SPIDER-MAN:Earth『ZZZ』 作:糸吐く不審者
そこかしこに響く、警告音。赤。赤。赤。あか。
炎の赤。血の赤。背の高い塔から降り注ぐ、警告灯の赤。
様々な赤に視界が満たされるその中で、化け物が――――エーテリアスが、見慣れた街並みを闊歩している。
人が死ぬ。悲鳴が聞こえる。吸い込む空気は煙っぽくて、混乱した頭はロクに思考をしてくれなくて。フラついた足取りで、前へ、前へ。
「叔父さん……叔母さん……?」
人の波。その流れに逆らって足を進めていく。後頭部が痛い。内側から何かに殴られるように、酷く痛んだ。
がん、がん、がん、と。まるで警鐘を鳴らしているように。
すれ違う人たちの肩が、何度も僕の肩に当たる。人の波から弾かれるように道から逸れて――――路端にそのまま倒れ込んで。仰ぎ見た灰色の空には、ホロウの膜が見えた。
このまま、この世界は終わるんだろう。ぼんやりとでも、そんなことを思ってしまうくらいに。周りには地獄が広がっていた。
立ち上がる。両手を支えにして、重たい身体を持ち上げて。
半ば倒壊した街並みを。知っているのに知らない街並みを歩いて、前へ。
僕が育てられた家。僕が育ってきた家。元は綺麗な家を形作っていたはずの瓦礫の前に、二人は倒れ込んでいた。
痛い。痛い。頭が。まともに歩けないほど、視界が霞むほどの痛みに苛まれて。呼吸が、ままならない。
――――行くな、行かない方がいい。
僕の意識とは裏腹に、頭痛はそう語りかけているようで。
それでも僕のフラついた足取りは、赤い水たまりの上に倒れた二人へと進んでいく。
「叔父さん、叔母さん……!」
掠れた僕の声に二人は答えない。それでも叔父さんの瞼がゆっくり持ち上がり、定まらない視線が僕に向けられる。
「ピーター……?」
「そうだよ、僕だよ……ベン叔父さん、僕だよ、」
「ああ。そんなに何度も言わずとも――――わかっているさ」
消え入るような小さな声。僕を安心させるような声音を紡ぐ中でも、口の端から赤色が漏れ出すのが見えて。彼の身体を見るのが、惨状を視認してしまうのが、怖くて。瞳が、震える。
「ごめんな、ピーター。本当は迎えにいく……つもりだったのに……」
「良いんだよ、大丈夫。ほら、僕が二人を迎えにきたから、早く」
「良い。おまえは、ひとりで行け」
「やめて。やめてよそんな――――まるで、最後の言葉みたいに……! 僕はほら、力持ちだから。二人を抱えて外に行くくらい、どうってこと」
「ピーター」
僕の言葉を遮る、振り絞ったような力強い声。徐に擡げられた掌が僕の頰に触れて、叔父さんは何度もそうしてきたかのように、柔らかい笑みを浮かべた。
「……確かにおまえには、凄まじい力がある。でもな、ピーター。その力の使い道を誤ってはいけない。もう俺たちは助からないんだ。わかるだろ?」
パキ、と音を立てて、黒々とした結晶が叔父さんの頬の肉を貫いて露出する。
「やだ、やだ!! ダメだよ叔父さん。叔父さん!!」
「……大いなる力には、必ず大いなる責任が伴うモノだ。おまえには、ちゃんと、…………」
必死に身体を揺さぶる、僕の声にはもう応えてくれなくて。
決まって、毎回――――ここで目覚ましの音に引きずられるように、僕の意識は現実へと浮上するのだ。
◇◆◇
「『OH〜ハニー』、『栄光の守護者たち』、『小さな身体、大きなトラブル』――――」
うん。どれも名作だ。アキラくんとリンちゃん、どっちの趣味かはわからないけど……二人の作品選びの目に狂いはない。特に最後の『小さな身体、大きなトラブル』はとても面白い作品だったと記憶してる。ボンプの身体に意識が入っちゃった男性が、自分の体を取り戻すための話だったっけ。
「……あ、『スターライトナイト』も置いてたんだ。棚に並んでるのは初めて見たかも……誰かがずっと借りてたのかな。『シャーロ・シティ』、『ブラックペーパー・テイルズ』――――」
