「ほんっとごめん!」
ネコミミ美少女あらためヨテは力強く合掌して頭を下げた。喫茶店のこじゃれたクルミ材のテーブルに額で穴を空けかねないような勢いだった。肉球のおかげでトラばさみみたいに打ち合わされた手からは音がしなかった。
ふとっちょメイド服おじさんあらためソザはかえって恐縮していた。うんまあ、と言葉を濁し、ネルドリップの香りよいコーヒーをすすった。自慢のオリジナルブレンドとやらは深煎りでパンチが強かったが、後味は不思議と華やかで、鼻を抜けていく香りに彼は幾分落ち着きを取り戻した。
「無事でよかったよ。……ぼくが」
「もー、ごめんってば! あたしも不注意だったよ、もう慌てちゃってさあ。あのクッキー、限定の美味しいやつなんだよ」
「そうらしいね」
ヨテの言うのは先刻に路上で轢き潰された紙箱で、あれはこの頃インターネット上でプチバズりした商品だった。地方の小都市が町おこしに売り出した土産物が、偶然にも大衆の目に留まったのだ。ソザやヨテにとっては地元の店舗でありながら、それだけに地域住民の手には中々降りてこない品物だった。
あ、知ってた? とヨテはきまり悪そうにはにかむ。ミーハーを自覚しているらしい。
ともかくも彼らは一命をとりとめ、なし崩し的に近所の、やはりこの頃人気な喫茶店になだれ込んだのであった。もちろんヨテの選んだ店である。ちなみにダンプカーは彼らが気づいたときには跡形もなく消え去り、あれだけ車通りが多いにも拘わらず他のドライバーたちもまるで無関心を決め込み、ダンプカーの運転手は社会的に一命をとりとめたのであった。同じ過ちを繰り返さないことを願うばかりである。
年若い店員が二杯のかき氷とグラスに入った何やらカラフルな飲み物を運んできた。経験の浅そうな、ぎこちない物言いで長々としたカタカナの商品名と共に皿をテーブルへ並べる。ソザはそれらを聞き取れず、ただ「美味しそうだな」と思っただけのことだった。
一方、店員はおかしな取り合わせの二人、中でもより奇妙な見た目のソザへと気を取られ、普段にも増して言葉遣いが怪しくなっていた。「ごゆっくりお過ごしなさってありがとうございます」などと口走っていたが、それに気づいたのは店員含めた三人のうちヨテだけだった。店員の内心を慮ったか、彼女は苦笑いでその背中を見送った。
ソザが山盛りの氷の上に乗ったフルーツをフォークでつついている傍ら、ヨテはかき氷とグラスの配置を塩梅してはそれらをスマホで写真におさめていた。構図が決まらないようで光源の位置を探ったりアングルを吟味したりと忙しそうだったが、やがては首を傾げながらも撮影会を終える。と思えば次は加工のターンであるようだ。ポチポチと真剣な顔でディスプレイを操作している。その間もかき氷は少しずつ溶けて、シロップが器の端から垂れていった。
頭痛と甘みをコーヒーでとろかせながら、ソザはそれを横目に見ていた。彼の内には少なからずそれらの行いを軽蔑する心持ちがあった。しかし「見て、いい感じじゃない?」と画面を見せてくるヨテの顔に邪気はなかったし、撮れた写真もたしかに目を引くものだった。その技術に感心して、ソザは少しだけ反省する。
次いでSNSへの投稿でもしているのだろう、さらにスマホへ熱中するヨテだったが、そうしながらも口を開く。
「聞いていいのかわかんないけど」
「うん」
「なんでメイド服?」
「直球だなあ」
「いや、バカにしたいとかじゃないけどさ」
「でも変だよね」
「まあ」一瞬だけヨテは目を上げる。「そうねえ……」
言葉を濁したというより、それは控えめながらも明確な肯定のニュアンスであった。ソザは彼女のはっきりした態度にかえって気をよくして小さく笑った。
ソザが着るのは本式の給仕服などでは当然なく、それどころかそういった仕立てとは対極のいかにも粗製乱造な量産品であった。安い合成繊維のテカりや今にもほつれそうな縫製、フリルやリボンの後付け感を隠そうともしない、清々しいまでの紛い物だ。見目の整ったきれいどころが身に着けたところで失笑を買いそうなところ、不摂生の体現とも言うべきソザのような者が着れば見る人に不快感を催すことさえありそうだ。
ただ彼に限れば、そしてヨテの目から見た印象に限れば、嫌悪の寸前で踏みとどまっているように思われた。それはその体型から想像されるような不衛生さがまるで感じられないこと、所作や顔つき、言葉尻の穏やかなことなどが影響しているのかも知れない。それにほんの微かであったが彼は白檀の香りを漂わせていた。風貌とは全くちぐはぐな気品のある匂いに、ようやくかき氷を崩しにかかりながらヨテは密かに笑みをこぼした。
とはいえ最も影響していたのは命を救おうとしてくれたというその一事に尽きただろう。やや冷静さを欠いている自覚のあったヨテはかき氷とパッションアンドグレープフルーツサマーソーダなる淡い原色の層になった飲料を急ぎ口に運んだ。気づけばソザのかき氷はもうほとんど空になっていた。
ソザは店員に声を掛けコーヒーのおかわりを注文した。それから軽く言葉を継ぐ。
「この服のことだけど」
「ん? うん」
「まあ、趣味だよ」
「そ、っかあ」
無論、彼の「まあ」の部分には様々な含みがあった。彼なりの所以が、意思が、感情があった。ソザは自分の装いが一般的な感覚からは受け入れられないことを知っていたし、他者が自分を見たときにきっと抱くだろう不快感に申し訳なさも感じていた。そのうえでそれらを押しのけてまで自分のエゴを通すだけの、彼なりの理由があった。しかしそれは他人に、それもつい先刻に出会ったばかりの相手に語って聞かせるようなものではなかったし、そもそも簡単に言葉にできるほど彼の中でも固まった形になっていなかった。
ヨテも彼のそういった機微を感じ取って曖昧に頷くだけだった。当然の判断だろうと納得しつつも、突然に互いの間に分厚い幕を落とされたかのような感覚にもなっていた。
命の危機を味わったあとの高揚感から初対面でありながらカフェで一服するに至ったふたりだったが、ここにきてようやく出すべき話題の難しさを思い出していた。一度自覚してしまうとそれを取り繕うことも難しく、互いに苦笑を交わした。ヨテがかき氷を解体しきったあとに、それほど間を置かず示し合わせたみたいに彼らは立ち上がった。
「あたしが奢るから」
「え、いや払うよ……と言いたいところだけど……」
ソザは一度言い淀み、たいへんに小声になって「正直あてにしていました」と告白する。
「今月もうお金なくてさ。バイトの賄いで食いつなぐ予定だったから。そのバイトも今日はふけちゃったし」
「自転車操業すぎる。そしてごめん」
「いや借金はないけどね?」
「どっちにしろやばすぎでしょ」
「あっはっは」
カフェを出ると、ふたりはその場で別れた。蝉しぐれが遠く響いていたが、日は陰り、吹く風はさわやかだった。
あっけらかんと笑ったふとっちょメイド服おじさんを、柔らかな匂いだけを残して自転車を颯爽と転がしゆくその背中を、ネコミミ少女はしばらく見送っていた。