ナツキ・スバル達御一行がどうやらトリコの世界に迷い込んでしまったようです。 作:お餅モチモチ
第1話 未知との邂逅って、どーなってんだこれー!!
バロン諸島の湿地帯に、場違いなほどの濃密な霧が立ち込めていた。そんななかその霧をかき消さんばかりの叫び声がバロン諸島中に響き渡る。
「――って、おいおいおいおい! どこだよここォ!?」
マングローブの奇怪な根がのたうつ密林で、ナツキ・スバルは頭を掻きむしりながら絶叫した。 さっきまでロズワール邸の自室にいたはずだった。それが、一瞬の白い光に包まれたかと思えば、目の前には見たこともないほど巨大な熱帯の密林が広がっている。
「スバル、落ち着きなさい。……ラム、レム、皆は無事?」
「はい、エミリア様。レムはここに」
「ラムも。……それにしても、不快な湿気ね。せっかく整えた毛並みが台無しよ」
「ううぅ……お洋服が泥だらけなのよぉ……」
エミリアの呼びかけに、双子のメイドが応じる。ドレスの裾を気にするベアトリスを、ガーフィールが「安心しな、ベア公。俺様がついてる」と胸を叩き、行商人のオットーは「なんで僕まで巻き込まれるんですか!」と頭を抱えていた。
「ふ~む。奇怪な現象に巻き込まれてしまったようだぁ~ね」とどこか楽しげな様子のロズワール、「ガーフ、周囲の警戒を怠らないで」と主人を守ろうとするフレデリカ、「スバルぅ、ここどこぉ?」と涙目になりつつスバルの服を引っ張るペトラ。
みな一様に元居た場所からこのマングローブ林に飛ばされてしまったようだ。全員無事であり、同じ場所に転送されたことは幸いだったといえるだろう。
あてもなく、鬱蒼としたジャングルを進む一行。あんなに高かった太陽がもう沈みかけるほどに歩いたその時、湿った空気を切り裂くように、信じられないほど香ばしい、肉の焼ける匂いが漂ってきた。
「……ッ!? な、なんだこの匂い……!身体中の細胞が食ってもないのに美味いって叫んでるような……!」
「スバル、匂いのする方はあっちみたい!」
エミリアが指差した先、マングローブ林をかき分けたその先に、小さな開けた空間があった。
そこにいたのは、二人の男。一人は、青い髪に筋骨隆々とした、まるで岩山のような大男。もう一人は、小柄で、コック帽を被った優しそうな鼻ペチャの料理人。
彼らの前には、信じられないことに、全長30メートルはあろうかという巨大なワニ――『ガララワニ』が横たわっており、大男はその肉の塊を豪快に焚き火で焼き上げ、美味そうに頬張っていた。
「うめぇーーっ!!さすがはバロン諸島の生態系の頂点、ガララワニだ!脂の旨みも肉の質も最高だぞ、小松!」
「はい、トリコさん!僕の特製ソースもバッチリ合っているようでなによりです!」
あまりの光景に、スバルたちは硬直した。だが、大男――トリコは、すぐにその超人的な嗅覚と直感でスバルたちの存在に気づき、鋭い視線を向けた。
「……あァ?なんだお前ら。見ねぇ顔だな。こんな危険なバロン諸島に、そんな大所帯で迷子か?んなわけねえよな」
「ひえっ……!ト、トリコさん、なんだか変な格好の人たちですよ!?ままま、まさか密猟者!?…ではなさそうですけど……」
小松が怯えたようにトリコの背後に隠れる。トリコの放つ、圧倒的な「強者」のオーラに、ガーフィールがすかさず前に出たが、スバルはそれを手で制した。ここで戦っても何も生まれない。何より、あの美味そうな肉の匂いに胃袋が限界を迎えていた。
「待ち、待ってくれ!俺たちは怪しいもんじゃねえ!……いや、怪しいのは百も承知だけどよ!
実は、かくかくしかじか、気づいたらこの世界に居て、ここがどこかも全く分からねえんだ!」
スバルは必死に身振りを交え、自分たちが悪意のない迷子であることを説明した。トリコはスバルの目をじっと見つめ、やがてフッと表情を緩めた。
「……なるほどな。嘘をついてる匂いはしねぇ。この世にゃ色んな不可思議な現象があるが、お前らも大変な目に遭ったってわけだ。警戒して悪かったな!」
「ふうぅ、話の分かる人で助かったぁ……!」
スバルが胸を撫で下ろした、その瞬間
グゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーッッ!!!