どれも好きな作品ばかり。見たことない、なんて言う子がいれば『人生を二割くらい損してる!』なんて叫んでしまうほどの作品揃い。でもその中にも、
「あ〜……まあ……やっぱり無い、よなあ」
僕が探し求めている作品は存在しなかった。
『ンナ、ンナナ(だから言ったでしょ)? ンナワタ、ンナナ(ウチの在庫にそんな作品は無いよ)』
「いやあ、とは言えさ。自分の目で確かめたいっていうか……いつの間にか紛れ込んでる可能性もあるじゃない?」
『ンナナ。ンナンナナンナ。(そんなの紛れ込んでたら、リンかアキラが見つけて騒いでるよ)ンナ、ンナナ〜(二人もずっと見たがってるからね〜)』
「それもそうか……」
思わず唇を尖らせ、短く鼻からため息を漏らす。そんな僕を足元から覗き込んだ、『18』と書かれたスカーフを巻いたボンプ――――
『ナンナンナナ。ンナ(そんなに思い入れがある作品なの)?』
「そうだね、僕も過去に一度見たきりなんだけどさ。オリジンみたいなモノ……かなあ」
それきり、一度も出会ってない。あの時はオークションの落札価格に目が眩んで手放してしまったけど、ちゃんと持っておくべきだったな、と。今になって後悔してる僕がいる。
「タイムマシンを使えるなら、あの時の僕をぶん殴ってやりたいなあ……」
『……ンナワタンナナ(もっとやりたいことあるでしょうに)』
「い、いやまあそうだけど! それほど後悔してるってことだよ」
会話は終わり、とばかりに僕は小さく掌を鳴らす。そうだよ、ダラダラ話してる暇はない。一応バイト初日なんだから、ちゃんと働けるやつなんだって所を見せておかなければ。
アキラくんには自由にやって良い、と言われてる。……ただ、店の備品は壊さないように、と。あとカウンター横の扉も開けないように言われてたっけ。
とりあえず店内の隅から隅まで掃除して、二階に上がって――――、
『ンナナ、ンナ!(そこ二人の部屋だからダメだよ!)』
「失礼しました〜……」
次はポップ作り。僕のおすすめ棚を作って良い、って言われたからね。季節ごとに内容を変えるのとか面白そうだよなあ……。
「夏が近いからなあ……なんか、そういう……アクションは年中いつでも面白いし……」
カウンターの内側で背の高い椅子に腰掛けながら、太い油性ペンで額を何度か小突く。妙案というのはなかなかに出てきてくれないモノだ。リンちゃんとアキラくんはいつもこんなことをしてるのか……すごいなあ、なんて。思っていたところで、
「あ。いらっしゃいませ〜」
カランカラン、とベルの音が響き、店のドアが開く。額に汗の粒を滲ませた、快活そうな女の子が飛び込んできた。
「お、おお。随分とお急ぎで。何をお探しですか?」
「プ――――、リンとアキラは居る!?」
「お探しの者は現在、買い出しに行っておりまして……」
「じゃあすぐに呼び戻して! あたしが来た、って言ったら伝わるから!!」
あたしが来たと言われましても。僕はキミの名前すらも知らないわけでして。
まあ二人の知り合いみたいだし、スマホを取り出してノックノックを呼び出す。そのままチャットグループを呼び出して、文字を打ち込んでいった。
『なんか二人にお客さんが来てるよ。あたしが来た、って言えば伝わるって』
ものの数秒で既読が二件。(・・・)とリンちゃんが何かを打ち込んでいる表示が何度か浮上し、
『もしかしてその子って、ピンク色の髪だったりする?』
……ああうん。桃色の髪の子だ。肩で息をしながら、何かを確認するように何度も自分の端末を見下ろしてる。
『そうだね。桃色の髪で、緑色の瞳の子。あとネイルがすごい』
『あー、じゃあやっぱりニコだ……あと五分もしないで帰るから、待たせといて!』
「……あと五分もしないで帰ってくるから待ってて、って」
「――――わかった。アリガト」
「えっと〜……とりあえず、座る?」
