そのとき、ネコミミ少女は見た! ふとっちょメイド服おじさん(メイド服ぬき)を!
ネコミミ少女はお腹を空かせてファミレスに立ち寄ったところだった! 隣には大学の友人である男女のふたりを伴っていた!
ふとメおじ(メぬき)はレジでじじいにしこたま怒鳴られていた! 店内どころかドアの外にまでその声は響いていた! しかしネコ少と友人たちの空腹はそんなことものともせず、彼らをファミレスへ突入させたのだ!
「やばいんだけど」
立ち尽くすヨテの隣で友人の一は呟く。声は笑い含みであったがその表情はひきつっている。ヨテは答えることもできず、レジに立つファミレスの制服(男性用)姿のソザを見ていた。
怒鳴り続けるじいさんへソザはぺこぺこと頭を下げている。じいさんの言い分はこうだった。値引きクーポンを使うつもりで食事をした、それなのに自動精算機はクーポンを読み込まず値引きが受けられない、こんなのは詐欺ではないか。
怒鳴り声の合間にソザがたどたどしく弁解するにはしかし、クーポンはそもそも期限切れだったようだ。だというのにじいさんは、それならそうと事前に説明もないのはおかしいじゃないか、やはり詐欺だと言って聞く耳を持たない。唾を撒き散らしながら、詐欺だ詐欺だと馬鹿の一つ覚えみたいに連呼している。
そもそもクーポンとは注文時に使うもののはず、そうでなくとも明らかに不当なクレームである。しかし他の店員に介入しようという気配はなく、ソザは下手に出るばかり。媚びた笑みや謝るたびに揺れる顎の下の肉がヨテには堪らないほど醜く映った。
ヨテは腹が立った、空っぽの胃袋を吐きだしたくなるくらい嫌悪した。理不尽な物言いをする、いかにも知性の低そうな、飢えた猿みたいな見た目のじじいにあんなにもこびへつらって。いっそ蹴りのひとつでもくれてやればよいのだ。お前がしないならば、あたしが。
彼女の身は考えるより先に動き出していた。煮えたぎった脳みそはヨテを前へと押し出した。
「ねえ、そこのじいさん」
自分でも驚くような低い声が出た。じいさんは多少怯んで彼女を見たが、ヨテの姿を認めた瞬間に値踏みするようなねばつく視線が彼女の身をまさぐった。ヨテの背中がぞわりと粟立つ。
ヨテは細身だったがじいさんよりは上背があった。今にも折れそうな老体など恐るるに足らぬものだった。しかし老猿ミイラみたいなじじいはその身のどこから出るのか、汚い怒声をぶつけた。
「餓鬼は礼儀も知らないのか!」
数の足らない黄色い歯、唾と共に降り注ぐ悪臭。肌も衣服も薄汚れた、ゴミ収集車の拾い残しみたいなじじいだった。取るに足らない社会のくずと侮っていた。それなのに。
ヨテはその声を聞いて、不覚にも身が竦んでしまった。表には出すまいとした。しかしじじいはきっと気がついたのだ、直後、じじいは口の端にサディスティックな笑みを漂わせた。攻撃の対象が移った瞬間だった。
向こうでソザが焦りの滲む顔をして、咄嗟に何かを言おうとしたのがヨテの目に映った。ふたりの視線が交わった。彼は今になってヨテが誰かに気がついたようだった。先まであれだけへりくだり縮こまっていたソザだったが、その表情には弱ったところがなかった。あるとすればそれは、ヨテに見られた気恥ずかしさだけだった。
じいさんは恰好の獲物を見つけたとばかりにヨテへ詰め寄った。「ああ」だか「おう」だか、ただ威圧するためだけの声が発されているが、ヨテの耳にはほとんど届いていない。気になっていたのはソザのことばかりだ。
彼はなんと言おうとしているのだろう。なぜああも凛とした表情なのだろう。さっきまで今にも泣きそうだったじゃないか。
しかしソザが口を開くより先、ヨテの背後から声がかかった。
「詐欺だっていうなら警察を呼ぼう」
その主はヨテの友人の二である。彼は内向的で争いを嫌悪するタイプだったが、何しろ筋肉質で背が高いうえにたいへんな強面だった。声音だけを聞けば穏やかな提案に過ぎなかったその言葉。しかし友人自身が、己をどう調理したらよいのか知り尽くしていた。
途端にじじいは黙った。その態度の急変ぶりは見ていて面白いほどだった。友人が言うとともにスマホを耳に当てていたのも脅しが利いたのだろう。未だ悪態は口を突いていたがもはや勢いは枯れ果て、既に精算自体は終えていたらしく足音だけは高らかに店を出ていく。「もうこんな店くるかよ!」などと言い捨てる後ろ姿には様式美すらあった。
微かな残響が尾を引いて店内に静寂が満ちる。流行歌の安っぽいアレンジが天井のあたりを上滑りしていく。すぐに客のさざめきが湧き上がり店内の空気を平常へと押し流していった。誰もが先の騒動をもう忘れてしまったみたいでヨテには気味が悪かった。