地鳴りのような、凄まじい腹の虫の音がマングローブの森に響き渡った。 音の主は、すんとすました顔で佇む、ピンクの髪のメイドだった。
「――って、ラムかよ!! どんな腹の鳴らし方してんだお前は!」
「……うるさいわね、バルス。女の子のデリケートな生理現象に大声を出すなんて、万死に値するわ」
ゴッ!! と容赦のない拳がスバルの脳天にクリーンヒットする。
「いっっ、でぇ!」
グゥゥゥゥ〜〜〜〜……
今度はスバルの腹が情けない音を立てた。それを見たラムは「呆れた男ね」と冷たい視線を送る。
「ははは! いい腹の虫じゃねぇか!」
トリコが豪快に笑い飛ばした。
「食い物の恨みと空腹は、生物を狂わせる!腹が減ってるなら、一緒に食うか? このガララワニ、まだまだ山ほどあるからよ!」
「えっ、いいのk…」
スバルの言葉が終わるより早く、エミリアが目を輝かせた。
「ありがとう、親切な人!」
こうして、奇妙な大宴会が始まった。 差し出されたガララワニのステーキを、一行は恐る恐る、しかし空腹に耐えかねて口に運ぶ。
「え……これが、ワニ、のお肉……? なんだか、すっごくいい匂いがして、胸がドキドキしちゃう」
エミリアは最初、その見た目の荒々しさに少し気後れしていた。しかし、トリコに促されるまま、上品に一口サイズに肉を切り分け、恐る恐る口に運ぶ。
「――っ!?」
瞬間、エミリアの紫紺の瞳がこれ以上ないほど大きく見開かれた。
「んむ……っ! な、なにこれ……! お肉なのに、すっごく柔らかくて、噛んだ瞬間に甘いお汁がじゅわって……! 冷たい氷の世界のあとに、ぽかぽかした太陽がやってきたみたいに、体の中が美味しくてびっくりしてる……!」
いつもは王候補としての気品を保つ彼女が、今は口の端にソースをつけたまま、夢中で次の肉をねだっていた。その様子に、スバルは悶絶する。
「ごちそうさまです神様! エミリアたんのもぐもぐポーズ、破壊力たるや世界を滅ぼすレベル!!」
「スバルくん、どうぞ」
と、まずはスバルに肉を差し出そうとしたレムだったが、トリコに「お前も冷めないうちに食え!」と肉を握らされ、一口齧り付いた。
「…………っ!」
レムの動きがピタリと止まる。その脳裏に、凄まじい衝撃が駆け抜けた。
「なんという……旨味の凝縮……。脂身が全くしつこくなく、口の中でとろけるようです。ロズワール邸の厨房を預かる身として、これほどの食材、そして素材の味を最大限に引き出す焼き加減……レムは、レムは……!」
感動のあまり、青い髪を揺らしながら涙目を浮かべるレム。
「鬼がかって美味しいです……! 悔しいですが、今のレムの腕では、この食材をこれ以上美味しく調理するイメージが湧きません……! スバルくん、レム、もっと精進します……!」
「いやレム、これは調理法っていうか、この世界の食材のポテンシャルが狂ってるだけだからね!?」
「ふん、そんな品のない大肉、ベティが喜んで食べるわけがないのよ。だいたい、どこの馬の骨ともしれない男が焼いた肉なんて、警戒して然るべきかしら……」
袖に手を隠し、ぷいっと横を向くベアトリス。しかし、トリコが「そうか? 最高の部位なんだがな。じゃあスバル、お前が――」と言いかけたところで、スバルがベアトリスの口に肉を一切れ放り込んだ。
「むぐっ!? な、何をするのよスバ――……んんぅ!?」
ベアトリスの小さな体が、ビクンと震えた。 噛めば噛むほど溢れ出る濃厚な肉汁。それは、禁書庫で数百年間静かに過ごしてきた彼女の味覚を、容赦なく蹂躙していく。
「な、なんなのよこれ……っ! お肉なのに、まるでお菓子みたいに濃厚なコクがあるのよ! 噛むのを止められないかしら……! 悔しいけど、もの凄く、もの凄ーーく美味しいのよ……っ!」