気まずい。カウンターの裏から僕が座ってた椅子を引きずってきて差し出すと、礼を言うように小さく片手を挙げて、そのまま彼女は腰を下ろした。
「……、……」
「……、……」
うーん。気まずい。
「……映画、好き?」
「まあ程々にね」
「ああそう……」
…………気まずい。
◇◆◇
リンちゃんの宣言通り、二人は五分もしないうちに店に帰ってきた。
何やら込み入った話があるみたいで、僕は退勤を命じられた次第である。何でも、『この子の込み入った話はだいぶ長くなるからね。ピーターは今日はもう退勤で良いよ。一日分の給料はしっかり払うから』とのこと。
有難い話ではあるけども、ふと舞い降りた自由時間を持て余している僕なのだった。
「ブレンドコーヒーひとつ」
まぁやることもないしね。とりあえずは珈琲でも飲みながら、ゆっくりしよう。
カップを受け取って店外に出て。何となくまた、パンダさんの目の前の席を陣取る。
「……、……初日、上手くやれてたと思う?」
案の定答えは返ってこない。今日もまた白黒の彼(彼?)は、ガラス玉みたいな真っ黒な目で見上げてくるだけだった。
手持ち無沙汰な僕の右手は、自然とポケットからスマートフォンを取り出して操作し始める。ニュースサイトを開いて、ぼんやりと目を通していった。
「……あ。
本来、誰も答えるはずがなかった僕の独り言。それに、
「ああ、その案件な。
……答える声があった。
視線を上げる。知らない人だ。眼鏡をかけた、オシャレなハットの男性。人の良さそうな笑顔を……というか、ご機嫌な調子を隠しきれない笑みを浮かべているけど、何処か胡散臭い雰囲気がある。
「兄ちゃんもホロウレイダーとかなのか? 人は見かけによらないな。如何にも好青年、って感じなのに」
「え? ああ、いや。ははは……まあ……うん。まあまあ。そんなトコ」
なんとも答えづらい質問だなあ……言葉が尻すぼみになっちゃう。それでもご機嫌な様子の彼は、ニコニコと楽しそうに言葉を続ける。
「いや良いんだ。兄ちゃんに深入りするつもりはないし。今の俺はとっても機嫌が良くて」
「ああそうなんだ? うん。そう見えるよ。何かいいことでもあった?」
……あ、通知だ。Dr.MJからメッセージ。
『今大丈夫?』
『うん、ちょうど暇してたところ。何かあった?』
「そうかそうか、やっぱ滲み出ちゃうよな」
「だいぶね。滲み出てた」
『昨日言ってた依頼主の件、さっそく見つかったから』
『え、本当!? ありがとう、助かるよ!!』
「それがな。これから大物と取引できることになって――――」
「ふぅん……」
『十分後に六分街のコーヒーショップで待ち合わせね』
「その大物ってのがさぁ〜」
『相手の見た目は、眼鏡をかけたハット帽の男性』
「あの『スパイダーマン』なんだよ」
「……うん。…………うん???」
いや、いやいや。待ってね。その大物って僕のことじゃん。目の前のこの人が取引相手じゃん。
「……どうかしたか? そんなスマホと俺の顔を交互に見て」
「えっ!? いや、いや〜!! あの『スパイディ』と取引なんて羨ましいな〜って思ってさ……」
「そうだろう、そうだろう!? 俺も面と向かって話すのは初めてでな……」
どうしよう。どうしようかなこれ。僕も僕で早く着替えないとダメじゃんね。
「兄ちゃんも彼のファンなのか。取引が終わった後なら、握手くらいはしてくれるんじゃないか?」
「ゔ、う〜んそうかも……」
絶賛僕、その『スパイディ』と握手してるんだけどね。気まずさで指を組んでるだけではあるんだけどさ。じゃなくて。早くこの場を離脱しないと――――、
「お、お腹! お腹痛くなってきちゃった……一番近いトイレって、何処かな……? 知ってる?」
「え? ああ、おう。
「そっか、そっか!! ありがとう!!」
……走った。僕は、ただただ走った。
Dr.MJにサムズアップのスタンプだけ、送って。