ソザが早足に歩み寄ってくる。
「大変申し訳ありませんでした。ご迷惑をおかけしまして……」
ヨテは言葉に詰まった。あまりに他人行儀なその物言いも引っかかったが、先までの情けないソザの姿が思い出され、どうしてか自分まで非常に恥ずかしい思いがした。無性に暴言を吐きたくなった。けれど友人たちの手前ぎりぎりのところで唇を噛んで飲み込む。
黙っている彼女の両脇で友人たちが「いいんですよう」と愛想よく応じる。その間もソザから控えめな視線を感じていたがヨテは顔を上げなかった。
「びっくりしたよ。ヨテ、あのじいちゃんに向かってくんだもん」
「そうそう。こわぁい顔してさ。なに、おじいさんと知り合い? 私怨? おれが入らなかったらどっちから手を出してたかな」
「んー、ヨテ!」
「ヨテの必殺の爪がおじいさんをおそう!」
「じいちゃんはそれをひらりとかわす!」
「「わははは!」」
店員の案内でようやく客席に辿り着き、メニューを開きながら友人どもが口々に言う。珍しいだの勇ましいだのおかしいだのと好き勝手にヨテを評する。ヨテはそれらを曖昧に躱してメニューに顔を突っ込んでいた。自分でもわかっているのだ、らしくないことをしたなんてことは。
幸いにも友人たちはヨテがソザと知り合いだということには気づいていないようだった。それを「幸い」だと思っている自分にヨテは少しだけ首を傾げる。どうして知られたくない、隠したいのだろう。
友人たちの雑談は段々と学校の話題へと逸れていき、ヨテも機を見て合流した。彼らは今日の昼まで続いていたテスト期間を無事に乗り越えた労を互いに称え合った。
食後にはなんとソザの厚意で小さなパフェが提供された。「わたしからです」とパフェを運んできたソザの顔を、やはりヨテは見られなかった。
そのときに、あの孤立無援と見えたクレーム対応の理由が知れる。あのじじいははた迷惑極まりないことに、常連のクレーム客だったらしい。ソザも対応に慣れ切っていて、なんとなれば他の客さえ「またか」と思っていた可能性まである。
謝っておけばいい、という心持ちが彼の余裕のある表情の理由だったらしい。
それでも、とヨテは思う。それでも、あれはかっこわるかった。
友人たちとひとしきりの談笑を終えてヨテは店を出る。夏の夕間暮れは食事をしている間に通り過ぎた夕立が暑さを和らげ、残った雲が日差しの角を取り除く。雲を染め上げる朱色が、街路樹のアブラゼミが、そよ吹く風のペトリコールが、ヨテに故のない感傷を誘った。
ファミレス前のバス停でヨテは友人たちと別れた。ふたりはバスから駅を経由して帰る。ヨテの家だけがファミレスから徒歩圏内にあった。
彼女がファミレスへ引き返したのは、駐車場を横切った裏手の道のほうが自宅に近かったからだ。だからその途上、ファミレスの従業員用出入口の前を通りかかったのはもののついでに過ぎない。示し合わせたようなタイミングで「STAFF ONLY」の札のついたそのドアから見知ったふとっちょメイド服おじさんがのっそり出てきたのだって、もちろん単なる偶然に過ぎない。
彼らは目を見合わせた。驚きのあまり互いに一言もなかった。先に表情を緩めたのはソザだった。
「さっきは、どうも」
「……うん」
ヨテははっと顔を逸らして頷いた。脳裏にはじじいに罵られる情けない姿のソザがまた渦を巻き始めている。同時に、直後のさして堪えた様子もない表情や、先日の自らを省みず差し伸ばされた手が次々に思い出され混ざりあう。
視界の隅に窺う彼はあの日とはまた別のメイド服を着ていた。どちらにしても怪しいくらいの安物には違いなかった。なんであんな服を着ているのか、ヨテにはまったく想像もつかない。
ソザは背を丸めて首を傾げる。先刻からのヨテの拒絶的な態度にもちろん彼は気がついていて、距離を測りかねていた。関わり合いになりたくないのであればそれでいい、たまさか交わった縁だが、結び合う必然性などはない。しかし彼女は黙ったままで立ち去ることもしない。
風がやむと濡れたアスファルトからじわりと湿気が立ち上った。ヨテの大きな耳は力なく垂れさがっていたが、それが徐ろにソザを向いた。
遅れて、彼女の顔も持ち上がる。
「暑いから、さ……」
口にしたのはそれだけだった。けれどソザも何かを察して頷いた。踵を返したのは立ち去るためではない、いつかのクロスバイクを押してまたヨテのところへ戻ってくる。
ぎこちないソザの視線から逃れようと、ヨテは頬に流れた汗を言い訳みたいに片手で拭った。