「だろ? ベア子、お前口の周りギトギトだぞ」
「うるさいのよ! ……スバル、もう一口、あーんするかしら」
完全に胃袋を掴まれたベアトリスは、服の裾を引っ張りながら上目遣いでスバルにおねだりを始める始末だった。
スバル自身もその肉にガブリと噛み付いた。
「うお、おおおおおおおおっ!? なんだこれ、うんめぇぇぇっ!!」
叫ばずにはいられなかった。 地球の野生動物の肉とも、ルグニカの獣の肉とも違う。肉繊維の一本一本が弾力に満ちていながら、口の中でシルクのように解けていく。ワニ肉特有の淡白さは微塵もなく、最高級の地鶏と最高級のアグー豚を掛け合わせて、さらに旨味を10倍にしたような爆発力。
「ガララワニ……バカみたいにでけえ化け物だけど、美味さも化け物だな! 生きててよかったって、細胞がガッツポーズしてやがる!」
「ガハハハ! いい食いっぷりだ、スバル! 食えば食うほど元気になる、それがこの世界の食材だ!」
トリコは嬉しそうにスバルの背中をバシバシと叩く(それだけでスバルのHPが削れそうだったが)。
「いやいやいや! 待ってくださいよスバル、トリコさん! いくらなんでもデカすぎ……って、うわああああ匂いだけで鼻が幸せで爆発しそうなんですけど!?」
オットー・スーウェンは、目の前にそびえ立つ肉の山に、行商人としての計算高さを一瞬で消し飛ばされていた。トリコから「ほら、お前も景気よくいけ!」と手渡された特大の骨付き肉。恐る恐る、しかし抗えずにガブッと齧り付く。
「――ぶふっ!?」
あまりの美味さに、オットーは変な声を上げて硬直した。
「な、なんですかこれ……ッ! 鶏肉のような上品な繊維質なのに、噛んだ瞬間に溢れるのは極上の牛ステーキ以上の濃厚なアブラと旨味……! 地竜のパトラッシュたちが美味い葉っぱを見つけた時、なんであんなに狂喜乱舞するのか、今なら魂レベルで理解できます! これ、ルグニカで売り出したら一国が傾くレベルの味ですよ!?」
「ガハハ! 商売のことはよく分からねぇが、美味いと感じるなら地竜も人間も同じだな!」
感動のあまり涙目で肉を咀嚼し続けるオットー。彼にとっては、これまで生きてきた中で間違いなく一番の「未知の衝撃」だった。
「ハッ! どんな化け物の肉だか知らねぇが、この『聖域の盾』たるオレ様の牙にかかりゃあ、どんな肉だってイチコロよ! 『ハインケルの負け惜しみ』ってな!」
ガーフィール・ティンゼルは、いつも通り鋭い牙を剥き出しにして、ガララワニの肉に文字通り「獣のように」噛み付いた。バリ、と豪快に肉を引きちぎり、咀嚼する。
その瞬間、ガーフィールの金色の瞳が金色にギラリと輝き、同時に全身の毛が逆立った。
「……ッ、んぐ、おォ……!?」
喉を鳴らし、圧倒的な生命力の塊が胃に落ちていくのを感じる。それは、強靭な肉体を持つガーフィールだからこそ理解できる、バロン諸島の頂点捕食者たる強者の生命そのものの味だった。
「ッな、んだこれ……ッ! 噛み応えがハンパねぇのに、肉がオレ様の牙に負けてねぇ! それどころか、噛めば噛むほど、この肉の主がどれだけ強かったかが体の中に流れ込んでくるみてぇだ……! 美味い、美味すぎる! 身体の芯から力が湧き上がってきやがるッ! おい、アンタ! この肉、もっとねぇのか!?」
「おぅ、気に入ったか! まだまだ山ほどあるからな、限界まで食って強くなれ!」
トリコに負けない野生の笑顔で、ガーフィールは次々と肉を貪り喰らう。彼にとってこの食事は、至高の美味であると同時に、最高の戦いでもあるようだ。
「ほーーう、これはこれは……。見た目からは想像もつかないほど、洗練された香・り・だ~あね……」
