ふとっちょメイド服おじさんとネコミミ少女   作:茶々瀬 橙

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 そのとき、ふとっちょメイド服おじさんは見た! 麗しのネコミミ少女を!

 ふとっちょメイド服おじさんは自転車に跨って赤信号を待っていた! ひらひらのミニスカの下にはジャージの短パンを履いていた!

 ネコミミ少女は片側二車線の大変に通行量の多い車道の真ん中で立ちすくんでいた! 今まさに彼女には大型ダンプカーが迫っていた、運転手はスマホに夢中で少女に気がついていない!

 ふとっちょメイド服おじさんは悟る。これが己の命運なのだ。生まれてはや三十数年、この豊満な体型の及ぼす範囲を除いて、なるべく誰にも迷惑のかからないように生きてきた。すね毛もしっかり剃ってきた。けれども誰にも相手にされず、己のために細々と小銭を稼ぎながら、己のために酸素を二酸化炭素へ交換するだけの人生。なんの為にも生きてこられなかったこの三十余年が今、報われる。これこそが自分の生の意味……!

 彼はペダルに体重をかけた。ネコミミ少女はきっと恐怖でこおりついている。しかし横から見ればわかる、まだダンプカーとの距離はあるのだ。今から飛び込んでいけば、少女に多少のけがをさせてでもダンプカーの車線上から彼女をはじき出すことができるはずだ。

 ハンドルをぎりと掴んだ。ふとっちょメイド服おじさんに恐怖はなかった。もう自転車は進み始めている、あとはやりきるだけだ。あわよくば清純派ネコミミ美少女(推定二十二歳)とお近づきになれるかも知れない、そうでなくてもひとりの命を救えるに違いない。仮令そのとき自分が命を失うのだとしても、ふとっちょメイド服おじさんの命がネコミミ美少女に交換されるのだと思えば世界への意義は大変に大きい。さらに自分はダンプカーに轢かれるのだ、きっとなんやかんやあって自分に好都合な世界でたくさんの女の子たちから無条件にちやほやされて、これまで誰も自分の魅力に気づいてくれなかっただけでほんとうは自分はすごいやつなんだ、と自尊心の傷つきを大いに癒せる未来が待っているはず。

 ふとっちょメイド服おじさんに走馬灯はなかった。彼の目にはただネコミミ少女だけが映っていた。

 ネコミミ少女と目が合った。彼女ははっと目を見開く。涼しげな灰色の瞳の中心で細い瞳孔が広がる。

 引き伸ばされた一瞬の中でふとメおじは微かに訝った。ネコ少の顔にあるのは驚きであって恐怖や焦りではない。あろうことか彼女は自分へ向けて片手の掌を突き出すではないか。指が長く人に近しい造形、しかし肉球が掌にも指先にもちょこんと乗っかり、薄い毛がその間まで覆っている。なるほどかわいらしい手だ、とふとメおじは心の内で腕組み深く頷く。

 そんな最中にも事態は倦まず弛まず進行する。ふとメおじの自転車は信号が赤いまま車道へ今まさに進み出ようとしていた。奮発して買ったカーキ色のクロスバイクの前輪がまるきり車道へ、そしてダンプカーの車線上へ交わる。ふとメおじも手を伸ばした。ネコ少の手を掴み、引きずってでもそのまま走り抜けるのだ。間に合わなければ突き飛ばしたってこの際構わない、それが自分の幕切れになったとしても。

 ネコ少も彼の意図を察したのだろうか、身動ぎをした。地面に深く屈みこみ、片手はふとメおじに伸ばしたままで、まるでクラウチングスタートをするかのように身を伏せたのだ。そうして次の瞬間、彼女は驚くべき跳躍をした!

 仰角三十度、ほとんど前方へ弾かれるようなスタートダッシュ。ネコ少はひと跳びふとメおじへ距離を詰めると、伸ばした手で彼の手を掴む、と思われたがそうではなかった。T字ハンドルの中央を鷲掴みにして、跳躍の勢いのまま持ち上げたではないか。

 ネコ少の身は未だ中空にある。いったいどれほどのエネルギーを蓄えていたのだろうか、彼女は地面を蹴った勢いだけで自転車とそこに跨るまんまるなふとメおじを受け止め、それどころか押し返しさえしたのである。

 自転車の前輪が浮きあがり、さらに角度を増していく。ついには自転車が垂直に立ってしまった。ハンドルを掴んだままでいたネコ少は、先に自転車の上を越えたところで手を放し、宙返りして歩道へと着地している。遅れてふとメおじは自転車ごと歩道の脇に転がった。どうっ、と音を立て巨大なダンプカーは通り過ぎる。お腹周りのたるんだ肉に守られて、ふとメおじも彼のお気に入りのクロスバイクも傷はつかなかった。ふとメおじは目まぐるしい展開に目を白黒させながらも、上下逆さになった世界で車道に潰れた小さくて花車な紙箱を見た。無残にひしゃげ、中身をぶちまけたそれはふとメおじの「もし」を暗示する。彼の背を冷たい汗が上下逆さに伝っていった。

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