親愛なる隣人として、そういうのを放っておくわけにもいかないしね。
「……うん。私の目から見ても、力の加減も掴んできたようだし――――この二年と少しで、経験も積んだ。身体にも特に異常は見られない」
「やった! ならホロウ調査員とか、その辺に志願して ――――」
「ただし。依頼の斡旋等は私が行うから」
今度はDr.MJが食い気味に答える番だった。煙草の火を揉み消す僕と入れ替わるように、彼女は新しい煙草に火をつける。
「……なんで不満げな顔をしてるんだ? あのね。現状のキミは二足の草鞋ですら上手く歩けていない。そこにホロウ調査員と言った仕事や肩書きを増やしたら、キミは余計に歩けなくなるだろ」
「それは……まあ、そう」
「なんで私がキミに、『親愛なる隣人』をする上で『市街地のみ』と制約を設けていたと思ってるんだ? この二年で解ったけど、ピーターくんは自分のことを蔑ろにするきらいがある。郊外の頃は随分と無茶したようだけど、これからも『そのまま』だと困るんだ。キミの体は、私ですら把握しきれていない事柄が多い。キミは『自分の身体は未知の塊である』という自覚と、『自分の性格』が理解できて無さすぎる」
「ぅ……ん、はい……」
「だから私が、『親愛なる隣人』の延長線として続けられるような依頼を斡旋――――ないし、そんな依頼をくれるような人間に取り次ぐ。これが一番合理的な選択だ。わかるだろ?」
「わ、わか……わかったって」
しどろもどろに答える僕を見やると、彼女は溜息と共に煙草の煙を吐き出して、柔く握った拳で自身の眉間をグリグリと押しながら、
「……それにね、防衛軍やホロウ調査員、H.A.N.D.の対ホロウ行動部、治安維持局はキミが思っているような『良い場所』じゃないと思うよ。キミが思っている以上に、余裕がない」
「なんでそう思うのさ」
「キミのような全身レオタードの不審者が野放しになっているのがその証拠だろ。本来であれば、私刑は私刑で裁かれてもおかしくない行為だ。捕縛で留め、最終的な決断や処理は『本業』に任せているとはいえ、ね」
……言いたいことはわからないでもない。この二年の『スパイダーマン』としての活動の中で、街中で遭遇する犯罪件数に違和感を持たなかったわけではなかった。
この街は一見平和で、危険がいっぱい。ホロウという災害がこの街のあちこちで口を開いていたとしても、その遭遇率には首を傾げる僕はいた。
「……力を持ってしまったから人助けをしたい。その気持ちは私は尊重するし、美しいと思っている。こればっかりは『現状維持』に努めて、それでいて前に進んだ方が良いと思うよ」
「自分はH.A.N.D.の総合病院で働いてる癖に……」
「私には私のやりたいことがあるの。ここが一番良い施設が揃っているし――――ここを辞めたらウェブ生成剤が定期的に作れなくなるかもしれないし、キミの体質が他の人に知れ渡るかもしれない。それでも良いの?」
「ナマイキ言ってすみませんでした!!!!!!」