道化のメイクを施したロズワール・L・メイザースは、怪しげな笑みを浮かべながら、手元に配られた肉を見つめていた。トリコという規格外の存在、そしてこの世界の不条理な生態系を観察しつつ、優雅に肉を口へと運ぶ。
「――おや」
咀嚼した瞬間、ロズワール特有の奇妙な抑揚がフッと消えた。 オッドアイの瞳が僅かに細められ、彼は静かに、しかし確実にその味に圧倒されていた。400年もの間、あらゆる贅を尽くし、世界を観測してきた彼をして、この肉が持つ「生命の純度」は未知の領域だったのだ。
「……素晴らしい、ね。魔獣の肉のように禍々しい穢れがあるわけでもなく、ただひたすらに、純粋な『美味』としての魔力が詰まっている。私の知るいかなる宮廷料理も、この素材の持つ『暴力的なまでの命の輝き』の前にはかすんでしまう。……スバルくん、君が引き寄せる
いつもの芝居がかった口調に戻りつつも、ロズワールは珍しく、手元の肉を最後の一片まで、酷く名残惜しそうに、そして丁寧に味わい尽くしていた。
「おいおい、ロズッチ!旨すぎて素に戻ってんじゃねぇよ!いや、素に戻るほど旨いのは分かるけどね!? ガーフは食うスピード落とせ、オットーは泣きながら計算するのをやめろ!」
スバルがツッコミを入れ、エミリアやレム、ベアトリスたちがそれを見て笑う。 トリコの豪快な笑い声と、ガララワニの焼けるパチパチという音が、異世界の夜をどこまでも賑やかに照らし出していた。
「わあ……! 大きい……! これ、本当にワニさんのお肉なんですか?」
まだ幼さの残るペトラ・レイテは、自分の体ほどもある(ように見える)骨付き肉を前に、目をくりくりと丸めていた。トリコが「お嬢ちゃん、熱いから気をつけてな!」と、食べやすいように小さくカットしてくれた肉を、フォークで一口。
「むぐ……。――ふぇっ!?」
お口をモグモグと動かした瞬間、ペトラの顔がパッと輝いた。
「なにこれ……! すっごく甘くて、お口の中でとろけちゃう……! 噛まなくてもいいくらい柔らかいのに、旨味がじゅわーって広がって……わたし、こんなに美味しいお肉、生まれて初めて食べました!」
いつもは「スバルに可愛いって思われたい!」と背伸びをしているペトラだったが、この時ばかりは恋心も忘れて夢中モード。頬をリスのように膨らませて、小さな手で次々と肉を口に運んでいく。
「スバル! スバル! これ、すっごく美味しい! わたし、もっとお肉が食べたーい!」
「お、おう、可愛いなぁペトラ! よしよし、トリコさん、この未来の超絶美少女に一番柔らかいとこ、おかわり頼みます!」
「これほど見事な食材、そしてそれをこれほど豪快にかつ繊細に焼き上げるとは……。料理人としても、一人の亜人としても、血が騒がずにはいられませんわね」
フレデリカ・バウマンは、お淑やかなメイドとしての微笑みを浮かべつつも、その鋭い牙を隠しきれずにいた。弟のガーフィールが獣のように肉を貪るのを見咎めつつ、自身も上品に肉を口へと運ぶ。
――サクッ。
心地よい歯ごたえのあと、フレデリカの脳細胞を電流が駆け抜けた。
「――っく……ゥ……!」
彼女の中に眠る、獣人の野生の血が、ガララワニの持つ圧倒的な生命力に共鳴して激しく脈打つ。上品なメイドの仮面が、一瞬で剥ぎ取られそうになるほどの多幸感。
「……ッ、なんという、素晴らしい弾力と、野生の香気……! 脂の質が良すぎて、いくらでも胃袋に収まってしまいますわ! ガーフ、あなた、私に負けないくらい食べなさい! このお肉の生命力に、我が一族の牙が負けるなど許されません!」
「あぁ!? 言われなくても、オレ様の方がいっぱい食って強くなるに決まってんだろ、姉ちゃん!」
「ふふ、言いましたわね? ――トリコ様、申し訳ありませんが、この肉塊をもう何本か、丸ごといただけますかしら? 私たち、少々食い意地が張っておりましてよ!」
「ガハハハ! いいねぇ、やっぱり肉はそうやって牙を剥き出しにして食うのが一番美味いんだ! どんどん持ってけ!」
「うわあ……フレデリカさんまでガーフと同レベルの野生児モードになってるよ……。レム、負けじとお肉を上品に、でももの凄いスピードで胃袋に消すのやめて! ベア子、お前はもうタレでベタベタだ!」
スバルの全方位ツッコミが響き渡る中、エミリアは「みんな、本当に楽しそう……!」と、嬉しそうに目を細めてガララワニを頬張っている。
トリコの世界の「命の美味」は、ルグニカの過酷な運命に立ち向かうスバルたち一行の心と体を、これ以上ないほど温かく、そして力強く満たしていくのだった。
そんな喧騒のなか、宴の輪から少し離れた暗がりから、フッと不敵な気配が近づいてきた。
「――どいつもこいつも、品性の欠片もない豚のように貪り食って。見苦しいことこの上ないわね」
ピンク色の短い髪を揺らし、腕を組んで現れたのはラムだった。彼女の右手には、なぜか湯気を立てる素朴な木籠が握られている。
「姉さま!」「おうラム、どこ行ってたんだ?肉食うか?」
スバルたちが驚くなか、ラムはフンと鼻を鳴らし、その場にどっかりと腰を下ろした。そして、おもむろにガララワニの肉を掴むと、躊躇なくその美しい口元でガブリと爆食し始めた。
「――っ、んぐ……ふう。……まぁ、ラムのふかし芋には遠く及ばないけれど、トカゲの出来損ないにしては及第点の味ね。バルス、次を寄越しなさい」
「いや食うスピード早ぇなおい!! 毒舌吐きながら爆食すんな! あとそれワニだから!」
普段の少食ぶりが嘘のように、恐るべき勢いで肉を胃袋に収めていくラム。その食べっぷりに感心しつつ、それ以上にトリコと小松は彼女が持ってきた木籠から漂う「異常な香り」に、関心を向けざるを得なかった。それほどまでにラムの持ってきた木籠の中にある食材に二人は惹かれていたのである。その食材とはふかし芋である。
「……! 待て、ラムと言ったか。お前が持ってるそれ……ただの『芋』じゃねぇな!?」
トリコの鼻が、その芋が放つ凄まじい「食材の匂い」を捉えてピクリと動く。小松もまた、料理人としての本能でその木籠に吸い寄せられていた。
「これ……信じられない……! ただ蒸しただけなのに、お芋自体の糖度と水分量が完璧に計算され尽くしている……! 黄金のハチミツをまぶしたかのような甘い香りと、大地そのものの濃厚な旨味が、湯気と一緒に溢れ出してる……!!」
ラムは、ガララワニの肉を上品に、かつ超高速で咀嚼しながら、傲然と言い放った。
「当然よ。ロズワール様にお仕えするこのラムが、直々に魂を込めてふかした最高傑作の『ふかし芋』よ。今のラムは機嫌が良いの。特別に、そこの大男とチビにも一つずつ恵んであげるわ」
「ありがてぇ! いただきます!」
トリコと小松は、差し出されたふかし芋を手に取り、同時に口へと運んだ。
パリッ、と薄い皮が弾け、中からねっとりとした黄金色のペーストが溢れ出す。
「――ッッ!!!!」
トリコの全身の細胞が、歓喜のあまり震え上がった。小松にいたっては、あまりの美味さに白目を剥いてその場にひっくり返りそうになる。
「う、うんめえええええええええーーーっ!!! なんだこれ、信じられねぇ! 砂糖もバターも使ってねぇのに、口に入れた瞬間、濃厚なカスタードクリームみたいに甘みが爆発しやがった! なのに後味は驚くほど上品で、大地のミネラルが五臓六腑に染み渡る! 捕獲レベルで言ったら……いや、これは純粋な調理の技術が素材を何倍にも引き上げてるんだ!」
「すごすぎるよラムさん……っ!」
小松が涙を流しながら立ち上がる。
「ただ蒸すという一番シンプルな調理法なのに、火の入れ方、蒸気の対流、そして塩を振るタイミングまで、コンマ一秒の狂いもない!まさに神業……!料理人として、ボク、完敗です……っ!!」
世界最高の料理人の一人である小松の、文字通りの脱帽。それを見たスバルは、顎が外れんばかりに驚愕した。
「嘘だろオイイイイイイ!!?姉さまのふかし芋、世界のカリスマたちを唸らせるレベルに到達してたの!?」
「ふん、当然の評価ね。ラムのふかし芋は世界一。異論は認めないわ。さあバルス、ラムの芋の価値が証明されたところで、そのワニのハラミの部位を早く剥ぎ取りなさい。ラムの胃袋がもっと肉を求めているわ」
「めちゃくちゃガララワニ気に入ってんじゃねぇか!!」
最高峰のワニ肉をダイナミックに爆食するラムと、彼女の作った究極のふかし芋を大感動で貪り食うトリコと小松。トリコと小松が競うように手を伸ばし、ルグニカ陣営も総出で頬張った結果、ラムのふかし芋は一瞬にして完売してしまった。
「あー!終わっちまった!なぁラム。ふかし芋もう少し作れないか?もしふかす芋がないのならちょっくら採ってくるぞ?なあ?小松」
「もちろんです!あのふかし芋を食べることができるならどんな芋でも採ってきますよ!あ、あと、できればラムさんのふかし芋の作り方をできれば教えてほしいのですが…」
するとラムは、マイペースにマイバッグから、奇妙な芋を取り出していた。 それは、どす黒い紫色をし、表面から禍々しいオーラを放っている芋――『ポイズンポテト』だった。
ラムは小松の前に歩み寄ると、ツカツカと指を突きつけた。
「それだけ絶賛するのであれば、そこの鼻ペチャ。
「えっ? あ、はい! ありますけど……って、うわあああああーーーっ!!??ななな、なんでそれを持ってるんですか!?」
小松はラムの手元を見て、飛び上がって腰を抜かした。
「ラ、ラムさん! ダメです! それは『ポイズンポテト』です!! 美食人間国宝の節乃さんですら、美味しさを保ったまま解毒することは不可能と言われる超特殊調理食材なんですよ!?」
トリコも肉を喰らう手を止め、血相を変えて立ち上がった。
「おい、よせ、ラム!その芋は猛毒の芋だ!その毒――ネオソラニンの毒性は、通常のソラニンの4万倍だ!致死量はわずか0.01ミリグラム!触るだけでも危険なんだぞ!食ったら確実に死ぬ!!そもそも、ポイズンポテトは捕獲レベル73!バロン諸島には自生してないはずだ!どうやってそれを手に入れた!」
「うるさい男たちね。この芋ならその辺に落ちていたわよ。ラムに見つけてほしそうに、みっともなく転がっていたわ。それよりラムのやることに口を挟まないで。それに何をいまさら焦っているの?あなたたち同じものを食べたじゃない」
「え……!? 同じ……?ラム、今までオレたちが食べてたふかし芋って……」
トリコが冷や汗を流しながら言い淀むと、ラムは不思議そうに首を傾げた。
「だから何度も言わせないで。さっき出したふかし芋は『これ』をふかしたものよ」
「「これと同じィィィーーーッ!?!?俺・僕たち死ぬーーーッッ!!」」
「?何を驚いているの?あなたたち、さっきのラムのふかし芋を食べてピンピンしてるじゃない。頭まで蒸されたのかしら」
「「…………あ、そういえばそうだな」」
あまりにも正論すぎて、トリコと小松は思わず納得してしまった。謎は深まるばかりである。
「ま、待てよ……! もしかしたら、ラムさんの調理方法を完璧に真似したら、ポイズンポテトの歴史的な解毒法が見つかるかもしれません!」
料理人としての探究心に火がついた小松は、「ボクにも手伝わせてください!」と、ラムの隣で全く同じ形のポイズンポテトを手にとった。
ここからの小松の集中力は凄まじかった。 ラムの水洗いの回数、ナイフを入れる角度、芽をくり抜く深さ、蒸籠に並べる間隔、そして火加減。世界屈指の料理人である小松は、ラムの調理方法をコンマ一秒、1ミリの狂いもなく完全に模倣してみせた。
やがて、2つの蒸籠から同時に湯気が立ち上る。
ラムの作った『ふかしポイズンポテト』は先ほどトリコたちを虜にした、黄金のハチミツのような濃厚で甘い、極上の一品として完成していた。
「できた……! ラムさんの動きを完璧に真似しました!見た目も、湯気の立ち方も、ラムさんのものと全く同じです!」
見た目は完全にラムのふかし芋と同一。完全に解毒されているように思える『ふかしポイズンポテト』が完成した。
「よし、小松! お前の腕なら完璧なはずだ、いただきます!」
トリコは信頼を寄せる相棒の料理を、疑いもなく口へ運んだ。
「――っ」
ガクガクと、トリコの巨体が震え出した。 みるみるうちに顔面が土気色、いや、紫色に変色していく。口から泡を吹き、白目を剥いてその場にバタンと倒れ込んだ。
「トトト、トリコさーーーーーーーんっっっ!!!???」
小松の絶叫が響く。
「おい、死にかけてる、マジで死にかけてるからこれ!誰か回復を!!」
スバルが叫び、すぐにガーフィールとベアトリスが飛び出した。
「あいよぉ大将!ほらしっかりしろぉ!死ぬんじゃねえぞトリコ!」
「まったく、さっき自分で毒の説明をしたのにこのざまかしら。まあ今回はスバルの頼みだから助けてあげるかしら」
治癒魔法の光がトリコを包み込む。同時に、トリコ自身のグルメ細胞が持つ驚異的な回復力と、ポイズンポテトはトリコの適合食材であったことも幸いし、数秒の生死の境を彷徨った後、トリコは「ハァッッ!!」と大きく息を吹き返した。
「い、生ぎでるぅ……よがっだぁ……!」
小松が涙を流して崩れ落ちる。
しかし、小松はすぐにショックに打ちひしがれた。
「でも、なんで……? 僕は完璧に模倣したはずです。火の強さも、時間も、ラムさんと全く同じだったのに……どうして僕のは猛毒のままだったんですか……?」
天才料理人としてのプライドと自信が、謎の現象の前に打ち砕かれようとしていた。
そんな小松の様子を、ラムはふん、と鼻で笑い、腕を組んで見下ろした。
「当然よ。ラムのふかし芋は世界一。技術だの調理法だの、そんなちっぽけな理屈でラムの芋が語れると思わないことね」
「え、ええ……?」
「世界が、ラムのふかし芋の美味さに合わせて構造を変えているのよ」
「いやどんな謎理論だよ!!世界構造変革レベルの理不尽を発動すんな!!」
すかさずスバルがツッコミを入れた。
「小松さん、気にしないでくれ!ラムの『ふかし芋』にはなぁ、元居た世界の時から、どんな料理上手も太刀打ちできない謎の
「はぁ……世界の構造が、ですか……?」
小松は涙目を拭いながら、狐につままれたような顔をしていた。
「スバルの言う通りよ、小松さん。あれはもう『ラムだから』という、えーっと説明できない自然現象みたいなものだから」
「エミリアたん、それフォローになってる?」
エミリアも苦笑いしながら優しく励ます。
一方、なんとか復活したトリコは、ラムのその「理屈を超えた結果」を見て、顎に手を当てて考え込んでいた。
(これほどの食材の『毒』を無効化し、旨味だけを引き出す技術(?)。……もしや、ラムは俺の想像を絶する料理人なのか……?)
トリコは立ち上がり、ラムに向き直った。
「なぁ、ラム。お前のその腕前、ふかし芋だけじゃねぇだろ。もしよかったら、この『ガララワニのステーキ』、お前の手で焼いてみてくれないか? お前が本気で肉を焼いたら、一体どんな味になるのか興味がある!」
「姉様が、お肉を……?」
レムが不穏な気配を察して一歩引く。
「トリコさん、それはやめといた方が――」
スバルが止めようとするが、ラムは不敵に微笑んだ。
「いいわ。そこまでラムの才能を渇望するなら、その大トカゲの肉、ラムが極上の逸品に仕上げてあげるわ」
ラムは自信満々にガララワニの最高級部位を手に取り、焚き火の上へセットした。
数分後。
モウモウと立ち込める、不穏な黒煙。 焦げ臭い匂いがマングローブの湿気に混ざり合う。
「――はい、お待たせ。ラム特製、『ガララワニのステーキ』よ」
そこにあったのは、原型を留めず、完全に炭化してカチコチになった、ただの黒い炭の塊だった。
「「「ただの炭じゃねーか!!!!!!」」」
トリコ、小松、そしてスバルのトリプルツッコミが炸裂した。
「な、なぁ小松……火加減か? 火加減が強すぎたのか?」
「いえ、トリコさん……! 途中までは完璧な火の通し方だったんです! なのに、なぜか途中からラムさん、肉を親の仇のように強火の中心地に叩き込んで微動だにさせなかったんです……! なんで!? ふかし芋の時の、あの繊細な蒸気コントロールはどこへ行ったんですか!?」
なぜ、ふかし芋を作る時「だけ」コンマ一秒の狂いもない職人レベルの腕前になるのか、トリコにも小松にも、この世界の誰にもまったく理解できなかった。だが――
「ふん、何を騒ぎ立てているのよ。この肉が、ラムのあまりの気高さに恐れをなして自ら炭化しただけだわ。ラムの落ち度ではなく、肉の覚悟が足りなかった。それだけよ」
ラムは一ミリも悪びれることなく、完全に開き直った。
「いや肉の覚悟ってなんだよ! 完全に姉さまのサボり癖と不器用さが大爆発しただけだろ! 芋以外はポンコツメイドの自覚を持て!
そして、いいか二人とも、よく聞け! ラムの調理技術はな、『ふかし芋』だけ鬼がかっているんだよ!! それ以外の料理は、それこそ壊滅的、文字通り炭を生み出す錬金術なんだ!だから肉を焼かせたお前らが悪い!」
「逆ギレ!?」
「なんで威張ってるんですかスバルさん!?」
ズバズバと正論…のような悪口をまくし立て、一切フォローになっていないフォローをするスバルに対し、ラムの額に青筋がピキリと浮かぶ。
「うるさいわね、バルス。……いい度胸じゃない」
「ぶふぉっ!?」
次の瞬間、ラムの容赦ないどつきがスバルの脳頭頂部にクリーンヒットした。悶絶して地面に転がるスバルを見下ろし、ラムはフンと鼻を鳴らす。
「それはそれとして。ラムの胃袋はまだ満たされていないわ。そこのチビ、さっさと焼きなさい」
「ひゃ、はいっ! すぐに焼きます!!」
小松が慌ててガララワニの肉を網に乗せ、プロの技で手際よく焼き上げていく。外はカリッと、中は肉汁を閉じ込めた完璧なミディアムレア。
先ほど自分の手で肉を炭にしたことなど綺麗さっぱり忘れたラムは、小松が差し出したステーキを「……まぁ、悪くないわね」と呟きながら、再び猛烈な勢いで爆食し始めた。それにつられて、ガーフィールやペトラ、エミリアたちも「おかわり!」と一斉に肉に群がる。
「ガハハハ! 料理の腕はともかく、そんだけ気持ちよく食ってくれりゃあ、獲ってきた甲斐があるってもんだ!」
トリコは再び大きな肉を掴み、掲げた。
「元の世界に戻る方法は分からねぇが、焦っても仕方がねぇ! 腹が減っては、進む道も見えなくなるからな。まずはこのバロン諸島の恵みを、限界まで食い尽くそうじゃねぇか!」
「トリコさん……! はい、僕ももっと腕を振るいます!」
小松も笑顔を取り戻し、新しい食材を切り分け始める。
「へへ、恩に着るぜ、トリコさん、小松さん。……みんな、そういうわけだから、元の世界に戻る手がかりが見つかるまでは、この頼もしい大食漢たちと行動を共にするぞ!」
スバルの言葉に、エミリアは嬉しそうに頷き、レムはスバルの隣で微笑み、ガーフィールとオットーは早くも肉の奪い合いを始めていた。それを横目に自分の肉を食べるフレデリカとペトラ。ラムは相変わらず、自分のふかした芋を満足そうに口に運んでいる。ロズワールもこのにぎやかな食卓をどこかいとおしそうな目で眺めていた。
未知の異世界。見たこともない食材。しかし、美味い食い物と、それを囲む笑顔があれば、どこであっても宴は最高のものになる。ナツキ・スバルたちの、美味で溢れた異世界サバイバルの到来を告げる宴はバロン諸島の夜にどこまでも響くのであった。